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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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ユキヤナギ



《 枕草子 》の有名な冒頭です


春 は あけぼの

ようよう 白くなりゆく山際 少し明かりて

紫だちたる雲の 細くたなびきたる


【口語訳】

春は明け方が良い。

日が昇るにつれてだんだんと白くなる、

その山の辺りの空が少し明るくなって、

紫がかっている雲が長くたなびいている様子が良い。


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《春分の日》とは 暦の始まりとして

新たな 一年のスタートとなります

日本の地方には 古くから 『日天様のお供』という風習があります

先ずは早朝 東にある 宮に行き 日の出を拝みます それから 南へ歩き

夕刻は 西の地にて 日の入り を拝み 家に戻るという 日祀りです

彼岸の中日に 一日かけて 新たな気持ちで 太陽を迎え 太陽を送るという

きわめて 素朴な風習だけに 私にもできそうだと思いました



私 の 博多における 「日天様のお供」プランです


志賀海神社 の 遥拝所から


二上山(立花山・三日月山) に昇る日天を拝みます


それから 南へ向かい 箱崎八幡宮で 〈お汐井とり〉をして


そして 夕方には 糸島二見浦に沈む 日の入りを拝んで帰ってくる


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辛夷の花



百花繚乱の春 は まじかです

ユキヤナギ や 辛夷の花が 綺麗です



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ユキヤナギ (フジノピンク)









by nonkei7332 | 2016-03-20 16:26 | | Comments(0)



