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《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて



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この浮世絵の作者 》です



広重 江戸時代後期



あの 有名な 東海道五拾三次 』を描いた 浮世絵師 です



ゴッホ セザンヌ にも 影響を与えたと言われています



さて この浮世絵画 広重 描いたとされる



六十余州名所図会 』と言われる 連作のひとつです



全国の名所 描いたものですが



場所は 筑前 筥崎海中の道 〉と書かれています




いくつか があります



おそらく 広重 全国六十余州 を旅して 描いたものとは違って



いろんな人から聞いたり 書物を題材にして描いたものでしょう



航空写真 ドローン がなかった時代ですので



この絵は 志賀島の展望台(潮見公園) りから



海の中道を見て描いた 風景が 原画なのでしょうか



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とすると 手前の鳥居の神社は



〈志賀海神社〉か 西戸崎の〈大岳神社〉ということになります



題名は 筥崎 になっていますが



この絵の中には 筥崎 どこにも見当たりません



実際の 筥崎八幡宮 はこの絵でいうと



上部の 松原のもっと 右側になります



ひょっとすると 広重 手前にある 鳥居を



筥崎宮 勘違いしていたんじゃないかという



憶測をしてしまいます



憶測ついでに この絵は 筑前博多の名所を描いたものです



海の中道 誰もが認める 博多の名所ですが



この絵には もう一つの 名所が隠されています





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上部に 描かれた 小山と その沖に浮かぶ小島です



ここは 名島弁財天社 が 鎮座する



〈名島山〉と 〈妙見島〉ではないかと 推測します



時は 江戸時代 博多の町に 弁財天信仰が 拡がってました



六月の祭日には 町人は こぞって 博多の港から 船に乗って



名島の浜に上り 神社に押し寄せたと いいます



絵に描かれた 帆掛船 名島を目指しているように見えます



貝原益軒 「筑前国続風土記」の中で



『名島弁財天社』のことを



むかしは 大社なり、参詣の人多し 》と書いています



『妙見島』は 豊臣秀吉 朝鮮出兵の時に



淀君 を連れて 茶会を 催したとされる として 有名です




私の 憶測なのか 妄想なのか



タイムマシーン 江戸時代に戻って



広重 聞いてみたいものです




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『原安三郎コレクション 広重ビビッド』



日本財閥の重鎮として活躍した原安三郎氏の



秘蔵の浮世絵コレクション 北九州美術館 初公開されます



歌川広重晩年の代表作を中心に



葛飾北斎や歌川国芳まで約250点を展示されるそうです



916日(土)~ 1029日(日)



さっそく 予定表に入れました



広重 に 会ってきます






by nonkei7332 | 2017-08-20 13:12 | 日記 | Comments(0)


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ジリジリと灼けるような陽射しの中



夏越しの祓い の 山笠神事を終え



〈鎮めの能〉の余韻が 幽かに 境内に残る



博多の総鎮守 《櫛田神社》に 寄りました




神社の宝物 として残る 一枚の 〈山笠絵馬〉を



確認したくて 社務に寄ったのですが



残念なことに 今後は 門外不出 だと言われました



福岡市博物館 5年前の イベントに展示されていたんですが



何か トラブルでもあったのでしょうか



そんな事を 匂わすような 答えでした




時間があったので 境内 歩いてみました



神社には 拝殿 本殿の他に 小さな祠に納められた があります



〈摂社〉とか 〈末社〉と呼ばれています



かつては 摂社 末社 区別する 基準というのがあったようで



神社庁によれば 摂社に該当する条件とは



本社御祭神の荒魂(あらみたま)や 后神・御子神 を祀った社のほか



御祭神と関係のある神 現社地の地主神(じぬしがみ)など



特別な由緒がある社となっています



こうした基準に当てはまらないのが末社です



摂社は 末社より上位に置かれていたようです



今では そんな基準も無く 総じて 境内社 と呼ばれ ています



櫛田神社 境内には 社務所奥の 注連掛稲荷社 をはじめ



十三の境内社があります




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豊宇気毘売神 は いくつもの 名前を持っています

伊勢の下宮様 であり 辛国息長大姫

アメノウズメ だとも云われています



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櫛田神社 主祭神 大幡主命 》です



その左右にアマテラス〉 スサノオ〉 祀られています



境内社に祀られる 祭神達 大幡主 との関係を



百嶋系図 の中で見つけてみました




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百嶋神代系図




天御中主 (白山姫) ・大幡主 ・豊玉主(豊玉彦)



