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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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『 平成28年第5週(2月1日〜2月7日)

感染症発生動向調査に基づく インフルエンザの1定点あたりの

患者報告数は「59.14人」となり、

警報の開始基準値である「30人」を超えました 』

福岡市が発表した

そういえば 子供達のマスク姿も多くなって 咳をしている子もいる

気候も 三寒四温の連続で

大人であっても体調の管理が難しい日が続いていて

用心しなければと思ってはいるものの

外出後の 手洗い うがい をしていたかといえば

はっきり言って NO である

17日朝 眼が覚めると ちょっと 様子が違う

近年 咳き込む事も無かったのに 咳が出る

それも 胸に響くかすかな痛みもある

熱を測ると 平熱だったが ちょっと寒気もする

用心するに越した事はないというから

ボランティアを他の方に お願いし さっそく 主治医の元に駆けつけた

毎月一度は 必ず 訪問するようになって 4年になるから

私の身体の事はよくご存知な先生である

改めて 薬手帳を見ても 風邪の薬を処方された 記録もない

『 先生 口惜しけれど やっちまったみたい 』

『 日頃の慢心が油断を招くと言いますからね 』と笑っておられたが

もし明日になって 熱が 38度をこえたら インフルエンザ感染の

疑いがあるので また来てください 検査しますから と言われて

一応 普通の風邪薬の処方をしていただいた

子供の頃 父がよく言っていた

『 風邪なんてものは 力一杯食べて 力一杯寝たら 治る 』

そう思ってみたものの なぜか 食欲も無く

お粥と白菜の漬物だけで済ませた

悪寒がする ので 熱を測ると 38.3度 。

週末に予定していた イベントに行けないどころではない

そのうちに 腰や背中が痛みだしてきた 満身創痍 だ

考えてみたら 独り住いの病気程 心細いものはない

かといって 救急車を呼ぶほどでもないから ひたすら我慢と決めた

翌朝 熱を測ると 39.1度 すぐに 病院のベットに転がり込んだ

やがて 看護婦さんが来られ 検査しますと言って

鼻の中に 検査棒を突っ込んで 15分ほどでわかりますよと言われた


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先生が来られて 『 インフルエンザA型 です 』と 言われ

注意する事をいくつか言われたが よく覚えていない

『 良くならないなら また来てください 水は飲んでますか 』

と聞かれたが 返事に躊躇していると

『 点滴をしますので それが終わったら帰られていいです 』といわれた

何年ぶりかの点滴だった

一滴一滴 管を通して 私の中に入ってくる ブドウ糖 をみていると

睡魔がやってきて 寝てしまったようだ 眼が覚めると 点滴も終わり

幾分 楽になったような気がした

帰りに 処方された薬が 『 タミフル カプセル 75 』

意識障害などの 副作用もあるといわれた 薬だが

今はこれに頼るしかないと思った


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タミフル



今日は 昼まで 寝ていた 喉の痛みと 咳は 少し残っているが

熱を測ると 平熱 だ タミフル の効用には 驚く

発症して 48時間以内の服用だと 重症化を防ぐ事ができるとあるから

早めの検査が良かったのだろうか

先生に電話で報告すると 『 2、3日 安静にしとくように 』といわれた

日本の諺に

『 禍は 口より出でて 病は 口より入る 』とある

エチケットマスク 忘れないようにしよう












by nonkei7332 | 2016-02-20 18:00 | 日記 | Comments(2)


