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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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「味秀」さん




私は 酒飲みではありません

晩酌などもしないし 家の中には お酒と名のつくものは

どこを探しても 一つもありません


それじゃあ 下戸(げこ) なのかというと そうではなく

いわゆる 呑める口は もっているからです

いまでも 月に一度は 行きつけの店に行っては

古くからの友人と話したり 焼酎のお湯割りを 四、五杯 呑んでは

カラオケで 好きな歌を 二、三曲 歌っては 楽しい時間を過ごします

行きつけの店は 二軒だけです よほどの事がない限り

他の店には 行く事がありません




一軒目は 東区松香台 (香椎駅近く九州高校前のバス停そば)にある

『 味 秀 』(あじひで) さんです

店を出したのが 平成3年だそうなので 今年で 25年周年です

私は もう 20年近く通っているので 客の中ではかなりの古株でしょう

このお店のお気に入りは なんといっても 料理の美味しさと

ママさんの 家族的な 人柄でしょう

付け出しの小鉢一品も日替わりですが どれもが 満足できる味です

人気は「ロールキャベツ」「ホウレンソウのおひたし」などですが

私のお気に入りは なんといっても 「ポテトサラダ」

刺身も ヒラアジ か カンパチ と 決まっています

近くの九産大のイケメン男子学生のアルバイトも 好評なんです

嬉しいことに 毎年 正月の二日は 二人の息子と

「味秀」さんで 酒を飲むのが 恒例になっていて

いい酒と 息子達の歌を聴きながら 一年のスタートをするのが

私の 至上の喜びでもあるのです


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『新修 福岡市史 民俗編ニ』(2015年発行) の第四部「歳月」の中で

「味秀」さんの記事が出ていました

日々のお店の様子を 日記みたいに ママさんが 綴ってありました


某月某日

今日の一番目のお客さんは Cさん。はじめての来店が二年ほど前。

脳梗塞で右半身にかなりの麻痺が残り、杖をついての来店。

不自由ながら会話もふえて、月一の来店が週一になり、

一回の時間も長くなり、楽しんで下さっている様子です。

そこへ Dさんが来ました。彼も 同じ病気を二年前に経験しました。

もともと 歌が好きな方で、リハビリ中は「店で歌うぞ !」が

目標だったそうです。病後にはじめて来店された時には

大変だったろうと思いをめぐらすと、涙が出てきました。

すばらしい回復ぶりでした。

合わせたかのように リハビリの仕事をしている E君 来店。

お互いの立場が理解しあえるので 話がはずみます。



ママさんの 暖かな人柄を偲ばせる 記事でした

この中に出てくる Dさん という客は どうやら 私のようです



私がいつも飲む 焼酎の 大好きな TVCM です










by nonkei7332 | 2016-05-19 17:06 | 日記 | Comments(0)


《 たのしみは 妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて物をくふ時 》



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橘 曙覧 (たちばなのあけみ)

(1812~1868)


幕末の歌人です 福井の商家の長男に生まれますが

幼くして 父母を失い 家督も 弟に譲り 隠遁生活をおくります

妻子五人の極貧の中で 日々の生活の〈たのしみ〉を52首の歌で綴った

『 独 楽 吟 』(どくらくぎん) が特に有名です

どれも「たのしみは」で始まる一連の歌を集めたものです


52首の中から 私自身の「たのしみ」を10首 探してみました



たのしみは 草のいほりの筵敷き ひとりこころを静めるとき

たのしみは 空暖かにうち晴れし 春秋の日に 出であるく時

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで無かりし花の 咲ける時

たのしみは 心にうかぶ はかなごと思い続けて煙草すうとき

たのしみは 物識人に稀にあひて 古しへ今を 語りあうとき

たのしみは 心をおかぬ友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき

たのしみは 昼寝せしまに庭ぬらし降りたる雨を 覚めてしる時

たのしみは 常に見なれぬ鳥の来て 軒遠からぬ樹に鳴きしとき

たのしみは 庭にうえたる春秋の 花のさかりにあへる時々

たのしみは 神の御国の民として 神の教えを ふかくおもうとき




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《 若葉さす ころはいづこの山見ても 何の木見ても麗しきかな 》

