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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

タグ:万葉集 ( 35 ) タグの人気記事



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冬に咲く ばらの花を 冬薔薇 ( ふゆそうび ) といいます

冬の 季語 にも なっています



「ばら」は 「いばら」「うばら」「うまら」から 転訛したもので
棘のある木の総称(茨、棘、荊)として 万葉集にも 歌われています

《 みちのへの 茨(うまら)の末に延ほ豆の からまる君を はかれか行かむ 》
万葉集 20巻4352 防人の歌

【私訳】
道端に咲く 薔薇の先端にからみつく豆のように
私の側を離れない 妻を置いて 行くことは 辛いものだ


また「薔薇」は 古名として「そうび」「しょうび」とも 言われていました
『古今集 』には 紀貫之の 「 そうび 」という題の 和歌 があります

《 我はけさうひにぞ見つる花の色を あだなる物と いふべかりけり 》

【私訳】
今朝 初めて見た あなたの 姿は 薔薇の花のように
艶やかであったけれども なぜか 儚く見えます

【解説】
「今朝初に」(けさうひに) の中に「さうび」の名が 隠されています
10世紀の初めの 歌なので その頃から 咲いていた花みたいです



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この時期の 花壇は 咲く花も少なく 色を無くしていますが
そんな 中で ポツリ と咲いている 薔薇の花 は美しいものです
《 遅れて咲いても 花 は 花 》というように
夏に咲く 薔薇と比べても 決して 劣るものではありません



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風に揺れながら 薔薇の花が 私に 話しかけてきました


綺麗だと 言ってくれて ありがとう

私は決して 季節を間違えたり

遅れて咲いたわけでも ありません

みんなと 同じように咲くこともできました

でも 敢えて この季節を選んだのは 私の わがまま です

いつ咲くのかということは

いつ枯れるか という事と 同じ意味なのです

あなたが 一番 綺麗だよと 言ってくれたから

私は 嬉しくて 次の雪の日に 散ることにします

ひとつだけ 約束してくれますか

来年の冬に また ここに 来ることがあれば

どうか また 私を 探してください

そして また 綺麗だよと 言ってくれますか



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冬の風は 冷たく

微かな 薔薇の香りが

私の頬を 通り過ぎていきました









by nonkei7332 | 2015-02-02 14:40 | | Comments(1)


《 懸 想 文 》とは
恋文。相手に対する恋心を和歌に詠んで
紙にしたため それに関連する草木を添えて
人づてに渡しあったといいます


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〈鏡王女〉川崎幸子さん 万葉人形集 より


もう 記憶も 覚束ないほど
たくさんの 季節がすぎてしまいました
あの頃のことは いまでも 心の中の宝箱に 隠しています
今のように MAIL も ない時代でしたから
二人を繋ぐものは 手紙 だけでしたね
端麗な あなたの字に 似てもにつかない わたしの 丸文字は
いまでも 子供達に 笑われています
たくさん あった 貴女からの 手紙は もう どこにも ありません
ただ 一つだけ 残っているものが あるとすれば
あの頃 わたしにくれた 手紙のなかに 書いてあった
万葉集の 《 鏡 王 女 》の ひとつの 歌です
過ぎ去った 日々の数ほど 何度も口ずさんだ 歌ですから
いまでも すらすらと 詠むことができます


《 秋山の 木の下隠り 行く水の 我れこそ益さめ 御思ほすよりは 》
2-92

( あきやまの このしたがくり ゆくみづの われこそまさめ おもほすよりは )


