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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

カテゴリ:日記( 147 )



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点滴で 生命を繋いでいます



消化器疾患 がゆへに 治療的に 絶食が必要とされる為



もう100時間程 食べ物を口にしていないのですが



不思議に空腹感がありません



人は 食欲が無くなって 水を口にしなくなると 乾涸びて死ぬといいます



『アステマリン3MG輸液』



いわゆる ブドウ糖点滴というやつです



生命を繋ぐ水です



身体のあちらこちらで 金属疲労が起きてるようです



ストレス疲労でしょうか 、ちょっと無理したようですね




何をする事もなく



ポトリ、ポトリと落ちる点滴を見ながら



あれこれと いろんなことを 辿ってみるのですが



ところどころ途切れた記憶が失速していて



大事な部分のパズルが見つからず 物語になってくれません



いちいち 消えていく記憶に感傷的になっていたら



脳(海馬)も 乾涸びてしまいますから



ここは 去る者は追わず



消えていく記憶の何万倍もの記憶が 私からの合図を待って



静かに自分の出番がくるまで 眠っているのでしょうから



ここは 焦らずに じっくりと



ひとつひとつの 記憶の糸を



手繰り寄せる作業さえやっていけばいいのです



残された時間は 誰にもわからないのですからね



乾涸びて死ぬる事が 理想とする私には



今回の入院は いい経験をさせてもらっています




連日の雨 この雨がやむと



夏祓へからうまれた 博多の祇園山笠 始まります



〈ヒトガタ〉の細工師達の 魂が 蘇ります。



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by nonkei7332 | 2018-06-08 19:25 | 日記 | Comments(6)


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風信子(ヒヤシンス)




人の出逢いとは 不思議なものですね



多くのブログの中から 私の記事を見つけていただいた事



そして コメントをいただいた事 嬉しく思います



何が 私達を 繋げてくれたのでしょうね




風信子(ヒヤシンス)



2014 4 私の こんな 記事でした






https://hisamitsu.exblog.jp/22448123/ (タップして下さい)





