ブログトップ

《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて




b0325317_09283363.jpeg
太宰府天満宮 と 飛梅




最初の質問です



全国で12000社もあると言われる 天満宮 天神社 菅原神社



老松神社 などの 天神系の神社で 祀られている神様は



いったい 誰でしょうか




難しい 質問なので ヒントをいくつか言います



その人は いつのまにか 学問の神さまと呼ばれました



頭が良かったのかどうかは 誰も知りません



ほんとは 厄病神 だったのですが



疫病神だと 詣る人が少ないので 賽銭欲しさにどこかの神社が



ここの神様 拝むと頭が良くなるよ言ったところ これが 大流行り



みんな こぞって 学問の神様にしたといいます




その人は 平安時代の政治家でした



右大臣 まで出世した人でした 当時の 官職は



一番上が 太政大臣 その次が 左大臣 その次が 右大臣でした



太政大臣は空席が多かったので 実質のトップは左大臣



今で言うところの総理大臣です



ですから 右大臣は 副総理 みたいなもんでしょうか



私の大好きな 韓流ドラマ 時代劇 にも 同じような官職が出てきます



領議政 左議政 右議政 です よく似てますね



話が横道に外れましたが とにかく 偉い人だったのです



天皇にも 可愛がられていた 文人系の学者でした





さてさて 今も昔も 政治家には 必ず その人を推す バック



今で言うところの圧力団体 票田がついています



あまり 知られていませんが この人のバックは



全国の 土木金属系のネットワークでした



土師氏(はじし) と呼ばれていました



この謎の氏族 歴史から 消された 謎の氏族のひとつですが



というより 本当は消されたのではなく



自分たちで 名前を変えたと言った方がいいのかもしれません





平安京を興した 桓武天皇 の母親は 高野新笠という人です



この方の母親は 土師真妹と言って



土師氏の毛受腹(もずばら)の出身だと言われています



あの 仁徳天皇陵がある 百舌鳥古墳群 を造った人達です



あれだけの古墳群を造るだけの 動員力 土木技術と製鉄技術を



持った強力な権力を持った人達だったのです



そんな 土師氏 でしたが



仏教が伝わり 古墳造営や葬送儀礼がなくなると



氏族の 存在そのものが希薄になっていきます



そこで 土師氏の頭領であった 土師古人 桓武天皇に



改姓を願い出ます 許された 姓が 菅原氏 秋篠氏 大江氏 などです



墓守りから 文人への 大いなる イメージチェンジでした




後世 右大臣まで出世した その人の名前が ここで 出てきます



菅原家4 菅原道真 》です



最初の質問に戻ります



そうです 多くの 天神系神社に祀られている 祭神は



菅原道真 だというのが 誰でも知っている 通説ですが



通説は ひとつの仮説でもあるのですから



敢えて 歴史のタイムカプセルに乗ってみたいと思います



その 暴論 に入る前に 土師氏 の祖神 と言われる



野見宿禰(のみのすくね) という 神様の謎に次回 触れてみましょう




b0325317_09300192.jpeg
太宰府天満宮 境内





# by nonkei7332 | 2018-08-17 10:19 | 菅公・太宰府 | Comments(1)


b0325317_07321723.jpeg
南福岡代表 沖学園高校 初勝利





夏の甲子園が 100回大会だと話題になっています



高校球児だった私が 夏の大会に臨んだのが



実は 1968 50回大会でした



県立の進学校だったので 部員数も 十数名しかおらず



一回戦敗退でしたが 夏の記憶は 鮮烈です



50回の記念大会だったからでしょうか



地方大会でも 平和台野球場での入場行進もありました。



今はなき 香椎球場 (香椎花園の駐車場付近) での試合でした



私には 二人の息子がいますが



親の心子知らず 彼らは 野球には眼もくれず



ひたすら サッカー やってくれました



『キャプテン翼』の前には



私が買ってあげた グラブもバットも 無用の長物と化したのでした





昭和から 平成 そして 新たな年号の未来へと



時の流れは 甲子園という 一つの〈 祭り 〉を繋いでいます



いくつかの 名シーンが 日本人の記憶として 残っていくのでしょう



何故なのか 子供達の 無心に白球を追う 姿に 涙します



それは 50年前の 私の中の センチメンタル ではないようです



この国に生まれたすべての人の中に眠る



魂の記憶 のように 私には 思えてなりません





日本人として 消したくても消せない 夏の日の 記憶



73年前 夏の記憶です



考えてみれば 2000年のこの国 歴史の中で



最も 穢れに満ちた 100年だったのかもしれません



私たちは 穢れを祓う 鎮魂の為の〈 祭り 〉を 絶やしてはいけません



遠い この 美しい 豊穣の国を築いてくれた



祖神 への 感謝 の〈 祈り 〉を 忘れてはいけないのです




100年目の夏



鎮魂の夏








# by nonkei7332 | 2018-08-07 08:29 | 日記 | Comments(2)

b0325317_11525641.jpeg



空蝉の殻は木ごとにとどむれど たまのゆくへを見ぬぞかなしき


  古今集 448



〈通解〉


蝉のぬけがらは 木と共に残っているけど



魂はどこに行ったのかわからないのが 哀しい





写真は 蝉の脱け殻ではありません



地上に現れて 羽化 をするために 松の木に 登ってきたところです



おそらく 日が沈むと 羽化を始め



明日の朝には 蝉となって 飛んで行っているでしょう



そして その後には 空蝉が残っているでしょう




蝉は 卵から 孵化すると 地中に潜り 5年近く そこで生きています



