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《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて



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神奈備(かんなび) とは

神籬(ひもろぎ) と 磐座(いわくら) の総称でもあります

神が「鎮座する」または「隠れ住まう」

山 や 森 や 岩 や 滝 などの 神域 のことをいいます

今年も たくさんの 神奈備を 訪ねてきましたが

最後の 杜 は 太宰府 五条 でした



伊藤まさこ著 『太宰府・宝満・沖ノ島』を読んで

ずっと 気になる場所が 記事の中にありました


第2章 倭国の成立

(6) 王宮はどこに置かれていたか~太宰府の中心ラインを復元する


太宰府の古代 王宮はどこだったのか という興味深い内容でした

山頂・王墓・神社を結ぶ 古代の祭祀ラインを手掛かりに

消された 歴史を 復元する というのが 伊藤さんの試みです

まず 太宰府の四角形の謎解きでした

〈宝満山〉の西に5km の位置にあるのが 〈大城山(四王寺山) 〉

南に 5km の位置にあるのが 〈宮地岳〉それを結び

もう一点の頂点は JR二日市駅の西側にある 〈塔ノ原〉付近

この 四つの頂点を結ぶと ほぼ正方形の聖域が出来上がるといいます

塔ノ原には 定かではないらしいのですが 何かがあったのでしょう

昔から 宝満山は太宰府の鬼門(東北)と言われているので

その中心となる 王宮の位置は 正方形の中心地点

太宰府天満宮から 南西に 500M くらいに行ったところにある

高尾山の斜面に鎮座する 《石穴稲荷神社》ではなかったかというのが

伊藤さんの 説 でした


天満宮 や 観世音寺 や 竈門神社 や 光明禅寺 に行くことがあっても

この 石穴神社を 訪れる参拝者は 極めて少ないみたいです

近くに住んでいたことがある私でも知らなかった 神社 です

伊藤さんは その由緒と 様子を 詳しく書かれていましたが

どうしても行ってみたいという 衝動には勝てません

近くにお住いの Tomさん に連絡すると 案内しますよ との返事

今年の 最後の神奈備訪問となりました


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場所は 筑紫女学園大学入口のすぐ側にありました

祭神は 宇迦之御霊大神(うかのみたまのおおかみ) 稲荷神です

由緒 は 文献や資料が消失して残ってないので

伝承によると 菅原道真が 太宰府に降られた時に

一緒に来られた神様だとされています どうやら

菅公没後に京都伏見稲荷が勧請されたようです


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本殿の横から 奥に 〈奥の院〉と呼ばれる

巨大な磐座(いわくら)がありました

まず 入口で 靴を脱ぎ 準備してある 履物を履き替えねばなりません

これだけでも エッと 身が竦みます

濡れた 石道を 転ばないように 登りました

聞こえてくるのは 鳥の鳴き声 と 耳をすますと 微かに

高尾山を水源とする せせらぎの音が聞こえます

上り詰めた処に 桃若稲荷神社 の祠があります





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一帯は 2Mから3Mの岩が 重なるように点在する 磐座です

ここが奥の院の入り口 左奥に トタン屋根があり 奥の院 がみえます

足元が滑るので 危険なので奥には進みませんでした

ここは神社境内とは 全くの別空間といってもいいでしょう


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神迎えの 原始信仰としての 神奈備の杜 としての 〈奥の院〉 と