この記事に 先生からいただいた コメントです




4年も前に書いた文章にコメントを寄せられて驚かれるでしょう




「ヒヤシンス」で検索していて,たまたま見つけました。



ポッキン君,ひょっとして早熟の文学少年で



立原道造のファンだったのではないでしょうか。



彼が生前に残したたった2つの詩集には『風信子叢書』という



サブタイトルというかシリーズ名がついていました。



ちなみに,東京オリンピックの年,



わたしは9歳,小学校3年生で,



まだ立原道造にであってはいませんでした。』





淡い 少年時代の記憶をたどっての 私の思い出でした



1964 正確に言うと 54年前



私が 小学校の6年生の時の 思い出です



ポッキンという 数少ない わたしの友達との



ある日の出来事を記事にしたのでしたが



先生は 〈立原道造〉 という 夭折した若き詩人 の事を



ポッキン は知っていたのでしょうか という



投げかけを していただいたのですが



その答えは 私には わかりません



わかっていることは ポッキンが 花が大好きだったこと



その年 クラスで 〈ヒヤシンス〉 と〈クロッカス〉



水栽培をして 教室の窓際に 色とりどりの 花々が並んでいた事です





本来であれば コメント 返事で お答えするところですが



ポッキン についての話 には その時に書けなかった



悲しい 思い出が ありましたので



思い切って 記事にさせて頂いたことをお許しください





私達が 通っていたのは 福岡市南区の M小学校です



西鉄の井尻駅 の近く 今でこそ 住宅地が並ぶ 街ですが



当時は まだ 田んぼや 小川がある 田舎町 でした



ヒヤシンス のことがあった年の 晩秋だったでしょうか



教室の ポッキン 机には 花が飾られていました



担任の先生から 告げられたのは 衝撃の ポッキン の死 の報せでした



ポッキンの死は 自殺 でした



西鉄電車の線路脇に 靴が並べられていたと聞きました



私が ということに最初に向かいあった経験でしたので



その時のことは 鮮明に覚えているのです



お葬式に行った時に 泣き叫ぶ ポッキンの お母さんの姿に



ただ 悲しみだけの 泪を 流していた 私がそこにはいました



数少ない友達でしたので ポッキンの家には何度か遊びに行きました



ポッキン には お父さんがいませんでした



ポッキン 数年前に亡くなった 消防士だった父の話を



写真と賞状を 見せて 誇らしげに 話してくれたのを 覚えています



大好きな お父さんだったのでしょうね



その後 母親が 再婚され 新しい父親が できたと聞きました



ポッキン のとても短い 12年の人生に 何があったのか



私は 多くを語ることに 口を閉ざしてきました





ギリシャ神話 ヒヤシンス の話 をしました



ポッキン 物語かもしれませんね



そして ヒヤシンス の花言葉 悲しみ 〉だということを知ったのも



夭折の詩人 立原道造と 風信子(ヒヤシンス) の事を知ったのも



ずっと後のことだったのです





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立原道造




夢見たものは‥‥》


立原道造




夢見たものは ひとつの幸福



ねがつたものは ひとつの愛



山なみのあちらにも しづかな村がある



明るい日曜日の 青い空がある





日傘をさした 田舎の娘らが



着かざつて 唄をうたつてゐる



大きなまるい輪をかいて



田舎の娘らが 踊ををどつてゐる





告げて うたつてゐるのは



青い翼の一羽の 小鳥



低い枝で うたつてゐる





夢みたものは ひとつの愛



ねがつたものは ひとつの幸福



それらはすべてここに ある と











by nonkei7332 | 2018-05-12 07:29 | 日記 | Comments(0)


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あれから もう 7 なんですね



この国の人だけでなく 世界中に激震が走った日。




22,000人という 人々から 命を奪ったあの日。




meltdown という恐怖 に慄いたあの日。




為すすべを持たない 非力な人間という存在を



改めて知らされた日だったのかも知れません




富とか栄華とか 科学万能とかに 侵されて来た




むしろ それこそが 唯一の希望であり




信じ得る 唯一の神だと 洗脳されて来た 私達が




転教という 踏み絵を目の前に拡げられた 7年前だったのです




〈畏敬の念〉という言葉があります




この言葉は この国の 太古からの神(no god)への




自然への 祈りの形でした




畏み(かしこみ)敬う(うやまう)祈りです




畏みは 恐み とも 書かれます




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思い返せば 7年前 私の身にも




激震 が走っていました




311 病院のベットの上でした




脳梗塞による 半身不随 という 車椅子生活の日々




来る日も来る日も 動かぬ 手と足を右手でさすりながら




リハビリ病棟の窓から 春の嵐 を見ながら




これからの自分の行く末を 案じておりました




あれから 7 私にとっては 奇跡といってもいいほど




今では 不自由なく 生活ができるほどにさせていただきました




その折々の日々のことを このブログ にも書きました




ファミリーヒストリーを追いかけながら




古代史仲間との出会い



神仏習合を追いかけて比叡山延暦寺 での 発見



そして 地域ボランティアを通しての 日々。




世の中も 私自身も 激震のあとの 7年の季節は




あっという間に過ぎていきました




ここ1ヶ月 ブログの記事が 滞り 何人かの人から




心配のお便りをいただきました




すみません 元気にしております。




色々と 自分の中で 整理することがありました




桜が 咲く頃には また 取り留めもない中に




新しい をお見せすることができそうです





ノートの中から




最澄が延暦寺で 若い天台僧に向けていった言葉を見つけました




径寸(けいすん)十枚 これ国宝に非ず




一隅を照らす これ則ち国宝なり』



径寸とは 金銀財宝)




いつも 〈一隅を照らす〉私でありたいと 思っています








by nonkei7332 | 2018-03-11 15:49 | 日記 | Comments(0)



