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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

タグ:古代史 ( 115 ) タグの人気記事



花 正 月_b0325317_14512272.jpeg



この国では 14日から16日までを 〈小正月〉といいます



それに対して 大晦日・正月という歳神様を迎える 



そして送る 幕の内の 一練の祭事を〈大正月〉というのです



また 小正月には 正月の間 家事に勤しんだ女性たちが



実家に帰って 英気を養うことができたので



〈女正月〉ともいわれました



特に 116日 と 716日は



奉公人や守子達も一年に二度だけ 親の家に帰れる日でした



藪入り(やぶいり)と 呼ばれました 



藪入りの語源は 宿(実家)入りとか 家父(実家)入り



が訛ったといわれています



小正月は どちらかといえば 農家が 今年の豊穣を祈る



三日間とされました 柳の枝に 紅白の餅をつけて



餅花(もちばな)を作りました《写真》



これを 稲穂に見立てて 飾って 豊作を祈ったのです  



小正月の事を〈花正月〉といった起源です



博多や柳川をはじめ 各地に残る風習〈さげもん〉



によく似ています 餅花 が起源かもしれませんね



ここで言う 花とは 稲の花 のことです




花 正 月_b0325317_14521138.jpeg
さげもん



折口信夫 は 「花の話」の中でこんな事を書いておられます



『 雪は 豊年の貢 と言うた



雪は 土地の精霊が 豊年を村の貢として見せる



すなわち 予め 豊年を知らせる為に降らせるのだと考へた



雪は米の花の前兆である 雪を稲の花と見て居る ほんとうは 



山にかかって居る雪を主とするのであるが 後には 



地上の雪も山の雪と同様に見るやうになつた



稲の花の一種の象徴なのである 』



万葉集には



《新しき 年の初めに 豊の年しるしとならし 雪の降れるは》


173925 葛井諸会(ふじいのもろえ)



〈語訳〉



新年の初めに降っています 今年は豊作なのでしょう




花 正 月_b0325317_14530807.jpeg
2016年 冬景色





今年は 雪が降らない冬です 花 は大丈夫でしょうか



私の中で 祈り が 呪い に変わらなければいいのですが









by nonkei7332 | 2020-01-17 15:49 | 日記 | Comments(0)