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この 季節 は

たくさんの 『ありがとう』の言葉に包まれます

その 最たる 場所といえば 小学校の卒業式 かもしれません

今年も 私は その場所にいました

子供達は 両親や 先生達や 友達に 『ありがとう』の言葉を残して

学び舎を巣立って行きました

その 一人ひとりの 後ろ姿に 私が かけた言葉も やっぱり


「毎朝 元気をくれて 『ありがとう』」でした

日本語で もっとも 美しい言葉といわれる


『ありがとう』という言葉は

人として 生まれて 最初に 覚える言葉のひとつでもあります



『ありがとう』の 言葉の意味を 語源辞典にはこう書かれていました


《 ありがとうの語源は 形容詞「有り難し(ありがたし)」の連用形

「有り難く(ありがたく)」が ウ音便化して ありがとうになった

「有り難し」は「有る(ある)」ことが「難い(かたい)」という意味で

本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味を表した

『枕草子』の「ありがたきもの」では「この世にあることが難しい」

という意味 つまり「過ごしにくい」といった意味でも用いられている

中世になり 仏の慈悲など貴重で得難いものを自分は得ている

というところから 宗教的な感謝の気持ちを言うようになり

近世以降 感謝の意味として 一般にもひろがった 》


おそらく 『有り難し』とは

原始においては 人知人力を 超越した 自然神に対しての

畏敬の念をこめた 祈りの 言葉だったのかも知れません

古代神 は 多くの恵みをもたらす 《山の神》でした

山の神とは 〈火の神〉でもあり〈水の神〉でもありました

〈火〉は 産鉄の神であり 〈水〉は 農地を潤す 水源の神 でした

そして 人々は この神が「荒ぶる神」だという事 も知っていました

〈神の火〉は ある時は 火を噴く山となって 全ての大地を消し去り

〈神の水〉は 山を崩す 山津波となって ある時は 全てを飲み込む

津波 となって 全てを流していったのでした

『有り難し』神の両刃の剣に 人々は 一喜一憂 したのでしょう

人は 荒ぶる神 の 鎮魂 するために 神を《祀り》(まつり)ます

《祭り》はこうして生まれました それは 吉兆を占う場所であり

〈火〉や〈水〉で 穢れを祓う 禊の場所でもありました



この国は 近年 《荒ぶる神の火》の恐怖を二度も体験しました

最初の 体験は 《 原爆 》でした 人類が初めて 体験した 惨事でした

人知人力を超越した 〈神の火〉である 《原子の火》でした

それは 決して 人が 踏み越えてはならぬ 〈神の火〉の 領域だったのです

そして 二度目の恐怖は 《 原発 》です

5年前 の 3月 封じ込めたはずの 〈神の火〉が メルトダウン した

あの 88時間の恐怖は 人類が初めて体験した 恐怖だったのでした

原子力が 《荒ぶる神の火》だと 知った私達が

今 すみやかに とりあえず やらなければならない事は

〈原爆〉も 〈原発〉 も『止める』という事です

そして その次にやらなければならない事とは

〈神の火〉への 鎮魂 の祈りなのです



井上陽水 が歌った 『 最後のニュース 』という歌があります

1989年につくられた 歌ですが その中で 彼は こう 歌っています



原子力 と 水 と 石油達の為に

私達は 何をしてあげられるの


今 あなたに Good Night

ただ あなたに Good Bye



彼が歌う「あなた」という 相手が「神」だとすれば

この歌は 鎮魂の歌 なのかも知れません











by nonkei7332 | 2016-03-20 11:43 | 日記 | Comments(0)

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紀の川市 西行法師像





桜 の開花予報が出されました

今年の 福岡 は 3月23日です(旧暦 2月23日)


一昨日の日曜日 3月12日は


旧暦の2月(如月)15日 朔望は 満月でした

2月15日は 釈迦の入滅の日であり

仏教寺院では 涅槃会(ねはんえ)法要が営まれます

釈迦は 沙羅双樹の木の下で 亡くなられたといいます

ちなみに 如月の望月 というのは 今年は 3月12日ですが

去年は 3月23日 で 一昨年は 4月4日でした


後鳥羽上皇 に 『生得の歌人』(生まれついての歌人)と呼ばれた

ひとりの男がいました

『 西 行 』(さいぎょう) です

〈新古今和歌集〉には 最多の94首もの歌が 納められています

42歳 の時 後世 辞世の句 ともいわれる 歌を詠みました


《 願わくは 花の下にて 春死なむ その 如月の望月のころ 》


【 通釈 】

願わくば 桜の花の咲く樹の下で 春に死にたい

それも 釈迦の入滅された 如月(2月)の満月の日に


西行法師 は 佐藤義清(のりきよ)という 武士でした

御所を護る「北面の武士」と呼ばれる 精鋭部隊に属し

将来を約束された エリート 高級官僚だったのでした

歌道に非凡な才能を持ち 流鏑馬の達人でもあり

同期の武士に あの 平清盛 もいたのでした

22歳の時 すべてを捨てて 出家します

理由は 謎です いろいろ言われていますが


皇位継承の争いに嫌気をさしたとか

友の死に立会い 人生の無常を感じたとか

想いを寄せていた 待賢門院(崇徳天皇の母)に失恋したとかですが

本当のところは ・・・本人に聞くしかありません

法号は 阿弥陀仏のいる 西方に向かうという意味の

〈西行〉と名乗りました

旅 と 桜 をこよなく愛した 歌人でした



《 いかで我 この世のほかの思ひいでに 風をいとはで 花をながめむ 》


【 通釈 】

私はどうすればいいのか 来世へ持ってゆく思い出として

風の心配をせずに 心ゆくまで桜の花を眺めてみたいものだが


《 葉隠れに 散りとどまれる花のみぞ しのびし人に 逢ふ心ちする 》


【 通釈 】

葉隠れに散り残っている桜の花だけだろう ひそかに恋い慕っていた人に

出逢った心持になれるのは

( 恋い慕う女人とは 待賢門院 の事です 生涯 片恋を貫いた人でした )



《 仏には さくらの花をたてまつれ わが後の世を 人とぶらえば 》


【 通釈 】

仏となった私には 桜の花を供えてほしい

わたしの後世を 誰か弔ってくれる人がいるならば


建久元年(1190年)2月16日

西行 73歳の時 波乱の人生の幕を閉じます

釈迦入滅の日の1日遅れでした

この日 桜 が 満開で 満月 であったのかは


誰にも わかりません


来年の 旧暦 2月15日 如月の望月 は 3月31日です

来年こそ 満開の桜の下で 西行 を偲ぶことができるでしょう



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桜はまだですが
杏(あんず) の花が 咲き始めました






by nonkei7332 | 2016-03-15 12:35 | Comments(0)