橘 曙覧(春明艸524)


若葉が萌え出ずる季節は どの山を見ても どの木を見ても 美しい








by nonkei7332 | 2016-05-11 14:42 | 日記 | Comments(0)


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白秋詩碑 (柳川市矢留本町)





北原 白秋 (1885~1842)


日本を代表する 詩人・歌人・童謡作家 として

多くの人に 愛された 白秋は

生涯 故郷 柳川 のことを忘れる事はありませんでした



『 帰去来 』


山門は 我が産土

雲謄る 南風のまほら

飛ばまし 今一度


筑紫よ かく呼ばへば

恋ほしよ 潮の落差

火照り沁む夕日の潟


盲ふるに 早やもこの眼

見ざらむ また葦かび

籠飼 や 水かげろう


帰らなむ いざ 鵲

かの空や櫨のたむろ

待つらむぞ 今一度


故郷やそのかの子ら

皆老いて遠きに

何ぞ寄る童ごころ







詩碑苑 の中に「帰去来」の解説文があります



山門(やまと)は自分の生まれ故郷である。

雲は湧き騰り南風(はえ)は常に吹き通う明るい土地柄である。

かって自分は飛行機で訪問したことがあったが、

ああもう一度、あの空を飛びたいものだ。


筑紫よ、国の名を呼び掛けると、もうそれだけで、

落差激しい潟海が思い出のなかに見えてくる。

夕日の反射を受けて光っているあの海が恋しくてならぬ。


だが、今の自分の両眼は早や盲いて、

二度とそれらをうつつに見ることはできないであろう。

あの水辺の葦(あし)の芽だちも、籠飼(ろうげ)も、

水かげろうも・・・


それにしても帰ろう。鵲(かささぎ)よ、

さあ、お前と一緒に帰ろう。

あの空、あの群れ立つ櫨(はぜ)の木が今一度、待っているであろうよ。


ああ、故郷。昔馴染みの誰彼もみな年老いてしまったし、

それに海山を遠くへだてて年ごろ疎遠になっているというのに、

どうしてこうも子供のように頑是なく、

故郷に心ひかれる自分なのであろう。


(解説-藪田義雄氏)


(註) 籠飼(魚などを捕るカゴ)



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北原白秋





白秋 52歳のころ 糖尿病 腎臓病により眼底出血のため視力を失います

「帰去来」は 薄明の中 故郷柳川への激しい憧憬を歌った詩です

母校 矢留小学校に隣接する詩碑は

同郷で 芥川賞作家の 長谷 健(1904~1957) が建設委員長をつとめました

長谷健と古くからの友人だった 作家 宮崎康平 は 夫人と共に

白秋詩碑に訪れた時のことを こんな風に綴っていました




からたちの若葉は バルサムのような香気を発散していた。

私は犬のように鼻をクンクン鳴らして あたりの葉先を

行きつ戻りつ しばらく嗅いでまわった。

雨上がりの空は底知れず澄んでいるらしく 雲雀が何羽もさえずっている。

詩碑の周囲に植えられた からたちの幹は

思ったよりがっしりと育っていた。

程よく剪定された枝の棘を気にしながら 私があちこちを触っていると

背後で妻が 碑面の朗読をはじめた。・・・(中略)・・・

「盲ふるに早やもこの眼、見ざるむまた葦かび、籠飼や水かげろう」

と、私も思わず 妻の声に和していた。

「盲ふるに早もこの眼」という言葉が

棘のようにグサリと喉に突き刺さる。

こらえようとしたが われ知らず、熱いものがこみ上げてきて、

どうする事もできなかった。





視えないものを 必死に 観ようとした

三人の作家 の 想いのむこうに

古代国 邪馬臺 が 横たわっています












by nonkei7332 | 2016-05-10 12:01 | 日記 | Comments(0)


