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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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能面 「般若」「山姥」 (福岡市博物館所蔵)




今日は 《節分》です

そもそも 〈季節を分ける〉日のことを言ったので

年に四回の節分があるのですが そのうち 一年の始まりとされる

〈立春〉の前日だけが 節分として 残っています

暦の上では 今日は 大みそか みたいなものですね


さて 先日は 《 鬼 》の話をしました

鬼は 山の幸を麓の村にもたらす 山の神の使いだといいましたが

もう一人 山に棲む 怖い 妖怪 の姿をした 山の神がいます

それは 《 山 姥 》(やまんば) です

昔ばなしには 鬼や山姥の話が多く残っています

そんな昔ばなし の中には こんな お話がありました



《 節分の鬼 (岩手の話) 》


昔、ある山里に、

妻も子供にも先立たれた一人暮らしの貧乏な爺さんがいました。

爺さんは毎日二人の息子のお墓にお参りすることだけが楽しみでした。

やがて冬になり、村はすっぽりと深い雪に埋もれ、

爺さんもじっと家の中に閉じこもっていました。

節分の日、寂しさに耐えられず、爺さんは雪に埋まりながら

二人の墓参りに出かけました。村のどの家からも

『鬼は外、福は内』と楽しそうな家族の声が聞こえてきました。

爺さんはしみじみ一人ぼっちが身に染みて、

涙があふれて止まりませんでした。

墓参りから帰った爺さんは、息子が生きていた頃に作ってくれた

鬼のお面を取り出して、昔の楽しかった時を思い出していました。

『妻も子供ももういない、ましてや福の神など どこにもいやしねえ』

そう思った爺さんは、鬼の面をかぶり、

わざとあべこべに叫びながら豆をまき始めました。

『鬼は内!福は外!』

すると、爺さんの家に誰かが訪ねてきました。

それは、節分の豆に追われた鬼たちでした。

この家に客人とは何年ぶりでしょう、

たとえ鬼でも爺さんは嬉しくなりました。

鬼たちはみんな爺さんの家に集まり、持ってきた甘酒やご馳走で

大宴会が始まりました。やがて朝になると、鬼たちは

「来年も来るから」と上機嫌で帰って行きました。

やがて春になった頃、爺さんは鬼の置いて行ったお金で

二人の墓を立派に作り直しました。そして

『おら、もう少し長生きすることにしただ』

『来年も鬼を呼ばないといけないからなぁ』

と晴れ晴れした顔で言いました。

(日本昔ばなし より)





《 ちょうふく山 の 山んば (秋田の話) 》


ちょうふく山に住む 山んば が子どもを産みました。

ふもとに住む村人に祝いの餅をもって来いといいつけると

村人は餅をついたものの、誰も怖がって持っていこうとしません

村一番の乱暴者のカモ安と権六に頼むことになりましたが

二人とも山んばが怖くて、道を知らないから行けないとごねました。

そこで、村一番の年寄りの杉山の 大ばんば が

道案内役としてついていくことになりました

山を登っていく途中で山んばの声が聞こえると、

カモ安と権六は 大ばんば と餅を置いて逃げていってしまいました

大ばんば は しかたなく餅をその場において、頂上まで行き、

山んばの家を訪ねて、事情を話しました

すると昨日産まれたばかりの まる という子どもが

ひとっ飛びで餅を担いで帰ってきました

その後 大ばんば は 山んば に引き留められて二十一日間

山んばの世話をして、そのお礼にと錦の反物を貰って帰ってきました

村に戻ると おばんば が死んだものと思われていて

ちょうど おばんばの葬式をしているところだったのです

大ばんば は事情を話して、

山んばからもらった錦をみんなにも分けてあげました

不思議なことにこの錦の反物は

いくら使っても なくなることがなかったといわれています

(日本昔ばなし より)


鬼と山姥 は 昔ばなしの中では 温かい心をを持った

麓の村に 多くの幸を届けた 神々として生きていました

特に 山姥伝説は 山の神は 女神だったことを 教えてくれます

そういえば 富士山の神は 浅間神社の 祭神

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)でしたし

脊振山の脊振神社の神は 市杵島姫(いちきしまひめ)でした

宝満山の竈門神社の神は 玉依姫(たまよりひめ)

香春岳の香春神社の神は 辛国息長大姫(からくにおきながおおひめ)