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『 平成28年第5週(2月1日〜2月7日)

感染症発生動向調査に基づく インフルエンザの1定点あたりの

患者報告数は「59.14人」となり、

警報の開始基準値である「30人」を超えました 』

福岡市が発表した

そういえば 子供達のマスク姿も多くなって 咳をしている子もいる

気候も 三寒四温の連続で

大人であっても体調の管理が難しい日が続いていて

用心しなければと思ってはいるものの

外出後の 手洗い うがい をしていたかといえば

はっきり言って NO である

17日朝 眼が覚めると ちょっと 様子が違う

近年 咳き込む事も無かったのに 咳が出る

それも 胸に響くかすかな痛みもある

熱を測ると 平熱だったが ちょっと寒気もする

用心するに越した事はないというから

ボランティアを他の方に お願いし さっそく 主治医の元に駆けつけた

毎月一度は 必ず 訪問するようになって 4年になるから

私の身体の事はよくご存知な先生である

改めて 薬手帳を見ても 風邪の薬を処方された 記録もない

『 先生 口惜しけれど やっちまったみたい 』

『 日頃の慢心が油断を招くと言いますからね 』と笑っておられたが

もし明日になって 熱が 38度をこえたら インフルエンザ感染の

疑いがあるので また来てください 検査しますから と言われて

一応 普通の風邪薬の処方をしていただいた

子供の頃 父がよく言っていた

『 風邪なんてものは 力一杯食べて 力一杯寝たら 治る 』

そう思ってみたものの なぜか 食欲も無く

お粥と白菜の漬物だけで済ませた

悪寒がする ので 熱を測ると 38.3度 。

週末に予定していた イベントに行けないどころではない

そのうちに 腰や背中が痛みだしてきた 満身創痍 だ

考えてみたら 独り住いの病気程 心細いものはない

かといって 救急車を呼ぶほどでもないから ひたすら我慢と決めた

翌朝 熱を測ると 39.1度 すぐに 病院のベットに転がり込んだ

やがて 看護婦さんが来られ 検査しますと言って

鼻の中に 検査棒を突っ込んで 15分ほどでわかりますよと言われた


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先生が来られて 『 インフルエンザA型 です 』と 言われ

注意する事をいくつか言われたが よく覚えていない

『 良くならないなら また来てください 水は飲んでますか 』

と聞かれたが 返事に躊躇していると

『 点滴をしますので それが終わったら帰られていいです 』といわれた

何年ぶりかの点滴だった

一滴一滴 管を通して 私の中に入ってくる ブドウ糖 をみていると

睡魔がやってきて 寝てしまったようだ 眼が覚めると 点滴も終わり

幾分 楽になったような気がした

帰りに 処方された薬が 『 タミフル カプセル 75 』

意識障害などの 副作用もあるといわれた 薬だが

今はこれに頼るしかないと思った


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タミフル



今日は 昼まで 寝ていた 喉の痛みと 咳は 少し残っているが

熱を測ると 平熱 だ タミフル の効用には 驚く

発症して 48時間以内の服用だと 重症化を防ぐ事ができるとあるから

早めの検査が良かったのだろうか

先生に電話で報告すると 『 2、3日 安静にしとくように 』といわれた

日本の諺に

『 禍は 口より出でて 病は 口より入る 』とある

エチケットマスク 忘れないようにしよう












by nonkei7332 | 2016-02-20 18:00 | 日記 | Comments(2)


