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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

白百合の歌 ②




白百合の歌 ②_b0325317_06571977.jpeg
百合根





百合を掘る 》 


            

               宮沢賢治




百合掘ると  唐鍬をかたぎつ



ひと恋ひて  林に行けば



濁り田に   白き日輪



くるほしく  うつりゆれたる




友らみな   大都のなかに



入学の    試験するらん



われはしも  身はうち疾みて



こゝろはも  恋に疲れぬ




森のはて   いづくにかあれ



子ら云へる  声ほのかにて



はるかなる  地平のあたり



汽車の音   行きわぶごとし




このまひる  鳩のまねして



松森の    うす日のなかに



いとちさき  百合のうろこを



索めたる   われぞさびしき







宮沢賢治が 盛岡中学校を卒業したのが



大正3年(1914年)賢治18



卒業はしたものの 鼻炎の手術で岩手病院に入院、



手術の後で、発疹チフスに罹って、再入院するなど



家業を手伝ったり、百合根を掘ったりしながら



寂しい、悶々とした日々を送っていたようです。



ただ、唯一の喜びといえば、担当した看護婦に



淡い恋心を抱いたと云います、初恋 片恋です。



白衣の天使たる看護婦さんの姿を



賢治は白百合と重ね合わせていたんでしょう





白百合の歌 ②_b0325317_07141743.jpeg
賢治とトシ





賢治が愛した女性は三人だと私は思っています



(諸説あります)



名前がわからない初恋の看護婦さん。



それと、妹 トシ。



最後の一人が、伊藤チエ。




昭和3年(1928) 賢治32



伊豆大島に住む、伊藤七雄の依頼で伊豆大島に



稲作指導に赴きました



七雄は、賢治と妹チエを見合いさせる目的もあったといいます



お互いに惹かれあった二人だったようです



賢治が結婚を意識した唯一の女性だったのでしたが



最愛の妹 トシの面影を超える事はできなかったのでしょうか



それ以上、結婚話は進みませんでした





晩年 賢治は大島三原山の想い出を歌いました




  《 大島の歌



   

   海鳴りの



   とゞろく日を



   山の火も燃ゆる、



 

   海鳴りの



   とゞろく日



   わが胸の火ぞ燃ゆる



 

   海鳴りの



   とゞろける森のなか



   われは ひとり さびしく



   けふも



   百合の根をほる





〈我が胸の火ぞ燃ゆる〉と 



チエ への 恋心を表しています




宮沢賢治は作詞や作曲した 歌曲が27曲あります



『大島の歌』は 文語詩「火の島」に推敲され



ウェーバーの「海の乙女」の歌詞となって



今に残っています。





火の島




海鳴りのとゞろく日は



船もより来ぬを



火の山の燃え熾りて



雲のながるゝ



海鳴り寄せ来る椿の林に



ひねもす百合掘り



今日もはて





宮沢賢治にとって「百合」は恋の暗示だったのでしょう



特に「白百合」は初恋の匂いがします



まさしく 花言葉 純潔 威厳 無垢 の世界ですね



「百合を掘る」との表現は 



恋の喪失の象徴なのでしょうか、



伊藤チエ との別れにも 



賢治は 百合を掘っているのでした





















by nonkei7332 | 2021-06-12 07:23 | | Trackback | Comments(0)

by イソラ