秋山の 樹の下を

隠れるようにして 流れていく 水のように

私は 流れて行かなければなりません

でも 私は あなたより もっと

あなたのことを 想っています



この歌は〈鏡王女〉の 遠の朝廷 ( とおのみかど ) に住む
〈 志 貴 皇 子 〉に送った歌です

〈天智天皇〉へ 送った 歌だと されている歌ですが
真実は 皇子の存在を 隠さなければならなかった 誰かの 仕業です

記紀 にも 万葉集にも 隠された 倭国九州王朝
白村江の戦い に 自ら 赴いた
〈筑紫君薩夜麻王〉(ちくしのきみ さちやまおう) は
戦いに敗れ 唐の捕虜になってしまいます
天皇の 代行を務めたのが 薩夜麻王 の 皇子 志貴皇子 ( 中宮天皇) でした
皇子の愛した 〈鏡王女〉 と 妹の〈額田王女〉は
唐と手を組んだ 天智 のもとに
采女(うねめ) として 大和に 送られてしまうのです
鏡王女 は 大和 で 皇子の子を 産みます
そんな 悲しい 別れの歌 だったんですね


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鏡王女 万葉歌碑



毎年 秋に なると

私は あなたの 面影を追って あの 美術館にいきます

去年は あなたの名前を見つけて 思わず 涙してしまいました


遠い 遠い 万葉 の 懸想文。

宛名を 書くこともない 懸想文。






by nonkei7332 | 2015-01-27 13:56 | 万葉集 | Comments(0)


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韓流歴史ドラマ 「近肖古王」



去年 友人から 「百済」や 「新羅」を調べるなら
「韓流歴史ドラマ」を見るといいよ と聞いたので
凝り性の私です かなり 見まくりました

高句麗系の 「朱蒙」をスタートに 「風の国」
百済系の 「近肖古王(クンチョゴワン)」 「階伯(ケベク)」
新羅系の 「善徳女王」「著童謡(ソドンヨ)」「大王の夢」「海神」
伽耶系の 「鉄の王キム・スロ」 など


《 七 支 刀 》の話は「近肖古王」の最終話に出てきたので はじめて知りました
七支刀 のデザインは 中央の刃が 百済で 左右の 六枚の刃は 百済の属国を表します
「倭国」は ここでは 属国だという設定になっていますが 近肖古王は
「倭は小さな国だが、いずれ大国になる だから 百済の文化を教え 仲良くなるんだ」
と 話しています

『近肖古王』… 4世紀 百済の最盛期を築いた第13代王
百済から日本へ贈られた七支刀の話があります


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綾杉さんの 『ひもろぎ逍遥』の最近の記事で 《七支刀 》 の興味深い話が載っていました
七支刀のデザインの元は《 ヒカゲノカズラ 》という植物だということや
(アメノウズメ) が挿していた〈髪飾り〉と同じデザインだということ
そして 京都下鴨神社の「葵祭」の 葵は 「ヒカゲノカズラ」のことで
祭りの起源は 背振の賀茂氏 の祭りだという 凄い 内容でした

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ヒカゲノカズラ



万葉集の中には ヒカゲノカズラ の歌が 有りました 4首 紹介します

《あしひきの山かづらかげましばにも 得がたきかげを 置きらさむ 》
14巻 3573 作者 : 不明

訳 : 山の ヒカゲノカズラ。めったに手に入らないそのかずらを手にしたら
放って置いて枯らしたりするものですか

(なかなか手に入れられない ヒカゲノカズラ を 素敵な女性に たとえて詠んだ歌です)


《 あしひきの 山縵の子 今日行くと 我れに告げせば 帰り来まを 》
16巻 3789 作者 : 不明


訳 : 山縵(やまかづら)の子が きょう逝(い)ってしまうと
私に告げてくれたのなら 帰ってきたのに。

解説 : 「縵児(かづらこ)の悲劇」と言われる伝説があります
昔々 三人の男たちが一人の 娘(ヒカゲノカズラを髪に飾った娘) を好きになり 求婚しました
縵児は 思い悩んだ末に池に身を投げました
三人の男たちが 嘆き悲しんで 歌を詠みました
その歌(三首)の一つです