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』という



中学校の行事に 初めて 参加しました



いつ頃から始まった学校行事なのでしょうか



少なくとも 私の時代にはありませんでした



14 中学2年生 を対象とした式典です



一人一人が 将来の志(夢) を発表するという 行事でした



14歳といえば 奈良時代から 始まったとされる 〈元服〉が



大人となる儀式が あったのですが その 現代版なのでしょうか



学校行事の中には 小学校では 12 成人式〉や 中学校での



立志式 〉など 将来の夢を語ること を通して 大人へなる事への



意識を 子供たちへ 持たせようと試みているようなのですが



子供たちの 本音 は果たして どうなんでしょうか




白洲正子さんの エッセイにこんな 文章がありました



『昔は元服という儀式があって、前髪を切り落とした。



これは 首を斬ることの 象徴的な行為なのであり、



その時子供は死に、大人へ再生し、子供の名は捨てられて、



大人の名前がつけられる。牛若丸が義経に生まれ変わるのである。



現代にも成人式というものがあるが、選挙権のおみやげ付きで



成人になっても、元服の感動は得られまい。



それは 儀式ではなくて おまつり騒ぎの一種にすぎないからである。(中略)



人生の節目節目で行われた儀式を失って以来、



人間は不幸になったのではあるまいか。現代の大人たちが、



いつまでも子供の殻をひきずっているのは、



早くに親離れをする けだもの にも劣るし、



会社に入れば会社が親がわりになって面倒をみてくれる。



一生ほんとうの名前を知らない 名無しの権兵衛 で終るのは



当然のことといえよう。』




式典は厳かに進み クライマックスは 「志」表明



子供たちのが一人一人 壇上に上り 自分の将来の夢 を語ります



かつて ランドセルを背負っていた 懐かしい 子供達ばかりです



もう 何年も会ってない子もいましたが



不思議と 名前は覚えていました




「将来こんな仕事をしたい その為に こんな努力をしていきます」



話す 子供が大半なのですが



「今の僕には 夢などありません」



とはっきり 言い切る男の子もいました





私の 14歳の頃 〈夢〉〈志〉



そんなものはありませんでしたね



いつまでも子供でした ずっとずっと 子供でした



考えてみれば 社会人となり 結婚し 子供が生まれ ても



私はいくつになっても 少年だったような気がします



私の大人になる〈儀式〉は 親との死別 だったような気がします



親が生きている以上 私は いつまでも 子供でしたから




最近 やっと この歳になって 〈志〉というものを



持つ事ができたような気がします



地域での 子供達 高齢者の 見守り活動



もう 日常の多くを占める 私の生活が ここにあります



最近 お気に入りの 都々逸 があります



《 そんなに 子供を叱るなよ 通った 道ではないか



そんなに 年寄り 嫌うなよ これから 通る 道ではないか




〈志〉の先に いくつもの 見えてきました



そこには 子供達 お年寄りの 楽しそうな笑い声と



やっと 大人になれた 私 がいました








by nonkei7332 | 2018-02-25 12:34 | 日記 | Comments(0)

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夜半から 降り出した雨が 雪に変わり



朝には 一面の 雪景色



じっとしていられず 外に出ました



天の下 すでに覆ひて降る雪の 光を見れば貴くもあるか


万葉集17-3923 紀清人


私訳


あたりいちめん 雪に覆われていて なおも雪が降っています



光に輝く その景色は 神々しくもあります




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曇天の雲間から 一瞬ですが 陽が射し込みました



海が光り 雪が輝き



まるで 神が舞い降りてきたかのようです




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赤い頬 の子供達の声が 白いグランド に拡がっていました



知っている子がいたので 思わず



『頑張れよ』と声をかけると



『ハイ』という 元気な 返事が 帰ってきました



何故か ウキウキしながら 私も 童心に帰っていたのでした




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タブノキ






雪の中 椋(タブ)の老木 に会いに行きました



小雪が舞う中 今にも朽ちて倒れそうな 椋の木なんですが



まだまだ と 言わんばかりに 若枝を伸ばしているのです



よく見ると 木の周りに 危険注意 のロープが張られていました



そのまま そっとして欲しいのに



もうすぐ 切られてしまうのでしょうか



悲しくなりますね




http://hisamitsu.exblog.jp/24198481/

《 タブノキ 》




by nonkei7332 | 2018-02-12 20:50 | 日記 | Comments(0)