禊ぐ(みそぐ)_b0325317_08230013.jpeg
沖ノ島 の 禊





古代の倭人の風俗が『魏志倭人伝』に書かれています



こういった記述が あります




「その死には、棺有りて槨無し。土で封じ冢を作る。



始め、死して喪にとどまること十余日。当時は肉を食さず、



喪主は哭泣し、他人は歌舞、飲酒に就く。已に葬るや、



家を挙げて水中に詣(いた)り澡浴す。以って練沐の如し。」




訳すると



「倭人が死ぬと、棺に収めるが、槨(外側の入れ物)はない



土で封じて盛った墓を造る 始め 死ぬと死体を埋めないで



殯(もがり)する期間は十余日 その間は肉を食べず



喪主は泣き叫び 他人は歌い踊って酒を飲んだりする



埋葬が終わると一家そろって水の中に入り 身体を浄める



それは(喪服を着て沐浴する)中国の練沐といっしょだ」




倭人のお葬式が何となく想像できますね



一族揃って 白い喪服を着て水垢離していたんですね



川か海に浸かって身体を浄める 禊ぎ祓いです





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志賀島 勝間の御手洗浜




禊ぎといえば 




神話の中で イザナギ が イザナミ を黄泉の国に訪ねたが 



妻の醜悪な姿を見て 驚き逃げ帰ってその穢れを



祓い浄めるために、筑紫の日向の橘の小戸 で 



水を浴びて 禊をしたと書かれています。



『筑紫の日向の橘の小戸』って 何処でしょうか



第一候補は 福岡の 姪浜住吉神社の浜でしょうか



近くに 小戸という地名があります。



第二候補が 志賀島の勝間の御手洗浜です 今でも



志賀の神事前には 神人はこの海に浸かって浄めをします



どちらかでしょうが   いずれにしても 



筑紫ですから 博多湾岸には間違いないでしょう



この神話を起源として 禊ぎの習俗は 安曇族の東征



とともに全国に拡がっていきました





禊ぐ(みそぐ)_b0325317_08274270.jpeg
京都 下鴨神社



写真は 京都下鴨神社の御手洗社です。ここでは



流し雛とか 夏越し祓などの 禊ぎ神事が行われます



〈夏越し祓〉については ブログの記事を参照にして下さい



博多祇園山笠の起源の謎解きをしています



https://hisamitsu.exblog.jp/25917874/

〈夏越しの祓〉



禊ぐ(みそぐ)_b0325317_08292370.jpeg
博多十日恵比須神社の手水舎







神社であれば 必ずあります 手水舎は禊ぎの略式です




禊ぐ(みそぐ)_b0325317_08304267.jpeg
志賀海神社 



志賀海神社では 鳥居をくぐる前と拝殿の前に



博多の習俗である 御潮井(おしおい)があります



海の砂で 身体を浄めます これも略式禊ぎです





そういえば 小さな頃 眠気まなこの私に向かって



母の恐い声が聞こえていました



『はよ 顔を洗ってこんね ご飯やらんよ』



朝 顔を洗う 



この国の 古代からの禊の儀式だったんですね









by nonkei7332 | 2020-01-11 09:21 | 日記 | Comments(0)


科戸(しなと)の風_b0325317_17311060.jpeg
風の神
級長戸辺命・級長津彦命(しなとべのみこと・しなつひこのみこと)を祀る
志賀海神社の摂社  大嶽神社