別名を 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ) あの 稲荷の女神です


このように 山の神は 女神 ばかりです


だとすれば 山姥 は どんな 女神だったのでしょう


昔ばなしの中には 餅と反物 を交換していましたね

機を織るといえば 七夕の起源とされる

《棚機津女(たなばたつめ)の伝説》があります

棚機津女とは 七月七日に訪れる神様を迎えて祀るため

町や村の乙女が水辺の機屋に籠もって機を織るというものです

七月六日に訪れた神様は 翌日の七日に帰ります

このとき水辺で禊ぎ(みそぎ) を行うと

災難とのかかわりを取り去ってくれると考えられています

もう一つ《山姥の洗濯日》という 伝説があります

北九州では 暮れの十三日 または 二十日には 必ず雨が降るから

水を使ってはいけないとか 洗濯をしてはいけないとする日があります

雨を司る山姥(山神の巫女)の禊の日であったものだといわれています


山の幸と麓の村の幸を交換するのが 《市》の起源だとされていますが

この〈市〉の 名前がついた 女神が 一人 おられます

《 神大市姫 》(かむおおいちひめ)

別名を 大歳御祖神(おおとしおやのかみ)とも呼ばれています

この女神は 木花咲耶姫 のお姉さんです

あの 醜い 磐長姫(いわながひめ) と呼ばれた 女神です

龍神 とも呼ばれていて

辛国息長大姫(稲荷神) のお母さんです

実は 去年 京都の松尾大社の奥宮 松尾山から流れる 滝のそばで

この女神にお会いしました

そこは 身震いがするほどの 霊域でした

山姥の女神の名前が 書かれていました


《 罔象女神 》(みずはのめのかみ)



水の全ての禊を司る 女神


あの 《 瀬織津姫 》(せおりつひめ) ともいわれています


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松尾大社 滝御前



小さな頃の 我が家の慣例 元旦の朝 銭湯へ行く理由を

兄が言ったように 「正月だから」という意味で

なんとなく そんなものだと思っていました

最近 そのより深い 理由を知る事ができました

町の銭湯も少なくなりましたので 若い人は知らないでしょうが

昔の銭湯の 壁絵には 必ずといっていいほど

《富士山の絵》が描かれていました

長年 この富士山 だけの絵 を描かれていた人がこんな話をされていました


『この絵は 海でも 花でもいいわけではない

何故なら この絵は 宗教画だからです

富士山は 神の山です

山から流れ出る 神水で 心身ともに 浄めることは

禊(みそぎ) の儀式なんです 』


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銭湯富士山絵


今日は 節分の日 暦の上での 大晦日 だと いいました

昔のように 富士山の描かれた銭湯で

新しい季節の始めに 家族揃って身を浄めたいものですが

家族も 銭湯も もう 私のそばには ありません

時は いつのまにか ひとつの昔ばなしを 消そうとしています


妖怪にされてしまった 鬼 や 山姥 の 神

よみがえれ !! 祓い浄め の 水の女神よ !!

この 汚れきった 世の中を 洗い流すために








by nonkei7332 | 2016-02-03 12:09 | 古代史 | Comments(2)