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国会予算委員会



日本人は マツリゴトが好きな 人々が多いのでしょうか

テレビでは 朝から イクメン休暇を取った国会議員が 不倫して

『本当に 本当に 申し訳ありません』と頭を下げています

イクメン休暇を取ったのが悪かったのか

国会議員だったのが 悪かったのか

不倫したのが 悪かったのか

見てる ほうも 何と無く 訳が解らなくて 馬鹿らしくなってしまいます

こんなのが 毎日 続くのですから たまったものではありません


マツリゴトの起こりは 古来 祭りの日に

村中の人が集まるので 村の決め事を 神に神託をして決めたのが

始まりだったのです

今の日本の神様は 金神様 だから マツリゴト が決める事も

おおよそ 見当がついてしまいます

いつになったら 改宗してくれるのでしょうか ため息が出てきます



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パチンコ店



日本人は 賭け事が好きな人 多いみたいです

そもそも 賭け事とか 博打 とかは

祭りの中での 吉凶を占った 事が 始まりだったようです

祭りの日には 相撲が行われ 闘犬や闘牛や 綱引きまで


年に 二度だけ

勝った負けたで 村中 大騒ぎできたのが お祭りだったのです

パチンコ 宝くじ 競艇 競馬 毎日 大騒ぎしている人達

全く 困った人たちばかりです


日本人は お酒が好きな人が 多いみたいです

そもそも お酒とは 神様に供える 年に二度だけ 作った

最高級の お供え物だったようです

年に二度だけ 神様のお許しを得て ご相伴に預かるわけであって

いつでも飲めるものではなかったみたいなのです

毎日 晩酌で一杯なんて コンビニに行けば いつでも買えるなんて

昔では 考えられなかったのですけど



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日本人は 晴れ着で 着飾る事が 好きな人が 多いみたいです

そもそも ハレという 祭りの日にだけ 着られたのが 晴れ着だったのです

帯閉めて 着物を着る事が 自分でできない人が 多いのですが

着物を 着る事だけが ハレ着ではなく

普通の日とは違って 着飾ることが 晴れ着の本質ですから

やたらと 毎日 着飾っていたら

昔は おかしな奴だと思われていたのでしょう


こうやって考えてみると

日本人ほど 祭りが 大好きな 人々は いないようです

毎日が お祭りなんでしょうね

年に 二度だけ 神様をお迎へ していたのが 祭りだったのですが

毎日 毎日 来る日も来る日 神様を 呼んでいたのでは

最近では 神様も 疲れて ストレスを溜めておられるのではないかと

それだけが 心配です








by nonkei7332 | 2016-02-14 08:10 | 日記 | Comments(0)


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《比叡山延暦寺》の根本中堂の脇を歩いていた 私は

ひとつの 歌碑の前で 足が止まりました

しばらくの間 私の頭の中は 小さな驚きに包まれてました

・・・宮沢賢治 が ここにも 来ていたんだ ・・・


《 ねがはくは 妙法如来正遍知 大師のみ旨 成らしめたまえ 》


( 最澄 の 教えである 法華経が あまねく 人々の心に届く事を祈る )

という意味なのでしょうか この歌碑の背景にはこんな事がありました


この歌を詠んだのは 賢治 25歳の時でした

宮沢家の家業は質屋で


代々 熱心な 浄土真宗の信者でしたので

賢治も仏教には 幼い頃から興味を持っていました

そういった環境の中で 法華経 に強く惹かれるものがあり

多くの経本 を 読みあさります やがて その想いは 行動へと変わります

法華経を信奉する日蓮宗の在家教団「国柱会」に入信したのでした

賢治 24歳の時でした

家族にも改宗を勧めますが 反対され ギクシャクとした親子関係の中

賢治は家を出て 上京します

東京では 家からの仕送りを拒否し 布教活動に のめり込みます

そんな 賢治の状況を心配した 父は 賢治を関西への旅行へ誘ったのです

伊勢・京都・奈良 を 訪ねたようです

賢治を関西旅行に連れて行った 父親の目的は何だったのでしょうか

それは 比叡山延暦寺は 日本仏教の聖地であり

親鸞(浄土真宗)も日蓮(日蓮宗)もこの地で 修行した事を通して

仏教はひとつなんだと 知って欲しかったのでしょうか


最澄(伝教大師)は日本に於ける 天台法華宗の開祖です

天台大師と呼ばれた 唐僧の智顗(ちぎ) が 法華経を根本として起こした

天台教義を 唐に渡り 学びました そして 最澄は 帰国後 延暦寺において

天台教義に加えて 禅・念仏・密教 をも含めた四宗兼学 を目指し

日本に於ける 総合仏教の建立を目指したのでした




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延暦寺 大講堂




宮沢賢治が 比叡山で詠んだ 歌は 他にもあります


《 われもまた 大講堂に鐘つくなり その像法の日は去りしぞと 》


〈像法の日は去り〉とは 仏教の歴史観に 〈三時〉という考えがあります

釈迦は自らの入滅後の未来について正法・像法・末法という三つの時代が

くる事を予言します

正法・・釈迦滅後1000年迄 (教え・修行・悟りが備わっている時代)

像法・・釈迦滅後2000年迄 (教え・修行だけの時代)

末法・・それ以降10000年 (教えだけが残る時代)