後世 菅公守護の元で 京都から勧請された伏見稲荷の〈本殿〉

神道の変遷が 同時に見られる 特異な聖地でもあるのです


日本書紀 神功皇后62年条に 面白い話がありました

『 新羅からの朝貢がなかったので、葛城襲津彦が新羅討伐に派遣し

新羅 を討とうと した。 『百済記』によると 沙至比跪(襲津彦)は

新羅から出された女性二人を受け取り 反逆して加羅國 を 討 った

加羅王 は百済に 逃げ込み 事の次第を伝える

この事が日本の天皇に伝わり 天皇 は 怒って兵 を送り加羅國を助ける

襲津彦は天皇が怒っているのを知って 公 には 帰らず 潜伏する。

襲津彦の妹に天皇へ仕えている者が居たので

襲津彦は 使 いを 送って 取 り次いでもらおうとする

妹が天皇に夢で襲津彦を見たと伝えてみる と

天皇 はなぜ 帰ってくる と 怒ったという

襲津彦は天皇の怒りが解けない事を知り、石穴に入っ て 自殺した 』


九州王朝説の 古田武彦さんは

『ここに 古代王朝ありき』 の中で

この「石穴」は 太宰府の石穴神社ではないかと書かれています

襲津彦の妹が気になりますが 天皇に仕えていたとなると

襲津彦の娘である 磐之媛は 仁徳天皇の妃だったので

ここにでる 天皇とは 仁徳天皇になるのでしょうか




古代の太宰府の王宮は何処か

その 王 とは

石穴 が 何かを つぶやいていましたが


Tomさん には 何かが聴こえていたみたいですが

私には まだ 聴こえなかったようです





赤 : 石穴稲荷神社
黄 : 大城山
緑 : 宝満山
青 : 宮地岳
紫 : 塔ノ原









# by nonkei7332 | 2016-12-26 09:14 | 古代史 | Comments(0)


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白山連峰




NHKBSプレミアム

『 八百万の神がすむ山河~村治佳織・白洲正子祈りの道を往く』

(初回放送:2011年)の再放送を見ました


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白洲正子



白洲正子 (しらすまさこ)