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18歳 の 母の写真




母さん 憶えていましたか

8日が 母の日 だってことを

母を亡くした 哀しき 息子は

一輪の 白いカーネーションを

そっと 貴女の写真の前に 置いています



母さん 知っていましたか

私が 病に 倒れ

右手の爪を 自分では 切れなくなったことを

『 母さんには 黙っておくぞ 』

兄の言葉に 無言で 頷いていたことを



母さん 知っていましたか

やっとの思いで 自分で 靴紐を結べるようになった日に

病室の 貴女を 足を引きずりながら 訪ねた日のことを

私の顔を見て 和かに 微笑んでくれたあとに

『 誰かいな 』の ひと言 で 私の心が 凍りついたことを



母さん 憶えていますか

小学校の学芸会で 私が 『裸の王様』を演じた日のことを

前の晩 遅くまで 古いカーテン生地で マントを作ってくれましたね

『嬉しかった』の ひと言を

言えなかったあの日のことを



母さん 知っていますか

母さんのことを あまり 好きにはなれなかった


と 言った 姉 が

最近 貴女に 似てきたことを

貴女が いつも歌っていた

『みかんの花が咲く丘』を この前 歌っていました

貴女と同じように 下手な歌 でした



五月の空は 雲ひとつなく

窓を開けると 柔らかな風が

近くの藤棚から 甘い香りを 運んでくれます




今から 海のそばの

おばあさんの 家の 庭の草取りに行きます

貴女に似た 可愛い人です





母さん 知っていましたか

貴女を想うとき

私はいつも この海を見に来ます

海 の 中には どんなときでも

そこに 母 がいるからです





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今年の 母の日は 5月8日 でした

間違えて すみません。




by nonkei7332 | 2016-05-01 10:42 | 日記 | Comments(0)


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トン族 の 少女




福山雅治 が 次に訪れた 所は

中国 貴州省 占里村(せんりむら) でした

少数民族『 トン族 』と呼ばれる 人たちが住む

山に囲まれ 鼓楼 と呼ばれる 村の聖地を中心に

700人ほどの 村民からなる 小さな村 です

ここも 独自の文字をもたない 「トン族大歌」という 歌で

村の歴史 や 文化を伝えてきた 人たちでした

幾重にも重なる 棚田 で もち米を作る人たち

古き 日本の 農村をコピーした様な 風景がそこにはありました

人々は 祖神を そして 山の神 地の神を 祭っていました


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村に入るには 川に架かる 「 風 雨 橋 」と呼ばれる

屋根付きの橋を渡らなければならないといいます

その姿を テレビの画面で 見た時

私の中で 幾つかの記憶が 繋がり

それは ひとつの確信に繋がっていったのでした

『 あの橋 と いっしょだ 』

私の記憶は かつて 見たことのある

あの橋を 思い出していました

その橋とは 宇佐神宮 の 寄藻川(よりもがわ)に架かる

「 呉 橋 」(くれはし)です

いつの時代に造られたのか 解らないとされ

ただ 呉の人が造ったと 伝えられる 謎の橋です


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宇佐神宮 呉橋



中国春秋時代 「呉越同舟」と言われる様に

仲の悪かった「呉」も「越」も 同じ風俗 と 文化をもつ

同じ 民族 だったのです

呉越 の 末裔は 海を渡り 倭人となりました

山に追われた人々は 奥へ奥へと 迫害を逃れ

少数民族 となって そこに 山里を築きました

そのひとつが 「トン族」だったのでした



そういえば 倭人もまた

独自の文字をもたない 人達 だったのです

日本における 文字の起源 といえば 万葉仮名 が最初です

やがて そこから 片仮名 平仮名 が生まれます

とすると 万葉以前の人達は 「トン族」と同じように

山の神を祀り 水の女神を祀り


神の使いである カラスに

その年の豊作を 託した 人々だったのでしょうか

そこには 祖神を伝承する 「歌」があったのかもしれません



番組では 300人の トン族の合唱隊 と

「トン族大歌」の代表曲である 「セミの歌」をバックにして

福山雅治 が 自分の歌 「明日へのマーチ」を歌いあげます

ひとつになった 歌声は やがて ひとつの 絆となって

山の木々 山の神々 と繋がり

私の魂の中で ひとつの 感動となっていったのでした



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by nonkei7332 | 2016-04-17 07:11 | 日記 | Comments(0)


