土蜘蛛 と 土師氏

『「九十九」を 筑紫では「つくも」と読ませる
昔は《土蜘蛛》を尊敬して 親分を太白、子分を小白と呼んだ
「つくも」とは九を重合対立させた形で「つちくも」の略だった 』
筑紫の賢人 (真鍋大覚氏) は こう述べています
《 土蜘蛛 》と呼ばれた 古代氏族 が この国にはいました
というより 新たな新天地を求めて 海を渡ってきたのでしょう
彼等は 高度な鉱山技術をもった 産鉄の民でした
どこから 来たのかというと それは
「九十九の国」「白の国」「斯蘆国」 つまり「新羅国」です
新羅から来たといえば 出雲の スサノオ ですが
「雲」と「蜘蛛」同じ 出自 をもった氏族だったのでしょう
やがて 古出雲 と呼ばれる 筑豊の香春岳付近 に
この氏族は住み着くことになります
土蜘蛛 の里は 倭国 筑紫の国 だったのです
産鉄の民 は 新たな文化をこの国にもたらします
と同時に これらの技術を 背景とした 国ができ
やがて その支配権を争奪せんとする
国同士の争いとなっていくのでした
この国の 古代史 のすべてがここにあると言ってもいいでしょう
〈土蜘蛛〉〈鉄の民〉の
悲しみの歴史が始まります
12代天皇といわれる 景行天皇 は
九州各地の 土蜘蛛 を我が物にせんと
各部族に 過大な要求を押し付けますが
拒否した 土蜘蛛たちの多くを殺していきます
〈日本書記〉や 〈豊後風土記〉〈 肥前風土記〉 などには
土蜘蛛の名が記述されています
《豊前国》
神夏磯姫(かみなつそひめ)・鼻垂(はなたり)・耳垂(みみたり)・
麻剝(あさはぎ)・土折猪折(つちおりいおり)・ 葛築目(くずめち)
《豊後国》
速津姫(はやつひめ)・ 青 ・ 白 ・打猴(うちさる) ・八田(やた)
・國摩侶 ・小竹鹿奥(しのかおさ) ・ 小竹鹿臣(しのかおみ)
《肥前国》
大山田女 ・狭山田女 ・打猴(うちさる)・海松橿姫(みるかしひめ)
大身・ 大耳・垂耳(たりみみ)・八十女(やそめ)
大白・中白(なかしろ)・小白(おしろ)・速来津姫(ハヤキツヒメ)
浮穴沫姫(うきあなわひめ)・鬱比表麻呂(ウツヒオマロ)
これらの 土蜘蛛 のなかには 神夏磯姫 や 速津姫 のように
仲間を裏切り 苦しみの中で 生き残る事を選んだ 族長もいました
やがて 14代 仲哀天皇の頃になると
生き残った 土蜘蛛族が 勢力を取り戻していきます
熊襲の後胤 《羽白熊鷲》(はじろくまわし) は
秋月を本拠地とする「白の国」の族長でしたが
仲哀天皇に 反旗を翻し 仲哀天皇を 矢で倒したのですが
仲哀の皇后だった 神功皇后 に 滅ぼされてしまいます
筑後の土蜘蛛族の首長であった 葛築目の後を継いだのは
香春岳の 《田油津姫》(たぶらつひめ) でした
神夏磯姫 の後胤 〈夏羽〉の妹でした
神功皇后軍 は 田油津姫 を たおし 応援に駆けつけた 夏羽をも
滅ぼしてしまったのです
こうして 王朝の基盤は 落ち着き 土蜘蛛族は朝廷の中に組み込まれて
独自の地位を占めていきます
朝廷も 産鉄の資源を国内から 国外に求めるようになり
半島をめぐって 新たな 争いに 巻き込まれていくのでした

土蜘蛛の 悲しみの霊魂は 各地の神社に祀られ ます
みやま市瀬高町にある 『老松神社』には
田油津姫の墓といわれる 「蜘蛛塚」があります
説明板によると 往時は「女王塚」と呼ばれていたとあります
葛築目の墓だったのかもしれません
土蜘蛛族 の首長には 女性が多いのは なぜでしょうか
記紀等に伝わる 古代朝鮮からの渡来人または渡来神といえば
「天之日矛」(アメノヒホコ)ですが
伝説によれば
その妻であった「阿加流比売」(アカルヒメ) は
日の神に仕える 巫女であったといいます
鬼道をつかって 倭国を治めた 卑弥呼 も 巫女でした
「土蜘蛛の女王」であった 田油津姫 と だぶって見えるのは
私だけでしょうか
民俗学者 柳田國男 は
『人が 神になるには 二つの条件を満たさねばならない
一つは その人が 生前人並みはずれた 存在であること
もう一つは その人が怨念を残すような不運な死に方をすること 』
と 述べています
やがて この国の 歴史は
土蜘蛛の 怨念を 畏れ
多くの 『神』をつくることになります
by nonkei7332
| 2015-08-23 00:21
| 古代史
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