1910-1998 昭和・平成時代の随筆家

明治43年1月7日生まれ。伯爵樺山愛輔の次女。

夫は 吉田茂の側近で活躍した 白洲次郎。

女人禁制の能舞台に演者としてはじめてたつ。

昭和18年「お能」を刊行し

「能面」「かくれ里」で 読売文学賞を二度受賞

古美術 古典文学 紀行 など 幅広い分野で活躍。

平成10年12月26日死去。88歳。東京出身。



この一年 多くの書籍を読みましたが

誰の本が一番多かったかといえば

〈白洲正子〉の本 だったかもしれません

絞って選んだというより いく先々で 白洲正子に 出くわした

というのが 正しい答えなんです

テーマでいえば 最初は〈能・謡曲〉で出逢いました

それから〈西行〉〈明恵上人〉〈河合隼雄〉〈神仏習合〉

と 続きました


肌触りがいい文章を書かれる方です




この番組は 白洲さんが 歩いた

神の宿る日本の山河 〈美濃〉・〈越前〉・〈吉野〉・〈河内〉を

ギターリスト《村治佳織》さんが 辿る旅でした


白山とは 一つの山の名前ではないのです

加賀・越前・美濃 にまたがる

最高峰の 御前峰(2,702m)・剣ヶ峰(2,677m) ・大汝峰 (2,684m) の

「白山三峰」を中心とした 連峰を 白山と呼びます

白洲さんは 『かくれ里』『十一面観音巡礼』で

白山信仰を開いた 泰澄上人 の跡をたどりました


『 泰澄大師 は 山岳信仰の創始者で

神仏習合の元祖であるといっていい

私は この思想が 日本のすべての文化にわたる 母体だと思っている

明日には 白山の日の出を拝み

夕べには 落日に染まる日本海を眺めたに違いない

十一面観音が現れたのは そういった 瞬間ではなかったか 』




緑 : 越知山
赤 : 平泉白山神社
黒 : 白山




泰澄 は 越智山で 修行を積み ここで 十一面観音を夢見

早く来るべしと お告げを受けたといいます

途中 〈平泉寺白山神社〉により 真東に鎮座する

白山山頂をめざしたのが 泰澄36歳の春でした

御前峰の池のほとりで

十一面観音に化身した 白山の神に出会うのでした


白洲さんは 本の中で こう書かれています


『 周知のとおり 〈本地垂迹〉とは

仏が 仮に神の姿に現じて 衆生を済度するという考え方だが

それは仏教の方からいうことで、日本人の本来の心情からいえば、

逆に神が仏にのりうつって影向したと解すべきであろう。

その方が自然であるし、実際にもそういう過程を経て発達した。

泰澄の場合でいえば、

白山信仰の長い伝統があったから、仏教が無理なく吸収され、

神仏は極めて自然に合体することを得たのである 』


そして


『 神仏混淆の思想では、天竺の仏が衆生を済度するために、

かりに神の形に現じて、垂迹したことになっているが、

事実はそれと反対で、仏教を広めるには、

神の助けを必要としたのではないだろうか。

その差は紙一重でも、意味は大いに違う。

言葉をかえていうなら、

日本の神を経糸に、仏教を横糸にして織りあげたのが、

いわゆる本地垂迹説であった。

ただ相手が黙して語らぬ木や石であったため、


証明することは不可能だが、

日本の自然が私に、そういうことを物語る 』



神仏習合について 私自身 今ひとつ解りにくかったことを

すっきりと 解決してくれたのでした




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百嶋神社系図 一部



白山神社は 日本各地に 2,700社余り鎮座しています

ほとんどの祭神は 菊理媛神(白山比咩大神)・

伊邪那美尊(イザナギ)・伊邪那美尊(イザナミ) の三柱です


主祭神の 菊理媛(白山姫) は くぐり姫 ともいわれます

《百嶋神社考古学》では この白山姫 は

造化三神のひとり 天御中主(アメノナカヌシ)とします

水天宮の神 でもあります

主(ぬし)の神の母であり 大幡主・豊玉彦(ヤタガラス)・大国主・事代主

と続く 白族の祖でもあります

そして 白山姫の 婿は 金海伽耶の 〈金越智〉です

記紀では 〈ウマシアシカビヒコチ〉と呼ばれている神で

越智族の頭領です

越智族の男と 白族の姫の 恋物語が ここにはあります

越智山 と 白山神社 そして 白山頂上を 地図で結ぶと

東西一直線に 繋がっているといいます




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村治佳織さん




村治佳織 (むらじかおり)

1978年4月14日日本のギターリスト 東京都出身

3歳から ギターを習い


1994年に 日本フィルハーモニー交響楽団と共演し


1995年イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行

翌年には村松賞を受賞

第19回日本ゴールドディスク大賞

クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー(洋楽)を受賞

女性ギタリスト 日本ギタリストとして

世界で活躍する一流ギタープレイヤーと名高い





番組の中で 白山の麓での
ギター演奏 です










# by nonkei7332 | 2016-12-20 14:49 | 古代史 | Comments(0)


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雨が降って 濡れ紅葉 が きれいです


《 もみじ葉を何惜しみけむ 木の間より漏りくる月は 今宵こそみれ 》

新古今和歌集592 具平親王(ともひらしんのう)


【通解】

紅葉が散っていくのをどうして惜しんだのでしょう

木の間から洩れて来る 月の光 は 紅葉が散ったからこそ

今宵見られるのです



我ら世代に対する 応援歌にも 聞こえますね


紅葉が散って 白秋(あき) が 深まったとことを嘆いてはいけない


紅葉が散ったからこそ 月の光が見えたじゃないかと


〈今宵こそ見れ〉とは


嘆くな 今こそ 新たな 行動を起こせという意味でしょうか



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福岡管区気象台によれば

15日 2時 福岡で初雪が観測されたようです

夜中だったので 私の網膜にはその光景は写っていません

この冬一番の寒気だそうで

背振山にも 15日 初冠雪 が 観測されました


私が 冬の訪れを 何によって知るかといえば

それは 脊振山の山頂の 冠雪 でした

雪は降らなくても 寒い日が続くと

麓の 私が住んでいた ところからでも

脊振山の山頂が 白く雪に覆われているのが見えました



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登山道にうっすらと積もった雪を集める子どもたち
16日午前10時すぎ
福岡市早良区の背振少年自然の家
(西日本新聞)






寒い雪の季節に 暖かい詩を見つけました



上の雪

寒かろな

つめたい月がさしていて


下の雪

重かろな

何百人ものせていて


中の雪

さみしかろな

空も地面(じべた) もみえないで



『つもった雪』 金子みすゞ詩集より








# by nonkei7332 | 2016-12-17 00:45 | 日記 | Comments(0)


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〈山峡飛雪〉 東山魁夷




父の夢を見ました


寡黙な父が ブツブツと独り言を言いながら


畑の土を 撫でていました


芋を掘るわけでもなく


種を蒔いているわけでもないのです




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〈白い朝〉 東山魁夷




『 ところで 父さん 幾つになったの 』


『 父親の年もわからないほど 頭が回らんのか バカチンガ 』


『 生きていりゃ 105歳 だなぁ 』


『 そういう お前は 幾つになった 』


『 ・・・・』


『 父さん そっちは 寂しくないか 』



『 〈二十億光年の孤独〉とか言って くしゃみしていた 詩人がいたろ 』


『 ・・・・』


『 そいつに比べりゃ 〈百年の孤独〉なんて まだ ちょろいもんさ 』




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〈冬華〉 東山魁夷



畑の傍らには 欠けた皿があって



何かが 動いていました


それは ミミズ でした


父は ミミズを探していたのです


きっと 釣りにいく準備をしていたのでしょうか


嬉しそうな 顔をして


風花の舞う 冬の空を ながめていました






「二十億光年の孤独」・・・谷川俊太郎 (第一詩集)





# by nonkei7332 | 2016-12-13 09:56 | | Comments(0)


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古墳時代の高低差地図に現在地図を重ねたものです
赤色 : 住吉大社
青色 : 高津宮




