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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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南福岡代表 沖学園高校 初勝利





夏の甲子園が 100回大会だと話題になっています



高校球児だった私が 夏の大会に臨んだのが



実は 1968 50回大会でした



県立の進学校だったので 部員数も 十数名しかおらず



一回戦敗退でしたが 夏の記憶は 鮮烈です



50回の記念大会だったからでしょうか



地方大会でも 平和台野球場での入場行進もありました。



今はなき 香椎球場 (香椎花園の駐車場付近) での試合でした



私には 二人の息子がいますが



親の心子知らず 彼らは 野球には眼もくれず



ひたすら サッカー やってくれました



『キャプテン翼』の前には



私が買ってあげた グラブもバットも 無用の長物と化したのでした





昭和から 平成 そして 新たな年号の未来へと



時の流れは 甲子園という 一つの〈 祭り 〉を繋いでいます



いくつかの 名シーンが 日本人の記憶として 残っていくのでしょう



何故なのか 子供達の 無心に白球を追う 姿に 涙します



それは 50年前の 私の中の センチメンタル ではないようです



この国に生まれたすべての人の中に眠る



魂の記憶 のように 私には 思えてなりません





日本人として 消したくても消せない 夏の日の 記憶



73年前 夏の記憶です



考えてみれば 2000年のこの国 歴史の中で



最も 穢れに満ちた 100年だったのかもしれません



私たちは 穢れを祓う 鎮魂の為の〈 祭り 〉を 絶やしてはいけません



遠い この 美しい 豊穣の国を築いてくれた



祖神 への 感謝 の〈 祈り 〉を 忘れてはいけないのです




100年目の夏



鎮魂の夏








by nonkei7332 | 2018-08-07 08:29 | 日記 | Comments(2)

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空蝉の殻は木ごとにとどむれど たまのゆくへを見ぬぞかなしき


  古今集 448



〈通解〉


蝉のぬけがらは 木と共に残っているけど



魂はどこに行ったのかわからないのが 哀しい





写真は 蝉の脱け殻ではありません



地上に現れて 羽化 をするために 松の木に 登ってきたところです



おそらく 日が沈むと 羽化を始め



明日の朝には 蝉となって 飛んで行っているでしょう



そして その後には 空蝉が残っているでしょう




蝉は 卵から 孵化すると 地中に潜り 5年近く そこで生きています



やがて 地上に登ってきて 羽化して 成虫になるのですが



蝉となって 生きているのが 10日ぐらいなのです



その間 鳴き続けて 交尾して メスは 卵を産んで死んで生きます



オスの中には 交尾もできず そのまま 亡骸となるのが



4割ぐらい いるそうです




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ギラギラとした は何を考えているのでしょうか



残された 生への悦び なのでしょうか


どこか 緊張して 哀しい目をしているようにも思えます



上手く 羽化 できるだろうか



上手く 鳴けるだろうか



はたして 交尾の相手と巡り会えるだろうか



不安と 期待とが 交差した そんな まなざし です




最後の大勝負の決勝戦のまえにした 準決勝



そうです 《セミファイナル》なのです




鳴く蝉の命の限り鳴く声は 夏のみそらにひびき泌みけり


岡本かの子






by nonkei7332 | 2018-07-23 12:47 | 日記 | Comments(0)


