《 ありがとう 》
空 ありがとう
今日も 私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと 青くひろがっているのが
花 ありがとう
今日も 咲いてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも 匂いも色も もう私の一部
お母さん ありがとう
私を 生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど
でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私 ありがとう
谷川俊太郎 『子どもたちの遺言』より
《 ありがとう 》
空 ありがとう
今日も 私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと 青くひろがっているのが
花 ありがとう
今日も 咲いてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも 匂いも色も もう私の一部
お母さん ありがとう
私を 生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど
でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私 ありがとう
谷川俊太郎 『子どもたちの遺言』より
『 六日のあやめ 』という 諺 があります
ここでいう 六日というのは
5月6日 今日のことです
《 時機に遅れて役に立たないこと 》をいいます
5月5日の 端牛の節供 に 用いる菖蒲(あやめ)は
六日では もう 間に合わないという意味です
端午の節供 は 〈菖蒲の節供〉ともいいます
菖蒲 は 厄祓い に使うのです
この国では 季節の変わり目に 『 五節供 』といって
厄祓いの行事をおこなってきました
人日(じんじつ) : 1月7日 七草の節供
上巳(じょうし) : 3月3日 桃の節句
端午(たんご) : 5月5日 菖蒲の節供
七夕(たなばた) : 7月7日 笹の節供
重陽(ちょうよう) : 9月9日 菊の節供
端午の節供 は
男の子の祭りという イメージが定着していますが
じつは 古代では 女の子の祭りだったのです
あまり知られていませんね
田植え月である 5月になると 「五月忌み」という行事をしていました
田植えは 早乙女(若い清らかな女性)がするものとされ
田植えの前に 一定の日々で 心身を清める 「物忌み」をしていました
蓬(よもぎ)や菖蒲で屋根を葺いた小屋に一晩籠って 穢れを祓ったのです
その後、武士の時代になると
「菖蒲」が 武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じることから
いつの間にか
男の子のおまつりに変わってしまったのでした
菖蒲の花をみていると やはり この花は 女の子の イメージです
「六日のあやめ」の 主人公は 女の子なのです
そんな 若い女の子の 不安な想いを
さだまさし は 名曲 『 六日のあやめ 』で 詠いました
子供の頃から 遅れて咲いていた
六日のあやめと 笑われて泣いた
遅れまいとしたら 転んで怪我をした
十日の菊と あきらめて泣いた
やっと大人になったのに
変らないのが悲しくて
そうつぶやいたらあなたは
遠くを見ながら笑った
遅れて咲いても 花は花
実らなくっても 恋は恋
叶わなくっても 夢は夢
届かなくっても 愛は愛
ほら 一番星みつけた
子供の頃から 年寄りっ子だった
三文安いと 笑われて怒った
怒るまいとしたら 涙がこぼれた
母だけが笑った 明日天気になあれ
こんな私でもいいですか
変らないけどいいですか
そうつぶやいたらあなたは
また遠くを見ながら笑った
雲にかくれても 月は月
飛べなくっても 鳥は鳥
どこへ流れても 水は水
変らなくっても 君は君
ほら 一番星
御島 とは 神がいた 神の島でした
昔 〈香椎潟〉と呼ばれる 海岸線があって
万葉集に 三首 詠われています
《 いざ子ども 香椎の潟に 白袴の袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ 》
6ー956 大伴旅人(おおとものたびと)
《 時津風 吹くべくなりぬ 香椎潟 干の浦に玉藻刈りてな 》
6ー957 小野 老(おののおゆ)
《 行き帰り 常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には 見むよしもなし 》
6ー958 宇努 男人(うぬのおひと)
太宰府の官人達は
香椎宮に詣る ことが 日常であったみたいです
その帰りに 香椎の浜まで来て
遊んだ思い出を詠んだ歌なのでしょう
その 香椎潟 に 御島 がありました
今は 島の姿はなく そこに鎮座していたであろう
神社の 鳥居 と 祠 が 海の中に ぽつんと立っています
その 神社とは 〈御島神社〉です 香椎宮の末社 です
祭神は 綿津見神 です
この神社の由緒が 『八幡本記』には こう書かれています
「 香椎宮の西、浜男と云ふ所の浜、是即ち橿日浦なり。
ここより八、九町ばかり沖に大岩あり。是を御島と云ふ。
則ち、皇后のいたり給ひて、御髪をすすがせ給ひし処なり。
岩島にて其の上に御島神社の社あり。」
香椎潟は 埋め立てや 都市開発で 綺麗になりました
今や 私の お気に入りの ウォーキングコース なのです
最近 名前がつきました 『 御島グリーンベイウォーク 』
新緑の 立花連山 が 眺めながら 2900M のコース
〈香椎浜北公園〉をスタートして 〈片男佐橋〉を渡り
〈香椎海岸遊歩道〉を歩きます