大国主 ・事代主 ・大物主(大山咋) などの



主の神 (ヌシノカミ) の神々 筑紫 倭国 海人族 祖神 なのです



これが〈おくしださま〉と 博多の民に 慕われてきた 神々の系譜です



やがて 志賀海神社 安曇族 繋がり



この国の 礎を 各地に 拡げていくことになります









by nonkei7332 | 2017-07-24 23:58 | 古代史 | Comments(0)


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白水英章 さん




博多 人形の町 なんです



有名なのが 〈博多人形〉そして 博多祇園山笠 〈山笠人形〉



それと 張子虎などの 細工人形など




独特の人形文化 の発祥の町なのです




特に 有名なのが 〈博多人形〉でしょうか




Wikipedia 博多人形 についてこう書かれています




発祥には諸説があり、



・陶師(すえし)の〈中ノ子家〉



・博多祇園山笠の小堀流山笠人形の流れを汲む〈白水家〉



・瓦職人の〈正木宗七(惣七)〉



三説が有力とされていたが 現在では学術的研究が進み



1600年代に博多の町で陶師を営んでいた中ノ子家より転業した



中ノ子安兵衛・吉兵衛親子と、



小堀流山笠人形の流れを汲む 白水家との



複合的要因が最も有力とされている ・・・中略・・・



白水家は小堀家の流れを汲む家である



小堀家は京都の細工人形師 (初代小堀善左衛門正直) であり



現在より500年以上前(永享91437年) 櫛田神社の招聘により



博多櫛田神社境内に移り住んだ



小堀家は山笠人形の独占制作を 代々 行ってきたが



明治維新と共にその制作権も自然消滅し



13代目善之助の時 山笠人形の制作を廃業した



なお 博多祇園山笠で用いる山笠人形は



博多人形師が代々制作していたものと思われているが



実際には (少なくとも明治以前では) 小堀家のみが



独占的に制作を許されたもので 他のものによる制作は許されなかった



その小堀家細工人形の流れを汲むのが〈初代白水仁作〉で



白水家直系の人形師は




現在 では 博多人形師の〈白水英章〉が居る




博多人形の 起源には 山笠人形の 小堀流細工人形が



大きな影響を与えていることがわかります



博多の 人形文化の 起源とも言える 小堀流細工人形を



今に伝えているのが 初代白水仁作 の白水家 であり



白水英章 さんが その伝統を今も繋いでいるのです




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今回 〈山笠の顔〉として



天神1丁目の 飾り山の 作成中の 白水英章さんに お会いしました



山笠人形師としての 白水英章さんは 現在



東流の 舁山と 天神1丁目の飾り山を担当されています



現場には 飾り山の下絵が展示されています



下絵が描けてこそ 人形師だとされています



下絵の左下の署名には



小堀流人形司 英章 書かれていました






東流 舁山 毎年楽しみです



その中で 私の お気に入りの 人形達 です




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いよいよ 東流 今年の人形のお披露目が



2日だと教えていただきました



身体の中を流れる 小堀家 の血が 騒いでいるのでしょうか



そこには 紛れもなく〈のぼせもん〉の がいます









by nonkei7332 | 2017-06-30 11:58 | ルーツ | Comments(0)