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ヨルング族の踊り




3月25日 NHK の SONGS スペシャル

『 福山雅治 SONG LINE 歌い継ぐ者たち 』

という番組を見ました。

最初は 福山雅治 の 特別番組だと思っていましたので

そのうち 見てみようと思って 録画していたのです

昨日 思い出して 観てみました

予想とは違い 奥の深い ドキュメンタリー番組だったのです



人はなぜ歌うのか 人類にとって 歌うとは何なのか

福山雅治が 独自の文字を持たなかった 二つの民族を訪ね

人類における歌の起源に迫るという 壮大なテーマの番組でした



福山が訪ねた最初の訪問地は

オーストラリアの北西部 アーネムランド

先住民〈アボリジニ〉の住む《ヨルング族》でした

彼らは 今でも 狩猟生活を営みながら

歌い継がれた 神話や伝承を 文字ではなく

歌う事と踊る事で おそらく 何千年も 語り繋いできた人達で

私が最も 驚いたのが ヨルング族に伝わる 神話の歌と踊りです

古老のソングマンが語る 物語は こんな内容でした



『 虹蛇(ニジヘビ) の 物語 』


はるか昔 遠く旅をして 虹ヘビ が やってきました

虹ヘビ は 休憩をとるために ある 一本の木に近寄り

そこで 嵐を巻き起こし 雷をおこします すると そこから

水が湧き上がり 泉があらわれ 泉は大地を潤します

( 虹ヘビによってもたらされた水源を レインボーリバーといいます)

子供たちは 聖なる水で 水浴びをします

そこに 神の使いの鳥(キジ・カラス)が飛んできて 沢山の葉 を集めます

鳥たちが 住処(すみか) に戻る時 大地を 風が吹き抜けていきます



儀式(祭り) には 必ず 最初に この物語を 歌い 踊るといいます

踊りでは 二本の棒 を持った 虹ヘビ(二人の男)の後を 女たちが 続きます

木のそばに来ると 虹ヘビは 二本の棒で 木を叩き折ります

(虹ヘビは女神の様に思えます 二本の棒は 稲妻を表しているのでしょう)



私の驚きは この物語が

日本の古代神話 との共通点が多いということでした

一本の木とは 山 を想像させます

虹 という漢字はなぜ虫偏なのかの意味も よくわかります

日本の伝説でも 虹 は 蛇 の化身だといわれていましたし

その姿は 龍 そのものです 龍神は 日本古代神話では

罔象女(ミズハノメ)という 山の神です

すべての 水の起源 を取り仕切る 女神でした

子供達が 聖水で水浴びする姿は 禊(みそぎ)の儀式とダブります

神の使いのカラスが 葉(恵み)を集める などは

導きの神 八咫烏(やたがらす) 豊玉彦 の姿を連想してしまいます



番組では 福山雅治が 日本の魂の歌だと言って 彼らの中で

自分の歌「クスノキ」を 歌います

(詳しくは 去年の8月9日に「被爆クスノキ」という記事にしています)



言葉もわからない ヨルング族の少女が

目を閉じて その 歌 に 聞き入っていました

この歌 に秘められた 木の神 の魂を

人類すべての 平和への叫びの 願いを

その小さな体で 必死に 受け止めようとしているその姿に

私は まぎれもなく 感動していました


それを 可能にしたのは

文字でもなく 言葉でもなく

人類共通の言語である

歌 だったのです






by nonkei7332 | 2016-04-14 11:30 | 日記 | Comments(0)