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国会予算委員会



日本人は マツリゴトが好きな 人々が多いのでしょうか

テレビでは 朝から イクメン休暇を取った国会議員が 不倫して

『本当に 本当に 申し訳ありません』と頭を下げています

イクメン休暇を取ったのが悪かったのか

国会議員だったのが 悪かったのか

不倫したのが 悪かったのか

見てる ほうも 何と無く 訳が解らなくて 馬鹿らしくなってしまいます

こんなのが 毎日 続くのですから たまったものではありません


マツリゴトの起こりは 古来 祭りの日に

村中の人が集まるので 村の決め事を 神に神託をして決めたのが

始まりだったのです

今の日本の神様は 金神様 だから マツリゴト が決める事も

おおよそ 見当がついてしまいます

いつになったら 改宗してくれるのでしょうか ため息が出てきます



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パチンコ店



日本人は 賭け事が好きな人 多いみたいです

そもそも 賭け事とか 博打 とかは

祭りの中での 吉凶を占った 事が 始まりだったようです

祭りの日には 相撲が行われ 闘犬や闘牛や 綱引きまで


年に 二度だけ

勝った負けたで 村中 大騒ぎできたのが お祭りだったのです

パチンコ 宝くじ 競艇 競馬 毎日 大騒ぎしている人達

全く 困った人たちばかりです


日本人は お酒が好きな人が 多いみたいです

そもそも お酒とは 神様に供える 年に二度だけ 作った

最高級の お供え物だったようです

年に二度だけ 神様のお許しを得て ご相伴に預かるわけであって

いつでも飲めるものではなかったみたいなのです

毎日 晩酌で一杯なんて コンビニに行けば いつでも買えるなんて

昔では 考えられなかったのですけど



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日本人は 晴れ着で 着飾る事が 好きな人が 多いみたいです

そもそも ハレという 祭りの日にだけ 着られたのが 晴れ着だったのです

帯閉めて 着物を着る事が 自分でできない人が 多いのですが

着物を 着る事だけが ハレ着ではなく

普通の日とは違って 着飾ることが 晴れ着の本質ですから

やたらと 毎日 着飾っていたら

昔は おかしな奴だと思われていたのでしょう


こうやって考えてみると

日本人ほど 祭りが 大好きな 人々は いないようです

毎日が お祭りなんでしょうね

年に 二度だけ 神様をお迎へ していたのが 祭りだったのですが

毎日 毎日 来る日も来る日 神様を 呼んでいたのでは

最近では 神様も 疲れて ストレスを溜めておられるのではないかと

それだけが 心配です








by nonkei7332 | 2016-02-14 08:10 | 日記 | Comments(0)


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《比叡山延暦寺》の根本中堂の脇を歩いていた 私は

ひとつの 歌碑の前で 足が止まりました

しばらくの間 私の頭の中は 小さな驚きに包まれてました

・・・宮沢賢治 が ここにも 来ていたんだ ・・・


《 ねがはくは 妙法如来正遍知 大師のみ旨 成らしめたまえ 》


( 最澄 の 教えである 法華経が あまねく 人々の心に届く事を祈る )