海上の人道橋と日本最大級を誇る 〈あいたか橋〉を渡ると
〈アイランドシティ外周緑地〉最後に
〈御島かたらい橋〉を渡ってゴールです
海岸の欄干に シロツメクサ で 作った
髪飾りが掛けてありました
神功皇后は ここで 髪を洗い 髪を結い上げて
男の髪型にしたという
伝説が残っています 三韓征伐の出発地なのです
女から 男に変わった場所なのです
頭に飾ってあった かずらを外して ここに 掛けたのでしょうか
今日は 子供の日
戦さなどない
いつまでも 平和な国であって欲しいですね
どこの神社でも よく 見られるのが 狛犬 (こまいぬ) です
入り口 辺りに 一対 で 置かれています
獅子 や 狛犬 だけではなく 神仏の 守護獣 として
多くの 動物 が その役目を果たしています
一般には「神使」といわれています
神の使いですから そこの 祭神と
何らかの縁のある 動物が置かれているわけです
有名なのが 稲荷神社の 〈狐〉であったり
弁財天 の 〈蛇〉であったり 毘沙門天 の 〈虎〉だったりします
さて 名島神社 には 全国でも 珍しい
《 狛 魚 》が あります
ギョ ギョ ギョ~ 初めて見た人は そう云います
生きた化石といわれる 深海魚
シーラカンス (coelacanth) によく見ると 似ていますよね
対馬の琴崎にある 胡禄神社の伝承に 海神の姿を
《 金鱗の蛇 》だという話が残っています
もともと 名島神社は 明治になるまでは 名島弁財天 として
世間に認知されていたわけですから 蛇 も絡んで 当然です
狛魚 = シーラカンス = 金鱗の蛇 = 海神
名島神社の謎解き が こんなところにもありました
ところで 名島神社の 祭神はと いえば
宗像三女神 ( 田心姫 ・湍津姫 ・市杵島姫 ) です
ところが 神殿の千木 をみると 男千木 です
もうひとつの 謎
この神社の古祭神 は 女神ではなく 男神 かもしれません
このパターン いくつか見て来ました
宗像大社 も 呼子の 田島神社 もそうでした
そこに 隠れて 鎮座する 古祭神 は 大国主命 でした
神殿の裏に鎮座する 摂社 を見てみると
妙見宮 (天之御中主神)
主の神 (ぬしのかみ) の勢揃い ですね
とすると 古祭神は
〈大幡主 = 大若子〉もしくは 〈豊国主 = 小若子 = 豊玉彦) となります
海神といえば 安曇磯良 を思いますが
磯良 は もっと 後世の 海人族の主だと考えています
ここでは 豊玉姫の父 《 豊玉彦 》が 名島神社の 古祭神なのでしょう
名島神社 も そうですが 北九州には
神功皇后の伝承 が多く残されています
日本書紀 も 異様なほど 神功皇后紀 は 多くの紙面を割かれています
そこには 九州王朝 (神武・懿徳・孝霊・孝元・開化・仁徳) の
存在を隠そうとする 畿内王朝の意図を感じます
私的な考えですが 神功皇后の三韓征伐は 作り話だと思っています
『三国史記』にも 史実として 幾たびかの
倭国の新羅への侵攻の記事が書かれていますが
とりわけ 斉明天皇(女帝) の 新羅侵攻 を
だぶらせて 描かれたのではないかと 私は思っています
豊玉彦 は 別称 八咫烏 (やたがらす) です
同じ 鳥でも 《 カモメ は カモメ 》
海神神社 の中を カモメ達は 自由に 走り回っていました
カモメ達が 登っていった後から
最後に 神社の階段を登りました
途中 左手に 〈下り曲輪〉と呼ばれる 土俵のある 広場から
遠くに 志賀島が見える 見晴らしのいい場所があります
そこから 見える海が
〈 磯良の海 〉です
そう 名づけたのは 私 です
今では 100年公園 や カモメ大橋 にさえぎられて
能古島 や 志賀島 が 隠れてしまいますが
ほんの 50年前迄 は
島影 の美しい 景観だったのでしょう
〈 博多八景 〉という 博多の町の 景勝地がありました
近江八景 や 金沢八景 というのは 有名ですので
博多八景 なんて 二番煎じゃないの と思われるかもしれませんが
実は 中国北宋時代 の 元祖八景〈瀟湘八景〉に影響を受けた
日本での 最初の八景は 《 博多八景 》だったのです
初代八景は 中世 鎌倉末期
聖福寺の僧 〈鉄庵道生〉(てつあんどうしょう) が
八つの景観に合わせて 漢詩を作ったのが 初代です
香椎暮雪(かしいぼせつ)
箱崎蚕市(はこざきさんし)
長橋春潮(ながはししゅんちょう)
荘浜泛月(しょうはまはんげつ)
志賀独釣(しかどくちょう)
浦山秋晩(うらやましゅうばん)
一崎松行(いっさきしょうこう)
野古帰帆(のこきはん)
その後 近世 江戸時代 に書かれた『石城志』(せきじょうし)という
博多紹介本には また 違った 八景が 書かれています
濡衣夜雨(ぬれぎぬやう)
箱崎晴嵐(はこざきせいらん)
若杉秋月(わかすぎしゅうげつ)
奈多落雁(なたらくがん)
博多帰帆(はかたきはん)
横岳晩鐘(よこたけばんしょう)
竃山暮雪(かまどやまぼせつ)
名島夕照(なしませきしょう)
余程の 博多通でないと 場所が 特定できませんね
この中で 『 名島夕照 』があります
名島海岸から 見える
島影に沈む 夕陽 と 朱く染まる海が
絶景だとされたのでしょう
2014年1月7日 17:03
名島海岸から 落ちていく夕陽を 写していました
2014年9月28日 17:22
夕陽に 飛び込んできた カモメです
カモメ大橋 から写した
お気に入りの 一枚 です
カモメ達は
拝殿横の 手水舎 を 囲んで 清めの作法 を習っていました
『 飲んじゃダメ ! 口をゆすぐだけ ‼︎ 』
キョトン とした 男の子が 私に云いました
『 どうして 飲んじゃ ダメなの ? 』
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