一般には 末法の始まりは 1052年だと言われていますので

最澄の時代は まだ 像法の時代だったのです(最澄入滅 822年)

ちなみに この末法思想は 人々に大きな 不安を与え

鎌倉時代に起こる 新仏教の萌芽を呼び起こします

法然・親鸞は 念仏(南無阿弥陀仏)を唱える事で

人々は 死後西方浄土へ行けると説きます

日蓮は 法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱える事で

この世で 即身成仏できると 説きます

宮沢賢治 が 選んだのは 日蓮仏教でした

賢治は 比叡山で 最澄の法華経の魂を感じながらも

今はもうあなたの生きた 良き時代ではない

末法の濁悪の世に生きる者として 新たな思いを込めて

大講堂の側にある 梵鐘の鐘を突いたのでしょう


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梵鐘を撞く 親子
《 我が息子と孫の後ろ姿 》




その後の賢治は 東京へ戻るのですが

妹トシが 病に伏した事をきっかけに 故郷に戻り 農学校の教諭となります


妹 トシ は 賢治にとって ただ一人の理解者だったのでしょう


トシ は 家族が 反対する中 ただ一人


国柱会 への 改宗 をしていたのでした

翌年 大正11年11月27日

宮沢賢治の人生の中で最も悲しい日となります

最愛の妹 トシ が 亡くなります

賢治 の 第一詩集《 春と修羅 》の中に

私が 今まで 読んだ詩の中で 最も悲しい詩だと思う 三編の詩があります


〈永訣の朝〉〈松の針〉〈無声慟哭〉


《 無声慟哭 》


こんなに みんなに みまもられながら

おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

おまへはひとりどこへ行かうとするのだ ・・・




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賢治 の 修羅の道 が ここからまた始まるのでした





〈参照〉拙ブログ《宮沢賢治と木偶の坊》 (2015/5/13)

http://hisamitsu.exblog.jp/24472037/







by nonkei7332 | 2016-02-07 19:15 | 京都 | Comments(0)


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富士山




〈Google〉で この国を 見てみました

改めて この国が 山ばかりの国なんだと わかります

なんと 76% が山地だといいます

2000年前の この国はといえば

今ある平地は ほとんど 海だったみたいですので

平地など ほとんど無い 山ばかりの 国だったのでしょうか

海を渡ってきた 海人達は 平野ではなく 山に住み着いたのかもしれません

木々を刈っては 炭を作り 鉄を作りました

そして 長い年月をかけて 山を崩して 湿地を作り

そして 長い年月をかけて 塩抜きをして

やっとの思いで 稲を植える 田畑を作ったのでしょう

山から流れ来る 川 のほとりで 米を作り

山の恵みの海で 魚を捕り 貝を取って 生き抜いてきたのです

すべての 恵みは 山の恵みである事を

知っていた 古代の人々にとって

山こそが 命を繋ぐもの 即ち 神 だったのでしょう


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福岡市から見た 脊振山




私が この世に生まれて 最初に見た山 は

おそらく《 脊振山 》 でしょう

せふり せふり と言っていました

福岡市から見える山では 最も高い山(1054m) ですが

なぜか 近くて遠い 近付き難い 山でした

まだ 一度も 登った事の無い 山なのです

冬が近まり 山頂付近が白く冠雪すると

もうすぐ ここにも雪が降るなと思ったものでした

筑紫の古代史は というより この国の古代史は

この山並みを中心に 展開されたのでした

謎とされる 日本に最初に伝わった

山岳仏教の伝承地だったのかもしれません


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京都から見た 比叡山



私が 今まで登った山の 最後の山

それは 《 比叡山 》です

死ぬまでに 一度は行ってみたかった 山でした

去年 京都の最終日に 次男が車で 連れて行ってくれました

日本の仏教の礎となる 聖地であり

天台宗の開祖 《 最 澄 》が 延暦寺を建立した地でもあります

この地で日本古来の 山の神 と 仏教が 習合します

それまで 祭祀信仰 だった神々が この頃から

〈権現〉や〈菩薩〉〈明王〉や〈天〉といった名前で

人々の前に姿を現わすことになります

市杵島姫 は 弁財天 へと 天照大神 は 十一面観世音菩薩 へと

仏法を護る 守護神 へと 変わっていったのでした

比叡山は 若い修行僧の中から 後世名を成す 名僧を輩出しました

浄土宗の法然。浄土真宗の親鸞。臨済宗の栄西。

曹洞宗の道元。日蓮宗の日蓮。などです

日本の仏教はここから始まったと言っても過言ではありません


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延暦寺 塔中

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延暦寺 根本中堂 中庭




登山 には ほとんど 縁のない 私でしたが

それでも 登った事のある 数少ない 山の名は

宝満山。 四王寺山。 天拝山。 立花山。

阿蘇山。 久住山。 雲仙岳。 霧島山。

そして 富士山(五合目)。

どの山も 山の神 の 住む 霊山 でした








by nonkei7332 | 2016-01-29 19:30 | 日記 | Comments(0)