という意味なのでしょうか この歌碑の背景にはこんな事がありました


この歌を詠んだのは 賢治 25歳の時でした

宮沢家の家業は質屋で


代々 熱心な 浄土真宗の信者でしたので

賢治も仏教には 幼い頃から興味を持っていました

そういった環境の中で 法華経 に強く惹かれるものがあり

多くの経本 を 読みあさります やがて その想いは 行動へと変わります

法華経を信奉する日蓮宗の在家教団「国柱会」に入信したのでした

賢治 24歳の時でした

家族にも改宗を勧めますが 反対され ギクシャクとした親子関係の中

賢治は家を出て 上京します

東京では 家からの仕送りを拒否し 布教活動に のめり込みます

そんな 賢治の状況を心配した 父は 賢治を関西への旅行へ誘ったのです

伊勢・京都・奈良 を 訪ねたようです

賢治を関西旅行に連れて行った 父親の目的は何だったのでしょうか

それは 比叡山延暦寺は 日本仏教の聖地であり

親鸞(浄土真宗)も日蓮(日蓮宗)もこの地で 修行した事を通して

仏教はひとつなんだと 知って欲しかったのでしょうか


最澄(伝教大師)は日本に於ける 天台法華宗の開祖です

天台大師と呼ばれた 唐僧の智顗(ちぎ) が 法華経を根本として起こした

天台教義を 唐に渡り 学びました そして 最澄は 帰国後 延暦寺において

天台教義に加えて 禅・念仏・密教 をも含めた四宗兼学 を目指し

日本に於ける 総合仏教の建立を目指したのでした




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延暦寺 大講堂




宮沢賢治が 比叡山で詠んだ 歌は 他にもあります


《 われもまた 大講堂に鐘つくなり その像法の日は去りしぞと 》


〈像法の日は去り〉とは 仏教の歴史観に 〈三時〉という考えがあります

釈迦は自らの入滅後の未来について正法・像法・末法という三つの時代が

くる事を予言します

正法・・釈迦滅後1000年迄 (教え・修行・悟りが備わっている時代)

像法・・釈迦滅後2000年迄 (教え・修行だけの時代)

末法・・それ以降10000年 (教えだけが残る時代)

一般には 末法の始まりは 1052年だと言われていますので

最澄の時代は まだ 像法の時代だったのです(最澄入滅 822年)

ちなみに この末法思想は 人々に大きな 不安を与え

鎌倉時代に起こる 新仏教の萌芽を呼び起こします

法然・親鸞は 念仏(南無阿弥陀仏)を唱える事で

人々は 死後西方浄土へ行けると説きます

日蓮は 法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱える事で

この世で 即身成仏できると 説きます

宮沢賢治 が 選んだのは 日蓮仏教でした

賢治は 比叡山で 最澄の法華経の魂を感じながらも

今はもうあなたの生きた 良き時代ではない

末法の濁悪の世に生きる者として 新たな思いを込めて

大講堂の側にある 梵鐘の鐘を突いたのでしょう


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梵鐘を撞く 親子
《 我が息子と孫の後ろ姿 》




その後の賢治は 東京へ戻るのですが

妹トシが 病に伏した事をきっかけに 故郷に戻り 農学校の教諭となります


妹 トシ は 賢治にとって ただ一人の理解者だったのでしょう


トシ は 家族が 反対する中 ただ一人


国柱会 への 改宗 をしていたのでした

翌年 大正11年11月27日

宮沢賢治の人生の中で最も悲しい日となります

最愛の妹 トシ が 亡くなります

賢治 の 第一詩集《 春と修羅 》の中に

私が 今まで 読んだ詩の中で 最も悲しい詩だと思う 三編の詩があります


〈永訣の朝〉〈松の針〉〈無声慟哭〉


《 無声慟哭 》


こんなに みんなに みまもられながら

おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

おまへはひとりどこへ行かうとするのだ ・・・




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賢治 の 修羅の道 が ここからまた始まるのでした





〈参照〉拙ブログ《宮沢賢治と木偶の坊》 (2015/5/13)

http://hisamitsu.exblog.jp/24472037/







by nonkei7332 | 2016-02-07 19:15 | 京都 | Comments(0)


