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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

東風吹かば(書き換えられた伝説)




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太宰府天満宮  飛梅











大寒を過ぎると 10 年ぶりの大寒波でした




でも 暦の上では 来週は 立春




もうすぐ 春ですね 筑紫(福岡)の町では




県花の〈梅〉が そこここに咲きはじめます





筑紫・太宰府といえば 




〈飛梅伝説〉や〈老松伝説〉などが あります





《東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて 春を忘るな》




拾遺和歌集 雑春 1006





東風が吹いたら、私のいる太宰府まで匂いを届けておくれ




主人がいないといって 春を忘れないで欲しい





飛梅伝説の元になる歌ですね 




もうひとつ 菅公の歌と言われる歌があります





《梅は飛び桜は枯るる世の中に 松ばかりこそつれなかりけれ》





菅公の後を追って梅は飛んでいったし、




声をかけられなかった桜はその悲しみに枯れてしまいました




そんな世の中なのに 松は薄情なものよ





置いていかれた松も、その後、あとを追っていったとされ




追い松(老松)として伝説にされています




そもそも、菅原道真の最大の謎は、




朝廷を我が物としていた藤原一族に、




最強の怨霊と恐れられ、その鎮魂の為に




その後、天神と呼ばれ、多くの神社に祀られた事です




菅原道真という人物は、武人ではありません




天皇の信望も厚く、文人としての才覚はあったので




後世、学問の神様として慕われているような人なんです




はたして そこまで恐ろしい人物だったのでしょうか






筑紫に伝わる〈都市伝説〉があります




それは、菅原道真は太宰府に左遷されたのではなく




当時の藤原朝廷に反乱を起こす為に




各地で反乱軍を募りながら、その中心である




九州太宰府まで、辿り着いたのだという説です




目的は 九州でかつて栄華を極めた




消された倭国九州王朝の復興でした




畏れ怯えたのは 白村江の敗北を期したどさくさに




宝物を奪い、新たな朝廷を作り上げた 




畿内王朝の首謀者 藤原一族だったのでしょう 




一族に起こる一連の不幸を菅原道真の祟りではなく




自ら消し去った 倭国九州王朝の怨念だとし




その鎮魂の為に、各地に天神社を祟り神として祀ったのでした





この伝説をもとに 菅公の歌を読むと 解釈が変わります





東風は 故知(こち)の事で




古人のもちいた謀り事の意味になります





東の連中が何か事を起こすのであれば




昔の栄華を思い起こして、今はなき




倭国九州王朝の春を再興しようではないか





飛梅の歌がこういう反乱決起文に変わるのです








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九州の古代史をいろんな角度で述べてある




伊藤まさこ氏も 著書『太宰府・宝満・沖ノ島』




の最後にこう書かれていました





菅原道真の作として伝えられている有名なあの和歌は




道真が都に残した梅を歌ったのではなく、




筑紫王権の滅亡後に歌われた、




筑紫の人々の思いだったのではないかと。




天神と恐れたのは道真ではなく、




天神と化した筑紫の王室ではなかったのか。




道長と天神が重ねて考えられたから、




一層たたりが恐ろしかったのではないか、




宇田天皇に忠臣と信頼されていた心の清い道真が、




それほど恐ろしくたたるであろうか。




彼はひたすら許されることを望み、




都府楼前の南館に謹慎していたのだ。




道真の霊と筑紫の天神と一体となったと信じられたから、




都の人々は荒ぶる神の報復が怖かったのではないだろう






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もうひとり 九州王朝の存在を




謡曲の中にこそあると主張した 




新庄智恵子氏は 著書『謡曲のなかの九州王朝』のなかで




こう書かれていました






謡曲『老松』によれば、




北野天神を信心している京都人が、ある日、




霊夢によって太宰府の安楽寺へ参詣するのです。




そこで、庭を清めていた白髪の老人(神様)に会い、




道真の飛梅は何処かと尋ねます。




すると、神様は質問を全く無視して、




次元の違う話を滔々と始めるのです。この国は、




昔、秦・漢の時より、隣国と往来して栄えた国であったと。




また、松と梅の樹はこの国を代表するものであると。




めでたき歴史を語り、さらに松、梅、鶴、亀、が




この国の象徴となった事を語るという、




実に示唆的な含蓄深い謡曲なのです。




しかし、恐らくこの神様の話は、この男性にとり




一向に理解不可能なるものであったという事です。




いえ、この京都人だけでなくて、この後何百年も経った




現在の日本人でさえ、この神様の説話は理解できない人が




大多数ではないでしょうか。




「天神様と道真は格を別にする」等ということを




解ってもらえるのは、九州王朝が日本の歴史の中に




厳然と位置を占めてからのことでしょうか。







筑紫に伝わる 都市伝説と書きましたが




この国の消された真実の古代史が




そこには見え隠れしているのです











by nonkei7332 | 2023-01-26 07:03 | 古代史 | Trackback | Comments(0)

by イソラ