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ユキヤナギ



《 枕草子 》の有名な冒頭です


春 は あけぼの

ようよう 白くなりゆく山際 少し明かりて

紫だちたる雲の 細くたなびきたる


【口語訳】

春は明け方が良い。

日が昇るにつれてだんだんと白くなる、

その山の辺りの空が少し明るくなって、

紫がかっている雲が長くたなびいている様子が良い。


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《春分の日》とは 暦の始まりとして

新たな 一年のスタートとなります

日本の地方には 古くから 『日天様のお供』という風習があります

先ずは早朝 東にある 宮に行き 日の出を拝みます それから 南へ歩き

夕刻は 西の地にて 日の入り を拝み 家に戻るという 日祀りです

彼岸の中日に 一日かけて 新たな気持ちで 太陽を迎え 太陽を送るという

きわめて 素朴な風習だけに 私にもできそうだと思いました



私 の 博多における 「日天様のお供」プランです


志賀海神社 の 遥拝所から


二上山(立花山・三日月山) に昇る日天を拝みます


それから 南へ向かい 箱崎八幡宮で 〈お汐井とり〉をして


そして 夕方には 糸島二見浦に沈む 日の入りを拝んで帰ってくる


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辛夷の花



百花繚乱の春 は まじかです

ユキヤナギ や 辛夷の花が 綺麗です



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ユキヤナギ (フジノピンク)









by nonkei7332 | 2016-03-20 16:26 | | Comments(0)