《 見まく欲り 思ひしなへにかづらかけ かぐはし君を 相見つるかも 》
18巻 4120 大伴家持の歌

訳 : お逢いしたいと思っていたところ
かづらを飾りつけた素敵なあなたさまにお逢いすることができました

解説 : この歌の題詞には
「京に向ふ時に (京で)貴人を見たり美人に相(あ)って飲宴する日のため
あらかじめ憶(おもひ)を述べて作る歌二首」とあります
合コンの前に あらかじめ 口説き文句を作っておいたという
さすが プレイボーイの (家持) らしい 歌です


《 あしひきの 山下 ひかげかづらける上にや さらに梅をしのはむ 》
19巻 4278 大伴家持の歌

訳 : 山の下蔭に生える ヒカゲノカズラを 髪の飾りのかづらとしているのに
どうしてさらに梅を褒めようとしているのですか

解説 : 大伴家持が新嘗祭の時によんだ歌です
神事の際に ヒカゲノカズラを飾りとして使っていたことがうかがわれます


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九州国立博物館 では
特別展『 古代日本と百済の交流 - 大宰府・飛鳥そして公州・扶餘 』が 開催中です

明日 は 『七支刀』を見に 太宰府 行こうかな





by nonkei7332 | 2015-01-16 14:16 | 万葉集 | Comments(0)


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大伴家持の像



664年に 中大兄皇子 が〈防人と烽(のろし)の制度〉を作ります

これは、前年(663年) 百済を助ける為に 唐・新羅 の連合軍と戦いますが

〈白村江の戦い〉に負けたために 対馬・壱岐・筑紫に兵を配置したり

水城を作ったりして 防衛網をつくる為のものです

敗戦により 九州の兵の多くが 唐の捕虜となったために

徴兵令を敷いて 集めた兵が 《 防 人 》とよばれています

主に 東国から 2000人の名もなき民が その役を課せられました

防人の任期は 3年 です 全てが自己負担という 厳しいものでした

生きて 帰れるかどうかもわからない 戦役でした

残された家族の思いは 計り知れません


そのころ 《 大伴家持 》(おおともやかもち)

兵部少輔の職にあり 東国から防人の兵士を集め

難波津から筑紫に向かって船出させる任にあたっていました

家持は 東国の国府に 防人達の歌 を集めるように 命じます

その中から 84首 の歌を選び 自らも 23首の歌を歌いました


万葉集巻二十には

「天平勝宝七歳乙未二月、相替へて筑紫の諸国に遣はさるる防人等が歌」とあります


《 防人に 行くは誰が背と問ふ人を 見るが羨しさ 物思ひもせず 》

万葉集巻20-4425 作者 : 不明


訳 : 「防人に行くのはどなたのだんな様だろうね」と

何の悩みも無く 話をしている人を見るとうらやましくて仕方ありません

(筑紫へ向かう 主人を見送る 妻が詠んだ歌です)