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まんが日本昔ばなし より





私達のまわりには 沢山の 昔話がうごめいています

今は昔 で始まる 今昔物語ではありませんが

この国には 数えきれない 昔話が それこそ

八百万(やおろず) と言われるくらい 存在しているのでしょう


柳田国男さん は 「日本の伝説」でこう述べています


『 伝説と昔話とはどう違うか。

それに答えるならば、昔話は動物の如く、

伝説は植物のようなものであります。

昔話は方々を飛びあるくから、

どこに行っても同じ姿を見かけることが出来ますが、

伝説はある一つの土地に根を生やしていて、

そうして常に成長して行くのであります。』


昔ばなし といえば TBS系のテレビアニメ

『まんが日本昔ばなし』を よく見ていました

土曜日の 7:30〜8:00 という 時間帯でしたね

今でも オープニングの曲を覚えています

♪ ぼうや 良い子だ ねんねしな 今も昔もかわりなく

母のめぐみの 子守唄 遠い昔のものがたり ♪

市原悦子 と 常田冨士男 の独特の語りぐち がなつかしい

物語の総数が 1474話 もあったということを知って 驚いています

そのデータを調べてみると

タイトル数が多かった 物語でいうと


① 鬼 ・・・ 110話 《鬼がわらった(熊本)》《牛鬼淵(三重)》et

② 龍(竜) ・・ 73話 《小太郎と母龍(長野)》《龍の淵(宮崎)》et

③ 地蔵 ・・・ 72話 《笠地蔵(東北)》《身代わり地蔵(大分)》et

④ きつね ・・ 54話 《きつねの恩返し(奈良)》《ごんぎつね》et

⑤ 大蛇(ヘビ)・ 53話 《大蛇の棲む岩(岩手)》《大蛇の塔(山口)》et

⑥ 河童 ・・・ 29話 《河童の雨乞い》《河童のくれた妙薬》et

⑦ たぬき ・・ 27話 《狸の手習い(滋賀)》《たぬきのしっぽ(栃木)》et

⑧ さる ・・・ 27話 《サルの生き肝(山口)》《猿の恩返し》et


上位 の タイトルでもわかるように

〈鬼〉〈龍〉〈きつね(稲荷)〉〈大蛇〉〈河童〉

〈地蔵〉をのぞくと 出処は やはり 北九州 (筑紫) のようですね

多くの 伝説や昔ばなしが 海人達によって

全国津々浦々まで 拡がって

やがて その土地土地 の 昔ばなしとなって

伝え語られていったのでしょうか





by nonkei7332 | 2015-10-17 18:34 | 古代史 | Comments(0)


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遠野の里




若き頃 読んだ 『 遠 野 物 語 』を再読しました

明治43年 農商務省の若き官僚 『 柳 田 国 男 』
岩手県 遠野出身の大学生 佐々木喜善 から
故郷に残る119話にもおよぶ 民話や 神々の伝承を聞き
『 遠野物語 』という 記録集を 書きのこしました


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柳田国男




古代 遠野 は 山に囲まれた 湖だったといいます
やがて 長い時間が過ぎ 水が引き 盆地になります
縄文の頃 ここに 蝦夷 (えみし) が住んだことは 地名にのこる
アイヌ語が 教えてくれていると語られています

時は流れます
筑紫から 大和に朝廷を移した 一族は
仏教を中心とした
国造りに 奔走する中で 多くの 金 を
その権威を守る為に 必要とします
そこで 目をつけたのが 遠野 の金山 だったのでした
大道元年 ( 806年) 大和朝廷 は 蝦夷 を征服します
そして 捕虜として 大和に 連れてこられた
高度な 鉱山技術を持った 筑紫の工人達 を
その採掘の為に 遠野の地にも 送り込んだのでしょう
筑紫の 海の民 鉄の民 はこの地 に住むことになります
多くの 安曇の伝説 や 神 が この遠野にも
人々の 口から 口へと 伝承されていったのでしょう


遠野の三女神の伝説も然りです


大昔に 女神あり
三人の娘を伴いて 此の高原に来り
今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜
今夜よき夢を見たらん娘に
よき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに
夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを
末の姫眼覚めて窃に之を取り 我胸の上に載せたりしかば
終に最も美しき早地峰の山を得、
姉たちは六角牛と石神とを得たり。
若き三人の女神 各 三の山に住し
今も之を領したまふ故に
遠野の女どもは其妬を畏れて
今も此山に遊ばずと云へり

( 遠野物語 二話より)


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早池峰山


安曇族の守り神 宗像三女神 の 影 がここには見えます
中心となる 早池峰神社の祭神は
あの 瀬織津姫命 でした
朝廷に従属させられた 安曇の民は
傀儡の民として この山里で
水神を祀りながら 生きていくのですが
この地でも 賎民として 傀儡として蔑まれながらも
やがて 河童 を始め 多くの妖怪として 畏れられ
そしてまた 神として 崇められ
多くの 遠野の伝承として
人々の暮らしの中に 生き続けてきたのでしょう
歴史の中で 消されていった
安曇磯良 そして 瀬織津姫命
この国の 神の始まり が
遠く 遠野の里に 遠い記憶として
残されていたのでした



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柳田国男 は序文の中で こう語ります

『 願わくは 之を語りて 平地人を戦慄せしめよ 』

山に追われた 傀儡の民の
人 と 神(自然) とが 共存してきた
この国の 在り方を
経済至上主義 に毒された この国の 平地人よ
今こそ 思い出せと 叫んでいるようでした


明治29年に起こった 三陸大津波は
2万人の人命を奪い
平成11年の東北大震災の大津波は
1万5000人の命を奪いました


遠野の 遠い記憶の 物語は

この国の これからの 在り方を問う

警告の書 でも あったのです







by nonkei7332 | 2015-07-30 10:21 | 古代史 | Comments(0)