やがて 地上に登ってきて 羽化して 成虫になるのですが



蝉となって 生きているのが 10日ぐらいなのです



その間 鳴き続けて 交尾して メスは 卵を産んで死んで生きます



オスの中には 交尾もできず そのまま 亡骸となるのが



4割ぐらい いるそうです




b0325317_11543613.jpeg



ギラギラとした は何を考えているのでしょうか



残された 生への悦び なのでしょうか


どこか 緊張して 哀しい目をしているようにも思えます



上手く 羽化 できるだろうか



上手く 鳴けるだろうか



はたして 交尾の相手と巡り会えるだろうか



不安と 期待とが 交差した そんな まなざし です




最後の大勝負の決勝戦のまえにした 準決勝



そうです 《セミファイナル》なのです




鳴く蝉の命の限り鳴く声は 夏のみそらにひびき泌みけり


岡本かの子






# by nonkei7332 | 2018-07-23 12:47 | 日記 | Comments(0)


b0325317_12354415.jpeg



今年も 荒ぶる神 容赦なく



この国を 諌めたように思えます



前線が北へ去り



夏越しの祓いの山笠が終わると



この町には 身も焦がすような



灼熱の季節がやってくるのです





祭りとは 民俗学者の折口信夫 こう言っています



祭りは、禊ぎに伴ふ夏神楽から出て居る。



神楽は鎮魂のために行ふものであつた。



禊ぎの後の潔まつた身の内に、



外来の威霊を堅く結び止めようとする儀式である




冬の凍る夜に限つた楽舞(あそび)が、



夏にも行はれるやうになつたのである。』




今年の町内の 夏まつりの会議で



「今年は 炭坑節もいいけど フォークダンスでもやってみたら」



半分冗談みたいに言った私の意見が取り上げられて



フォークダンスを踊る羽目になりました



「オクラホマミキサー」懐かしいメロディが



素足で 土の上を踊った 記憶が蘇ってきます



小学校の頃 好きな女の子が ちかずいて来るとドキドキしましたね



「オクラホマミキサー」は歌の名前ではないそうです



オクラホマで踊られた ミキサーというダンスの名前だそうで



楽曲の名前は「藁の中の七面鳥」といいます





古代 まだ 文字がなかった頃 人々は まつりの日に



鎮守の杜(集会所)に集まって 歌を歌いました



〈相聞歌〉です 男と女の 掛け合いの歌でした



中国の少数民族でも オーストラリアの先住民族アボリジニでも



今も 続いているそうです 『歌垣』と呼ばれています



半島でも 日本でも その名残がいくつか 残っています



というより 盆踊りも 神楽も 相撲も 元をただせば



この『歌垣』が起源かもしれませんね





さてさて 夏まつりのフォークダンス



私の心をときめかせてくれるような



ステキな 女性は現れてくれるでしょうかね





オクラホマミキサー の練習風景










# by nonkei7332 | 2018-07-21 13:34 | 日記 | Comments(0)


b0325317_09181049.jpeg
てるてる坊主





6月 は 水 の季節です



遠い昔から 人々は この時期の雨に一喜一憂したものです



降らなければ 田に水を引けない



降りすぎると 田が流されてしまう



また 夏越の祓といって 一年の穢れを祓う 神事も行われます



水無月に夏越しの祓いするひとは千と世の命延ぶ



と歌われています




ここで 登場するのが ヒトガタ です



ヒトガタ とは 人形(にんぎょう)のことです



人形 と呼ばれるようになったのは 鎌倉時代 以降だといわれています



最も古い ヒトガタ 紙で作った 人の形をした




お札のようなものでした



夏の鎮守の杜 での 神事(呪術)に使われました






b0325317_09232173.jpeg





呪術者は 罪や穢れや災いを祓い清める為に



まず 人々は このヒトガタに 触れることにより



穢れを背負はして 全て移してしまいます



移してしまう対象のことを 形代(かたしろ)とか



撫物(なでもの)とも言います



そして 穢れを移した ヒトガタ (撫で物)を 川に流し



新しい 霊魂の再生を祈るという 神事 だったのです



ヒトガタ神事 やがて いろんな形で 繋がり現代でも



風習や 祭りの形態として残っています



人形は ひなまつりの雛人形 をはじめ 人形と名のつくものは



起源を辿れば ヒトガタ につながります。コケシ もそうです。



てるてる坊主 もそうです。てるてる坊主は



「明日天気になあれ」と言って 雨が止むのを祈る人形ですが



起源を辿れば 真逆で 祈雨の為のヒトガタだったのです



雨が降ると 白い顔の部分に 目を入れて 川に流したようです



ヒトガタ神事 を祭りで 繋いでいる 代表は 「博多祇園山笠」



《夏越の祓い》については この記事を見て下さい



https://hisamitsu.exblog.jp/25917874/ 《夏越しの祓い》



b0325317_09264499.jpeg
博多祇園山笠



山笠の 7つの町衆を 〈流〉(ながれ)といいます (土居流 千代流)



あれは 私は 川のことだと思います



〈人形を川に流す〉からきたものでしょう



町の一年の穢れを 山笠人形に移して それを 川に流す



それから 勢い水 (きおいみず) というのがあります



舁き手のからだを冷やす為とか 山笠が滑りやすくする為に



水をかけるといいますが 本当は 町中の穢れを水に流す為に



水をかけるというのが本当の意味だと思います






ヒトガタ より もっと古い人形があるとすれば



それは 「埴輪」(はにわ)でしょうか



次回 埴輪について考えてみます






# by nonkei7332 | 2018-06-23 10:15 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