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昨日は 雪の日

なぜか ウキウキして

いつもは 閉めたきりの カーテンを開けて

雪の降る 様を 飽きることもなく 見ていました

みるみるうちに 真っ白になっていく 風景 を見ながら

心は いつになく 穏やかでした


私の情動は 脳の中の扁桃体を刺激して

海馬のチャンネル から

幾つかの 記憶を取り出してくれました

そう それは どこかで 見たことのある 風景でした



わたしの 10歳 の誕生日 (12月中旬)

その日は 朝から ボタン雪が降っていて

わたしは 窓枠に座って 一面 真っ白な その光景を 魅入っていました

空を見上げると 雪の色は 灰色をして ゆっくりと 落ちてきます

雪ってなんだろうね そんなことを 考えていました



わたしの 5歳頃 の元日の朝早く

一面の雪の中を 家族で 近くの 銭湯に行きました

丹前を着て 滑らないようにと 姉と手を繋いで歩いていました

『なんで 朝から お風呂屋さんに行くと』


そう 兄に聞くと

『お正月やけんたい』と 答えてくれました

(この頃 我が家は 元日の朝は銭湯に行くのが恒例でした)



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雪国の子供達



今朝は 少し 早めに 目が覚めました

外を見ると 雪はまだ残っていて 小雪が舞っています

ウキウキした 気持ちで 完全防寒 で 旗を持って 外へ出ました

子供たちの 楽しそうな笑顔が 目に浮かんできました

その異変に気が付いたのは 校門の近くに来た時でした

先生達の駐車場に 車がないのです

教頭先生が 近寄ってきて



『 おはようございます ニュースご覧なりませんでしたか

今日は 雪の為 休校なんです 』


『 えー そうだったんですか

雪だから はしゃいでいたのは 私だけでしたか 』


そう言って 二人で 大笑い したのでした

部屋に戻り 熱いココアを飲みながら

《 この国は やっぱり 何かを まちがえている 》

そんな事を 考えていました

なぜなら 子供達の 多くが いつもと違う 雪の日だから

学校に行って みんなと遊びたいと 思っている事を

私は 知っていたからです。







by nonkei7332 | 2016-01-25 14:20 | 日記 | Comments(0)


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一年のうちで 最も寒い 大寒の候です


七十二節気では

《 水沢腹堅 》(さわみずこおりつめる)

沢に厚い氷が張りつめる頃。

沢に流れる水さえも凍る厳冬。


福岡は 最低温度が −3度 最高でも 1度

北西の風が強く 雪が横から 飛んできます

この冬一番の 寒さですが

子供たちは 待ちかまえたように 外に飛び出してきました


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 淡雪の たまればかてに くだけつつ

  わが物思ひの しげきころかな

     (古今集 よみ人しらず)


【 私訳 】

淡雪は積もることなく 降っては崩れ 降っては崩れ

まるで 私の 積もることのない 淡い想いのようです


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by nonkei7332 | 2016-01-24 13:50 | 日記 | Comments(0)