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マンガ日本昔話の『龍の子太郎』



信州長野の安曇野の里に 『龍の子太郎』という 民話があります

『龍の子太郎』 松谷みよ子作

むかし、むかしある山里に
おばあさんと太郎という子供が住んでいました。
ある日、太郎は おばあさんにたずねました。

『おばあさん、僕のお母さんはどこにいるのか
教えて下さい』

『もう少し大きくなったら教えてあげる。
それまで我慢しなさい 』

ある夏の日、太郎は村の子供たちと一緒に
山の中の湖に泳ぎに行きました。
湖の中に飛び込んだ太郎は
まるで魚のように自由に泳ぐことができました。

『太郎、お前のお母さんは竜だってぞ。
速く泳げるのは当たり前だ。お前は竜の子だ 』

子供の一人が言いました。
その言葉がいつも頭から離れませんでした。
ある日、太郎が畑で働いていると、
村人が湖を指差し言いました。

『 太郎、あの湖の水を流して 広いたんぼを作ってくれ
そうすれば米が取れる 』

太郎はいつかそうする決心をしました。
数年が経ち、太郎は立派な少年になりました。
おばあさんは太郎に本当のことをいう日がきました。

『 太郎 驚かないでくれ
お前の父は山に住んでいる白竜で
お前の母は湖に住んでいる犀竜だ
だからお前は神の子だ
お前の母は、お前を産んだとき、私に神の子ではなく
人間の子として育てて欲しいとあずけた。
お前は、力があるばかりでなく
人の気持ちがわかり、知恵も勇気もある。
あの湖の水を流して、広いたんぼを作ってくれ 』

『本当のことを言ってくれてありがとう。
友達に竜の子だと言われてきているから、
覚悟はできていました。
お母さんと力を合わせて、湖の水を流して
広いたんぼをきっと作る』

と 太郎は言いました。
次の朝、太郎は湖のほとりで母親を呼びました。
突然、湖が大きくゆれて、竜が姿をあらわしました。

『 太郎、私がお前が立派に育ったのを
湖の中から見ていました。
1日でもお前のことを忘れたことはありませんでした』

母親が言いました。

『 お母さん、どんなにお母さんに会いたかったことか
僕はお母さんと力を合わせて 湖の水を流して
広いたんぼを作って 村人にお礼をしたい 』

そう言うやいなや、太郎は湖に飛び込み、
お母さんの背中に飛び乗りました。

『 いいとも、お前と一緒ならどんなことでもできるよ
お母さんは岩にぶつかって穴をあける
そのため目が潰れるかも知れないから、
お前は背中の上でしっかりかじをとっておくれ 』

背中に太郎を乗せた竜は湖の中に潜ると、
あらん限りの力をこめて岩にぶつかりました。
その音は数日続き、母竜の目は潰れ、
湖は血で赤く染まりました。
とうとう岩は大きな音と共に砕け、
湖の水が滝のように流れ出しました

そして太郎を乗せた母竜は天に上っていきました




この民話の由来は 各地に残る
『泉小太郎伝説』だといわれています
江戸時代に書かれた仁科濫觴記』(にしならんしょうき)には
泉小太郎 の名前は「白水光郎」(あまひかるこ)の名が
書き誤られたものだとされています
《「白」・「水」の2文字を「泉」の1文字に、
「光」の1文字を「小」・「太」の2文字に》

志賀島の 『安曇族』がやがて全国にちらばり
信州を拠点としたのが 安曇野 だとされています
『イズミ』は 『アズミ』の訛りとされ
志賀島の海人のことを『白水郎』と書いて アマと呼びますが
《白水郎》→《白水光郎》→《泉小太郎》
と伝わっていったのでしょう
「目が潰れる」「湖が赤く染まる」などという話は
「鉄の民」を連想します

長野といえば 『御柱祭』で有名な 『諏訪神社」を思い出しますが
〈古事記〉に書かれた 国譲り物語の 大国主命の子である
建御名方神(たけみなかたのかみ)が祀ってある神社なのですが
(みなかた) → (むなかた) (宗像) とも読めるし
安曇族との関わりが ここにもみられるようですね

私は この民話を読んで 龍の子太郎 の姿に

どうしても

少彦名神」をダブらせてしまいます

筑紫の神 である 「少彦名神」(スクナヒコナ) こと

「事代主神」(コトシロヌシ)