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今年も 荒ぶる神 容赦なく



この国を 諌めたように思えます



前線が北へ去り



夏越しの祓いの山笠が終わると



この町には 身も焦がすような



灼熱の季節がやってくるのです





祭りとは 民俗学者の折口信夫 こう言っています



祭りは、禊ぎに伴ふ夏神楽から出て居る。



神楽は鎮魂のために行ふものであつた。



禊ぎの後の潔まつた身の内に、



外来の威霊を堅く結び止めようとする儀式である




冬の凍る夜に限つた楽舞(あそび)が、



夏にも行はれるやうになつたのである。』




今年の町内の 夏まつりの会議で



「今年は 炭坑節もいいけど フォークダンスでもやってみたら」



半分冗談みたいに言った私の意見が取り上げられて



フォークダンスを踊る羽目になりました



「オクラホマミキサー」懐かしいメロディが



素足で 土の上を踊った 記憶が蘇ってきます



小学校の頃 好きな女の子が ちかずいて来るとドキドキしましたね



「オクラホマミキサー」は歌の名前ではないそうです



オクラホマで踊られた ミキサーというダンスの名前だそうで



楽曲の名前は「藁の中の七面鳥」といいます





古代 まだ 文字がなかった頃 人々は まつりの日に



鎮守の杜(集会所)に集まって 歌を歌いました



〈相聞歌〉です 男と女の 掛け合いの歌でした



中国の少数民族でも オーストラリアの先住民族アボリジニでも



今も 続いているそうです 『歌垣』と呼ばれています



半島でも 日本でも その名残がいくつか 残っています



というより 盆踊りも 神楽も 相撲も 元をただせば



この『歌垣』が起源かもしれませんね





さてさて 夏まつりのフォークダンス



私の心をときめかせてくれるような



ステキな 女性は現れてくれるでしょうかね





オクラホマミキサー の練習風景










by nonkei7332 | 2018-07-21 13:34 | 日記 | Comments(0)


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点滴で 生命を繋いでいます



消化器疾患 がゆへに 治療的に 絶食が必要とされる為



もう100時間程 食べ物を口にしていないのですが



不思議に空腹感がありません



人は 食欲が無くなって 水を口にしなくなると 乾涸びて死ぬといいます



『アステマリン3MG輸液』



いわゆる ブドウ糖点滴というやつです



生命を繋ぐ水です



身体のあちらこちらで 金属疲労が起きてるようです



ストレス疲労でしょうか 、ちょっと無理したようですね




何をする事もなく



ポトリ、ポトリと落ちる点滴を見ながら



あれこれと いろんなことを 辿ってみるのですが



ところどころ途切れた記憶が失速していて



大事な部分のパズルが見つからず 物語になってくれません



いちいち 消えていく記憶に感傷的になっていたら



脳(海馬)も 乾涸びてしまいますから



ここは 去る者は追わず



消えていく記憶の何万倍もの記憶が 私からの合図を待って



静かに自分の出番がくるまで 眠っているのでしょうから



ここは 焦らずに じっくりと



ひとつひとつの 記憶の糸を



手繰り寄せる作業さえやっていけばいいのです



残された時間は 誰にもわからないのですからね



乾涸びて死ぬる事が 理想とする私には



今回の入院は いい経験をさせてもらっています




連日の雨 この雨がやむと



夏祓へからうまれた 博多の祇園山笠 始まります



〈ヒトガタ〉の細工師達の 魂が 蘇ります。



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by nonkei7332 | 2018-06-08 19:25 | 日記 | Comments(6)


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風信子(ヒヤシンス)




人の出逢いとは 不思議なものですね



多くのブログの中から 私の記事を見つけていただいた事



そして コメントをいただいた事 嬉しく思います



何が 私達を 繋げてくれたのでしょうね




風信子(ヒヤシンス)



2014 4 私の こんな 記事でした






https://hisamitsu.exblog.jp/22448123/ (タップして下さい)