風が強い朝です



ヒュウヒュウと樹々が揺れて音を立てています



ベランダの空の植木鉢がガタガタと音を立てています



でも 今 私の鼓膜を振るわせている 多くの音は



風の音ではありません



私に聞こえているのは 



樹々の音であり 植木鉢の音なのです



なぜなら 風には 音など無いからです



風 を見た人などいません 風は視えないからです




古代の人々 は 目には視えないものを 神 と呼びました 



神は 有難いものであり 怖いものでもあります




昔から 全ての穢れを吹き払ってくれる ありがたい神の風を



科戸(しなと)の風 といいました





でも 吹き払う 穢れ(けがれ)って何でしょう



穢れを 祓いに 神社に行くといいますが



髪の毛が薄くなったから 毛枯れ ではないですよね



神社に参拝したら髪の毛が生えてきたなど聞いた事ないです



穢れを 気()枯れ ともいうんですが 



怪我(けが)というのは当て字らしいのですが



ある説によれば 穢れからきたものだといいます



とすると 気 と 血 は 同義でしょうか



血の気が引く といいますし 



全ての血が無くなった 気枯れの状態が 死 なのです




神社は 血を嫌います それを 忌む(いむ) といいます



だから 神社では葬式をしません



神社では 物忌(ものいみ)と言って 死 出産 血などを



穢れとして 一定期間 神事や参拝を避けるといった



しきたりがあります 困ったことに 特に神事に関しては 



出産とか月役のある女性を排するという 女人禁制という 



今では考えられないような しきたりが まだ 残っています



相撲は神事ですから土俵上は女人禁制とか 



博多の山笠も女性は舁き手にはなれませんし



宗像の沖ノ島は女性は近づく事さえ叶いません




普通の神社では そんなに厳しく 言わなくなりましたが



それでも 服忌(ぶっき)と言って 親族が亡くなると



一定期間 喪に服し 参拝を控えます



何社か 服忌 について聞いてみたのですが 



呆れるほど ろくな返事しか帰ってきませんでした



『何処も一緒です 神社庁で聞いて下さい』とか



『服忌って何ですか 募金のことですか』とか




近辺の神社で このしきたりに 特に厳しい神社といえば 



志賀海神社でしょうか 






科戸(しなと)の風_b0325317_17360022.jpeg


参道の掲示板には 氏子服忌表が 貼られていました



身に付いた穢れが災いを 生むと考えていた 島民の異常なほど



の風習は 厳しい海での生活がもたらしたものであり 



海神の元宮として




安曇の神威を護ろうとする島民の伝統なのでしょうか 



志賀海神社は 古くからの多くの祭事が 今でも



毎月のように 行われています そのすべてが外からの



集客のためではなく あくまでも氏子主体での神事なのです



地域の人以外にはあまり知られることなく行わ れています



その中で 八乙女という 八人の女性たちが神楽を舞ったり



神事の脇を務めているのですが 



ほとんど神社が 神楽を舞ったりするのは若い女性です



しかし 志賀海神社の八乙女は 全国でも珍しく 



70歳以上の 月役がとうに終わった



穢れなき 女性ばかりが



その役目をはたしているのです




志賀海神社のホームページには 



参拝の前に読んでくださいという欄があります




禊祓いの神様であるために ご参拝の前に御潮井を左、右、左



と軽くふり清めていただきます。 手水舎で左手、右手、口を



清めてからご参拝をしてください



身内に御不幸があられた方には服忌の期間は極力参拝をご遠慮ください。



またしきたりにより 生理中の方 生後100日以内のお子様



妊娠中の方のご参拝も極力お控えいただいております





科戸(しなと)の風_b0325317_17412983.jpeg





先日 早春の 志賀海神社 に詣りました



海に降りると 爽やかな 科戸の風 が



私を 迎えてくれていました







by nonkei7332 | 2020-01-08 19:29 | 日記 | Comments(0)



初 詣_b0325317_14362226.jpeg




初春月の訪れ



多くの人びとが 神社に詣でることを 初詣といいますが




この習俗が始まったのは まだ新しく 明治の中頃です



その頃 各地に開設した鉄道会社の集客競争だったのです



あの バレンタインデイにチョコを贈るのが始まったのが



神戸の菓子会社の戦略だったのと同じなのを



知っている人は少ないようです




テレビのCMも駆使しての 集客を集金を競う有名神社



人気神社と結託し 氏子を失い ただ朽ちるを待つだけの 



古い神社には目もくれない 諸悪の根源 神社庁。




博多では 明治5年 封建制を打破する意図で千年続いていた



正月の習俗であった 松囃子(まつばやし)を 



港湾復興という口実で 5月の連休に 




どんたく という催物に変えてしまい



山笠さえも 10年間も禁止してしまった 明治官権。




国権 とか 経済(お金・原発)という 



〈神〉を 主祭神にしてしまい 



この国の幸せの基準を変えてしまった祟りや障りが



災禍となって 今年もまた この国を襲うのでしょうか



やはり この国は 何かを間違えてしまったようです





暖かい冬の午後



磯良の海 で その母なる波音に包まれて



重ねてきた 気枯れを払いに



行きたい神社があります





大幡主と天照大神の氏宮  櫛田神社




龍の国安曇の宮  志賀海神社




磯良と豊姫の夫婦岩のある 糸島桜井神社






知られざる 真実の神の復権です



それが 神社考古学研究者としての



私の 三社詣 なんです



初 詣_b0325317_14430876.jpeg
櫛田神社


初 詣_b0325317_14435255.jpeg
志賀海神社


初 詣_b0325317_14442358.jpeg
桜井神社 夫婦岩








by nonkei7332 | 2020-01-03 15:33 | 日記 | Comments(0)



歳神_b0325317_21495536.jpeg
我が家の松飾り(門松)





