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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

おくしださん の謎



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昔から博多の人々に「おくしださん」と呼ばれて親しまれている

「櫛田神社」は 謎多き 神社である


創建は 天平宝字元年だから 奈良時代の757年


祭神は 正殿(中殿)が 『大幡主大神』(おおはたぬしのみこと)

別名『大若子命』

天御中主尊十八世の孫・彦久良伊命の御子であり

倭姫(やまとひめの)命が天照大神を伊勢神宮に鎮座したとき,

南伊勢(三重県)の豪族として協力したため

神国造(かみのくにのみやつこ)と神宮の大神主に任じられた

垂仁天皇から 越の国(北陸)の賊徒阿彦を討伐することを命ぜられ

大いに旗(幡)を挙げて戦いに勝ったので大幡主と呼ばれている

『櫛田明神』とよばれることもある


左殿は 『天照皇大神』(アマテラス)

大幡主大神がその側を離れずに奉仕したことから

同じ時期に勧請されたとある


右殿は 『素戔嗚主命』(スサノオ)

藤原純友の乱 平定に際し

京都祇園の八坂神社に祈願したことから その分霊を祀ったのが

天慶四年(941年)だから 創建後 184年後のことである


さて 問題は 左右に 「アマテラス」と「スサノオ」を従えている

「大幡主大神」とは 一体 どんな神様なのかということだ


(アマテラス)( ・・・・) (スサノオ)


まん中の( )の中に神様の 名前を入れなさい との問いに

答えは 果たして ?


(イザナギ)?


〈解説〉アマテラス と スサノオを 作った神様だから


(ツキヨミ)?

〈解説〉 イザナギの作った神様が この三人組だから


話は 変わるが 博多には 社家町という町があった

今の冷泉町の 櫛田表参道の道沿いにあったようだ

社家とは神社に仕える 神職のことで

ここには 代々 櫛田神社に奉仕してきた人々が住んでいた

〈祝部家 〉〈天野家 〉〈八尋家 〉〈梅崎家 〉 この四社家だ

大幡主命に奉仕しているのが 〈祝部家 〉

天照大神に奉仕してきたのが 〈天野家〉

素戔嗚主大神に奉仕してきたのが 〈八尋家〉

巫女で奉仕してきたのが 〈梅崎家〉


この中で 祝部家の祖先は 福津市の『縫殿神社』に祀られている

応神天皇の時代に呉の国から招かれた


四人の織姫と深い関係があると伝えられている


縫殿神社の説明によれば


応神天皇の頃に、呉の国(今の中国)から

兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)

の四名の姫が織物、縫物の進んだ技術を日本に伝える為に招かれました。

この中の兄媛は宗像神の求めでこの地に残り、

中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めたと言われています。

この神社は日本最初の裁縫の神様であり、

この地はデザイン、ファッションの発祥の地と言えます



祝部家は 代々 男性は 櫛田明神の神主として奉仕してきて

女性は 裁縫技術に関する仕事に携わってきたという

祝部家出身の 祝部安子は 明治7年頃より

近くの女性を対象に裁縫塾をひらいていたが

明治42年には私立櫛田女学校が認可を受けこの地に校舎を置いた

その後 櫛田裁縫学校となり 多くの博多の女性達がここで裁縫を学んだ

今は その跡地に 〈博多町家ふるさと館〉ができている


「祝部家」は 秦氏の末裔にちがいないだるう

ちなみに伊勢神宮に代々神官として務めて来た

「度会氏」も秦氏の末裔なようだ


大幡主命 とは 誰なのか


「おくしださん」の謎は 深まるばかりだ






by nonkei7332 | 2014-07-02 11:55 | ルーツ | Trackback | Comments(0)

by イソラ