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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて



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興福寺 阿修羅像と八部衆像(一部)




奈良興福寺 阿修羅像 と 八部衆達です



阿修羅 とは



インドにおける 仏教以前の 古代神 八部衆のひとりです



釈迦に帰依して 十大弟子と共に 護身善神となったといいます



ちなみに 八部衆とは



五部浄(ごぶじょう)・沙羯羅(さから)・鳩槃荼(くばんだ)



乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)



緊那羅(きんなら)・畢婆迦羅(ひばから)




本来 闘いの神 荒ぶる神 と言われた 阿修羅



優しい少年の顔をして 合掌している 三面六臂の姿は



何を 物語っているのでしょうか




神亀4年(727年) 待望の男の子 基王(もといおう)の誕生に



光明皇后と聖武天皇の喜びに包まれていました



しかし その 喜びも束の間 愛児は



一歳の誕生日を前にして 亡くなります



失意の中 6年後 亡き基王を偲び 光明皇后によって



阿修羅像 は造られたといわれています




光明皇后 一生も 修羅 の道 だったのでしょう




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光明皇后 小泉淳 作




我が背子と 二人見ませば いくばくか この降る雪の嬉しからまし


万葉集8-1658 光明皇后



〈通釈〉


あなたと二人で この雪を見たのなら どれほど 嬉しかったでしょう



(あなたとは 夫である 聖武天皇 だと言われていますが



亡き 基王 だともいえるのかもしれませんね)









# by nonkei7332 | 2017-04-10 10:30 | 古代史 | Comments(0)


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興福寺 阿修羅像




1922年(大正10年) 48


詩人は 浅い春の北の大地を とぼとぼと 歩きながら


自らの 心模様を 言葉に変えました





心象の はいいろはがねから


あけびのつるは くもにからまり


のばらのやぶ や 腐植の濕地


いちめんのいちめんの 諂曲(てんごく)模様


(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく


 琥珀のかけらがそそぐとき)