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富士山




〈Google〉で この国を 見てみました

改めて この国が 山ばかりの国なんだと わかります

なんと 76% が山地だといいます

2000年前の この国はといえば

今ある平地は ほとんど 海だったみたいですので

平地など ほとんど無い 山ばかりの 国だったのでしょうか

海を渡ってきた 海人達は 平野ではなく 山に住み着いたのかもしれません

木々を刈っては 炭を作り 鉄を作りました

そして 長い年月をかけて 山を崩して 湿地を作り

そして 長い年月をかけて 塩抜きをして

やっとの思いで 稲を植える 田畑を作ったのでしょう

山から流れ来る 川 のほとりで 米を作り

山の恵みの海で 魚を捕り 貝を取って 生き抜いてきたのです

すべての 恵みは 山の恵みである事を

知っていた 古代の人々にとって

山こそが 命を繋ぐもの 即ち 神 だったのでしょう


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福岡市から見た 脊振山




私が この世に生まれて 最初に見た山 は

おそらく《 脊振山 》 でしょう

せふり せふり と言っていました

福岡市から見える山では 最も高い山(1054m) ですが

なぜか 近くて遠い 近付き難い 山でした

まだ 一度も 登った事の無い 山なのです

冬が近まり 山頂付近が白く冠雪すると

もうすぐ ここにも雪が降るなと思ったものでした

筑紫の古代史は というより この国の古代史は

この山並みを中心に 展開されたのでした

謎とされる 日本に最初に伝わった

山岳仏教の伝承地だったのかもしれません


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京都から見た 比叡山



私が 今まで登った山の 最後の山

それは 《 比叡山 》です

死ぬまでに 一度は行ってみたかった 山でした

去年 京都の最終日に 次男が車で 連れて行ってくれました

日本の仏教の礎となる 聖地であり

天台宗の開祖 《 最 澄 》が 延暦寺を建立した地でもあります

この地で日本古来の 山の神 と 仏教が 習合します

それまで 祭祀信仰 だった神々が この頃から

〈権現〉や〈菩薩〉〈明王〉や〈天〉といった名前で

人々の前に姿を現わすことになります

市杵島姫 は 弁財天 へと 天照大神 は 十一面観世音菩薩 へと

仏法を護る 守護神 へと 変わっていったのでした

比叡山は 若い修行僧の中から 後世名を成す 名僧を輩出しました

浄土宗の法然。浄土真宗の親鸞。臨済宗の栄西。

曹洞宗の道元。日蓮宗の日蓮。などです

日本の仏教はここから始まったと言っても過言ではありません


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延暦寺 塔中

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延暦寺 根本中堂 中庭




登山 には ほとんど 縁のない 私でしたが

それでも 登った事のある 数少ない 山の名は

宝満山。 四王寺山。 天拝山。 立花山。

阿蘇山。 久住山。 雲仙岳。 霧島山。

そして 富士山(五合目)。

どの山も 山の神 の 住む 霊山 でした








by nonkei7332 | 2016-01-29 19:30 | 日記 | Comments(0)

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昨日は 雪の日

なぜか ウキウキして

いつもは 閉めたきりの カーテンを開けて

雪の降る 様を 飽きることもなく 見ていました

みるみるうちに 真っ白になっていく 風景 を見ながら

心は いつになく 穏やかでした


私の情動は 脳の中の扁桃体を刺激して

海馬のチャンネル から

幾つかの 記憶を取り出してくれました

そう それは どこかで 見たことのある 風景でした



わたしの 10歳 の誕生日 (12月中旬)

その日は 朝から ボタン雪が降っていて

わたしは 窓枠に座って 一面 真っ白な その光景を 魅入っていました

空を見上げると 雪の色は 灰色をして ゆっくりと 落ちてきます

雪ってなんだろうね そんなことを 考えていました



わたしの 5歳頃 の元日の朝早く

一面の雪の中を 家族で 近くの 銭湯に行きました

丹前を着て 滑らないようにと 姉と手を繋いで歩いていました

『なんで 朝から お風呂屋さんに行くと』


そう 兄に聞くと

『お正月やけんたい』と 答えてくれました

(この頃 我が家は 元日の朝は銭湯に行くのが恒例でした)



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雪国の子供達



今朝は 少し 早めに 目が覚めました

外を見ると 雪はまだ残っていて 小雪が舞っています

ウキウキした 気持ちで 完全防寒 で 旗を持って 外へ出ました

子供たちの 楽しそうな笑顔が 目に浮かんできました

その異変に気が付いたのは 校門の近くに来た時でした

先生達の駐車場に 車がないのです

教頭先生が 近寄ってきて



『 おはようございます ニュースご覧なりませんでしたか

今日は 雪の為 休校なんです 』


『 えー そうだったんですか

雪だから はしゃいでいたのは 私だけでしたか 』


そう言って 二人で 大笑い したのでした

部屋に戻り 熱いココアを飲みながら

《 この国は やっぱり 何かを まちがえている 》

そんな事を 考えていました

なぜなら 子供達の 多くが いつもと違う 雪の日だから

学校に行って みんなと遊びたいと 思っている事を

私は 知っていたからです。







by nonkei7332 | 2016-01-25 14:20 | 日記 | Comments(0)