この記事に 先生からいただいた コメントです




4年も前に書いた文章にコメントを寄せられて驚かれるでしょう




「ヒヤシンス」で検索していて,たまたま見つけました。



ポッキン君,ひょっとして早熟の文学少年で



立原道造のファンだったのではないでしょうか。



彼が生前に残したたった2つの詩集には『風信子叢書』という



サブタイトルというかシリーズ名がついていました。



ちなみに,東京オリンピックの年,



わたしは9歳,小学校3年生で,



まだ立原道造にであってはいませんでした。』





淡い 少年時代の記憶をたどっての 私の思い出でした



1964 正確に言うと 54年前



私が 小学校の6年生の時の 思い出です



ポッキンという 数少ない わたしの友達との



ある日の出来事を記事にしたのでしたが



先生は 〈立原道造〉 という 夭折した若き詩人 の事を



ポッキン は知っていたのでしょうか という



投げかけを していただいたのですが



その答えは 私には わかりません



わかっていることは ポッキンが 花が大好きだったこと



その年 クラスで 〈ヒヤシンス〉 と〈クロッカス〉



水栽培をして 教室の窓際に 色とりどりの 花々が並んでいた事です





本来であれば コメント 返事で お答えするところですが



ポッキン についての話 には その時に書けなかった



悲しい 思い出が ありましたので



思い切って 記事にさせて頂いたことをお許しください





私達が 通っていたのは 福岡市南区の M小学校です



西鉄の井尻駅 の近く 今でこそ 住宅地が並ぶ 街ですが



当時は まだ 田んぼや 小川がある 田舎町 でした



ヒヤシンス のことがあった年の 晩秋だったでしょうか



教室の ポッキン 机には 花が飾られていました



担任の先生から 告げられたのは 衝撃の ポッキン の死 の報せでした



ポッキンの死は 自殺 でした



西鉄電車の線路脇に 靴が並べられていたと聞きました



私が ということに最初に向かいあった経験でしたので



その時のことは 鮮明に覚えているのです



お葬式に行った時に 泣き叫ぶ ポッキンの お母さんの姿に



ただ 悲しみだけの 泪を 流していた 私がそこにはいました



数少ない友達でしたので ポッキンの家には何度か遊びに行きました



ポッキン には お父さんがいませんでした



ポッキン 数年前に亡くなった 消防士だった父の話を



写真と賞状を 見せて 誇らしげに 話してくれたのを 覚えています



大好きな お父さんだったのでしょうね



その後 母親が 再婚され 新しい父親が できたと聞きました



ポッキン のとても短い 12年の人生に 何があったのか



私は 多くを語ることに 口を閉ざしてきました





ギリシャ神話 ヒヤシンス の話 をしました



ポッキン 物語かもしれませんね



そして ヒヤシンス の花言葉 悲しみ 〉だということを知ったのも



夭折の詩人 立原道造と 風信子(ヒヤシンス) の事を知ったのも



ずっと後のことだったのです





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立原道造




夢見たものは‥‥》


立原道造




夢見たものは ひとつの幸福



ねがつたものは ひとつの愛



山なみのあちらにも しづかな村がある



明るい日曜日の 青い空がある





日傘をさした 田舎の娘らが



着かざつて 唄をうたつてゐる



大きなまるい輪をかいて



田舎の娘らが 踊ををどつてゐる





告げて うたつてゐるのは



青い翼の一羽の 小鳥



低い枝で うたつてゐる





夢みたものは ひとつの愛



ねがつたものは ひとつの幸福



それらはすべてここに ある と











by nonkei7332 | 2018-05-12 07:29 | 日記 | Comments(0)


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あれから もう 7 なんですね



この国の人だけでなく 世界中に激震が走った日。




22,000人という 人々から 命を奪ったあの日。




meltdown という恐怖 に慄いたあの日。




為すすべを持たない 非力な人間という存在を



改めて知らされた日だったのかも知れません




富とか栄華とか 科学万能とかに 侵されて来た




むしろ それこそが 唯一の希望であり




信じ得る 唯一の神だと 洗脳されて来た 私達が




転教という 踏み絵を目の前に拡げられた 7年前だったのです




〈畏敬の念〉という言葉があります




この言葉は この国の 太古からの神(no god)への




自然への 祈りの形でした




畏み(かしこみ)敬う(うやまう)祈りです




畏みは 恐み とも 書かれます




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思い返せば 7年前 私の身にも




激震 が走っていました




311 病院のベットの上でした




脳梗塞による 半身不随 という 車椅子生活の日々




来る日も来る日も 動かぬ 手と足を右手でさすりながら




リハビリ病棟の窓から 春の嵐 を見ながら




これからの自分の行く末を 案じておりました




あれから 7 私にとっては 奇跡といってもいいほど




今では 不自由なく 生活ができるほどにさせていただきました




その折々の日々のことを このブログ にも書きました




ファミリーヒストリーを追いかけながら




古代史仲間との出会い



神仏習合を追いかけて比叡山延暦寺 での 発見



そして 地域ボランティアを通しての 日々。




世の中も 私自身も 激震のあとの 7年の季節は




あっという間に過ぎていきました




ここ1ヶ月 ブログの記事が 滞り 何人かの人から




心配のお便りをいただきました




すみません 元気にしております。




色々と 自分の中で 整理することがありました




桜が 咲く頃には また 取り留めもない中に




新しい をお見せすることができそうです





ノートの中から




最澄が延暦寺で 若い天台僧に向けていった言葉を見つけました




径寸(けいすん)十枚 これ国宝に非ず




一隅を照らす これ則ち国宝なり』



径寸とは 金銀財宝)




いつも 〈一隅を照らす〉私でありたいと 思っています








by nonkei7332 | 2018-03-11 15:49 | 日記 | Comments(0)