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7時21分 東天





6時半に目が覚めました



身震いするほどの 寒さでもなく いつものように



熱い 緑茶を口に運びながら 外をのぞくと



朝もやが かかった 日の出前の薄明るい空が見えます



空の明るさが 星明かりよりも明るいくらいの 時刻を



「天文薄明」というそうですが



日の出前の 1時間位でしょうか



今日の 日の出を調べると 721分。



ダウンジャケットを 引っ掛け タブレットを持って 外に出ました



目的地は 私がいつも 朝陽を拝む ベストスポット



平日なら 旗を振って 子供達の元気な声に応えている時間ですが



今日は 土曜日 町は いつもより 静かです



721 東の空を 見ると まだ太陽は 見えません



慌てて タブレットで 『日の出の定義』を検索しました



「太陽の上辺が地平線(または水平線)に一致する時刻」とあります



やっぱりそうか そうだよな と納得。



東に そびえる 山の稜線から 太陽が 登るまで 待機と決めてから



待つこと 18 739






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7時39分 東天




若杉山(681m) 辺りからでしょうか



朝陽が 姿を見せてくれました。



久しぶり 二拝二拍手一拝 。そして 大きく 深呼吸。



アマテラス 霊気を体の隅々まで頂きました





世の中は 暗い話ばかりです



でも やがて 上る 太陽を迎えるまでの



「天文薄明」なんだと思えば



この痛みにも みんな 耐えられるのに。



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2016年 12月30日 6時50分 東天







by nonkei7332 | 2018-01-20 12:20 | 日記 | Comments(0)

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー



( 1775年 1851年 )イギリスロマン主義 風景画の巨匠です




ターナー 69歳の時の この 絵画 タイトルは



雨、蒸気、速力 、グレート・ウェスタン鉄道 》と言います



通称 ターナーの 汽罐車 といわれています





20年前 この絵との 出会いのエピソードです



テレビから NISSAN SKYLINE CM が流れていました



別に 車が欲しかったわけでもなく



女優の田美智子が 好きだったわけもなかったのですが



バックに流れる 山下達郎 の歌が とても いいのです



すぐに CD SHOP 探しに行きました



『山下達郎のスカイラインのCMで流れている歌ありますか』



〈ターナーの汽罐車〉ですね ありますよ』



歌の名前を聞いて ちょっと戸惑いましたが



間違いなく聞きたかった シングルカットされた CD でした





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山下達郎の軽快な 8ビートの曲で 歌詞の中に こんな一節が



虹色のシャンペインを



かたむける君の 見つめる絵は ターナー



おぼろげな 汽罐車が走る 音も立てず




この時 初めて ターナー という 画家の存在を知りました



そして 本屋に行って 画集の中から この絵を見つけました



おぼろげな 汽罐車



なるほど 幻想的な 雨の中を走る 汽罐車の絵



これが ターナー との出会い でした




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21歳 『海の漁師たち』




ターナー は この絵で 画壇の地位を不動のものにします



27歳で 王立アカデミーの正会員 そして



32歳で 王立アカデミー美術学校の教授となりました





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28歳 『カレの埠頭』 船出の準備をするフランスの漁師







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43歳 『ドルドレヒト』 凪で止まった定期船








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53歳 『レグルス』 レグルス将軍の歴史画






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67歳 『 平和 – 水葬 』






ターナーは生涯「光」を捉えようとしました



後世 「光の画家」といわれます



76 亡くなりますが 彼は その最期に



太陽は神だ!』



と叫んで 息を引き取ったといわれています






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リニューアルされた 北九州市立美術館



リニュアル・オープン記念



英国最大の巨匠 ターナー 風景の詩 』



が開催されています



113 23 です





明日 ターナー の 神 会いに行ってきます







by nonkei7332 | 2018-01-05 15:10 | 日記 | Comments(0)



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我が家の正月飾り




古代の村人達のまつり といえば



大晦日の一日だけ だったようです



宵に行われる 収穫に対する感謝が「秋まつり」



深夜に行われるのが やってきた 歳神が



家の主人のその年の田畑の報告を聞いて それに対して



生命の言祝ぎと 健康と祝福を与えたのが「冬まつり」



そして 明け方に行われるのが 再生復活の喜びを讃える「春まつり」



この 一連の大晦日から 正月にむけての まつりが



その後 季節のまつりへと 変化していったといわれています





今年も 歳神を迎える 花飾りを 作りました



門松 注連縄 はありませんが



我が家 正月の準備はこれだけです



千木の長といわれ 長寿を表す 「松」



冬に咲く 春を呼ぶ 「梅」



そして 木偏に冬と書く「柊」(ひいらぎ)



