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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて



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能 の話をしましょう

能では 舞台に立つ 主人公のことを 〈シテ〉 といいます
そして その シテ の相手役を 〈ワキ〉といいます
(一般に言う脇役はここからきています)

ワキ は必ず 男役がなります そして ワキ役は 面をつけることはありません
能は 仮面劇ですが 能面を付けるのは シテ役 だけです

能 の中には 現実と夢が交差しながら物語が進んでいく 構成の能を
〈 夢幻能 〉といいます 世阿弥 が 確立した 様式です

夢幻能 の中では 主人公(シテ) は 神 や 鬼 や 亡霊 などの 異界の者達です
いわゆる 目には見えない者 この世には存在しない者 が シテ になります
こういった シテに対応していく ワキ は この世の者で
旅の途中のひとりの 男(僧)がつとめます 面も付けない 直面の男です



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《 旅の途中の (あるところで) で ワキ は 化身の姿をした シテ と出会います 》

夢幻能の ほとんどが このパターンから 始まります

シテ と ワキ の二人は(あるところ) をめぐって
思い出話のようなものを交わしながら
途中から話がだんだん 妖しくも 深刻になって いきます
そのうちに ワキの旅人は
この者(シテ)がふつうの者ではないことに気がつきます
シテ にそのことを尋ねると 本当の自分の正体をほのめかしながらも
また会いましょうと言って姿を消してしまいます
ワキ (旅人) が 我にかえると あたりは暗くなり
消えた シテ が 本来の姿で 再び 現れ 自身の物語を語りながら
幽玄の舞を舞っていきます
ワキの者が 夢か幻かと思っているうちに ふたたび シテ の姿も消えて
演目は終わります
演目は変わっても 夢幻能は ほとんどが こういった 流れなのです



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夢幻能 においては シテ は 面を着けた 目には見えない
存在の無い 〈 異界の者 〉たちです
異界の者とは ある時は 神 であり 死者 であり
亡霊 であり 妖怪であり 鬼 でありました
何かの 理由があって この世に 想いを残していった者達 ばかりです

ワキ の 役目 とは そういった 異界の者たちの 存在を 夢の中に登場させ
無念 残念 を 夢の中で聞いてあげることであり
そのことで さまよう 怨念を 晴らしてあげる事でした

そして それは ワキの役目を 舞台を見つめる 観客達 と 共有させることで
演者 と 観客 をも含めた ひとつの舞台に仕立てることであり
共に シテ達の 抱えた この国の無念をも 晴らすべく
「呪鎮」の儀式にまで昇華させようとした
世阿弥 の 時空を超えた 壮大な試みだったのでしょう
 




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《 秋深く 夜も ひとりの Waki となり 夢幻の舞に酔いしれようか 》

ヒサミツ





by nonkei7332 | 2014-11-17 01:21 | | Comments(0)

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日本の伝統芸といえば 『 能 』である
今日では 国際的にも 高い評価を受け 世界無形遺産に指定されている

能の起源 をたどれば
古代ギリシア 古代ローマ などの大衆芸能が
シルクロード経由で徐々に 中国に持ち込まれ
「散楽」もしくは 百戯または雑技と呼ばれて拡がっていった
奈良時代になると
滑稽な物まねや 寸劇 曲芸 奇術 軽業 幻術などの 「散楽」
荘厳な舞 や 音楽を奏でる「雅楽」 とともに 日本にも伝えられ
朝廷が 散楽師の養成機関「散樂戸」を設けるなどして
これらの 芸能の保護を図った
延暦元年(782年)桓武天皇の時代に散楽戸は廃止されるが
その事で 各地に 散楽と土着の芸能が融合した
多彩な芸能が生まれていくことになる
散楽のうちの 物真似芸 を起源とする 「猿楽」 は、
後に観阿弥、世阿弥らによって「能」へと発展した
《実際に「能楽」と呼ばれるようになったのは
明治になってからのことで それまでは「猿楽」と呼ばれていました》
曲芸的な要素の一部は 後に「歌舞伎」に引き継がれた
滑稽芸は「狂言」や笑いを扱う演芸になり独自の芸能文化を築いていった。
奇術は近世初期に「手妻」となった
散楽のうち人形を使った諸芸は「傀儡(くぐつ)」となり、
やがて「人形浄瑠璃」や 「文楽」へと引き継がれていった
このように 散楽は 後世の日本の民族芸能の基盤となった



