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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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毎年 正月の二日は息子二人と 三人でお酒を飲みます

日頃 近くに住んでいない 彼等とは 積もる話をします

仕事の事。孫達のこと。そして 私の近況。

長男の住む 熊本八代の話から

私の《熊襲(くまそ)》の話が延々と 続いた後で

話題が 孫の名前に変わりました


『 《 颯 人 》(はやと) の名前は 薩摩隼人の隼人をイメージしたのか 』


と次男に聞いてみたら 彼は こんな 話をしてくれた


『 実はね 薩摩隼人 のイメージではなくてね

漢字を見たらわかるように〈風に立つ人〉と書くだろう

さだまさしの 『風に立つライオン』という歌 知っていると思うけど

どんな困難にも立ち向かっていく男の子 になって欲しいという意味で

つけた 名前なんだよ 』


初めて聞いた話でした 胸が熱くなりました

この歌のことは 当然知っていますし 小説も読んでいたし

去年 映画化された 映画も観ていたからです

私の中では 去年観た 映画の中で最も感動した 素晴らしい映画でした

久し振りの 涙腺崩壊 の 映画でした



さだまさしが1987年に発表した楽曲「風に立つライオン」

アフリカ・ケニアで国際医療活動に従事した 実在の日本人医師

柴田紘一郎をモデルに作られたこの曲は、

日本に残してきた恋人に宛てた手紙を

歌にのせ、壮大なスケールで綴る名曲です

俳優の大沢たかお が 原作者との交流を深め

「風に立つライオン」の小説化・映画化を熱望したことから、

今回のプロジェクトは始まったのです

彼の願いを受けたさだまさしが 同名の小説を発表したのは13年

そして今年 大沢たかお主演による念願の映画版が遂に誕生しました


物語の主人公は 長崎の大学病院からケニアの研究施設

熱帯医学研究所に派遣された日本人医師・航一郎。

周辺で戦闘が続くこの地で 心に傷を負った元少年兵と出会った彼は

少年と真っ直ぐ向き合うことで医師としての生き方を見つめ直します

銃や地雷で負傷した人々が次々に運び込まれてくる過酷な医療の現場で

アフリカの大地に向かって「ガンバレッ」と叫び

自分を鼓舞しながら常に前向きに生きる航一郎を

原作者が彼をイメージしてキャラクターを作り上げたという

大沢たかお が はまり役で演じています

日本とケニア。航一郎の少年時代 から現在までを結ぶ

雄大なスケールの作品 。一人の日本人医師がもたらす

人種も時間も超えた他人を思う心の奇跡を 是非その目で確かめてくだい

(東宝 website 映画情報より)











by nonkei7332 | 2016-01-08 21:15 | 日記 | Comments(0)


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菜の花




今年の冬は暖かいです

沖縄では 夏日(25度以上) が3日続いたとか

スキー場に全く 雪がないとか

暖冬のニュースが飛び込んできます

福岡でも 去年と今年の 元日から7日までの平均気温を比べると

《去年》 最高 10.1 度 最低 4.1 度

《今年》 最高 13.4 度 最低 7.4 度

平均温度 で 3度も暖かいようです


暖冬を 英語で言うと warm winter

異常暖冬ともなると tropical winter とも いわれるそうです


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水仙



もう 菜の花 が咲いていました

いつもなら 閑散として 色の無い花壇にも

心なしか 早い春の花が見え隠れしていました

春は近いのでしょうか


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ストック


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沈丁花


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冬薔薇



《 うぐいすの 谷よりいづる 声なくは 春来ることを 誰か知らまし 》

古今和歌集 巻1- 14番


うぐいす は 春になると 山から里に 下りてきて 鳴くと言います

春告鳥 (はるつげどり) と 呼ばれています










by nonkei7332 | 2016-01-08 12:44 | 日記 | Comments(0)


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磯良の海から
名島神社 葛城山 を 望む





新しい年が始まります


昨日までの 想いを おおい隠すように

葛城山 に かそのあかとき(黎明) が 拡がっていきます

この 地球(ほし) のどこかで

お腹をすかした 子供達の頬に 涙がひとすじ 光っています

恐怖 と 憎しみ と 諦め が 混じった


大人たちの ため息が聞こえてきます


《 生老病死 》

生きることは 苦しいことだという 前提で生きてごらん

楽しいことは たくさん あるからと 仏陀は教えてくれました

5年前 の 今日 ICU のベットの上で 絶望の淵にいた 私には

5年後 の 今日 の姿は 想像さえできませんでした

二人の息子に 友人に そして 多くの笑顔をくれた 子供達に

《ありがとう》という

この地球(ほし) で 最も 美しい 言葉をおくります

そして 今年こそ この地球(ほし) が

ありがとう の 言葉に 満ちあふれますように

そのために 私は 生きていきます


福岡出身の シンガーソングライター 相川理沙 さん

何度も お会いしましたが 笑顔が 素敵な人でした

「ひかり」という曲です

何度も聞きました そして 何度も 勇気をもらった曲です






aikawarisa.blog113.fc2.com/
相川理沙さん のオフィシャルブログ








by nonkei7332 | 2016-01-02 09:19 | 日記 | Comments(0)