歳の瀬です



「歳」という字は



刃物を表す「戉」と時の流れを表す「歩」から成り 



刃物で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを表すそうです



太陽の活動の始まりという冬至が一年の始まりというのが



古代からの考え方であったのでしょうから



歳神というのは 太陽神だったのでしょう



この国では 年の瀬に 家々にやってきて、



その家の一年を守り統べる神様だといわれています。




民俗学者の折口信夫は 



『門松のはなし』の中でこんなふうに言っています



『 日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、



神と人との間のものがあると 信じた時代がありました。



これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、



正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、



更に古くは、祖先神が来ると信じたのです。歳神様は、



三日の晩に 尉と姥の姿でお帰りになると言ふ信仰には、



此考妣二位の神 来訪の印象が伝承されてゐる様です。』




興味あるのは 歳神が夫婦神ではないかという 示唆です



では 夫婦神とは 誰と誰のことでしょうか



この国の太陽神といえば 天照大神(卑弥呼)です 



では その相方とは誰でしょう



そのヒントが 博多の総鎮守 櫛田神社に隠されています



お櫛田さんの主祭神は 大幡主命 で その脇に



天照大神と素戔嗚命 が祀られています



この中で 素戔嗚命は



天慶4(941)小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために



京都の八坂神社から勧請したとされますが 



もう一人の天照大神がなぜ櫛田宮に祀られているのかという事が



長い間 謎とされています。 



謎解きをしましょう



大幡主と天照大神(卑弥呼)は共に祀られた夫婦神だったのです。



折口の言う「此考妣二位の神」ではなかったのかということです





歳神_b0325317_22200407.jpeg
櫛田神社




年が明けると 私の氏神である 櫛田宮に詣ります




〈歳神の夫婦神〉に来年のこの星の平和を祈ります








by nonkei7332 | 2019-12-31 23:38 | 古代史 | Comments(0)

