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《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

友への手紙 ( 魂の記憶 )


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糸島半島に沈む夕陽 右手前が 能古島 その向こうが 可也山



友 へ



一雨ごとに 春めいてきます


先日 久しぶりに会って 懐かしかったですね


短い時間だったから 話し足らなかったことを 文にします


しげしげと 私の 真っ白な 頭を見ながら 語った 君の一言に


「老いは隠せないからな」とつぶやいた 私の言葉は


答えになっていたでしょうか


五年前の 私しか 知らない 君の目には


全くの 他人のように見えたのだろうからね


そう 自分でも 隠しおせないものは しっかりと自覚しています


花が咲いて 散っていくのは やがてまた 咲くための 生の証しなのだから


もう 花とはみえない 朽ちかけた 私の姿とて


生きている証しだと思ってください



五年前の春の事から 話します


春三月 東北の惨事に 全ての人達が 憂いているころ


私は 病院の中に居ました


車椅子を押しながら 動かぬ 手足を呪いながら


それでも 必ず 自分の意思で動かしてみせると もがいていました


その前の年の大晦日 私の脳の中でおきた 惨事は


私の多くの 身体の機能を止めてしまいました


幸いにも 生命を 繋いでくれた 何かがあったのでしょう


今だから 話せる その 何かの話 をしようと思います


その後の私は 辛いリハビリを乗り越えて


半年後 退院し 職場に復帰することができましたが


残った障害で これ以上 会社に迷惑もかけれないので


その年の暮れに 定年退職をしました


住居を変え 生活も何とか落ち着いたころ


90歳になる 母の認知症がひどくなったので


兄弟で まだ わかるうちにと 持ち物を整理していたら


話には聞いていた でも 見たこともなかった


母方の家系図を見つけたのです


君との 別れ際に話した


拙ブログ《 磯良の海 》もここからが 始まりです


先祖は 《 小堀甚左衛門正直 》と書いてありました


調べてみると


博多祇園山笠 の〈山笠人形の始祖〉だという事がわかりました


思い切って 福岡市博物館を訪ね 見てもらったところ


貴重な資料との事だったので 相談の上 博物館に預けることにしました


〈 12月に 安心したかのように 静かに 母が亡くなりました 〉


翌年 3月に調査委員会をへて 正式に博物館より要請連絡があり


寄贈する事に決めました


思ってもいなかった 私の ルーツ を追いかける旅が 加速したのです


小堀甚左衛門 は〈野見宿弥〉の 後胤 と書かれていて


京都四条に住む 〈木偶師〉 ( からくり人形師 ) でした


櫛田神社の招聘で 永享九年(1437年)に


博多に下向したと系図には書かれていて


周防の〈大内義隆〉 や 〈豊臣秀吉〉とも 交流があったと 書かれています


図書館に行って 何か文献は残ってないかと 調べる日が続き


野見宿禰を知る為に 古事記 日本書紀 を 読みあさり


〈からくり人形の歴史〉を調べる為に


京都の祇園社あたりを DNAを探して 歩き回りました


そんなころ 福岡市博物館から 朗報があったのです


その年の 11月に 博物館で『山笠の力~ハカタウツシ』という展示会があり


〈小堀氏略系〉という資料名で 展示するという報せでした


綺麗に 展示された 家系図を見ながら


博多の町に 室町から 明治に至るまでの


十二代続いた 人形師の魂が 私の中の 何かを 揺さぶってくるようで


母が遺してくれた 私の生命を繋いだ


魂の仕業を 感じずには おられませんでした



年が変わり 去年の 1月 の終り 近くの 〈名島神社〉を散策していて


小さな 石を拾い 不思議な 体験をしました


部屋に戻って ネットであれこれ 調べていると


とても 興味深い ブログを 見つけたのです


『 ひもろぎ逍遥 』管理人が 《綾杉るな》と書かれてありました


とにかく 面白かった


自分でいろいろ調べてきた 答えが


そこには あるから 驚きです


一週間 時間も忘れて そのブログを読むことに 没頭したでしょうか


当然 綾杉さんが 出されている 本


『神功皇后伝承を歩く (上) 』も 出版社から


取り寄せて 読んでみました


〈傀儡〉〈傀儡の神〉 〈安曇磯良〉 〈記紀のからくり〉


断片的な 私の中の 知識が 次々 と見事に 繋がっていくのです


そして 2月15日 その 綾杉さんが 講師となる 研究会が


宮地嶽神社 であるのを知り


立場も弁えず 出向いて行きました


綾杉さんは 穏やかな 中にも 自信にあふれた お話をされる方でした


そして 去年の 2月25日


何かに 導かれるように


拙ブログ 《 磯 良 の 海 》を立ち上げたのでした


それから 3月2日 の アクロス福岡の〈筑紫舞〉のイベントを皮切りに


綾杉さん の 勉強会 講演会には ほとんど 参加させて頂きました


そこで 多くの 安曇連 の方々とも 知り合うことができました


皆さん 素晴らしい 方々 ばかりです



随分 長い話に なりましたが


この一年は 私の人生の中で 最も重要な 一年でした


最も 魂の揺れる そして 多くを学んだ 一年でした


世阿弥 の 言うように 『 初心わすれべからず 』


これからも もっと 多くの人から 多くの事を学び


この国の 真実の姿を繋げる 好好爺 の『語り部』 になりたいものです


これからも 時々は 《 磯 良 の 海 》を 覗いて下さい


それでは MATA-NE.


友 へ




2015年 2月 24日





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『 小堀氏略系 』 福岡市博物館所蔵














by nonkei7332 | 2015-02-24 17:58 | 博多ルーツ | Trackback | Comments(0)

by イソラ