「龍の都」と 呼ばれている 志賀海神社

古代筑紫神話 は 信州の安曇野にも 生きていました。






by nonkei7332 | 2015-06-24 09:27 | 古代史 | Comments(0)



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昔、あるところに、お宮がありました。

お宮のそばには塚があって、その脇にはお地蔵様が祀ってあります。

そのお地蔵様のうしろにには小さな洞があり、

狐の一家が住みついていました。

ある年の春の、とても天気の良い日のことです。

突然、そのお宮で結婚式が始まりました。

お宮での結婚式はとても珍しかったので、

大勢の村の人達が見物に集まってきました。

ところが不思議なことに花嫁さん 花婿さん 親族、

誰一人として知った顔がありません

雅楽や祝詞に合わせて、おはらいや三々九度もありました。

それからまもなく、日が照っているのに雨が降り出しました。

けれども、村の人達はこの結婚式を不思議に思い、

雨宿りもしないで見物しています。

花嫁の母親は、式の初めからずっと泣いていました。

式が終わると一行は、村の人達に頭を下げ、

泣きくずれる母親と花嫁を包むようにして引き上げていきました。

お宮の鳥居をくぐり、竹やぶの脇を過ぎ、堀を渡り、

そこから六体(ろくて)さんと呼ばれる 竹林の横を 通り抜けて、

その先の小さな塚に着きました。そのとたん

一行の姿がぱっと消え、

キャンキャンと狐の鳴き声が聞こえてきました。

そこで初めて村の人達は、

さっきの結婚式が『狐の嫁入り』だったとわかりました。

地蔵さん裏の娘狐が、六体さんの竹林の横の狐に、

お嫁入りをしたのです。

それからというもの、この村では 日の照り雨が降ると、

子供たちは人差し指を耳の上に立て、

狐の真似をしてピョンピョンはねながら


日の照り雨に 狐さんの 嫁らす

母さんな 泣ぁかす


といって、歌うようになったということです。



出典 : 『民話瀬高むかしむかし』松尾静雄著


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口之永良部島新岳噴火5月29日AM10:08 高久至さん撮影



『 天 泣 』(てんきゅう) とは「天気雨」のことです


雲ひとつない 空から 雨がふることです


原因は 地下の振動が 大気の振動につながって 湿度を変え


雨や雪がふってくる 自然現象だそうです


「無雲の雨」とか 「狐日和」とか の別名で呼ばれています


この雨が降ると


地震や 火山噴火が おこっているとの 記録があります。



最近 の 地震 や 火山噴火


どこかで 『狐の嫁入り』を見た人はいませんか?








by nonkei7332 | 2015-05-31 09:58 | 古代史 | Comments(0)


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長者の藤




太宰府の 昔話に 『 田中長者 』という お話があって
二人の 長者 がでてきます
今日は そんな 話をしてみます

《 田 中 長 者 》 日本昔ばなし より

昔、九州の太宰府に近い通古賀(とおのこが)という所に、
田中長者と言う大変な長者がいた。
その屋敷の広さと言ったら、使用人でさえ迷子になる程で、
また屋敷には数えきれないくらいの蔵があった。
そんな大金持ちの田中長者であったが、決して人に対して威張るという事はなく、
そのため村人や使用人たちからたいそう尊敬されていた。
ところで、この通古賀から山一つ隔てた隣村には、
これまた大金持ちの虎丸長者という長者がいた。
この虎丸長者は、田中長者とは対照的に、自分が金持ちであるという事を鼻にかけ、
いつも隣村の田中長者に対抗心を燃やしていた。
ある時、虎丸長者は自分の財力を通古賀の村人や田中長者に見せつけるため、
千人の使用人を引き連れて、太宰府の寺にお参りに行くことにした。
千人の長い行列は、太鼓や笛などを鳴らしながら、
にぎやかに通古賀の村を通り過ぎて行く。
さて、その太宰府からの帰り道のことであった。
虎丸長者が田中長者の屋敷の前を通りかかると、折から雨が降り始めた。
虎丸長者はちょうど良いと、田中長者から傘を千本借りることにした。
いくら田中長者でも、傘千本は用意出来ずに泡を食うだろうと思ったからだ。
ところが田中長者は、新品の傘を千本いとも簡単に用意して、
虎丸長者の使用人に持たせた。
これに悔しい思いをした虎丸長者、何とか田中長者に一泡吹かせようと、
今度は千人の大飯食らいを集めた。
傘を返すのを口実に、田中長者の屋敷に千人の大飯食らいを昼飯前に向わせたのだ。
これにはさすがの田中長者もさぞ困るだろう。ところがどうだろう。
田中長者の屋敷では、ちょうどご飯を多めに炊き過ぎたと、
千人の大飯食らいをもてなし、
さらに食べきれなかったご飯は、一人三つずつお握りにして渡し、
計三千個の握り飯をもらって帰って来たのだ。
これを見て、とても太刀打ち出来ないと思った虎丸長者は、
二度と田中長者と張り合おうとしなかったそうだ。