太宰府・秋散策 ③_b0325317_09345678.jpeg


特別展『三国志』見に行きました



吉川英治著の〈三国志〉をドキドキしながら読んだのは



高校時代でしたでしょうか



曹操・劉備・孫権・関羽・張飛・諸葛



数ある武将の中で 私のお気に入りは 劉備玄徳でした。




太宰府・秋散策 ③_b0325317_09360994.jpeg
関羽像


太宰府・秋散策 ③_b0325317_10160689.jpeg
劉備玄徳  川本喜八郎作




今回の特別展の目玉は何と言っても 2009年に発見された



曹操高陵でしょうか 出土品や三国時代の初めて見る文物は



わたしの興味を満足させたようです 



今までの国博ではあり得なかった 全作品撮影OK をはじめ



中国国家文物局の計らいに感謝しかありません



これを機会に日中の文化交流がますます拡がるのを期待します




太宰府・秋散策 ③_b0325317_10225279.jpeg
呉の軍船










そもそも この国(日本)の歴史は八世紀に造られたものであり



それ以前には



この列島に国というものは存在しなかったのかといえば否です 



一世紀の「漢委奴国王」という王や



「倭国王師升」という王や 



三世紀の「卑弥呼」は



この国の国史からは消されています




中国の歴史は「正史二十四史」に認定されていて 



三国時代の蜀とそれ以降の西晋に仕えた陳寿が書いた



『三国志』は正史とされその中の「魏書」に書かれている



東夷伝の倭人の条 いわゆる『魏志倭人伝』に書かれた



〈倭国〉の存在をこの国は 無視できるはずはありません



私はその視点で この特別展に期待したのですが



結論から言えば期待はずれでした 



やはりこの国の文化庁は何かを隠そうとしています







西暦1世紀から3世紀までは地球規模の寒冷化だったといいます



大陸では183年の黄巾の乱という農民の反乱が全国規模に拡がり 



やがて 三国の群雄割拠になったのですが



魏の曹操の南征も不毛となった農地の屯田兵を



南に移動させる為だったとされています 



そのころ 倭国でも寒冷化で



小国同志の争いが絶えずそこに登場したのが 



卑弥呼だったのでしょう 



卑弥呼の治世の終焉についてはいろんな説がありますが 



鬼道(占い)も寒冷化には勝てなかったのかもしれません



気象研究家 真鍋大覚さんも 弥生後期の背振山は



6月まで雪を抱えた白い山だったと書かれています 



仮説『白山信仰の源は背振山だった』もここから来ています



いずれにしても 記紀や畿内に執拗に執着する



この国の文化行政もそろそろ終わりにする時期が来ています 



そうでないと いつまでたっても



この国の真実の歴史はみえてこないからです




展示場には



学校から連れらこられた多くの高校生がいました



そのひとりひとりの背中に向かって



『三国志もいいけどもっと日本の歴史にも興味を持ってね



教科書に載っている歴史は嘘かもしれないんだよ』



そう呟いている私がいました





by nonkei7332 | 2019-11-16 11:31 | 菅公・太宰府 | Comments(0)


太宰府・秋散策 ①_b0325317_12175819.jpeg



立冬も過ぎて 秋の深まりと冬の予感を確かめに



太宰府を散策しました



今回のプランナーは五条に住む姉です



福岡に住む者にとって 冬の訪れを



何で感じるのかは人それぞれでしょうが



私に冬を知らせてくれるものが 二つあります



一つは 「背振山頂の冠雪」ですが



もう一つは 「鬢付け油の匂い」です



街を歩いていると何処からか鬢付け油の匂いがしてきます



周りを見回すと必ずお相撲さんの姿を見つける事ができます




太宰府・秋散策 ①_b0325317_12192759.jpeg


『大相撲が終わると冬が来る』博多ではそう言います



西鉄福岡駅で まずは冬に遭遇です。





太宰府駅で姉と合流。



『何処にいくと』姉に聞くと



『そうやね 昼までちょっと時間あるけん 


光明禅寺に 寄ってみようか』



いつものコースです なぜかここから始まるのです




太宰府・秋散策 ①_b0325317_12202463.jpeg



紅葉が綺麗です。



境内に入って撮影禁止の石庭をカシャリ ゴメンなさい。




太宰府・秋散策 ①_b0325317_12210214.jpeg




門前を流れる小川「愛染川」に沿って歩きます



伊勢物語、後撰和歌集、拾遺和歌集に詠われ



謡曲「藍染川」の舞台になった川です



千年前は大きな川だったようです



私がこの川の名前を知ったのは 



さだまさしの名曲「都府楼」の冒頭の歌詞でした



『はじめは「逢初め川」といい



出会って「思い川」という



大宰府の秋はいにしえ川の 白鷺と銀杏黄葉』



太宰府・秋散策 ①_b0325317_12225225.jpeg



門前を出るとすぐに



光明禅寺創建のいわれである「伝衣塔」があります



隣に千八稲荷の祠があり 奥には大きな岩があるので 



おそらくここは古代の磐座(いわくら)跡なのでしょう



近くにある石穴神社の奥宮もかなりの磐座でしたから



この一帯はかなりのパワースポットなんでしょうか




太宰府・秋散策 ①_b0325317_12234928.jpeg



以前記事にした梅壺伝説の梅壺蘇生碑がありました。



筑紫に残る 菅公伝説の多さには閉口しますが



畿内以前に九州に存在した皇統王朝を隠すためでしょう



同じように 神功皇后伝説も多いですね



同じ時代を生きた 



「卑弥呼」の存在を隠そうとしたのでしょうか



これらの伝説は時の朝廷が自分達の正統性擁護の為の



捏造しまくったプロパガンダに思えてなりません



それは 古代だけの話だけではなく



現在でも 国立という名のもとに



世界遺産という名のもとに



国民を洗脳する巨大なプロパガンダが行なわれています



古代の歴史は未だ闇の中です 



騙されてはいけません。






by nonkei7332 | 2019-11-13 14:51 | 菅公・太宰府 | Comments(0)