柊については


http://hisamitsu.exblog.jp/25368146/ この記事をご覧下さい






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内田 樹 さん



武道家で 思想家でもある 内田 』(うちだたつる) さんが



エッセイの中で 〈祈り〉ついて こんな風に書かれていました





〈祈り〉の強度は「切実さ」によるのではない。



それがめざすものの「遠さ」によって(祈り〉は強まり



〈祈る〉人間を強めるのである。



だから、おのれの幸福を願う〈祈り〉よりも



他者の幸福を願う〈祈り〉の方が強度が高く



明日の繁栄を願う(祈り〉よりも



百年後の繁栄を願う〈祈り〉の方が強度が高いのである。








by nonkei7332 | 2017-12-29 09:00 | 日記 | Comments(0)


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初雪葛 (ハツユキカズラ)




福岡 初雪 です



平年よりも 10 早いそうです



先週は 小春日和 今週 は冬隣り



朝の 旗振り 一年の中で もっとも 辛い季節 です



息子が 高校時代に使っていた アディダスマークの



ニット帽を 深々と 耳まで被せて



小雪の舞う中を 部屋を出ました



ポッケット の中には ピンクの小さな 手袋が入っています



2年生の 〈スーチャン〉 への プレゼントです



スーチャン ピジャブ を被った ムスリマ です



きれいな 日本語を喋る 笑顔の可愛い 女の子です



先週 『寒い寒い 手が冷たいよー』といって



小さな身体を かがめて 登校していました



今朝『 使っていいよ』といって 手袋を 渡すと 嬉しそうに



『ありがとうございます』と 元気な声が帰ってきました



実は 先週 イオンの100 見つけた 手袋です



いつも 笑顔をくれる ほんとに ささやかな お返しなんです



旗振りおじさんも 六度目の冬を 迎えます



あと 10 今の4年生 二十歳になるまで 目標です



明日も雪の朝 でしょうか



天気予報が恨めしい日々が続きます。




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by nonkei7332 | 2017-12-05 17:33 | 日記 | Comments(0)


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2014225



磯良の海 》という この ブログ の初稿日 です



古代史に興味を覚え 日々の出来事などを交えた



稚拙なブログ のスタートの日でした



いくつかの季節が通り過ぎていきました



こんなブログですが 見ていただく訪問者も多くなり



昨日 訪問者総数が 50000人を 数えておりました



そもそも ブログを 立ち上げた理由はといえば



きっかけは 自分のルーツ 探しでした



亡き母 遺していた 一幅の 家系図



『小堀氏略系図』(福岡市博物館所有)



私の中に眠っていた 海馬の門を叩いたのでした



先祖の事など 考えたこともなかった男が



ファミリーヒストリー 追いかけ始めたのでした



そんな内容を 二人の息子達とも 共有できたらとも考えました



『一週間以上 記事が途絶えたら 何かあったのだと思って連絡しろ』



そんな事を 彼等に言ったことを覚えています



博多山笠人形の始祖と呼ばれた 先祖です



やがて 興味は 古代史 神社考古学 へと 拡がっていき



今の ブログ みたいになってしまいました



これから先 どんな ブログになっていくのでしょうね



自分でも 解りません



古代史についても 私は 学者でも 研究家 でもありません



まだまだ 愛好家のレベルです



多少 身体が 不自由な為に 現地にも 自由に行くことも出来ません



花が好きで 子供達が好きで 音楽が好きで



日々 ボランティアに多くの時間を費やす 浮浪雲です



何が飛び出すかわからない



言い換えれば 掴みようのない ブログですけど



これかも どうぞ ノンビリと



お付き合いください。




初稿の記事です


http://hisamitsu.exblog.jp/22133185/





by nonkei7332 | 2017-11-27 10:18 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