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そのなかでも「 猿楽 」は朝廷や幕府の援護もあり
これらの芸を行う役者集団の「座(ざ)」が各地で活動するようになる
座 は寺社に所属し 法会や祭礼等で集まった人々に芸を披露し

特に 大和国(奈良県)を本拠とする大和猿楽四座が 都で人気を得て
室町幕府の庇護を背景に 勢力を伸ばしていく

『 大和猿楽四座 』
外山(とび)座 《 宝生流 》
結崎(ゆうざき)座 《 観世流 》
坂戸(さかど)座《 金剛流 》
円満井(えまい)座 《 金春流 》


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『大和猿楽四座」のうち、
結崎座の「観阿弥」は、物まね芸主体の猿楽に、
中世の流行曲の曲(クセ)舞などを取り入れ、
能の演劇性を高めた
さらに観阿弥の子「世阿弥」は、
より洗練された芸を追求し、夢幻能の仕組みを確立して、
能の芸術的な進化は さらに 洗練されていった
こうして 明治以降 猿楽は「能楽」と呼ばれるようになり
現在に通じる 仮面劇・歌舞劇 の総合芸術として
大成していったのである







by nonkei7332 | 2014-11-15 07:23 | | Comments(0)


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冬隣 とでも言うのでしょうか

急に 寒くなりました

こんな時は ユックリ 湯に浸かり暖かい羽毛に包まれて

夢幻 の 世界で遊ぶにかぎるのですが

《 能 》の本をみていたら

『 邯鄲 』という 夢幻能 の演目がありました

中国の唐時代の伝奇小説「 枕中記 」からの説話です




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邯鄲面




《 邯鄲(かんたん) の枕 》


昔、中国の蜀という国に、盧生(ろせい) という男が住んでいました。

彼は、日々ただ漠然と暮らしていたのですが、

あるとき、楚の国の 羊飛山に偉いお坊さんがいると聞き

どう生きるべきか尋ねてみようと 思い立ち、旅に出ます。

羊飛山への道すがら、盧生 は 邯鄲 という町で 宿を取りました

その宿で 女主人に勧められて 粟のご飯が炊ける までの間

「邯鄲の枕」という不思議な枕で一眠りすることにしました。

邯鄲の枕は以前、女主人がある仙術使いから貰ったもので、

未来につ いて悟りを得られるという いわくつきの枕でした。

さて、盧生が寝ていると、誰かが呼びに来ました。

それは楚の国の 皇帝の勅使で、

盧生に帝位を譲るために遣わされたと言うのです。

盧生は思いがけない申し出に不審がりながらも、玉の輿に乗り、

宮殿へ 行きました。

その宮殿の様子と言ったら、壮大で豪華絢爛、

驚くほど 素晴らしく、

極楽か天宮かと思われるほどでした

盧生が皇帝になって栄華をほしいままにし、

五十年が過ぎました

宮殿では、在位五十年の祝宴が催されます

寿命を長らえる酒が献上 され、舞人が祝賀の舞を舞うと、

盧生も興にのり、みずから舞い始め ました。

すると昼夜、春夏秋冬が目まぐるしく移り変わる様子が眼前 に展開され、

盧生が面白く楽しんでいると、

やがて途切れ途切れにな り、一切が消え失せます。

気づけば宿の女主人が、粟ご飯が炊けたと 起こしに来ていて、

盧生は目覚めます。

皇帝在位五十年は夢の中の出来事だったのです。

五十年の栄華も一睡の夢であり、

粟ご飯が炊ける間の一炊の夢で した。

盧生はそこでこの世はすべて

夢のようにはかないものだという 悟りを得ます。

そしてこの邯鄲の枕こそ、自分の求めていた人生の師 であったと感謝して、

望みをかなえて帰途につくのでした。






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世阿弥像



《 秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず 》

世阿弥 の言葉


夢幻能の世界を大成させた 世阿弥 にとって

「花」こそが

生涯を賭けて追及した 美学 でした

永享6年(1434年)72歳の 世阿弥 は

突然、都からの追放を言い渡され

その後 81歳で 配流の地 佐渡 で

「花追い人」と呼ばれた

波乱な生涯をとじます



同じ頃 永享9年 (1437年)

京都 四条に住む

若き 木偶師 小堀甚左衛門正直 は

博多 櫛田神社に 招聘され

京都から 博多へと 下向します


二人とも

〈 筑紫傀儡の民 〉の末裔 だったのでしょうか






by nonkei7332 | 2014-11-14 18:19 | | Comments(0)

by ヒサミツ