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毎年 この時期に 志賀海神社 に詣でます

私にとっての 遅い 初詣で なのです

小雨の降る中を 参道を 歩いていると

町の人々が にこやかに 挨拶をしてくれます

今日は 『歩射祭神事』が行われているからでしょうか

普段より 幾分 参拝の人も多いみたいですが

テレビで見る あの 異様な初詣でとは 全く違う 風景なのです



経済最優先の 物欲に 塗れた この国にしたのは誰なのか

真実の祭神さえも変え

《商売繁盛》の守銭奴 に 堕落した

神社(神社庁) の罪を 私は 嘆きます


少なくとも そんな所には行きたくもない

そんな 頑固な男の 遅い初詣 の理由がここにあります



村の鎮守の神様の

今日はめでたい御祭日

ドンドンヒャララ

ドンヒャララ

ドンドンヒャララ

ドンヒャララ

朝から聞こえる笛太鼓

《 童謡「村祭り」》


自分達の誇れる 祖先神 を 町人が 総出で祝う

昔の 神社の 原風景が ここには まだ 残されています


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志賀海神社の『歩射祭』の起源は

その昔 安曇族が 敵対した 土蜘蛛を退治したことに由来します

奴国 と 狗奴国 が敵対していた時期もあったのでしょうから

それは それで うなずける起源ではあります

その後 多くの 国が 倭国 として 統一 されていきます

倭国王朝(九州王朝) は 仁徳天皇 のころ 全盛期を迎えたのでした

その中心的な存在が 安曇磯良 を始めとする 安曇の民だったのです

そこには 隠されてきた 多くの謎が 横たわっています



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熱いあめ湯 が 冷え切った身体を 温めてくれました

美味しかったです



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帰り道 参道の民家に咲く 蝋梅(ろうばい)の花が


春を 呼んでいるかのようでした

昔は 蝋梅の実を 子供たちが競うように取って 食べていたと

本の中で 読んだことがあります

あの緑の実を どんなふうにして 食べたのか どんな味がするのか

知っている人は まだいるのでしょうか


帰りのバスを待っていて 思いがけなく

志賀海神社の 平澤憲子権禰宜 とばったりお会いしました

和かな笑顔で 話しかけてくださいました


《 平澤さん(旧姓安曇) は

五年前に亡くなられた 安曇磯和宮司の妹さんです

55歳から 神職を学ばれたそうです 女性が宮司を継げないために

今は権禰宜として神社を守っておられます

今は 太宰府天満宮の西高辻信良宮司が宮司代行をされていますが

いずれは 御子息である 平澤幸興さんが

宮司を継がれることが 島民の願いでも あるそうです 》



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安曇の魂 を 誇り高く 護り続ける 志賀海の人達

そして その愛すべき人々を温かく抱く 磯良の海

ここには この国の 記憶の奥に眠る

故郷の風景が まだ 残っています







by nonkei7332 | 2016-01-18 16:10 | 日記 | Comments(0)

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初烏 (牡丹品種)




夕やけこやけで 日が暮れて

山のお寺の 鐘がなる

お手々つないで みなかえろ

からす と いっしょに かえりましょ


童謡の『夕焼け小焼け』です

日本人なら だれでも目に浮かぶ 原風景がここにあります

烏(からす) は 昔から 山の神のお使い だと言われていました

今では 嫌われ者の カラス も 昔は

人々を導く 御崎(ミサキ)神 と 呼ばれていたのです



初烏(はつがらす) というのは

元日の朝早く鳴く 烏のことを言います

冬の季節を表す 特に 元旦のおめでたい日の 季語 として使われます

元旦の宮内庁の朝賀や 即位式には 紫宸殿の南には

威儀を加える用具として『烏形幢』(うぎょうどう)という幢が

飾られます 三本足の烏 ヤタガラス です


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明治天皇御即位式図屏風
(ネルソン・アトキンス美術館蔵)


全国の神社でも 烏神事 が残っています

〈名古屋の熱田神宮〉〈近江の多賀大社〉〈安芸の厳島神社〉では

カラスに神饌 を供して年占をする 御鳥喰神事(おとぐいしんじ)が

今でも 行われています

神社以外でも東北や越後の 家々では

正月十一日の農立ての日の朝 今年苗代にしようと思う田に行って

初鍬をいれ 三ヶ所に 餅と神酒・洗米とを供えて

これを早稲・中稲・晩稲の三通りに見立てて置きます

そして 大きな声でオミサギ・オミサギと喚ぶと直ぐに烏が飛んで来て

その餅をくわえて行きます どの餅を先に持って行くかを見て

三種いずれの稲が本年は当り作であるかを決めるという

《烏勧請》(からすかんじょう) という 風習が残っているそうです


神々の御崎(ミサキ) としての カラス もまた 神を導く鳥として

人々に 敬われていたのでしょう



こういった 神事や風習 が古代史の謎解きをしてくれます

まずは 熱田神宮をはじめ この神事が残っている神社は

何れも 安曇族(海人族) と縁のある神社ばかりです

海人とカラス の繋がりでいえば

海に出た海人達が

霧の立ち込めた海で 陸を探すとき 舳先から カラスを放って

飛んでいった方を陸地だとした という話があります


海神 八咫烏(ヤタガラス) といえば


安曇の祖神 豊玉彦 です

神武天皇(九州王朝) を 支えた 御崎神 だったのでした


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初烏 (花菖蒲品種)