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武蔵寺



『 虎丸長者 』 どんな人?

藤原鎌足の子孫の 《 藤原虎麻 》(ふじはらのとらまろ) がその人です
初代の大宰帥(だざいのそち)(大宰府の長官) だといわれています
天拝山の麓にある 《 椿花山武蔵寺 》
虎麻 が 夢の中で 薬師如来が宿る霊木の精から
薬師十二神将像を作り 堂を建てて祀るようお告げがあったので
ここに寺を建てた これが武蔵寺の由来と伝えられています
ここには 「瑠璃姫伝説」という話が残っています
《 子供のいなかった 虎麿 は薬師堂にこもり 薬師三尊に祈り縋ったところ
その加護をえて 瑠璃姫 を授かったといいます
ところが疫病が流行り 瑠璃姫もこの流行病に罹り 虎麿はさらに薬師如来に祈願し続けたところ
ある夜、夢の中に一人の僧侶が現れて
「ここから東方に葦の生えている湿地があり、そこに温泉がある。
ここで入浴させれば、必ず病は治るであろう」と告げ、姿を消しました
早速 虎麿はその場所に行き茂った葦を刈り こんこんと湧き出る温泉を見つけました
その温泉に瑠璃姫を 入浴させると たちまち病気が治ったといいます
これが二日市温泉の始まりです》

天拝山・武蔵寺 は 私の大好きな 散策路です
(長者の藤といわれる 藤棚) (駐車場横の 深紅の寒椿) (新緑の山路)
(菅公が身を清めたという 紫藤の滝) 懐かしい風景がそこには 残っています
今は 「天拝山歴史自然公園」として 綺麗に整備されていて
遠く 万葉の風の中で 静かに 佇んでいます


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王城神社



《 田中長者 》どんな人?

菅公よりも 天智天皇よりも もっと もっと 昔の話になります
通古賀(とおのこが) あたりに住んでいた
大野県主 《 田中熊別 》(たなかくまわけ ) がその人です
もとより 太宰府が 「遠の朝廷」(とおのみかど) とよばれたように
通古賀 も 「遠の国衙」(とおのこが)と呼ばれた場所で 政務を司る
役所があったところでした
熊別は 四王寺山の向こうの宇美町に至るまでの 広い土地を おさめていました
通古賀にある 《 王城神社 》の「縁起」によると
玉依姫の子 神武天皇が 東征にあたり 四王寺山の山頂に仮宮を建て
ここに (事代主命) と (武甕槌命) を祀ったとされます
東征には 田中熊別も息子の(熊則)を伴って 援軍したとされています
四王寺山 の名前も 神武の初めての 仮宮だったので 「始王地 」
神武天皇の子供 (蚊田王) 出産に由来して 「始皇子」と呼ばれたと書かれています
田中の庄 宇美町は 蚊田の庄 に名前がかわったといいますから
「蚊田王」の産まれた場所も 熊別の所領であった 宇美町で
ほんとうは 応神天皇ではなく 神武天皇の子 蚊田王の産まれたところだと
「縁起」に書かれています
熊別 は東征後 通古賀にもどり 御笠川の支流である 鷺田川のほとりに
田中の森 という 墓に眠っているそうです
天智天皇は 大野城や基肄城を作った時に 四王寺山頂に祀られた
「事代主命」は 通古賀にある 王城神社へ
「武甕槌命」は 春日市の 春日神社に それぞれ 移されたとも書かれています


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昔話の行き着く先は『 遠の筑紫 』の物語になりました

小さな 王城神社の縁起ですが 神武天皇 から始まる
筑紫の謎がうごめいています










by nonkei7332 | 2015-01-19 15:42 | 菅公・太宰府 | Comments(0)