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ソラリアプラザ 正面




博多んもんが 〈テンプラ〉といえば



食べ物の 〈天麩羅〉ではなく



訳もなく 天神界隈を ウロウロすることをいいます



50年前に タイムスリップ してみましょう



天神は 岩田屋(デパート)と 新天町 が中心の 店舗街で



西鉄大牟田線の終点と繋がって いて 多くの人が集まる



福博一番の 繁華街でした



明治通り 渡辺通り には 路面電車 も走っていて



明治通り 中洲 (玉屋) 呉服町 (大丸) という デパートもあり



人の流れは 天神に集まり 四方に流れていくといった風でした



南区(井尻) に住んでいた私達にとっては



電車に乗って 遊びに行くという



数少ない娯楽地の場所だったのです



当時 私も小学生高学年 。一年に何度かは 友達と連れ立って



〈テンプラ〉したものでした



所持金は 150円位でした 大牟田線の電車賃が 往復50



味のタウン 因幡うどんの丸天うどん(25円) を食べて



残ったお金で スポーツセンター スケートするか



センターシネマ 映画を観るか コースは ほぼ決まっていたようです



当時 福岡には



大きなイベント会場が スポーツセンター しかなかったので



コンサートや大相撲の九州場所も ここで行われていました



50年の月日は この国を 考えられない世界へと変えてしまいました



この街も 変わってしまいました



スポーツセンター センターシネマも無くなりました



路面電車 いなくなり 玉屋デパートも無くなりました



大丸が 呉服町から 移ってきて パルコ 三越 出店しました





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味のタウン 因幡うどん




と同じ コースをと思い まず因幡うどん〉 を探しました


ありました ありました お昼時だったので 満席5人待ち


待つのが嫌でしたので 元スポーツセンター



ソラリアプラザ に行ってみました


ホテル・ 専門店 が入った 商業ビルへと 変身しています


7階には トーホーシネマが 入っていますが



昔の センターシネマ の 面影は ありません


観たい映画まで 時間があったので



同じフロアの レストランで 食事をする事にしました





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ソラリア 7階 たから





和食の店 たから



美味しそうだったので 『和食ランチ御膳』を注文しました



九種類の お番菜 (左上から 玉子焼き・糖みつ煮・さばの塩焼



しろなのおしたし・えびの大葉天ぷら・茄子のあげびたし



赤こんにゃく・鰹のねぎまぶし・燻製ポテトサラダ)



豚汁・麦飯・ とろろ汁 付きで 1300 でした



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センターシネマ で観た 映画 一番覚えているのが



ダスティホフマン 『卒業』でしょう



今日見たのが 話題の テレビドラマのリメイク版



上戸彩 『昼顔』でした



映画評論は 今回は やりません







久し振りの 〈テンプラ〉に 使ったお金は 3500



昔は 150円で済んだんですけどね・・・








by nonkei7332 | 2017-06-27 09:48 | 日記 | Comments(2)


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菩提樹 の 花




箱崎宮 参道にある 〈恵光院〉の 菩提樹の花 です



黄色い 花の下に立つと 甘い香りに包まれます



お釈迦様 菩提樹の下で 悟りを開いたとされます



その菩提樹は インド北部原産 桑科の熱帯樹で



〈インド菩提樹〉といわれている木です



恵光院 菩提樹 中国原産 科の木(しなのき)科の菩提樹 です



どこで 間違えたかというと



日本で一番古い 禅宗のお寺は 博多の聖福寺 です



ここの開祖が栄西禅師



宋から お茶を持ってきて 背振山に植えて



日本国中に お茶を広めた 人ですが



もう一つ から持ってきたのが 中国原産の菩提樹です



どうやら インド の菩提樹だと 間違って持ってきたみたいです



日本各地の寺院にある 菩提樹 全て この菩提樹 です




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恵光院 菩提樹 樹齢200年だそうです



恵光院 真言宗のお寺さんで



黒田第二代藩主 黒田忠之が 開基しました



本尊は 薬師如来



明治の廃仏棄釈で 筥崎宮系の寺院は



ほとんど 無くなりましたが 唯一 残ったのが 恵光院 です



境内にある 〈燈籠堂〉は もともと 筥崎宮の中に在った堂宇で



秀吉 箱崎に宿陣の折 千利休が 茶を奉ったとされる



由緒ある お堂でした




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釈迦涅槃図 (一部)




本殿 釈迦涅槃図 開帳されていました



室町時代の作だそうです 作者は不明です



15年前に 修復されたそうです



釈迦の横に 木がありますが これは 菩提樹ではありません



この木は 〈沙羅双樹〉といわれる木です



『平家物語』の 冒頭に出てくる あの木です




祗園精舎 鐘の声


諸行無常 響きあり。


〈沙羅双樹〉の 花の色


盛者必滅 理をあらはす。


おごれる人も久しからず


ただ春の夜の夢のごとし。




沙羅双樹 花の色は ?