《 小竹が葉の さやく霜夜に七重かる 衣に増せる 子ろが肌はも 》

万葉集巻20-4431 作者 : 不明


訳 : 笹の葉が揺れ 霜が降る冷たい夜は 衣を七枚も重ね着をします

でもそれよりも 温かい 妻の肌のぬくもりを思い出してしまいます



家持は 朝廷の指示により 万葉集を編纂するのですが

ある意味で 朝廷の意向を憎む 民の声を どうして こんなにも

たくさん 残そうとしたのか という 疑問が残ります

私は 家持の中に 抑えることのできない 衝動があったように思えてなりません

それは かつては 天皇の側近として この国を守って来た 先祖の怨念だったのかもしれません

そうでないとしても 家持にとって 多くの「防人の歌」は

《 反戦歌 》だったのではないでしょうか



いつの時代でも 国家という 魔性に踊らされた 為政者のために

哀しむのは いつも 名も無き民 でした

民の悲しみは 残された家族であり

変わってはならない 故郷の山河だったのです





《 さだまさし 》は 反戦の叫びを「防人の詩」に込めて 歌いあげました



おしえてください


この世に生きとしいけるものの


すべての生命に限りがあるのならば


海は死にますか 山は死にますか


風はどうですか 空もそうですか


おしえてください



《 村上春樹 》 は エルサレム賞の 受賞スピーチで こう話しました


私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです

我々は国や人種や宗教を超えて 同じ人間なのだということ

システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです

見たところ 壁と戦っても勝ち目はありません

壁はあまりに高く あまりに暗くて-あまりに冷たいのです

少しでも勝機があるとしたら

それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること

そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです

考えてみてください 我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります

システムは魂を持っていません システムに我々を搾取させてはいけません

システムに生命を任せてはいけません システムが我々を作ったのではありません

我々がシステムを作ったのです



今日も テレビのニュースでは フランス で起きた 悲劇が 伝えられています


そして 日本では 新春恒例の宮中行事『歌会始の儀』を あったことを

21,000人の国民が 歌を送ってきたことを テレビで 伝えています


《 夕やみの せまる田に入り 稔りたる 稲の根本に 鎌をあてがふ 》


天皇陛下は 毎年植えた稲を鎌で収穫される 秋の情景を詠まれました


21000首の「歌会始の歌」 そして 98首の「防人の歌」

同じ 日本人の歌だということを 私達は忘れてはいけないのです


今日 太宰府天満宮の「飛梅」が 例年より 16日も早く咲いたそうです

国博での 七支刀展示に 合わせてくれた 菅公の 計らいみたいですね

この星の ほんとの春は いつになるのでしょうか



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プリムラジュリアン の 花








by nonkei7332 | 2015-01-14 23:43 | さだまさし | Comments(0)


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万葉集 の中には 26首 の 撫子の歌 がありますが
そのうち 《 大 伴 家 持 》の歌が 12首 もあります

家持 にとっては 撫子は 『 撫でしき 女(ひと) 』だったのでしょうか



《 一本の なでしこ植ゑしその心  誰れに見せむと 思ひ始めけむ 》                   巻18-4070

訳 : 一本の撫子 を植えたのは 誰に見せようと思って植えたのでしょうか


《 我がやどに 蒔きしなでしこ いつしかも 花に咲きなむなそへつつ見む 》             巻8-1448

訳 : 私の庭に蒔(ま)いた撫子は いつになったら咲くでしょうか (咲いたら)貴女だと思って見るでしょう




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《 なでしこが  その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ 》             巻3-408

訳 : もし 貴女が撫子の花だったらいいのに そうしたら毎朝 手に取って愛せるのに

 

《 ひさかたの  雨は降りしくなでしこが いや初花に 恋しき我が背 》                  巻20-4443

訳 : 空からの雨は降り続きます だけど 咲いたばかりの撫子のように 恋しい 貴女です




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九月になると
我が家の ベランダに 撫子の花を 咲き始めました
そんな ある日 私は 夢を見ました
散歩をしていて すれ違う人が みんな 私に こう言うのです

『 撫子の花が 綺麗に咲きましたね 』

なんで知っているのだろう ? 不思議な夢でした
目が覚めて ベランダをのぞくと
撫子の花が なんとなく 元気が無いような 気がしたのです
私は その日の午後 思いつくままに
ベランダの 撫子の鉢を 散歩道の 曲がり角の野辺に 持っていき
そこに 植え替えてあげました
秋の陽を浴びて 撫子の花は 元気になった ように見えました
その日からは 毎日 水を抱えた 散歩です
10月になると 三色の花が 何度も咲き続けてくれました
散歩の時間は まるで 私と撫子の デートの時間です
そんな 私の事を いつも見ていたのでしょうか
散歩をしていて すれ違う人が みんな 私に こう言うのです

