-
[ 2017-03 -11 23:35 ]
2017年 03月 11日 ( 1 )
1
近くの 公民館で行われた
『筑前琵琶の歴史と演奏』という イベントに参加しました
講師と演者は 尾方蝶嘉 さん でした
尾方さんは
福岡県出身 福岡市在住
西南学院大学法学部卒
嶺青流筑前琵琶保存会 師範
日本琵琶楽協会会員
13歳より筑前琵琶を嶺青流流祖:嶺旭蝶、青山旭子に師事
琵琶による現代邦楽を田原順子に師事
洗足学園音楽大学現代邦楽研究所(20期)卒
2014年NHK邦楽オーディション合格
(NHKの邦楽番組に出演するのにふさわしい高度な演奏技術を有する)
(尾方さんの ホームページより)
福岡が発祥の 筑前琵琶 です
歴史 を追いかけてみました
1200年前の話です 筑前には 琵琶を弾く 盲僧の系統があって
奈良の帝 の勅命で 佐理養 と 麻仁養 という 二人の 盲僧が
地鎮祭に呼ばれ 琵琶を弾奏したという 伝説があります
称徳女帝の頃 神護景雲2年(768)
四王寺山の麓 坂本に ひとりの男の子が生まれます
この子が17歳の時に 失明し 盲僧となって 修行を重ね
後年 九州盲僧群の中興の祖と仰がれる人となります
名前を 《 玄清法印 》といいます
筑前琵琶 の 始祖だといわれています
玄清法印 は 桓武天皇延暦4年(785)
6人の盲僧の弟子を引き連れて 比叡山に登ります
最澄 が 延暦寺を 開くにあたり 玄清達に「地神陀羅尼経」を
琵琶で奏でる事を 頼んだからだといいます
そして 長年 最澄を悩まし続けていた 悪蛇を 退散させました
三年後 坂本に戻った玄清は 成就院を建立し
嵯峨天皇弘仁14年(823) 58歳で亡くなります
こうして 筑前琵琶 は 盲僧琵琶 と 呼ばれて 後世に続いていきます
明治の中程まで 博多の町 では 人家の表に 荒神を祀っていました
祭りになると 盲僧達は 家々を回って荒神の前で琵琶を弾きながら
荒神の霊を 慰めては お布施をもらっていたようです
『荒神琵琶』とも呼ばれた 筑前琵琶 は
その後 「平家物語」などの 俗曲な 歌が作られていきます
「崩れ琵琶」と呼ばれる 新しい形式の 歌曲が 歌われるようになり
明治37年頃からは 博多の町が 筑前琵琶 一色に染まっていったのでした
博多に いくつかの 家元が生まれます
一丸智定師 (後の橘旭翁) の 〈橘流〉や 鶴崎賢定師の 〈鶴崎流〉
高野観道師 の 〈高野流〉 金時という芸名を持った 芸妓 吉田竹子の
〈吉田流〉など があります
名手と呼ばれた人といえば 高野観道師の娘 高野旭嵐 ・旭芳 姉妹 や
吉田竹子の弟子で 日露戦争後 東京で名を挙げた
高峰筑風 (娘は女優で有名な高峰三枝子)など がいます
尾方蝶嘉さんは 2013年に 旗揚げした
人形浄瑠璃を筑前琵琶で語るという日本で初めての試みである
『筑前艶恋座』の 琵琶浄瑠璃演者として
ますます 活躍の舞台を 拡げておられます
▲
by nonkei7332
| 2017-03-11 23:35
| 日記
|
Comments(0)
1