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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

さだまさし と 北原白秋 ①




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桐の花






今宵 我が偏愛する さだまさし と 北原白秋 について



語ってみたいと思います




さだまさし・・1052年生まれ(68歳)長崎市生まれ



国内を代表するシンガーソングライター。小説家。



代表作(楽曲・・精霊流し、関白宣言、案山子・・)



   (小説・・解夏、眉山、風に立つライオン・・)





北原白秋・・1885年〜1942年 柳川市生まれ



詩人。歌人。童謡作家。



代表作(詩集・・邪宗門、思い出、・・)



   (歌集・・桐の花、雲母集・・)



   (童謡集・・からたちの花・・)





この二人を結びつける世界があります。



それは 北原白秋の歌集 『桐の花』です。




まずは さだまさしの楽曲『桐の花』と云う歌の歌詞です



さだまさしの歌の歌詞は 歌詩 です。







 『桐の花』  さだまさし




鈍色(にびいろ)の空を 低く飛ぶ鳥が



短く啼いてゆきます 真昼の雨



遠くで季節のかわりゆく音を



独りきり 聴いている午后



手紙を書きます 少しつらいです



離れて暮らしてる あなたが見えない



私 元気です 本当は嘘です



書けない言葉を 読んでください




咲いてよいのか 枯れてよいのかわからない



うらみがましい文字になるのがやるせない



窓の外 宙高く 音もなく 桐の花




浅薄な色に やせてゆく心



あなたには けして 見せたくない顔で



カステラの色に 珈琲の湯気に



いらだつ自分がせつない



例えばあなたに 裁かれるのなら



疑いもせずに うなずけるはずです



忘れていいです 今のは嘘です



抱きしめてください 嘘でもいいから




待てというなら 二千年でも待ちましょう



去れというなら 夕暮れ迄に消えましょう



ひとことで かまわない 返事を ください




咲けというなら 二千年でも咲きましょう



散れというなら 夕暮れ迄に散りましょう



窓の外 宙高く 音もなく 桐の花






この〈詩〉の背景をのぞいてみます



おそらく 間違いでなければ さだのイメージと同じだと思います



この詩の主人公の女性は、



拘置所の小窓から見える



桐の花を見ています。




ある罪を犯して世間からさばかれようとしています



同じ罪を背負った、あなた(情人)の一言が欲しくて



その切ない想いを 桐の花に重ねているのです。




はじめて この歌を聞いた時の印象は



女性の情念の激しさでした。



待てというなら 二千年でも待ちましょう



去れというなら 夕暮れ迄に消えましょう 》



全てを男に託すと云う、女性のこの激しさは、男には持てません



私が気になったのが、三節目の、



カステラの色に 珈琲の湯気に》と云う言葉でした



長い間、この意味が解らずにいたのですが。



北原白秋の歌集『桐の花』を読んで、その意味が、



さだまさしが思い描いたイメージを深読み出来たのでした





白秋の歌集『桐の花』の序文を引用します




桐の花 と カステラ の 時季となつた。



私は何時も桐の花が咲くと 冷めたい吹笛の哀音を思ひ出す。



五月がきて東京の西洋料理店の階上に



さはやかな夏帽子の淡青い麦稈のにほひが染みわたる



ころになると、



妙にカステラが粉つぽく見えてくる。



さうして若い客人のまへに食卓の上の薄いフラスコの水にちらつく



桐の花の淡紫色とその暖味のある新しい黄色さとがよく調和して、



晩春と初夏との



やはらかい気息のアレンヂメントをしみじみと感ぜしめる。



私にはそのばさばさしてどこか手さはりの渋いカステラが



かかる場合何より好ましく味はれるのである





白秋が思い描く初夏の景色。



そこには黄色のカステラと淡紫色の桐の花がありました



おそらくそこには珈琲の湯気もあったのでしょう



さだまさしが書いた《カステラの色に 珈琲の湯気に》と云う



一節は 北原白秋 その人だと理解しました



とすると 白秋に苛立つ自分が切ないと言葉した女性とは



誰なのか・・。







北原白秋の生きた 年譜 を読んでいくとその答えがありました




Wikipedia にはこう書かれています




1912(明治45 / 大正元年)白秋は 



母と弟妹を東京に呼び寄せ、



年末には一人故郷に残っていた父も上京する。



白秋は隣家にいた 松下俊子 と恋に落ちる



俊子は夫と別居中の人妻だった



二人は夫から姦通罪より告訴され 未結監に拘置された、



二週間後、弟らの尽力により釈放され、後に和解が成立して



告訴は取り下げられたが、



人気詩人白秋の名声はスキャンダルによって地に堕ちた。



この事件は以降の白秋の詩風にも影響を与えたとされる。



1913年(大正2年)、初めての歌集『桐の花』と




詩集『東京景物詩及其他』を刊行。



特に『桐の花』で明星派のやわらかな抒情をよく咀嚼した歌風見せ、



これによって白秋は歌壇でも独特の位置を占めるようになる。






これで さだまさし の描いた『桐の花』が 



北原白秋 松下俊子 だと云う事が読めたのでした



白秋は その後 肺結核を病んだ 俊子の為に


 

小笠原島に移住をするんですが ほどなく 帰京します



帰京してからは 父母と俊子の折り合いが悪く 



その年 に 二人に何があったのかはわかりませんが



離婚したようです。一緒に暮らした14ヶ月の出来事でした





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松下俊子 の 写真





さだまさし は 『桐の花』を



一途な 激しさ 兼ね備えた 哀しい女性として



松下俊子 を重ねたようですが 果たして



本当はどんな女性だったのでしょうか




別伝によれば 松下俊子 は その後医者と結婚し



医者が亡くなると、その遺産で世田谷に高級アパートを建てます



茶道の師匠となり、優雅な晩年を過ごし



昭和29(1954)年 亡くなっています





最後に 歌集『桐の花』哀愁篇の中にこんな句があります





うれしや監獄にも花はありけり



草の中にも赤くちひさく




しみじみと 涙して入る君とわれ 監獄の庭の 爪紅の花




爪紅(つまぐれ)の花・・鳳仙花(ほうせんか)








by nonkei7332 | 2020-10-20 15:04 | 日記 | Trackback | Comments(0)

by イソラ