「天気の子」と  「持衰」_b0325317_05004663.jpeg





台風10号が 盆休みに大きな影響を与えてのち



博多の町は直撃は逃れましたが



その後雨の日が 連日続いています



もう 2週間も降り続いている雨です。



25日には最低温度が 20度を切り 朝は寒いほどで



28日には佐賀長崎福岡の各地で大雨特別警報が出され



各地に災害を残しました 雨はまだ降り続くのでしょうか




天気 というと



先月封切られた 話題の新海アニメ映画 「天気の子」



このブログでも先月紹介しています




〈天気の子〉記事 予告編

https://hisamitsu.exblog.jp/29503610/




「天気の子」と  「持衰」_b0325317_05022266.jpeg


「天気の子」と  「持衰」_b0325317_05024943.jpeg



新海ファンの一人としてこの映画観た感想というより



私なりの深読みを試みてみました



実はこの映画の題名は「天気の子」になっていますが



本当は「天気の巫女」とも言ってもいいのでしょうか



映画を観た人であればわかりますが



主人公の15歳の少女 陽菜(ひな) 母の事を強く願い



廃ビルの屋上にある稲荷神社の鳥居をくぐった時に



晴れ女(人の願いを受け止め空に届ける特別な能力)の力



得るところからこの物語展開していきます



晴れ女については物語の中で神社の神主がこんなことをいいます




「昔はどの村にも天と人を結ぶ細い糸があり



〈天気の巫女〉といって人々の願いを天に届ける



役割ができる特別な人間がいた。



ただしその代償として〈天気の巫女〉には



悲しい運命として〈人柱〉となる定めがある」




物語は天気の巫女というの存在があると設定しているのですが



日本人が一番好きな女性の歴史上の人物だとされる



あの人こそ最初の〈天気の巫女〉ではなかったのかと



私は思っています



その人の名は卑弥呼」です



卑弥呼は「魏志倭人伝」に書かれた倭国の女王であり



鬼道を使って人々を惑わした(驚かせた)と書かれています



おそらく〈日巫女〉ともよばれているように 人々の願いを天に届ける



霊力を備えた〈天気の巫女〉元祖だったのでしょう



私なりには 卑弥呼 天照大神(アマテラス)



同一人物であると思っていますが・・ここでは深くは触れません




さて「魏志倭人伝」には倭人の風俗習俗についても書かれています



その中に〈持衰(じさい)〉と呼ばれる役目を担った人がいたと



書かれています




待衰についてはこのブログでも記事にしています



まずはそちらをのぞいてみて下さい





〈待衰について〉 2015/8/6

https://hisamitsu.exblog.jp/24765182/




おわかりのように



海の天気を願う海人にとって欠かせない



謂わば「天気の子」という存在だったようですが



天災が起きるのは 天(神)が生贄を求め猛威を振るっているとして



災害が起こる前に人身御供(ひとみごくう)を捧げたという事や



人柱(ひとばしら)呼ばれた龍神(水神)への生贄だとか



人類の負の遺産と呼ばれています




「天気の子」の中では主人公の陽菜雨に苦しむ人々の為や



何より自分の苦しみを理解し助けてくれたもう一人の主人公の少年



帆高(ほたか)の為に人柱になる事を決めるというストーリーですが



私の中では「陽菜」と「持衰」がダブって見えていました




「天気の子」と  「持衰」_b0325317_05042986.jpeg



一日の始まりは天気次第なんです



晴れ晴れとした気分になる湿った陰鬱な気分になるのか



そこにはいつの時代も私達の最大の関心事なのです



晴れが続けば 雨を欲しがり 雨が続けば晴れを欲しがり



この星に生きる私達の運命なのかも知れません



「天気の子」という題名に主人公である少年少女子供ではなく



付けた新海誠考えはわかりませんが



この星にこれからも生きていかなければならない



全ての子という意味だとすれば



「天気の子」は私達に多くの事を教えてくれるはずです





今日はやっとの事で太陽がのぞいていました



旧暦の 81日 〈新月〉です。



月を見ることはできませんが 日一日と月が満ちてきます



〈願い事〉は 新月の日にすれば叶うといいます。




「天気の子」と  「持衰」_b0325317_05050890.jpeg





by nonkei7332 | 2019-08-31 05:50 | 日記 | Comments(0)


