人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

こっぽり 風浪宮




こっぽり 風浪宮_b0325317_15292477.jpeg
ウモウケイトウ




「こっぽり」とは 




筑後弁で 〈ゆっくりくつろぐ〉という意味だとか




土曜日 研究会の中で 《風浪宮》が話題になりました




今週は 忙しい毎日だったので それじゃあ 日曜日は 




大川市 に行って コッポリするぞと決めました




天神から西鉄電車で特急で大善寺、そこから乗り換えて





四つ目の駅が 八丁牟田駅 です。





ウモウケイトウ が 迎えてくれました






こっぽり 風浪宮_b0325317_15285461.jpeg




駅の真前に 天満神社 がありました。




こっぽり 風浪宮_b0325317_15303568.jpeg

こっぽり 風浪宮_b0325317_15310764.jpeg




のんびりと 散歩、かなり広い境内でした




この地には 天満宮・天満神社が多くあります。




菅原道真が 安曇の九州皇統の血をひく人物だったからでしょうか。





駅のそばに 大木町の図書情報センターがあります




コッポリの聖地ですね、こっぽーっとギャラリー では




小さな小さな美術館 『二人展』があっていました。




ご夫婦で絵を描くなんていいですね




こっぽり 風浪宮_b0325317_15315188.jpeg




こっぽーっとホール では 音楽祭があっていました。





実は 整理券が必要だったのですが、





館員さんに「遠くから来ました」と 駄々をこねて 




一枚わけて頂きました。




子供達の吹奏楽、チェロ独奏




そして シャンソン、合唱団など 多彩な演目でした。





こっぽり 風浪宮_b0325317_15323643.jpeg





気分は こっぽり 。 いよいよ 風浪宮へ





磯良を名乗る 私が 安曇磯良を知る上で 




欠かせない神社だと言われている場所なのに




何故か 足が向かなかった理由を探しに来たんです。





こっぽり 風浪宮_b0325317_15333572.jpeg
拝殿



七五三の親子連れが多い中 いつものように 




由緒 神紋 神木 建築様式 境内社 などをみて回ります




神紋は「州浜紋」安曇磯良の神紋です、三つの丸は 太陽・月・星です




由緒書はあんまり気にしません、




おそらく後世、何度も書き換えられているんでしょう





こっぽり 風浪宮_b0325317_15341559.jpeg
神木




神木は 樹齢二千年の 「白鷺の大楠」いいですね。 





神功皇后が風浪の旅からこの地に帰った時 




白鷺が現れ この木にとまったとされ 




安曇磯良の化身とされる 神木でした






こっぽり 風浪宮_b0325317_15350391.jpeg





本殿裏の禁足地にある 謎の社 風浪神社の扁額が掛かっていました




何が隠されているんでしょうね、




おそらく聞いても教えてくれないでしょう





こっぽり 風浪宮_b0325317_15361581.jpeg





境内社には 「松風」「岩藤」といったいった稲荷社が多いです




物部の影が見えます。





こっぽり 風浪宮_b0325317_15365047.jpeg

こっぽり 風浪宮_b0325317_15371801.jpeg




薬師社、何でしょうね 事代主でしょうか。




コッポリさん が 見えました。





こっぽり 風浪宮_b0325317_15381841.jpeg





幸神社 謎の神社です、元々は 荒神社だともいわれている神社です




荒神とは誰なのか 素戔嗚なのか 庚申の猿田彦 なのか、




実は 倭国大乱を収めた 九州皇統 孝霊天皇 だという説があります。





こっぽり 風浪宮_b0325317_15385204.jpeg




外苑・大川公園 を コッポリ しました。




こっぽり 風浪宮_b0325317_15393628.jpeg
磯良丸神社





手前 右側にある 磯良丸神社 




幼稚園の敷地内にあるので 鍵が締まっていて 近寄れません




写真だけ撮しました。 幼稚園経営を優先しているんでしょう。






こっぽり 風浪宮_b0325317_15400821.jpeg
安曇磯良像




初めての風浪宮 志賀海神社 との接点を探しに来たのですが




残念ながら 今ひとつでした、




おそらく この宮の 本来の 祭神は 




高良玉垂命(開化天皇) と 神功皇后(開化天皇妃)




九州皇統 孝霊天皇・孝元天皇 も 見え隠れされていました




さて 安曇磯良 はといえば 





後世の 神功皇后伝説 に紐付けされただけの




お飾りでしたと言ってしまえば 地元の方に怒られますでしょうね






〈神功皇后伝説〉 皇后の真実の姿を消し




卑弥呼 や 開化天皇 や 安曇磯良 までも




正史から 隠そうとした 畿内藤原朝廷の陰謀だと




そろそろ 気づいてもいい頃かもしれませんね





コッポリの一日 楽しい一日でした。









by nonkei7332 | 2020-11-16 16:06 | 古代史 | Trackback | Comments(0)

by イソラ