インド原産の 沙羅双樹 淡黄色 だそうです



これまた 日本では 育たない木だそうで



日本で 沙羅双樹 といわれている木は



椿 》と呼ばれている 木だそうです



真っ白な 花が咲くそうです







by nonkei7332 | 2017-06-08 21:34 | | Comments(0)



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博多区 青木 の 地禄神社
(空 sofa そら) さんの ブログより




福岡市近郊の神社を調べていると



しきりと出てくる



同じ名前の神社があります



それは 《地禄神社》と 《埴安神社》です




《地禄神社》は 博多区に 5



〈堅粕〉・〈上牟田〉・〈竹下〉・〈青木〉・〈上月隈〉



南区に 4



〈塩原〉・〈向野〉・〈三宅〉・〈井尻〉



早良区に 〈野芥〉地禄天神社



春日市に 〈春日〉地禄神社



大野城市には 5



〈仲畑〉・〈畑詰〉・〈釜蓋〉・〈瓦田〉・〈白木原〉



太宰府市には 〈大佐野〉地禄神社



大小合わせて 17 地禄神社 鎮座しています




不思議なことに 中央区や博多区の都心部には無く



都市部近郊に散らばっています



各神社とも 創建は不詳となっていますが



古くは 67世紀前後の古社もあるのではと思われます



その頃の 福岡は 今の海岸線ではなく 内海が拡がっていて



おそらく 地禄神社 建っている辺りが 海岸線であったようです



人々の住む海岸線に 同じように祀られた 祭神 とは



『埴安神』(はにやすしん) です




埴(はに)とは「和名類聚鈔」に



『土薫而細密日埴』(つちかおりてさいみつなるをはにという) とあります



埴安神 土の神様 であり



田畑の土壌に宿り 穀物の豊作をもたらす神様なのです





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早良区 西 の 埴安神社
(空 dora そら)さん の ブログより





〈埴安神〉を祀った 《埴安神社》も 福岡には 8 ありました



早良区に 2 〈次郎丸〉・〈西〉



西区 2 〈姪浜〉・〈今宿〉



糸島市の野北・中央区の鳥飼・南区の柏原



筑紫野市の杉塚 にも 鎮座しておられます




甘木朝倉一帯に 無格社や摂社を含め 40社近く鎮座する



〈田神社〉がありますが



この祭神も 埴安神 なのだと 知りました




〈埴安神〉とは



博多の総鎮守 櫛田神社 の主祭神 である



《大幡主神》なのです




福岡 地禄神社 埴安神社が多く鎮座する 理由がここにありました





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百嶋系図 部分



百嶋神社考古学系図 によれば



大幡主 (埴安神)の妹が 〈埴安姫〉となっていることも



これを証明しています




〈土〉といえば 神話に出てくる 山幸彦を竜宮城に連れて行ったのは



塩土翁(しおつちおじ) でしたが



百嶋説は 大幡主神 塩土翁 同一人物だとします



もう一つ 〈土〉といえば



埴輪 (はにわ) の神様といわれたのは 〈野見宿禰〉(のみのすくね)です



土師氏の 祖神 といわれていますが



百嶋説 〈野見宿禰〉を



出雲神話における 天穂日命(アメノホヒ)の子供である



天夷鳥命(あめのひなとり) = 武夷鳥(たけひなどり) だとします



そして 天穂日命(アメノホヒ)は 豊玉彦 と同一人物ですので



これによって 博多の祖神 三代にわたる 系図が出来上がります




大幡主神 = 埴安神 = 地禄神 = 塩土翁 (初代)



豊玉彦 = 天穂日命 = ヤタガラス (二代)