「 大坂 は 凡そ 日本一の境地なり 」

織田信長 は そう いったそうです

境地とは 何処だといえば それは 上山台地 だと言われています

その言葉を 引き継いだ 秀吉が


その 北端に 大阪城を 築城しました


それ以降の商都としての 大阪の繁栄は 歴史の示すとうり


難波宮(なにわのみや) が台地の北部に造られたのが

652年 孝徳天皇 の頃 その後 天皇一人残されて

飛鳥に遷都されるなど 出たり入ったりの 存在感のうすい都です

発掘されたのも 戦後になってからです

最近はおもむろに 公園などを整備しているようです


《 難波津に 咲くやこの花冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 》


百人一首の序歌とされるこの歌

仁徳天皇の即位を祝った 王仁の作だといわれています

出典は 万葉集ではなく 古今和歌集の仮名序です

謎が多いこの歌

最大の謎は 難波津 は はたして 何処だったのかです


その謎を求めて この台地の 南端に 鎮座する


『住吉大社』

そして 仁徳天皇ゆかりの宮と言われる


『高津宮』を訪ねました



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住吉大社 正面 鳥居




博多に住む者にとって 住吉は馴染みの深い宮です

全国に 2129社 ある 住吉神社の中で

大阪の住吉大社 下関にある 住吉神社 そして 博多にある 住吉神社が

三大住吉といわれています



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住吉大社 は 摂津国一の宮 です

創建は 神功皇后に絡めた話になっていますが

何故か 説得力に欠ける話になっています

(神功皇后に絡む話に 違和感を持つようになったのは何故でしょうか)

文献として残るものからして 8世紀になってからの創建でしょう

綺麗な神社ですが なぜか 魂を揺さぶるような 霊験を感じませんでした



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第一本宮






路面電車に乗って 北へ


途中 谷町線に乗り換え 9丁目で降りて 坂を下ると


『高津宮』の 一の鳥居です


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北に向かって参道を下ると 注連柱(しめばしら)が建っています


文字が刻まれていました


「仁風敷宇宙」「徳化洽乾坤」


仁徳天皇の 治世を表しているのでしょうか



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階段を登ると 本殿に出ます 思ってたよりも小さく


こじんまりとした お宮さんです



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お目当の一つ 狛犬 です


尻尾の数に 意味があるそうですが

どんな意味があるのかは 聞きそびれました



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創建は 866年 です 勅命だそうです


直感で 前が あるなと思いました

摂社 の前で 足が止まります 「これか」思わず声をあげました

比売古曽神社(ひめこそじんじゃ)


〈比売古曽神〉別名 〈阿加流比売神〉(あかるひめ)といいます



〈アカルヒメ〉と 〈スサノオ〉の話は こんな 話です

倭国の主の王 《大幡主》は 新羅の王子でもある

天日穂(アメノヒボコ)こと スサノオ に手を焼いていました

そこで 自分の娘 阿加流比売神(アカルヒメ)を 新羅に嫁がせたのですが

スサノオのヤンチャは収まりません アカル姫 も とうとう

「私はあなたの妻となるべき女ではない 祖国へ帰ります」と言って

小舟を操り 倭国に戻ってきました

大幡主は アカル姫を 豊後の姫島に隠し アカル姫 はそこで

スサノオとの間の娘 市杵島姫を産みます

スサノオは 形相を変え アカル姫を追って 大幡主のもとにやってきました

大幡主は 妹の 埴安姫と 金山彦との娘 櫛稲田姫(クシイナダヒメ)に

スサノオ の 悪行を 治めるようにと 一緒にさせます(出雲神話)

悪行の DNAは 間に生まれた 長髄彦(ナガスネヒコ)が 引き継ぎ

大きな 問題を起こすのでした (神武への謀叛)


大幡主 は 妹の埴安姫の 二番めの旦那 伽倻国大山祇(月読尊)

との間の長女の 神大市姫(かみおちひめ) に スサノオ を託します

神大市姫こと ミズハノメ の霊力により とうとう スサノオ の悪霊は

静めることができたのでした。


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高津宮 灯篭





河内 大阪 を回って 見たいものを 見てきましたが

感じたものは ここは 〈商都〉だということでした

少なくとも 歴史の都 では ないようです

私には アカルヒメ も 仁徳天皇 も 難波津 も 九州筑前倭国の話が

後世 畿内に飛び火しているように思えます

まるで 後出しじゃんけんに 勝った 場所のようだといえば

怒られますでしょうね

古代史の真実は 未だに ふたをされたままのようです




# by nonkei7332 | 2016-12-12 12:16 | 古代史 | Comments(0)