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この 季節 は

たくさんの 『ありがとう』の言葉に包まれます

その 最たる 場所といえば 小学校の卒業式 かもしれません

今年も 私は その場所にいました

子供達は 両親や 先生達や 友達に 『ありがとう』の言葉を残して

学び舎を巣立って行きました

その 一人ひとりの 後ろ姿に 私が かけた言葉も やっぱり


「毎朝 元気をくれて 『ありがとう』」でした

日本語で もっとも 美しい言葉といわれる


『ありがとう』という言葉は

人として 生まれて 最初に 覚える言葉のひとつでもあります



『ありがとう』の 言葉の意味を 語源辞典にはこう書かれていました


《 ありがとうの語源は 形容詞「有り難し(ありがたし)」の連用形

「有り難く(ありがたく)」が ウ音便化して ありがとうになった

「有り難し」は「有る(ある)」ことが「難い(かたい)」という意味で

本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味を表した

『枕草子』の「ありがたきもの」では「この世にあることが難しい」

という意味 つまり「過ごしにくい」といった意味でも用いられている

中世になり 仏の慈悲など貴重で得難いものを自分は得ている

というところから 宗教的な感謝の気持ちを言うようになり

近世以降 感謝の意味として 一般にもひろがった 》


おそらく 『有り難し』とは

原始においては 人知人力を 超越した 自然神に対しての

畏敬の念をこめた 祈りの 言葉だったのかも知れません

古代神 は 多くの恵みをもたらす 《山の神》でした

山の神とは 〈火の神〉でもあり〈水の神〉でもありました

〈火〉は 産鉄の神であり 〈水〉は 農地を潤す 水源の神 でした

そして 人々は この神が「荒ぶる神」だという事 も知っていました

〈神の火〉は ある時は 火を噴く山となって 全ての大地を消し去り

〈神の水〉は 山を崩す 山津波となって ある時は 全てを飲み込む

津波 となって 全てを流していったのでした

『有り難し』神の両刃の剣に 人々は 一喜一憂 したのでしょう

人は 荒ぶる神 の 鎮魂 するために 神を《祀り》(まつり)ます

《祭り》はこうして生まれました それは 吉兆を占う場所であり

〈火〉や〈水〉で 穢れを祓う 禊の場所でもありました



この国は 近年 《荒ぶる神の火》の恐怖を二度も体験しました

最初の 体験は 《 原爆 》でした 人類が初めて 体験した 惨事でした

人知人力を超越した 〈神の火〉である 《原子の火》でした

それは 決して 人が 踏み越えてはならぬ 〈神の火〉の 領域だったのです

そして 二度目の恐怖は 《 原発 》です

5年前 の 3月 封じ込めたはずの 〈神の火〉が メルトダウン した

あの 88時間の恐怖は 人類が初めて体験した 恐怖だったのでした

原子力が 《荒ぶる神の火》だと 知った私達が

今 すみやかに とりあえず やらなければならない事は

〈原爆〉も 〈原発〉 も『止める』という事です

そして その次にやらなければならない事とは

〈神の火〉への 鎮魂 の祈りなのです



井上陽水 が歌った 『 最後のニュース 』という歌があります

1989年につくられた 歌ですが その中で 彼は こう 歌っています



原子力 と 水 と 石油達の為に

私達は 何をしてあげられるの


今 あなたに Good Night

ただ あなたに Good Bye



彼が歌う「あなた」という 相手が「神」だとすれば

この歌は 鎮魂の歌 なのかも知れません











by nonkei7332 | 2016-03-20 11:43 | 日記 | Comments(0)

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紀の川市 西行法師像





桜 の開花予報が出されました

今年の 福岡 は 3月23日です(旧暦 2月23日)


一昨日の日曜日 3月12日は


旧暦の2月(如月)15日 朔望は 満月でした

2月15日は 釈迦の入滅の日であり

仏教寺院では 涅槃会(ねはんえ)法要が営まれます

釈迦は 沙羅双樹の木の下で 亡くなられたといいます

ちなみに 如月の望月 というのは 今年は 3月12日ですが

去年は 3月23日 で 一昨年は 4月4日でした


後鳥羽上皇 に 『生得の歌人』(生まれついての歌人)と呼ばれた

ひとりの男がいました

『 西 行 』(さいぎょう) です

〈新古今和歌集〉には 最多の94首もの歌が 納められています

42歳 の時 後世 辞世の句 ともいわれる 歌を詠みました


《 願わくは 花の下にて 春死なむ その 如月の望月のころ 》


【 通釈 】

願わくば 桜の花の咲く樹の下で 春に死にたい

それも 釈迦の入滅された 如月(2月)の満月の日に


西行法師 は 佐藤義清(のりきよ)という 武士でした

御所を護る「北面の武士」と呼ばれる 精鋭部隊に属し

将来を約束された エリート 高級官僚だったのでした

歌道に非凡な才能を持ち 流鏑馬の達人でもあり

同期の武士に あの 平清盛 もいたのでした

22歳の時 すべてを捨てて 出家します

理由は 謎です いろいろ言われていますが


皇位継承の争いに嫌気をさしたとか

友の死に立会い 人生の無常を感じたとか

想いを寄せていた 待賢門院(崇徳天皇の母)に失恋したとかですが

本当のところは ・・・本人に聞くしかありません

法号は 阿弥陀仏のいる 西方に向かうという意味の

〈西行〉と名乗りました

旅 と 桜 をこよなく愛した 歌人でした



《 いかで我 この世のほかの思ひいでに 風をいとはで 花をながめむ 》


【 通釈 】

私はどうすればいいのか 来世へ持ってゆく思い出として

風の心配をせずに 心ゆくまで桜の花を眺めてみたいものだが


《 葉隠れに 散りとどまれる花のみぞ しのびし人に 逢ふ心ちする 》


【 通釈 】

葉隠れに散り残っている桜の花だけだろう ひそかに恋い慕っていた人に

出逢った心持になれるのは

( 恋い慕う女人とは 待賢門院 の事です 生涯 片恋を貫いた人でした )