野見宿禰 = 武夷鳥 = 土師祖神 (三代)





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埼玉県久喜市 の 鷲宮神社



後世 大和朝廷より 関東開拓を命じられた 河内の土師氏が



下総の利根川の上流 久喜市辺りで 祖神 である



〈天穂日命〉と 〈武夷鳥〉そして 〈大己貴命〉(大国主命) を祀ったのが



「関東最古の大社」「お酉様の本社」といわれる



『鷲宮神社』(わしみやじんじゃ) です



出雲族の草創に関わる 神々 といわれていますが



私には 博多の主の 神々 に見えてきます





博多の主の神々(大幡主命・豊国主命・大国主命)



神武天皇 から 代々 続く 九州王朝 を支えていたのでした







by nonkei7332 | 2017-05-19 13:10 | 古代史 | Comments(0)


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御島神社鳥居 と 立花山




御島 とは 神がいた 神の島でした



〈香椎潟〉と呼ばれる 海岸線があって



万葉集に 三首 詠われています




いざ子ども 香椎の潟に 白袴の袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ


6956 大伴旅人(おおとものたびと)




時津風 吹くべくなりぬ 香椎潟 干の浦に玉藻刈りてな


6957 小野 老(おののおゆ)




行き帰り 常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には 見むよしもなし


6958 宇努 男人(うぬのおひと)





太宰府の官人達は



香椎宮に詣る ことが 日常であったみたいです



その帰りに 香椎の浜まで来て



遊んだ思い出を詠んだ歌なのでしょう





その 香椎潟 御島 がありました



今は 島の姿はなく そこに鎮座していたであろう



神社の 鳥居 海の中に ぽつんと立っています



その 神社とは 〈御島神社〉です 香椎宮の末社 です



祭神は 綿津見神 です




この神社の由緒が 『八幡本記』には こう書かれています




香椎宮の西、浜男と云ふ所の浜、是即ち橿日浦なり。



ここより八、九町ばかり沖に大岩あり。是を御島と云ふ。



則ち、皇后のいたり給ひて、御髪をすすがせ給ひし処なり。



岩島にて其の上に御島神社の社あり。」




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御島グリーンベイウオーク 全景




香椎潟は 埋め立てや 都市開発で 綺麗になりました



今や 私の お気に入りの ウォーキングコース なのです



最近 名前がつきました 御島グリーンベイウォーク



新緑の 立花連山 眺めながら 2900M のコース






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〈香椎浜北公園〉をスタートして 〈片男佐橋〉を渡り



〈香椎海岸遊歩道〉を歩きます






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海上の人道橋と日本最大級を誇る 〈あいたか橋〉を渡ると



〈アイランドシティ外周緑地〉最後に



〈御島かたらい橋〉を渡ってゴールです




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海岸の欄干に シロツメクサ 作った



髪飾りが掛けてありました




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神功皇后は ここで 髪を洗い 髪を結い上げて



男の髪型にしたという



伝説が残っています 三韓征伐の出発地なのです



女から 男に変わった場所なのです



頭に飾ってあった かずらを外して ここに 掛けたのでしょうか





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今日は 子供の日



戦さなどない



いつまでも 平和な国であって欲しいですね







by nonkei7332 | 2017-05-06 11:20 | 日記 | Comments(0)


