菅公の涙
延喜三年二月二十五日
菅原道真は 配流の地で
59歳の生涯を終えている
今から 1111年前の903年のことである
不遇の生涯だと人は語るが
幼少の頃は 神童といわれ
その才能をもって 若くして
学者としての最高位 文章博士となり
右大臣という頂点まで登りつめた人だから
不遇の人生とは言い過ぎだと思う
大宰府の地に左遷されたのが
延喜元年であるから
生涯において
不幸な時代は最後の二年間だけだった
最後は 波乱もなく
静かに人生の幕を閉じられているようだ
《 老いぬとて 松はみどりぞまさりけり 我が黒髪の雪のさむさに 》
(新古今和歌集1696)
菅公は亡くなったあとのほうが
気の毒だった
都に なぜか異変が続く
菅公の祟りだと かってに信じられ
やがて怨霊の人となって
人々に恐れられるようになる
その祟りを鎮めるために
祠をたて 祀られる神となる
怨霊にされたり 神にされたり
まったく 迷惑な話だ
神話といえば 菅公の先祖は
天穂日命(アメノホヒ)
その十四世の子孫が野見宿禰である
相撲の神であり 埴輪の神でもある
第11代垂仁天皇の側近となり 殉死を廃止し
皇后の陵墓に埴輪を供えたことで
土師氏として 天皇家の葬儀全般を
取り仕切る職を拝命する
その後 奈良の菅原の地名を名乗って
菅原の姓をうける
垂仁天皇の御陵は
古事記では菅原の立野
日本書記では菅原伏見陵となっている
ここにも 隠れた神話の謎は 溢れている
今朝は朝から 雨
春まだ遠い優しい雨は満開の梅を濡らす
菅公の涙のようだ
by nonkei7332
| 2014-02-26 12:52
| 菅公・太宰府
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