「君の名は」はプロポーズ_b0325317_06520609.jpeg
ジブリアニメ 「かぐや姫の物語」 より



万葉の頃から男はせっせと女の許へ通ったといいます



「通い婚」とか「妻問婚」とよばれていますが



男が女を選ぶのではありません 最後は女が男を選ぶのでした


「かぐや姫」もそうでしたね


5人の男たちそして最後は帝まで含めたかぐや姫争奪戦。


最後は誰も選ばず 月に帰っていきます




さて4500首以上ある万葉集の歌ですが


その11最初の歌が雄略天皇の長歌です



《 籠(こも)よみ籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよみ掘串(ふくし)持ち 


この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児(こ)家告(の)らせ 名告(の)らさね 


そらみつ大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ 


しきなべて われこそ座(ま)せ われにこそは 告(の)らめ 


家をも名をも



[現代語訳]


美しい籠を持ち美しい箆(へら)を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ 


きみはどこの家の娘なの 名はなんと言うの


この 大和の国は すべて僕が治めているんだよ 


僕こそ名乗ろう家柄も名も




果たしてこの歌が本当に雄略天皇の歌だったのかどうかは


別にして何と微笑ましい平和な歌でしょうか


どんな歌かといえば 要略すると


私は名告ります あなたの名前は何と言うのですか


この歌の隠されてテーマは「名告り」なんです


実はこの時代 男もそうなんですが特に女性の名前は


家族以外に知られることはまずなかったと言われています


名前基本的には秘密だったのです


あの源氏物語の紫式部枕草子清少納言も本名ではありません


ですから 男が 自らを名告り 相手の 女性の名前を聞くと言うことは


普通ではなく まさしく 《プロポーズ》そのもの だったのです


そして 女性が それに応えて 名前を言えば 婚姻成立です




こんな 万葉集の歌もあります


たらちねの母がよぶ名を申さめど、道行く人を誰と知りてか


123102 読み人知らず



[現代語訳]


通りすがりのあなたが自分の名前を名告らないのであれば


母がつけた私の本名をお教えできるはずなどありません




お互いの名前を呼び合う行為 呼合う(よびあう)は求愛の行為です


よばい転化して その後 この国の最近まであったという


〈夜這い〉と言う習俗になったと言われています



もっと古く文字がなかった頃には〈歌垣〉といって


特定の日時と場所に老若男女が集まり共同飲食しながら


歌を掛け合う神事がありました ここでカップルが決まります


プロポーズ始まりはデュエットからだったのです



「君の名は」はプロポーズ_b0325317_06544365.jpeg




何度か記事にしましたアニメ映画「君の名は」のラストシーン


三葉 夢のようないろんなことがあって5年経ちました


東京二人は ある神社の石段で出会うのですが


名前を覚えておらず何を話していいかわからず


すれ違ってしまいます


瀧は勇気を出して振り返り声をかけました


あの・・俺!君をどこかで・・』


『・・私も


そしてお互いが長い間探していた「誰か」であることに気づき


そして 二人は同時に声をかけたのでした


『君の名前は・・』




「君の名は」のラストシーンお互いの名前を呼び合う


プロポーズ そしてこの作品のテーマである


「結び」「結ばれる」で終わるという


こんな深読みは如何でしょうか。







by nonkei7332 | 2019-07-24 08:46 | 万葉集 | Comments(0)
夫 婦 岩 (めおといわ)_b0325317_01141319.jpeg
筑前二見ヶ浦夫婦岩