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法隆寺 百済観音像


百済から 多くの王子が 倭国にわたってきた

百済国最後の王である 義慈王の王子
「豊璋王」と「禅広王」を人質として倭国に滞在させた話は 史実として残っているが
そのほかにも 伝説や伝承として 百済王子の渡来話が 多くのこっている

崇神天皇の頃 岡山の吉備(きび)の里に
『 温 羅 』(うら)という 百済の王子が住んでいた
温羅は名のごとく 温和にして温厚な王であり 里人からは 吉備冠者(吉備火車)と呼ばれていた
この 温羅 を ヤマト朝廷は、凶暴で獰猛な悪鬼にしてしまう 『温羅伝説』という 話があって
あの おとぎ話 「桃太郎の鬼退治」の下敷きになる話なのだ



《 温羅伝説 》

むかし むかし
異国の鬼神が飛来して吉備の国にやってきた
百済の王子で 名を温羅(うら)といい 吉備冠者(きびかじゃ) とも呼ばれていた
目は豹のように輝き 髪は赤みを帯びた異様な姿であった
そのうえ温羅は火を吹いて山を焼き 岩をうがち
人間や猿を食い 美しい女を奪ったりする
そのような 温羅は 人々から大変恐れられていた
そこで 五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)というヤマト朝廷の将軍が
この温羅を退治することになる 五十狭芹彦命が「鬼ノ城」に向かって矢を放つと
温羅の放った矢と途中で食い合って落ち 勝負がつかない
住吉大明神のお告げに従い 一度に二本の矢をつがえて射たところ
一本の矢は途中で食い合ったが もう一本は温羅の左眼に命中した
温羅は大雷雨で洪水を起こし その流れに乗って逃げようとした
川の水は 温羅の傷から流れ出た血で赤く染まった
温羅が雉(きじ)となって山中に逃げるが 命(みこと)は 鷹 となってこれを追う
追い詰められた温羅は今度は鯉に姿を変え 川を下り始めたが
命はすばやく鵜になって鯉を追い ようやく温羅を捕まえた
絶体絶命 温羅はついに命に降伏し 自分の「吉備冠者」の名を奉(たてまつ)った
五十狭芹彦命は吉備津彦命になった
戦いに勝利した命は 温羅の首を串に刺してさらし首にした
ところが不思議なことに この首はいつまで経っても吠え続け
執念を燃やし続けてやまない
そこで命は家来の犬飼建(イヌカイノタケル)に命じて犬に食わせたが
ドクロとなっても温羅の首は吠え続けるのだ 命は釜殿の地下八尺あまりも掘って
その中に埋めたが 13年間唸(うな)りやまなかった
ある夜のこと 命の夢になかに温羅が現れて言った
「阿曽郷にいる わが妻の阿曽女に命じて お釜の神饌(しんせん)を炊かしめよ
幸いあれば豊かに鳴り 禍があれば 荒々しく鳴ろう」と
命がその通りにすると 温羅の首はやっと吠えるのをやめたという


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吉備神社と桃太郎



百済からは 仏教をはじめさまざまな 文化や技術 を学んで 国づくりをした
吉備の豊かな砂鉄資源の開発も 渡来人とその技術に負うところが大きかったと思う
「火を吹いて山をうがつ温羅が片眼を射抜かれた」とされているのは
〈赤い顔〉や〈一つ目〉といった「たたら製鉄」に従事する「鉄の民」の姿である
各地に残る 鉄の民 と 下流の農民 との諍いが この地もあって
そこに 便乗して 吉備の国を我が物にしようとした ヤマト朝廷の調略というのが
真実の姿なのかもしれない
全国に残る 《鬼退治》は このパターン が多い
温羅の祟りを鬼といって 畏れ 神社に祀る 地元の 吉備彦神社 には 吉備津彦命(温羅)が祀られている
神社を建立して これを鎮める それでも だめなら 物語をつくり 後世に残す
私達が知っている「桃太郎」の話は こうやって 伝承されてきたのであろう

鬼の祟りを鎮めるために 多くの神社を建てて これを 鎮める
これこそ 伝統的な日本的なソリューションなのだ

とすると この国で
もっとも 鬼 として畏れられ もっとも 多く 神として 祀られた渡来人は 誰だったのか
それは ( 鉄の民 土師氏 )を 先祖とする『 菅 原 道 真 』だったといえば 考えすぎだろうか


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by nonkei7332 | 2014-10-29 14:14 | 古代史 | Comments(3)

by ヒサミツ