『 撫子の花が 綺麗に咲きましたね 』

あの日 夢の中で見た あの 光景でした
〈 デジャヴ 〉頭の中で 海馬が震えていました

午後に 冷たい雨が 降りました
夕暮れに 行ってみると
撫子の花は 嬉しそうに 咲いていました。




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by nonkei7332 | 2014-11-02 23:19 | | Comments(0)


【 野分の旦 】(のわき の あした) とは

秋の暴風雨が過ぎ去った翌日の朝の様子。

台風一過の 朝の様子。 野分(のわき、のわけ)は秋の嵐を表す言葉です




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台風一過 の朝 (野分の旦) は

散歩するのが 私の決まり事になっている

荒ぶる神が鎮まったあとに 被災者の魂に鎮魂の祈りを捧げる

それは 祈りと感謝の儀式でもあるからだ

昨日は思っていたより 雨も風も 強くは無かったが

それでも 吹き戻しの風はかなり強く 窓をかなり揺らしていたようだ


禊を終えた 大地のように 空気は澄み切っていた




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椚 (くぬぎ)の木の下に どんぐりが沢山 落ちていた




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くぬぎ は 古くは 橡 (つるばみ)とよばれ

どんぐりの実やかさの煎汁(せんじゆう)で染色をする

黒に近い灰色 喪服の色のことを 橡色(つるばみいろ)という




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《 紅は うつろうものぞ 橡の なれにし衣に なおしかめやも 》

大伴家持(万葉集巻十八4109)



(訳) : 紅(くれない)で染めた衣はきれいですが

色があせやすいものです

橡(つるばみ)で染めた衣は地味でも

慣れ親しんでいるので やはり良いものですよ


(註釈) : 妻がいるのに若い女に心変わりした

部下を諭した歌だというが

家持のことを 知れば

自分を諭した歌といった方が 正しいかもしれない





『 源氏物語 』二十八帖「野分」光源氏36歳の秋の話


秋のある日 激しい 野分(台風)が都を吹き荒れた。

六条院の庭の草花も倒れ そこへ訪れた 夕霧(源氏の息子)は

混乱の中で 偶然 紫の上 (源氏の妻)の姿を垣間見て

その美貌に衝撃を受ける

その後祖母大宮の元へ見舞いに参上してからも

爛漫の桜のような

紫の上 の艶姿は夕霧の脳裏に焼きついて消えなかった。

野分の去った翌日 源氏は夕霧を連れて 宿下がり中の

秋好中宮を始めとする女君たちの見舞いに回った

玉鬘(夕顔の娘)の元を訪れた時

こっそりと覗き見た夕霧は玉鬘の美しさに見とれると共に

親子とは思えない振舞いを見せる源氏に驚き不審に思う





夕霧と玉鬘の話は「 藤 袴 」にもありましたね

当ブログ 《一願成就》にも関連の記事があり



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藤袴の花










by nonkei7332 | 2014-10-14 15:55 | 日記 | Comments(4)

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《 海神の 豊旗雲に入日さし 今夜の月夜 さやけくありこ 》
天智天皇・万葉集巻1・15

(訳) : 夕空にたなびく旗雲が朱く染まっていく これは 志賀の海神がくれた雲であろうか
今夜の月は きっと 煌々と輝くだろう

(註釈) : 天智天皇の 軍旅の途中 での歌でしょうか
海神(わたつみ) の加護への感謝の想いが伝わってくる歌です



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《 あかねさす 日の暮れゆけば すべをなみ 千たび嘆きて 恋ひつつぞ居る 》
万葉集巻12・2901

(訳) : 秋の夕まぐれは 理由もなく 何度もため息をついてしまいます
あなたのことが 恋しくて たまらないのです



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《 夕闇は 道たづたづし 月待ちて行ませ 我が背子 その間にも見む )
豊前國娘子大宅女・万葉集巻4・709