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初烏 (桜草品種)








by nonkei7332 | 2016-01-14 18:13 | 日記 | Comments(0)

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毎年 正月の二日は息子二人と 三人でお酒を飲みます

日頃 近くに住んでいない 彼等とは 積もる話をします

仕事の事。孫達のこと。そして 私の近況。

長男の住む 熊本八代の話から

私の《熊襲(くまそ)》の話が延々と 続いた後で

話題が 孫の名前に変わりました


『 《 颯 人 》(はやと) の名前は 薩摩隼人の隼人をイメージしたのか 』


と次男に聞いてみたら 彼は こんな 話をしてくれた


『 実はね 薩摩隼人 のイメージではなくてね

漢字を見たらわかるように〈風に立つ人〉と書くだろう

さだまさしの 『風に立つライオン』という歌 知っていると思うけど

どんな困難にも立ち向かっていく男の子 になって欲しいという意味で

つけた 名前なんだよ 』


初めて聞いた話でした 胸が熱くなりました

この歌のことは 当然知っていますし 小説も読んでいたし

去年 映画化された 映画も観ていたからです

私の中では 去年観た 映画の中で最も感動した 素晴らしい映画でした

久し振りの 涙腺崩壊 の 映画でした



さだまさしが1987年に発表した楽曲「風に立つライオン」

アフリカ・ケニアで国際医療活動に従事した 実在の日本人医師

柴田紘一郎をモデルに作られたこの曲は、

日本に残してきた恋人に宛てた手紙を

歌にのせ、壮大なスケールで綴る名曲です

俳優の大沢たかお が 原作者との交流を深め

「風に立つライオン」の小説化・映画化を熱望したことから、

今回のプロジェクトは始まったのです

彼の願いを受けたさだまさしが 同名の小説を発表したのは13年

そして今年 大沢たかお主演による念願の映画版が遂に誕生しました


物語の主人公は 長崎の大学病院からケニアの研究施設

熱帯医学研究所に派遣された日本人医師・航一郎。

周辺で戦闘が続くこの地で 心に傷を負った元少年兵と出会った彼は

少年と真っ直ぐ向き合うことで医師としての生き方を見つめ直します

銃や地雷で負傷した人々が次々に運び込まれてくる過酷な医療の現場で

アフリカの大地に向かって「ガンバレッ」と叫び

自分を鼓舞しながら常に前向きに生きる航一郎を

原作者が彼をイメージしてキャラクターを作り上げたという

大沢たかお が はまり役で演じています

日本とケニア。航一郎の少年時代 から現在までを結ぶ

雄大なスケールの作品 。一人の日本人医師がもたらす

人種も時間も超えた他人を思う心の奇跡を 是非その目で確かめてくだい

(東宝 website 映画情報より)











by nonkei7332 | 2016-01-08 21:15 | 日記 | Comments(0)


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磯良の海から
名島神社 葛城山 を 望む





新しい年が始まります


昨日までの 想いを おおい隠すように

葛城山 に かそのあかとき(黎明) が 拡がっていきます

この 地球(ほし) のどこかで

お腹をすかした 子供達の頬に 涙がひとすじ 光っています

恐怖 と 憎しみ と 諦め が 混じった


大人たちの ため息が聞こえてきます


《 生老病死 》

生きることは 苦しいことだという 前提で生きてごらん

楽しいことは たくさん あるからと 仏陀は教えてくれました

5年前 の 今日 ICU のベットの上で 絶望の淵にいた 私には

5年後 の 今日 の姿は 想像さえできませんでした

二人の息子に 友人に そして 多くの笑顔をくれた 子供達に

《ありがとう》という

この地球(ほし) で 最も 美しい 言葉をおくります

そして 今年こそ この地球(ほし) が

ありがとう の 言葉に 満ちあふれますように

そのために 私は 生きていきます


福岡出身の シンガーソングライター 相川理沙 さん

何度も お会いしましたが 笑顔が 素敵な人でした

「ひかり」という曲です

何度も聞きました そして 何度も 勇気をもらった曲です






aikawarisa.blog113.fc2.com/
相川理沙さん のオフィシャルブログ








by nonkei7332 | 2016-01-02 09:19 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