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狛 魚




どこの神社でも よく 見られるのが 狛犬 (こまいぬ) です



入り口 辺りに 一対 置かれています



獅子 狛犬 だけではなく 神仏の 守護獣 として



多くの 動物 その役目を果たしています



一般には「神使」といわれています



神の使いですから そこの 祭神と



何らかの縁のある 動物が置かれているわけです



有名なのが 稲荷神社の 〈狐〉であったり



弁財天 〈蛇〉であったり 毘沙門天 〈虎〉だったりします



さて 名島神社 には 全国でも 珍しい



》が あります



ギョ ギョ ギョ~ 初めて見た人は そう云います





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シーラカンス




生きた化石といわれる 深海魚



シーラカンス (coelacanth) によく見ると 似ていますよね



対馬の琴崎にある 胡禄神社の伝承に 海神の姿を



金鱗の蛇 》だという話が残っています



もともと 名島神社は 明治になるまでは 名島弁財天 として



世間に認知されていたわけですから も絡んで 当然です



狛魚 = シーラカンス = 金鱗の蛇 = 海神



名島神社の謎解き こんなところにもありました





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名島神社 の 千木





ところで 名島神社の 祭神はと いえば



宗像三女神 田心姫 ・湍津姫 ・市杵島姫 ) です



ところが 神殿の千木 をみると 男千木 です



もうひとつの



この神社の古祭神 女神ではなく 男神 かもしれません



このパターン いくつか見て来ました



宗像大社 呼子の 田島神社 もそうでした



そこに 隠れて 鎮座する 古祭神 大国主命 でした




神殿の裏に鎮座する 摂社 を見てみると





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妙見宮 (天之御中主神)




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大黒天社 (大国主神)




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恵比須社 (事代主神)




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百嶋系図 より 主の神々




主の神 (ぬしのかみ) の勢揃い ですね



とすると 古祭神は



〈大幡主 = 大若子〉もしくは 〈豊国主 = 小若子 = 豊玉彦) となります



海神といえば 安曇磯良 を思いますが



磯良 もっと 後世の 海人族の主だと考えています



ここでは 豊玉姫の父 豊玉彦 》が 名島神社の 古祭神なのでしょう





名島神社 そうですが 北九州には



神功皇后の伝承 が多く残されています



日本書紀 異様なほど 神功皇后紀 多くの紙面を割かれています



そこには 九州王朝 (神武・懿徳・孝霊・孝元・開化・仁徳)



存在を隠そうとする 畿内王朝の意図を感じます



私的な考えですが 神功皇后の三韓征伐は 作り話だと思っています



『三国史記』にも 史実として 幾たびかの



倭国の新羅への侵攻の記事が書かれていますが



とりわけ 斉明天皇(女帝) 新羅侵攻



だぶらせて 描かれたのではないかと 私は思っています





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本殿四角 の 四神
東 の 青龍


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南 の 朱雀





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西 の 白虎





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北 の 玄武









豊玉彦 別称 八咫烏 (やたがらす) です



同じ 鳥でも カモメ カモメ



海神神社 の中を カモメ達は 自由に 走り回っていました







by nonkei7332 | 2017-04-26 20:48 | 古代史 | Comments(0)


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名島神社から見える 博多湾





カモメ達が 登っていった後から



最後に 神社の階段を登りました



途中 左手に下り曲輪〉と呼ばれる 土俵のある 広場から



遠くに 志賀島が見える 見晴らしのいい場所があります



そこから 見える海が



〈 磯良の海 〉です



そう 名づけたのは 私 です



今では 100年公園 カモメ大橋 にさえぎられて



能古島 志賀島 隠れてしまいますが



ほんの 50年前迄 は



島影 の美しい 景観だったのでしょう




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博多湾屏風図






博多八景 〉という 博多の町の 景勝地がありました



近江八景 金沢八景 というのは 有名ですので



博多八景 なんて 二番煎じゃないの と思われるかもしれませんが



実は 中国北宋時代 元祖八景〈瀟湘八景〉に影響を受けた



日本での 最初の八景は 博多八景 》だったのです



初代八景は 中世 鎌倉末期



聖福寺の僧 〈鉄庵道生〉(てつあんどうしょう)



八つの景観に合わせて 漢詩を作ったのが 初代です





香椎暮雪(かしいぼせつ)


箱崎蚕市(はこざきさんし)


長橋春潮(ながはししゅんちょう)


荘浜泛月(しょうはまはんげつ)


志賀独釣(しかどくちょう)


浦山秋晩(うらやましゅうばん)


一崎松行(いっさきしょうこう)


野古帰帆(のこきはん)





その後 近世 江戸時代 に書かれた『石城志』(せきじょうし)という



博多紹介本には また 違った 八景が 書かれています





濡衣夜雨(ぬれぎぬやう)


箱崎晴嵐(はこざきせいらん)


若杉秋月(わかすぎしゅうげつ)