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』という



中学校の行事に 初めて 参加しました



いつ頃から始まった学校行事なのでしょうか



少なくとも 私の時代にはありませんでした



14 中学2年生 を対象とした式典です



一人一人が 将来の志(夢) を発表するという 行事でした



14歳といえば 奈良時代から 始まったとされる 〈元服〉が



大人となる儀式が あったのですが その 現代版なのでしょうか



学校行事の中には 小学校では 12 成人式〉や 中学校での



立志式 〉など 将来の夢を語ること を通して 大人へなる事への



意識を 子供たちへ 持たせようと試みているようなのですが



子供たちの 本音 は果たして どうなんでしょうか




白洲正子さんの エッセイにこんな 文章がありました



『昔は元服という儀式があって、前髪を切り落とした。



これは 首を斬ることの 象徴的な行為なのであり、



その時子供は死に、大人へ再生し、子供の名は捨てられて、



大人の名前がつけられる。牛若丸が義経に生まれ変わるのである。



現代にも成人式というものがあるが、選挙権のおみやげ付きで



成人になっても、元服の感動は得られまい。



それは 儀式ではなくて おまつり騒ぎの一種にすぎないからである。(中略)



人生の節目節目で行われた儀式を失って以来、



人間は不幸になったのではあるまいか。現代の大人たちが、



いつまでも子供の殻をひきずっているのは、



早くに親離れをする けだもの にも劣るし、



会社に入れば会社が親がわりになって面倒をみてくれる。



一生ほんとうの名前を知らない 名無しの権兵衛 で終るのは



当然のことといえよう。』




式典は厳かに進み クライマックスは 「志」表明



子供たちのが一人一人 壇上に上り 自分の将来の夢 を語ります



かつて ランドセルを背負っていた 懐かしい 子供達ばかりです



もう 何年も会ってない子もいましたが



不思議と 名前は覚えていました




「将来こんな仕事をしたい その為に こんな努力をしていきます」



話す 子供が大半なのですが



「今の僕には 夢などありません」



とはっきり 言い切る男の子もいました





私の 14歳の頃 〈夢〉〈志〉



そんなものはありませんでしたね



いつまでも子供でした ずっとずっと 子供でした



考えてみれば 社会人となり 結婚し 子供が生まれ ても



私はいくつになっても 少年だったような気がします



私の大人になる〈儀式〉は 親との死別 だったような気がします



親が生きている以上 私は いつまでも 子供でしたから




最近 やっと この歳になって 〈志〉というものを



持つ事ができたような気がします



地域での 子供達 高齢者の 見守り活動



もう 日常の多くを占める 私の生活が ここにあります



最近 お気に入りの 都々逸 があります



《 そんなに 子供を叱るなよ 通った 道ではないか



そんなに 年寄り 嫌うなよ これから 通る 道ではないか




〈志〉の先に いくつもの 見えてきました



そこには 子供達 お年寄りの 楽しそうな笑い声と



やっと 大人になれた 私 がいました








by nonkei7332 | 2018-02-25 12:34 | 日記 | Comments(0)

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夜半から 降り出した雨が 雪に変わり



朝には 一面の 雪景色



じっとしていられず 外に出ました



天の下 すでに覆ひて降る雪の 光を見れば貴くもあるか


万葉集17-3923 紀清人


私訳


あたりいちめん 雪に覆われていて なおも雪が降っています



光に輝く その景色は 神々しくもあります




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曇天の雲間から 一瞬ですが 陽が射し込みました



海が光り 雪が輝き



まるで 神が舞い降りてきたかのようです




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赤い頬 の子供達の声が 白いグランド に拡がっていました



知っている子がいたので 思わず



『頑張れよ』と声をかけると



『ハイ』という 元気な 返事が 帰ってきました



何故か ウキウキしながら 私も 童心に帰っていたのでした




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タブノキ






雪の中 椋(タブ)の老木 に会いに行きました



小雪が舞う中 今にも朽ちて倒れそうな 椋の木なんですが



まだまだ と 言わんばかりに 若枝を伸ばしているのです



よく見ると 木の周りに 危険注意 のロープが張られていました



そのまま そっとして欲しいのに



もうすぐ 切られてしまうのでしょうか



悲しくなりますね




http://hisamitsu.exblog.jp/24198481/

《 タブノキ 》




by nonkei7332 | 2018-02-12 20:50 | 日記 | Comments(0)