(訳) : 夕ぐれは道が暗くて見にくいですから 月が出てから 帰りませんか
お帰りになるその姿を 月の光で見ていたい

(註釈) : 月にかこつけて恋人を引き止めようとする 女心が切ないですね




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「秋の日は つるべ落とし」といいます

夕まぐれ(夕暮れ時) は 一日の終わりではなく

今から始まる 夜のプロローグ なのです

空は 雲は 海は 月は 最高の演出で 人びとを 癒してくれます

記憶を 辿ってみませんか

万葉の頃 あなたは どんな人と どんな 夕まぐれを 見ていたのですか










by nonkei7332 | 2014-09-28 11:27 | 万葉集 | Comments(0)


《 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ 》
10巻2110


誰だあれはと 私のことを聞かないでください 

九月の露に濡れながらでも あなたを待っている 私です


夕暮れ時を「たそがれ」というのは
『 誰そ彼 』(たれそかれ)が語源です

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《 臥いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出でじ 朝顔の花 》
10巻2274


ころげまわって 恋焦がれて 死のうとも はっきりとは顔色には出しません

朝顔(桔梗) の花のようには


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《 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻 》
柿本人麻呂11巻2480


道端の いちしの花が 目立つように 私の恋しい人のことを

みんなに知られてしまいました


〈 いちしの花 〉とは 彼岸花のことです
〈 いちしろく 〉とは はっきりと目立つ という意味です

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《 秋風の 寒く吹くなへ 我が宿の 浅茅が本に こほろぎ鳴くも 》
巻10 ー 2158


秋風が寒く吹くにつれて 私の庭の 茅萱(ちがや)のもとで

コオロギが鳴いています


白い毛 を 密生した花穂が 一面に風にそよぐ光景は 大変美しい

若い花穂は 古くから ツバナ と呼ばれている。



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( 秋の夜の 月かも君は 雲隠り しましく見ねば ここだ恋しき )
10巻2299


あなたは雲に見え隠れする 秋の夜の月のようですね 

しばらく会わないと こんなにも恋しい


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by nonkei7332 | 2014-09-15 13:01 | 万葉集 | Comments(0)

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『 大 伴 旅 人 』(おおとものたびと) が


大宰府の帥(長官)として赴任したのは 63歳の時である


多くの官職をこなしてきた 旅人にとって


遠の朝廷(とのおみかど)太宰府は 彼のドラマティックな人生の


最終舞台にふさわしい場所となった



《 やすみしし 我が大君の 食す国は 大和もここも 同じとぞ思ふ 》


巻6ー956


意味 : わが大君(天皇)が治めていらっしゃる国は、


大和(やまと)もこの大宰府(ださいふ)も同じだと思いますよ。



心境 穏やかな 旅の始まりだった


翌年の春 大宰少弐に遷任された小野老を祝い 旅人は 宴を催す


多くの 客人の中には その後 旅人の歌人として


の才能を引き出し 永遠の友となる 二人の人物がいた


一人は 筑紫観世音寺別当 である 『 沙 弥 満 誓 』 (さみまんせい)


参席者の多くが 都への望郷の情にひたる中


満誓はこんな歌をうたって 座を盛り上げた


《 しらぬひ 筑紫の綿は 身に付けて 未だは着ねど 暖けく見ゆ 》

巻3ー336

意味 : 筑紫の綿(わた)で作った衣は まだ着たことはないのですが 暖かそうですねぇ


(筑紫の女性は あたたかそうですね)