奈多落雁(なたらくがん)


博多帰帆(はかたきはん)


横岳晩鐘(よこたけばんしょう)


竃山暮雪(かまどやまぼせつ)


名島夕照(なしませきしょう)






余程の 博多通でないと 場所が 特定できませんね



この中で 名島夕照 があります



名島海岸から 見える



島影に沈む 夕陽 朱く染まる海が



絶景だとされたのでしょう






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名島海岸から 落ちていく夕陽を 写していました




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夕陽に 飛び込んできた カモメです



カモメ大橋 から写した



お気に入りの 一枚 です




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カモメ達は



拝殿横の 手水舎 囲んで 清めの作法 を習っていました



飲んじゃダメ ! 口をゆすぐだけ ‼︎



キョトン とした 男の子が 私に云いました



どうして 飲んじゃ ダメなの







by nonkei7332 | 2017-04-26 06:45 | 古代史 | Comments(0)



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名島神社 二の鳥居




名島海岸 を通り過ぎると



名島神社の入り口 に出ます 二の鳥居です



珍しい 両部鳥居です



道路をはさんで 海岸には 一の鳥居が あります



海岸下手 小さな祠があります




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名島神社 古宮





何も知らない 一人の子が その前で手を合わせていると



ぞろぞろと 後から来たカモメ達が



同じように 手を合わせていきます



何とも 不思議な光景を 私は 見入っていました



祠には 何も書かれていませんが



実は ここは 名島神社の 古宮〉 です




古代より この神社は



島(名島は島だった) の頂上に鎮座していましたが



中世 豊前大友氏の庶流



立花家7代の 立花鑑載(たちばなあきとし)が



立花城の出城として 築いたのが 城の始まりで



その後 秀吉が 筑前を 小早川隆景 に与えると 隆景は



名島城を 改修して 居城に仕上げます




その際 頂上の社を 海岸下手に移動させたのが



この祠の場所だったようです




黒田長政が 名島城を廃城にすると




現在の位置に 社殿は移され 古宮は



昔の面影として 小さな祠が残っているだけになっているのです





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庚申塚




二の鳥居の横には 大小数体の 石碑が建っています



石碑というより これらは 〈庚申塚〉です



庚申塔 とも呼ばれる これらの 石塔は



福岡の町のあちらこちらでも 見られます



庚申信仰 の始まりは 古く 奈良時代だと言われています



その後 平安貴族や 武士階級にも拡がり



猿田彦 地域を護る 塞の神 田の神 地蔵尊とも習合した



道祖神信仰として 民間にも 拡がり



江戸から明治にかけて 大流行します




庚申信仰は 中国の道教が起源です



人の体には 〈三尸の虫〉(さんしのむし) という虫が



生まれた時から 誰にでも 住みついていて



60日に一度 庚申の日の夜 人が眠っている間に



天に昇って 人が行なった 悪事を報告しに行くといいます



それによって人の寿命が短くなったり 死んで地獄に落ちたりするので



だったら その夜は 寝ないで過ごそうというのが



〈庚申待ち〉といわれる 行事です 近所で集まって



朝まで呑み明かすという 行事が 全国的に流行したそうです



庚申待ち 3年続けると その記念に 石碑を建てたといいますから



江戸時代には 町中 庚申塚 だらけになったそうです



明治になって 廃仏毀釈にともない 庚申信仰は迷信だとされ



政府は 多くの 石塔を壊します



それ以来 庚申信仰は急速に衰えてしまいました



まだ 未だ 地域によっては 多く 残っている所も あるようですが



町の景観の変化に いつかは 無くなっていくのでしょうか





名島神社脇の 庚申塚 には



「庚申大福神」「青面金剛」と書かれています



〈青面金剛〉は 仏教系の庚申塔の性格が強いとされる



三尸の虫を抑える 神様です





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神社の階段を


若葉が薫る 木洩れ陽の中を


カモメ達は 翔ぶように 登っていきます


危ないぞ 走るな~‼︎


私の声は 全く 無視されていました









by nonkei7332 | 2017-04-24 21:20 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