写真は 糸島桜井二見ヶ浦 の 夫婦岩 です。



私にとって〈海〉と言えば この二見ヶ浦〈海〉なのです



この 二見ヶ浦の海は のお気に入りの海でした



60年前家族で何度も行ったことのある 思い出の海 なのです



遠い記憶を辿ると




私達は かなりの時間 西鉄バス に乗って



終点の 西ノ浦 という 海沿いの小さな町で降りました



それから トボトボと海岸線を歩き スイカ畑の間の



農道を過ぎると 視界に〈日本の渚百選〉に選ばれる程



綺麗な 白砂の海岸線 に着きました



当時は まだ 今のような 海岸道路も無く



ビーチリゾート しゃれた CAFE などありません



今ある 白い鳥居 もありませんでした



海岸から 約150メートルの 海中に



あの夫婦岩 屹立していました



当時はまだ 多くの人に知られていない



穴場スポット だったのでしょうか 人も少なく



我が家が ビーチを 独占していました



父と兄 は 夫婦岩まで泳いで



潜っては 銛(もり) 魚をとっていました



煮付けにすると美味しい ベラ という 綺麗な魚でした



夫婦岩まで泳げない 姉と私 は海岸の磯で



びな と呼ばれる 小さな巻貝 をとってました



茹でて食べると 美味しい貝でした



なぜか 鮮明にその思い出は



私の中で 数少ない海の記憶 として残っているのでした




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筑前二見ヶ浦の夕陽



さて 遠い想い出はこのくらいにして



この夫婦岩 いったい 誰と誰とを祀った岩なのか



その 迫ってみました



実は鳥居があるようにこの浜の近くに



〈桜井神社〉があります





桜井神社(赤マーク) と 二見ヶ浦




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桜井神社 楼門





社伝によると 二見ヶ浦夫婦岩は 桜井神社の 宇良宮 として



伊奘諾(イザナギ)伊弉冊(イザナミ)を祀るとされています



桜井神社由緒によると 寛永9年(1632年)




黒田藩二代藩主 黒田忠之 の 創建です



祭神は 警固三神(神直日神・大直日神・八十枉津日神)



黒田忠之が 創建した 警固神社(福岡市中央区) と同じ祭神ですので



同じように 桜井神社も



忠之が 黒田藩の守護神社 としたのでしょう



ただ由緒には 本来の祭神は 与止姫大明神 だと書かれています



「豊姫ゆたひめ」「淀姫よどひめ」などと呼ばれ



佐賀大和町の川上神社 那珂川山田の伏見神社 などの祭神と同じ



あの神功皇后の妹とされる 謎の女神 です。



さて 桜井神社の境内には もう一つの 謎の宮 が祀られています



実は この地は 古代の古墳跡 で 慶長15年(1610年)豪雨により




古墳の入り口の 岩が開いて霊験あらたかな神様が現れたとされ



「岩戸宮」と呼ばれています 祭神は「大綿積神(わたつみしん)」



あの 志賀海神社の祭神 『安曇磯良』です。






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岩戸宮





ここで 百嶋系図 をご覧ください




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安曇磯良 と 豊姫 は 夫婦とされています



と言うことは 桜井神社の 本来の祭神 は 安曇磯良 豊姫であり



二見ヶ浦夫婦岩 の 夫婦とは 伊奘諾・伊弉冊ではなく



安曇磯良 豊姫 夫婦神 だったのではないでしょうか





私がこのブログを《磯良の海》としたのは



安曇磯良を祀る 志賀島の海 を イメージして付けたのですが



60年前の あの 二見ヶ浦との出会いこそが



〈私〉と〈安曇磯良〉の 《 磯良の海 》との



はじめての 出会い だったのだよと



夫婦岩 は その 不思議な謎 を 教えてくれたのでした








《補足》私も行ったことがある 全国的に知られている


伊勢市の二見ヶ浦夫婦岩がありますが あの夫婦岩は


筑前二見ヶ浦をモデルとしたウツシだと思っています。





by nonkei7332 | 2019-07-07 08:44 | 古代史 | Comments(0)