そして もう一人は 『 山 上 憶 良 』



《 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それ その母も 我を待つらむぞ 》


巻3ー337


意味 : 憶良どもは もうこれで失礼致しましょう 家では子らが泣いているでしょう


そして その母も私どもの帰りを待っていることでしょう



憶良は 都への望郷の念にも 筑紫の女を暖かい


綿に譬えた 満誓 の艶笑にもなびくこともなく


参加していた下僚たちを代表し 主人の旅人に


辞去の歌を捧げたのである


後日 この宴が生涯続く友情の出発点となる


旅人の大宰府の赴任 は 単身赴任ではなかった


長年連れ添ってきた妻(大伴郎女)も子(家持)も連れての旅であった


その妻が 翌年 亡くなったのだ


旅人の悲しみは尋常ではなかった


《 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり 》


巻5-793


意味 : この世の中が儚く空しいものであるということを思い知った今


さらにいっそう深い悲しみがこみあげてくるものです


旅人は 大きな悲しみを忘れるために 酒に溺れていきました


《 験なき ものを思はずは 一杯の 濁れる酒を 飲むべく あるらし 》

巻3ー338


意味 : なんの役にも立たないことを思うくらいなら


一杯の濁(にご)り酒を飲んだほうがましだよね



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御笠川の カルガモの親子



荒んでいく旅人を見て 山上憶良は挽歌を贈ります それをきっかけとして


その後「筑紫歌壇」といわれる 「万葉集」に収められた数々の歌が


少弐小野老(おゆ)


観世音寺別当 沙弥満誓(さみまんせい)



大伴坂上郎女


などの人々と共に 詠まれていきます



酒を飲み 友と歌を詠み 少しずつ 癒されていく



旅人の前に一人の女性が現れます



『 娘子(おとめ)児 島 』です


児島は「遊行婦女(うかれめ)」と呼ばれる


宴席に侍り詩歌音曲を奏する云わば芸妓です


が そうそうたる 万葉歌人と同席して歌を詠むだけの


品格と教養を兼ね備えた 女性でした




話はそれますが


万葉集には四人の 遊行婦女(うかれめ)が名を残しています

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「土師(はにし)」


「蒲生(かまふ)」


「左夫流児(さぶるこ)」


そして「児島(こじま)」です


この様な 遊行婦女


と呼ばれる女性達は




その後も 傀儡女(くぐつめ)とか


白拍子(しらびょうし)と呼ばれ


歴史の表裏に登場します


彼らは人形に人の穢れを移し、


舞わすことによって穢れを祓う役目を


果たしていたようですが


遊女である白拍子も 自分自身に穢れを移して、


舞うことによって 穢れを祓っていたのです


白拍子は直垂(ひたたれ)・立烏帽子(たてえぼし)姿ですが


これは巫女の衣装ともとれます


白拍子を舞う女性たちは遊女とはいえ


貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、


教養高い人も多く


平清盛の愛妾となった 祇王や仏御前


源義経の愛妾となった静御前


後鳥羽上皇の愛妾となった亀菊などが知られています


(NHKの大河ドラマ平清盛で 松田聖子が演じた


祇園女御も白拍子ですね)


(右上の絵は 北斎による 白拍子姿の 静御前)



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水城趾




話を戻しますが


旅人にとっては 児島との甘美な日々は



「最後の恋」だったのでしょう


しかし 満誓のいう 「暖かい綿に包まれた」日々は



長くは続きませんでした


旅人は大納言に昇進し、都へ戻ることになったのです



都へ帰る日 旅人の一行は 大宰府を離れ


馬を『 水 城 』に止め、府(太宰府の庁舎)を振り返ります


その時 府吏(太宰府の官吏)の中に


見送る 遊行婦女 が 一人居ました 児島でした


彼(旅人)と二度と会えない ことを歎き



涙を拭い 袖を振りつづけるのでした


当時は 袖を振る行為というのが


最大の 愛の告白表現 だったのですね

 

旅人を見送る 児島の歌です


《 おほならば かもかもせむを 畏みと 振りたき袖を 忍びてあるかも 》


(巻6ー965)


意味 : 普通の人ならああもしたいこうもしたい


でも貴方は偉いお方なので 振りたくてならない袖も じっと我慢しています


 

《 大和道は 雲隠りたり しかれども 我が振る袖を なめしと思ふな 》


(巻6ー966)


意味 : 大和への道は雲に隠れているくらい遠い(それ程、貴方と私の身分は違います)


