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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

立志式




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』という



中学校の行事に 初めて 参加しました



いつ頃から始まった学校行事なのでしょうか



少なくとも 私の時代にはありませんでした



14 中学2年生 を対象とした式典です



一人一人が 将来の志(夢) を発表するという 行事でした



14歳といえば 奈良時代から 始まったとされる 〈元服〉が



大人となる儀式が あったのですが その 現代版なのでしょうか



学校行事の中には 小学校では 12 成人式〉や 中学校での



立志式 〉など 将来の夢を語ること を通して 大人へなる事への



意識を 子供たちへ 持たせようと試みているようなのですが



子供たちの 本音 は果たして どうなんでしょうか




白洲正子さんの エッセイにこんな 文章がありました



『昔は元服という儀式があって、前髪を切り落とした。



これは 首を斬ることの 象徴的な行為なのであり、



その時子供は死に、大人へ再生し、子供の名は捨てられて、



大人の名前がつけられる。牛若丸が義経に生まれ変わるのである。



現代にも成人式というものがあるが、選挙権のおみやげ付きで



成人になっても、元服の感動は得られまい。



それは 儀式ではなくて おまつり騒ぎの一種にすぎないからである。(中略)



人生の節目節目で行われた儀式を失って以来、



人間は不幸になったのではあるまいか。現代の大人たちが、



いつまでも子供の殻をひきずっているのは、



早くに親離れをする けだもの にも劣るし、



会社に入れば会社が親がわりになって面倒をみてくれる。



一生ほんとうの名前を知らない 名無しの権兵衛 で終るのは



当然のことといえよう。』




式典は厳かに進み クライマックスは 「志」表明



子供たちのが一人一人 壇上に上り 自分の将来の夢 を語ります



かつて ランドセルを背負っていた 懐かしい 子供達ばかりです



もう 何年も会ってない子もいましたが



不思議と 名前は覚えていました




「将来こんな仕事をしたい その為に こんな努力をしていきます」



話す 子供が大半なのですが



「今の僕には 夢などありません」



とはっきり 言い切る男の子もいました





私の 14歳の頃 〈夢〉〈志〉



そんなものはありませんでしたね



いつまでも子供でした ずっとずっと 子供でした



考えてみれば 社会人となり 結婚し 子供が生まれ ても



私はいくつになっても 少年だったような気がします



私の大人になる〈儀式〉は 親との死別 だったような気がします



親が生きている以上 私は いつまでも 子供でしたから




最近 やっと この歳になって 〈志〉というものを



持つ事ができたような気がします



地域での 子供達 高齢者の 見守り活動



もう 日常の多くを占める 私の生活が ここにあります



最近 お気に入りの 都々逸 があります



《 そんなに 子供を叱るなよ 通った 道ではないか



そんなに 年寄り 嫌うなよ これから 通る 道ではないか




〈志〉の先に いくつもの 見えてきました



そこには 子供達 お年寄りの 楽しそうな笑い声と



やっと 大人になれた 私 がいました








by nonkei7332 | 2018-02-25 12:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

by イソラ