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7時21分 東天





6時半に目が覚めました



身震いするほどの 寒さでもなく いつものように



熱い 緑茶を口に運びながら 外をのぞくと



朝もやが かかった 日の出前の薄明るい空が見えます



空の明るさが 星明かりよりも明るいくらいの 時刻を



「天文薄明」というそうですが



日の出前の 1時間位でしょうか



今日の 日の出を調べると 721分。



ダウンジャケットを 引っ掛け タブレットを持って 外に出ました



目的地は 私がいつも 朝陽を拝む ベストスポット



平日なら 旗を振って 子供達の元気な声に応えている時間ですが



今日は 土曜日 町は いつもより 静かです



721 東の空を 見ると まだ太陽は 見えません



慌てて タブレットで 『日の出の定義』を検索しました



「太陽の上辺が地平線(または水平線)に一致する時刻」とあります



やっぱりそうか そうだよな と納得。



東に そびえる 山の稜線から 太陽が 登るまで 待機と決めてから



待つこと 18 739






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7時39分 東天




若杉山(681m) 辺りからでしょうか



朝陽が 姿を見せてくれました。



久しぶり 二拝二拍手一拝 。そして 大きく 深呼吸。



アマテラス 霊気を体の隅々まで頂きました





世の中は 暗い話ばかりです



でも やがて 上る 太陽を迎えるまでの



「天文薄明」なんだと思えば



この痛みにも みんな 耐えられるのに。



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2016年 12月30日 6時50分 東天







by nonkei7332 | 2018-01-20 12:20 | 日記 | Comments(0)


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青森県西津軽郡深浦金ヶ沢 の 日本最古と言われる 大銀杏

樹齢 1000年 樹高 40メートル 幹回 20メートル





この漢字 《公孫樹》を 〈いちょう〉と読める人は少ないでしょうね



普通は 〈銀杏〉と書きます



食用にされている は(ぎんなん〉誰もが知っています



各地にある 銀杏並木 晩秋の街並みには 欠かせない風景です



一般には この 成長するのに長い時間がかかります



祖父が植えると その樹に実がなるのは



孫の世代になってからという事で



《公孫樹》と言う字が つけられたといいます





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銀杏並木




30年前位でしょうか



散歩がてらに自転車に乗って 那珂川町の中ノ島公園まで行きました



那珂川の砂地になった中洲で 三枚葉の銀杏の若芽を見つけました



10センチくらいの苗木でした



上流の銀杏の樹になった実が 流されてきて根ずいたのでしょう



まるで 私に見つけて欲しかったのような 思いにかられ



うちに帰って 小さな鉢に植えた置いたのです




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イチョウの苗木



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あの苗木が 成長しました

2015年 の イチョウの苗木



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こんなにも 大きくなった

今年 正月 の イチョウの 苗木






銀杏は 中国原産の樹木です



ではいつ頃日本に渡ってきたのでしょう



通説では 銀杏の木は仏教伝来とともに日本にきたといわれています



仏教公伝 538年ですが 本当のことは誰もわかりません



418年に 仏教は九州王朝に伝来した』という説もあります



実は 中国の魏呉蜀の三国時代に 漢族の公孫氏という豪族がいて



公孫氏三代(度(たく)・康(こう)・淵(えん))が 50年にわたって



遼東半島以北を治めていました 〈公孫康〉の 時期には



倭国を内属していた時期もあり その後 〈公孫淵〉は 燕王を名乗り



魏から自立しますが 238 魏の反撃で 滅亡してしまいます



魏志倭人伝に拠れば



公孫氏滅亡の翌年 239 倭国の使節が 魏から



《親魏倭王の金印》(別名 卑弥呼の金印) を授かっているのです



(志賀島で見つかった 金印 とは 別の金印です)



ということは 公孫氏 と 倭国は



それなりの繋がりがあったとしても おかしくありません



〈晋書〉には 倭の女王卑弥呼の事が書かれており



出自は公孫氏だったという 解釈もあるくらいです



さて 話を 公孫樹 に戻します



公孫樹 公孫氏の名前からそう呼ばれるようになった



そんな説は どこにもありません



文献に ないからだけで 誰も知らないだけかも知れません




これから 全て根拠のない 私の妄想です



公孫樹 を日本に 根付かせたのは 実は 卑弥呼だった』



卑弥呼 滅亡した 先祖を偲んで 背振山麓に 公孫樹を植えた



卑弥呼の墓は 背振山麓にあり 「親魏倭王の金印」も そこに眠っている』




1800年まえの 誰も知らない 公孫樹 の謎。



30年前に 私が 見つけた 背振山麓 那珂川で見つけた 公孫樹 の苗木



私の 海馬(脳) の中で 過去と未来が 繋がったみたいです



眼を閉じれば



1000年後 私の子孫の 子供達が



大樹と育った あの苗木の 公孫樹の 楽しそうに 遊んでいる


そんな声が聞こえてきます





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中国陝西省の西安の南東にある終南山の仏教寺にある

樹齢1400年 の 公孫樹の大木








by nonkei7332 | 2018-01-09 18:41 | 古代史 | Comments(0)