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下鴨神社





平安遷都 前の 京都 には

筑紫の古代氏族 ・秦氏(宗像) ・土師氏(筑豊) ・賀茂氏(背振)

が多く住みついていました

桂川流域 の 秦氏の 松尾神社

鴨川流域 の 賀茂氏の 下鴨神社

南部伏見深草 の 土師氏の 伏見稲荷神社

この三つの 神社を通して

遠き 筑紫王朝の 面影を追うのが

今回の京都行きの旅の目的でもあります


下調べで 下鴨神社 の 賀茂氏 を探ってみました


筑紫の賢人(真鍋大覚さん) の

『灘の國の星』にはこんな記述があります


天智天皇 は 662年、筑紫の長洲宮に遷都された。

そこからは背振山が見えた。背振では葵祭があっていた。

天智天皇は大和に帰還してから、667年に山城の国の氏神の加茂の社で、

筑紫と同じ「葵祭」を催行された。

こうして筑紫の神々は畿内に遷座して、

故郷の発祥の地をしのぐほどに繁栄した。

「背振神社」は京都「賀茂神社」に、

「現人神社」は大阪の「住吉大社」に

生まれ変わって、本家本元は寂れてしまった。

「加茂の神」は元来はタタラの神であった。火と熱の神であった。

そして、鍛冶場仕事の災いとなる風雨に対して、

細心の配慮のある神であった。

背振の祭りには必ず「おこしごめ」が店に出ます。

これは昔の砂鉄精錬の生産品であります。

玉刃金を菓子に造形化したお土産にほかなりません。

ちょうど、京都の「八つ橋」が賀茂の神々が作った「金の延べ板」を

模した品にほかならないのと同じです。


土産のおこし や 京都名物「八つ橋」起源が 背振 にあったとは驚きです

もうひとつ 「下鴨神社」の名物に 「みたらし団子」があります

「御手洗」を みたらし と呼びます

綾杉さんの「志賀島歴史講座」で 志賀海神社沖津宮の浜あたりを

〈御手洗〉という地名だと知りました

イザナギが 黄泉の国の穢れを洗い清めた 禊の地 だと聴きました

今では どの神社には 手と口を濯ぐ 〈御手洗〉がありますが

下鴨神社境内には 瀬織津姫を祀る 御手洗社という末社があり

その前にある 御手洗池では 1年ごとに 禊の儀 が行われるそうです

みたらし団子の起源は 後醍醐天皇が参詣の時

この池に浮かぶ五つの泡にちなんで 団子の数が5個になったとも

人の身体の五体から 5個になったとも 言われているそうです

今度 街中で みたらし団子を 食べるときは

ほんとうに 5個 有るのか 確かめてみましょう



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志賀海神社沖津宮 と 御手洗浜




さてさて 下鴨神社の正式名称は 『賀茂御祖神社』

祭神は 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)

神武東征の際 八咫烏(やたがらす)に姿を変えて 神武天皇を

導いた あの謎多き 神です


ヤタガラス と言えば 日本サッカー の旗印でもある

三本足の からすです

韓流ドラマ「朱蒙」(チュモン) には

高句麗の国鳥であった 三本足のからす が

画面には たびたび 出てきたのでよく覚えています


この 八咫烏 という鳥 は いったい どういう 鳥だったのでしょう


筑紫の賢人は 『灘の國の星 拾遺』でこう書かれています

烏鵲 (うじゃく) (カササギの別名) は

干潟の冠水の有無遠近を見さだめる鳥として

昔は 旧約聖書のノアの洪水の神話の時代からしられていた

縄文弥生の祖先は 烏鵲と共に干潟の開拓に努めてきたのである

神代には 賀茂の氏族は 八咫烏(やたがらす)を伴として

日々を過ごしていた

今、肥前に棲む 『かちがらす』即ち『かささぎ』は

まさに その生きた化石というべきである

有明の干潟にいる「むつごろう」なる 鯊(はぜ)を餌としていたが

干潟が稲田となった今日では 全く無縁になるまでに

三千五百年以上の歳月をようしたことになる。


八咫烏 は カササギ の事であり

背振山山麓の肥前 に 起源を持つ 賀茂族 の 祖神 だったのです


現在 カササギ は 天然記念物 として

福岡の筑後 や 佐賀県に 生息しています


下鴨神社 は 肥前背振山麓 の 賀茂の祖神

「賀茂建角身命」を 祀る 神社でした

背振神社 の 「葵祭り」が

京都三大祭りの 賀茂社 の「葵祭り」の起源 だったのです



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背振神社 下宮




賀茂建角身命 なる 人物 が 八咫烏 だと言われていますが

安曇磯良 の 母が あの 鴨玉依姫 その父が 『豊玉彦』


この 『豊玉彦』こそが 八咫烏 であったという 説があります


神功皇后 に 仕えた 安曇磯良

神武天皇 に 仕えた 豊玉彦

九州王朝 を 支えた 安曇族


これで すべてが 繋がったみたいですね。















by nonkei7332 | 2015-11-10 20:13 | 古代史 | Comments(2)