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一年のうちで 最も寒い 大寒の候です


七十二節気では

《 水沢腹堅 》(さわみずこおりつめる)

沢に厚い氷が張りつめる頃。

沢に流れる水さえも凍る厳冬。


福岡は 最低温度が −3度 最高でも 1度

北西の風が強く 雪が横から 飛んできます

この冬一番の 寒さですが

子供たちは 待ちかまえたように 外に飛び出してきました


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 淡雪の たまればかてに くだけつつ

  わが物思ひの しげきころかな

     (古今集 よみ人しらず)


【 私訳 】

淡雪は積もることなく 降っては崩れ 降っては崩れ

まるで 私の 積もることのない 淡い想いのようです


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by nonkei7332 | 2016-01-24 13:50 | 日記 | Comments(0)

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毎年 この時期に 志賀海神社 に詣でます

私にとっての 遅い 初詣で なのです

小雨の降る中を 参道を 歩いていると

町の人々が にこやかに 挨拶をしてくれます

今日は 『歩射祭神事』が行われているからでしょうか

普段より 幾分 参拝の人も多いみたいですが

テレビで見る あの 異様な初詣でとは 全く違う 風景なのです



経済最優先の 物欲に 塗れた この国にしたのは誰なのか

真実の祭神さえも変え

《商売繁盛》の守銭奴 に 堕落した

神社(神社庁) の罪を 私は 嘆きます


少なくとも そんな所には行きたくもない

そんな 頑固な男の 遅い初詣 の理由がここにあります



村の鎮守の神様の

今日はめでたい御祭日

ドンドンヒャララ

ドンヒャララ

ドンドンヒャララ

ドンヒャララ

朝から聞こえる笛太鼓

《 童謡「村祭り」》


自分達の誇れる 祖先神 を 町人が 総出で祝う

昔の 神社の 原風景が ここには まだ 残されています


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志賀海神社の『歩射祭』の起源は

その昔 安曇族が 敵対した 土蜘蛛を退治したことに由来します

奴国 と 狗奴国 が敵対していた時期もあったのでしょうから

それは それで うなずける起源ではあります

その後 多くの 国が 倭国 として 統一 されていきます

倭国王朝(九州王朝) は 仁徳天皇 のころ 全盛期を迎えたのでした

その中心的な存在が 安曇磯良 を始めとする 安曇の民だったのです

そこには 隠されてきた 多くの謎が 横たわっています



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熱いあめ湯 が 冷え切った身体を 温めてくれました

美味しかったです



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帰り道 参道の民家に咲く 蝋梅(ろうばい)の花が


春を 呼んでいるかのようでした

昔は 蝋梅の実を 子供たちが競うように取って 食べていたと

本の中で 読んだことがあります

あの緑の実を どんなふうにして 食べたのか どんな味がするのか

知っている人は まだいるのでしょうか


帰りのバスを待っていて 思いがけなく

志賀海神社の 平澤憲子権禰宜 とばったりお会いしました

和かな笑顔で 話しかけてくださいました


《 平澤さん(旧姓安曇) は

五年前に亡くなられた 安曇磯和宮司の妹さんです

55歳から 神職を学ばれたそうです 女性が宮司を継げないために

今は権禰宜として神社を守っておられます

今は 太宰府天満宮の西高辻信良宮司が宮司代行をされていますが

いずれは 御子息である 平澤幸興さんが

宮司を継がれることが 島民の願いでも あるそうです 》



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安曇の魂 を 誇り高く 護り続ける 志賀海の人達

そして その愛すべき人々を温かく抱く 磯良の海

ここには この国の 記憶の奥に眠る

故郷の風景が まだ 残っています







by nonkei7332 | 2016-01-18 16:10 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