《 仏には さくらの花をたてまつれ わが後の世を 人とぶらえば 》


【 通釈 】

仏となった私には 桜の花を供えてほしい

わたしの後世を 誰か弔ってくれる人がいるならば


建久元年(1190年)2月16日

西行 73歳の時 波乱の人生の幕を閉じます

釈迦入滅の日の1日遅れでした

この日 桜 が 満開で 満月 であったのかは


誰にも わかりません


来年の 旧暦 2月15日 如月の望月 は 3月31日です

来年こそ 満開の桜の下で 西行 を偲ぶことができるでしょう



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桜はまだですが
杏(あんず) の花が 咲き始めました






by nonkei7332 | 2016-03-15 12:35 | Comments(0)

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『 平成28年第5週(2月1日〜2月7日)

感染症発生動向調査に基づく インフルエンザの1定点あたりの

患者報告数は「59.14人」となり、

警報の開始基準値である「30人」を超えました 』

福岡市が発表した

そういえば 子供達のマスク姿も多くなって 咳をしている子もいる

気候も 三寒四温の連続で

大人であっても体調の管理が難しい日が続いていて

用心しなければと思ってはいるものの

外出後の 手洗い うがい をしていたかといえば

はっきり言って NO である

17日朝 眼が覚めると ちょっと 様子が違う

近年 咳き込む事も無かったのに 咳が出る

それも 胸に響くかすかな痛みもある

熱を測ると 平熱だったが ちょっと寒気もする

用心するに越した事はないというから

ボランティアを他の方に お願いし さっそく 主治医の元に駆けつけた

毎月一度は 必ず 訪問するようになって 4年になるから

私の身体の事はよくご存知な先生である

改めて 薬手帳を見ても 風邪の薬を処方された 記録もない

『 先生 口惜しけれど やっちまったみたい 』

『 日頃の慢心が油断を招くと言いますからね 』と笑っておられたが

もし明日になって 熱が 38度をこえたら インフルエンザ感染の

疑いがあるので また来てください 検査しますから と言われて

一応 普通の風邪薬の処方をしていただいた

子供の頃 父がよく言っていた

『 風邪なんてものは 力一杯食べて 力一杯寝たら 治る 』

そう思ってみたものの なぜか 食欲も無く

お粥と白菜の漬物だけで済ませた

悪寒がする ので 熱を測ると 38.3度 。

週末に予定していた イベントに行けないどころではない

そのうちに 腰や背中が痛みだしてきた 満身創痍 だ

考えてみたら 独り住いの病気程 心細いものはない

かといって 救急車を呼ぶほどでもないから ひたすら我慢と決めた

翌朝 熱を測ると 39.1度 すぐに 病院のベットに転がり込んだ

やがて 看護婦さんが来られ 検査しますと言って

鼻の中に 検査棒を突っ込んで 15分ほどでわかりますよと言われた


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先生が来られて 『 インフルエンザA型 です 』と 言われ

注意する事をいくつか言われたが よく覚えていない

『 良くならないなら また来てください 水は飲んでますか 』

と聞かれたが 返事に躊躇していると

『 点滴をしますので それが終わったら帰られていいです 』といわれた

何年ぶりかの点滴だった

一滴一滴 管を通して 私の中に入ってくる ブドウ糖 をみていると

睡魔がやってきて 寝てしまったようだ 眼が覚めると 点滴も終わり

幾分 楽になったような気がした

帰りに 処方された薬が 『 タミフル カプセル 75 』

意識障害などの 副作用もあるといわれた 薬だが

今はこれに頼るしかないと思った


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タミフル



今日は 昼まで 寝ていた 喉の痛みと 咳は 少し残っているが

熱を測ると 平熱 だ タミフル の効用には 驚く

発症して 48時間以内の服用だと 重症化を防ぐ事ができるとあるから

早めの検査が良かったのだろうか

先生に電話で報告すると 『 2、3日 安静にしとくように 』といわれた

日本の諺に

『 禍は 口より出でて 病は 口より入る 』とある

エチケットマスク 忘れないようにしよう












by nonkei7332 | 2016-02-20 18:00 | 日記 | Comments(2)

by ヒサミツ