秋は夕暮れ
夕日のさして山の端いと近うなりたるに
烏の 寝どころへ行くとて、
三つ四つ 二つ三つなど飛び急ぐさへ あはれなり
まいて 雁などのつらねたるが
いと小さく見ゆるは いとおかし
日入り果てて 風の音 虫の音など
はた言ふべきにあらず
『 枕 草 子 』(まくらのそうし) 清少納言
冒頭四季の情景の中から 秋は夕暮れ の部分
いとおかし・・とても趣き(風情)がある
《現代語訳》
秋は夕暮れが一番だ。
夕陽がさして山の端がとても近くなると
カラスが ねぐらに行こうとして三羽四羽 二羽三羽が
飛び急ぐのさえしみじみとした情感がある
まして 雁などの列が とても小さく見えるのは
とても趣きがある
日が落ちて聞こえてくる 風の音 虫の音などは
いうまでもない程 良いものだ
清少納言 が 「いとをかし」と語った
夕暮れの景色とは
いったい どこの 夕暮れ だったのでしょう
なにしろ 謎多き 清少納言
俗説が 巷に 満ちあふれています
実は 父親の 清原元輔 が 周防守 や 肥後守を歴任しており
太宰府に居た足跡があることが 歌 にも 残っています
《 春はもえ 秋はこがるゝ竈山 霞も霧も 煙とぞ見る 》
太宰府の白拍子(遊女) 〈檜垣伝説〉があります
〈清原元輔〉と 大宰府の白拍子 〈檜垣〉の間に生まれた
子供が 清少納言であるということが
鎌倉初期の 随筆集「無明草子」に
「檜垣の子 清少納言」と書かれています
とすると 清少納言 は
太宰府に住んでいたことがあったのでしょうか
清少納言 という 女人の記憶に残る
いとをかし 夕暮れの風景とは
博多の海 に沈む 秋の夕暮れの景色だったのでは・・・
考えすぎでしょうか
磯良の海 の ゆうまぐれ
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