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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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花菖蒲(はなしょうぶ)の花




『 いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)』
菖蒲や 杜若の花がよく似ていて 区別がつかないことから
このようにいわれているが
たしかに 花菖蒲(はなしょうぶ)と菖蒲(あやめ)は違う花だし
杜若(かきつばた)も違う花だし その見分けはとてもつけにくい

今日は 五月五日の端午の節句
今は「こどもの日」になっているが
もともと 端午の節句は 奈良時代に中国から伝わった風習で
季節の変わり目である端午の日に薬草摘みをしたり
蘭を入れた湯を浴びたり 菖蒲を浸した酒を飲んだり
厄よけに菖蒲や蓬で作った人形を軒下に下げたりして
邪気を祓ったりしたという
この時使った菖蒲は
実は 綺麗な花をつける これらの花とはまた違う種類の植物なのだ
一般には菖蒲草(しょうぶぐさ)といわれている
万葉集にでてくる「アヤメグサ」もこれと同じものだ
整理すると 四種類の あやめ になる
・はなしょうぶ(花弁の元が黄色の目型模様)
・かきつばた (花弁の元が白の目型模様)
・あやめ(花弁の元が網目模様)
・しょうぶくさ(節句用、花は黄色で筒状)
かなりややこしい話だ

奈良時代に中国から渡来した女性たちが朝廷に仕えていて
漢女(あやめ)と呼ばれていた
彼女たちが端午の節供に用いた草を
「あやめ」と呼ぶようになったと言う説もある
漢女をあやめと呼んだもうひとつの理由は
花弁の元の濃い黄色の美しい目型模様からきていて
これは 彼女たちの目尻を強調したアイシャドウのような化粧が
「あやめ」の花のように見えたからだという

漢女達は 機織や養蚕 染織などの貴重な技術を
この国にもたらしてくれた恩人達なのだ

遠く故郷を離れて
荒海を越えて来た 漢女(あやめ)達の魂は
今もなお 女神となって 祀られていて
この国の子供達を護ってくれている
菖蒲(あやめ)の花を見る度に
私達は 報恩と感謝の祈りを忘れてはならない。

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菖蒲(あやめ)の花






by nonkei7332 | 2014-05-05 18:48 | | Comments(0)

筑紫舞再興三十周年記念
国宝大神社展
「 宮地嶽 黄金伝説 」

アクロス福岡にて 開催されたイベントに参加させて頂いた。

講演は 九州国立博物館の展示課長の 赤司善彦氏の
『 よみがえった宮地嶽古墳黄金の太刀 』
そして
古代史研究家の 古田武彦氏による
『筑紫舞と九州王朝』
そして 最後に 宮地嶽神社の皆様による
筑紫舞 『笹の露』「神無月の舞』が 披露された


まぼろしの秘舞 『 筑紫舞 』

シルクロードの文化は韓半島を経て北部九州にも伝えられました。
彫刻や工芸、そして音楽も伝えられ、幾多の舞も伝えられたと思われます。
現存する楽器や音調等、韓国にて伝承される音楽と我が国の雅楽等は
非常に 酷似しています
海を渡って伝えられた 楽 や 舞 は、時代と共に日本独自に発展していきます。
海人族、安曇一族の安曇磯良は芸能の名手とされ、細能を舞ったといわれてますが、
細能は田楽舞に変遷、後の猿楽となり、能楽へと発展していきます。
そして 筑紫地方に根ずいた舞、それを 筑紫舞 と申します。
続日本記 巻十(天平三年731年)の冒頭に筑紫舞が出てきますが、
筑紫地方で舞われていたので、九州王朝の宮廷舞とも言われています。
今日では消えかけている幻の筑紫舞、宮地嶽神社で復興、伝承しています。
昭和十一年にこの舞が当社奥の宮巨石古墳で舞われていたとの史実があり
その様な所から昭和五十七年、唯一無二の伝承者 西山村光寿斎が 当時の
宮司、故浄見 学に伝授、西山村光寿(現鵬扇流宗家) 筑紫(現鵬扇流家元代行)
両氏の指導により約三十曲が今日まで伝承されています。
筑紫舞の所作には跳躍や回転等、独自な振りがあり、
ルソン足やナバエ、ナンバと称される舞振り等各所に出てまいります。
王朝に伝わる “秘舞” や神に仕える者が舞う “神舞(かんめえ)”
正に幻の秘と言われる珍しい舞です
当宮地嶽神社では毎年十月二十二日 御遷座記念大祭にて 奉納されますが
舞の復興伝承以来 三十年が経過しました。
この 三十年を記念し 筑紫舞の会を開催させていただくものです。

宮地嶽神社


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荘厳な趣をそなえた 九州王朝に伝わる 秘舞の前で
私は 時間と空間を超えて 安曇磯良の世界を堪能する事ができた
二千年もの間 歴史の裏世界の中を ひたすら伝承されてこられた多くの
伝承者達《筑紫傀儡子(ちくしくぐつし)》の悲壮なまでの想いは一つであった
「おやかたさま の為に」

宮地嶽古墳に 眠っていた 3mにもおよぶ 国宝 「金銅装頭椎大刀」
(こんごうそうかぶつちたち)いったい 誰が こんなにも大きな太刀を
何のために作ったのか そして それが納められた この古墳に眠る
真実の被葬者とは・・・
古代九州王朝の真実が やがて 明かされる日も近いみたいだ。

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by nonkei7332 | 2014-03-05 05:43 | 古代史 | Comments(0)
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3月3日は 桃の節句だ
息子しかいない私には
祭日でもないし 代々 家に残る
雛壇があるわけでもないし
この日は祝うという感覚がない

雛人形の歴史は
平安時代にさかのぼるのだが
そもそも 人形(にんぎょう)と
言うようになったのは
鎌倉時代に入ってからの事だといわれていて   

それまでは 〈ヒトガタ〉と呼ばれていた
古くは古墳時代の 
副葬品としての埴輪があるが
人々の生活のなかで現れる ヒトガタは
三月の節句のひな祭りの原型である
〈流し雛〉が最初だといわれている 
紙で作った人の形をした 型代(かたしろ)を作り
それで 身体を撫で 
身の穢れや災いを移し負わせて 
川や海に流したという 
人間の身代わりに 厄災を引き受けてくれる 
対象物として使われたのが ヒトガタ で
やがて 節句の神事となり
ひな祭りの 雛人形に変わっていく
江戸時代には飾り物としての古の形式と、
一生の災厄をこの人形に身代りさせるという
祭礼的意味合いが強くなり
武家子女などの身分の高い女性の
嫁入り道具のひとつに数えられるようにもなり
より豪華な贅沢なものへかわっていったという

さてさて
私には 可愛い女の子の孫が 二人もいる
何もしてやれぬ 爺様だが
いつも タブレットの写真を見ながら
顔をくずしては
甘酒ならぬ 焼酎を飲んでいる
困ったものだ
毎日が
〈ひなまつり〉なのだ

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by nonkei7332 | 2014-03-04 08:04 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