そうであっても 私が振る袖を無礼だと思わないで下さい

 

 児嶋に贈った 旅人の歌二首である。


《 大和道の 吉備の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思ほえむかも 》


(巻6ー967)


 意味 : 大和へ行く途中にある吉備の児嶋を通る時には、


筑紫の児嶋をきっと思い出すであろう


《 ますらをと 思へる我れや 水茎の 水城の上に 涙拭はむ 》


( 巻6ー968 )


意味 : 立派な男子と思っている私が 水城の上で 涙をぬぐってしまった



周りもかえりみず 袖振る児島の姿に思わず


感涙する自分に びっくりしたのだろうか


旅人の最後の恋は終わった


都に戻った 旅人 は独りに戻ります


《 ほほ人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しかりけり 》


(巻3ー451)


意味 : 人気のないがらんとした我が家は(草枕)旅の苦しさよりもなお苦しく切ないものだ



旅人の人生の長旅が終わりに近づいていた


懐かしい我が家も



彼にとって心安らぐ場所では もはや なかった


そんな折 太宰府の沙弥満誓から歌が贈られてる


《 ぬば玉の 黒髪変り 白けても 痛き恋には 逢ふ時ありけり 》


巻4ー573


意味 : 黒髪(くろかみ)が白くなって(年をとって)も、


せつない想いに出会うこともあるのです( 幾つになっても、男は恋をするものです)


旅人は満誓に 返歌をおくる


《 ここにありて 筑紫やいづち 白雲の たなびく山の 方にしあるらし 》


巻4ー574


意味 : ここからでは筑紫(つくし)はどちらの方でしょうか。


白い雲がたなびいている山の方でしょうか


天平3年 7月 大伴旅人は


帰京後、1年も経たずにその秋の7月(旧暦)に病に伏し


『 萩の花は、もう咲いたか? 』と


何度も何度も 側近に聞きながら


静かに旅立ったのでした


旅人の旅とは いったい 何だったのでしょうか


帰るとこるがあってこその 旅 なのに


都に 帰ってきても そこには 待つべき人は 誰もいなかった


白い雲の向こうの太宰府を 思い浮かべて


旅人の脳裏によぎったのは


今は亡き 妻の姿ではなく


袖振る愛しい女(ひと)児島の姿だったのでしょうか



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萩の花











by nonkei7332 | 2014-08-05 22:37 | 万葉集 | Comments(0)


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〈 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ 〉
(万葉集七巻:1068)

歌聖(柿本人麻呂)の歌です
「天を詠む」と題詞にあるので 空 を詠んだ歌です

[ 海のように 広い空に雲が波立ち、月の舟が
星の林に 見え隠れしながら 漂っているのが見えます ]


私が見た 朝の海(磯良の海)は
青空が海に映り まるで 天の海 でした
波模様が 沙漠の風紋のように拡がり
月の舟は
波の(雲の)切れ間に見え隠れしながら
どこかに 行ってしまったのでしょうか
まるで「月の沙漠」の唄が
聞こえてきそうな 景色の中を
私の魂は 「 月 読 」に 繋がっていきました



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「 月の沙漠 」
 
 月の沙漠を はるばると 旅の駱駝 (らくだ)が 行きました
 金と銀との 鞍 (くら)置いて 二つならんで 行きました

 金の鞍には 銀の甕(かめ) 銀の鞍には 金の甕(かめ)
 二つの甕は それぞれに 紐(ひも)で結んで ありました

 先の鞍には 王子さま 後の鞍には お姫さま
 乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました

 広い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
 朧(おぼろ)にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと

  砂丘を 越えて 行きました
  黙って 越えて 行きました




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遠い古(いにしえ)の海を
はるばると越えてやってきた
王子と姫の物語も
「 月 読 」は 見守っていたのでしょう

明日は
満月です。








by nonkei7332 | 2014-07-11 12:00 | | Comments(2)