いかりの にがさ また青さ


四月の気層のひかりの底を唾(つばき)し


はぎしり ゆききする


おれは ひとりの修羅 なのだ


・・・・





もう 何度も読んだ


宮澤賢治 『春と修羅』の詩です



ひとりの修羅として この世に立ち向かう時


憤り 怒り 口惜しさ 反芻しながら


唾を吐き 歯ぎしりをしながら 歩くしかない


そんな 心象が描かれています





冬は必ず春となります しかし 来る春は



いつも 明るい希望に満ちた春ばかり とはいえません


5年前 4


私は リハビリ病棟の窓の外から


桜の散りそめる風の姿を追っていました


テレビでは 連日 311 悲しみが伝えられていました


慣れない車椅子を右手で引きずりながら


まがりなりにも 生きている自分と


大切な人を失くし 哀切の日々を送る人達のはざまで


私も ひとりの修羅だったのでした





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遅い桜が 満開となりましたが


福岡は 連日の雨です



見る人に 花も昔を思ひ出てて 恋しかるべし 雨にしをるる



西行の歌です


桜目線で この歌を解釈すると こうなります



今年も また 私に会いに来てくれたのですね


私も あの頃のことを 想い出しています


雨に濡れているのではありません


これは 私の涙です








# by nonkei7332 | 2017-04-07 13:12 | 日記 | Comments(0)



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2014年 3月27日 の桜


桜の開花は



〈冬の寒さの厳しさ〉と 〈春先にかけての暖かさ〉が



予想の基準 だといいます



冬暖かすぎると春先の気温が高くても開花が遅れることもあるそうです



それにしても 今年は 福岡の桜は 遅すぎます



今年の福岡は あきらかに 遅春 です



遅春(ちしゅん) とは



すでに暦の上では春になっているのに 冬のなごりで 寒さが残り



春がなかなかやって来ないことをいいます





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2015年 4月2日 の 桜




2015年(おととし) 42 満開の桜 です



この日は 最高気温 26 最低気温 13 でした



ちなみに 3月の平均気温は 15.4



20度以上の日が 6日もありました





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2016年 4月2日 の 桜





2016 (きょねん) 42 満開の桜 です



この日は 最高気温 22 最低気温 14 でした



ちなみに 3月の平均気温は 16.0



20度以上の日が 4日もありました





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今日の 桜




そして



2017 42 (今日) 二分咲きの桜 です



今日は 最高気温15 最低気温 8 でした



今年の3月の 平均気温は 14.6



20度以上の日は 1日もありませんでした





花見の日取りが決まりません








# by nonkei7332 | 2017-04-02 19:50 | | Comments(0)


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筑前国分寺 に 行きました

福岡平野を 南に 走ると 太宰府市の入り口でもある

〈水城跡〉に着きます

そこから 500m 位 先に 国分寺前 という交差点に出ます

左の 四王寺山に向かって 上った辺りが 太宰府市国分地区です

1250年前 このあたりに 聖武天皇が 開基 となる

「筑前国分寺」「筑前国分寺尼寺」が造られました

11世紀の後半には 戦乱で 七重塔も 講堂も焼失しましたが

江戸時代には 草庵跡に 今の国分寺が創建されたとされています



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十一面観世音像




本殿に座ると 正面に 本尊の 薬師如来座像 が


正面に左手に 十一面観世音像 が 配置されています

正面の欄干に 飛天の彫り物が 飾られています

弁財天を思わせるような 琵琶を抱えた 飛天です

古いものではないようですが 見事なものでした



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天平13年(741年) 聖武天皇は 国家鎮護の為

「国分寺建立の詔」をだします


七重塔を建て 今光明教 と 法華経 を写経して 塔に納め

全国 66カ国に 国分僧寺 と 国分尼寺 を 一寺ずつ設置し

僧寺の名は 金光明四天王護国之寺

尼寺の名は 法華滅罪之寺 とすることという


壮大なものでした


この頃 飢饉や天然痘などの 流行などで

国土は疲弊していました

聖武天皇は その救いを 仏教に求めたのですが

実は その裏には 天皇をそこまで導いた 二人の女性がいました

一人は 母である 藤原宮子です


そして もう一人が 皇后の 光明皇后(光明子)でした

宮子 と 光明子 は 共に 藤原不比等の 娘(異母姉妹)です

この二人の 女性に大きな影響を与えた 一人の僧侶がいました

その名を 『 玄 昉 』(げんぼう) と言います

歴史において 大きな功績を残しながらも 闇に書き変えられ

悪人とされた 人物が何人もいますが

玄昉も その一人だと 私は思っています

太宰府に流され そこで亡くなった 菅原道真 は誰もが知る人ですが

同じように 太宰府に流され そして そこで 観世音寺 を作り

落成したその日に 殺された 玄昉 について 知る人は少ないのです

私は 奈良東大寺 も 奈良法華寺 も 全国の国分寺 の建立も

二人の女性を通して


天皇にその気にさせたのは 玄昉 だと思っています



玄昉 は 霊亀2年(716年) 留学僧として 唐に渡ります

18年間の修行を終え 唐の玄宗皇帝から

三品に准ずるとされ 紫衣を許されました

天平7年(735年) 経論五千余巻 や 仏像 を携えて

吉備真備らと共に 帰国します

後世 日本仏教の開祖として伝わる 最澄 や 空海 と雖も

唐での高僧としての評価は 玄昉の方が

上だったのではないでしょうか

持ち込んだ 経巻 の数が それを物語っています

のちの 仏教の拡大には 欠かせない 経典ばかりだったようです

聖武天皇を取り巻く 政局が大きく変わり 藤原仲麻呂は

玄昉を 観世音寺 開設の名目で 太宰府に送り そこで 殺します

史実は 〈藤原広嗣の乱〉の残党達の仕業にされていますが

恐らく それも 嘘です 書き換えられています



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春の穏やかな 陽射しの中

戒壇院 裏にある 玄昉の墓を訪れました


手を合わせ 玄昉 の霊に向かって 私は喋っていました


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お前さんが造った 国分寺に行ってきたぞ

菅公 や 広嗣 の 無念も合わせて 鎮めてやってくれ

阿刀玄昉 物部の血を引く お前の生きてきた道に 嘘はなかったぞ

どうか 安らかに 眠ってくれ



どこから 飛んできたのか 紋白蝶 が 一頭

私の前を 横切っていきました




赤 : 筑前国分寺
緑 : 玄昉の墓










# by nonkei7332 | 2017-03-31 11:15 | 菅公・太宰府 | Comments(0)


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春雷





『雷乃発声』(かみなりすなわちこえをはっす)

暦の七十二候(3月30日頃)

春の訪れを告げる雷が鳴り始める頃

「春雷」(しゅんらい)は「虫出しの雷」とも呼ばれています



深夜 目が覚めました

外は 春雷 が 鳴っています

記憶をたどって ノートから 一遍の詩をみつけだしました

『きけ わだつみの声』『日本戦没学生の手記』

田邉利宏さんの 「従軍詩集」より

田邊さんは 日本大学卒

昭和16年8月 中国華中にて戦死26歳とありました




《 夜 の 春雷 》


 はげしい夜の春雷である。

 鐵板を打つ青白い雷光の中に

 俺がひとり石像のように立ってゐる。


 永い戦ひを終へて

 いま俺達は三月の長江を下ってゐる。

 しかし荒涼たる冬の豫南平野に

 十名にあまる戦友を埋めてしまったのだ。

 彼等はよく戦ひ抜き

 天皇陛下満歳を叫んで息絶えた。

 つめたい黄塵の吹きすさぶ中に

 彼等を運ぶ俺達も疲れはててゐた。

 新しく堀りかへされた土の上に

 俺達の捧げる最後の敬禮は悲しかった。



 共に氷りついた飯を食ひ

 氷片の流れる川をわたり

 吹雪の山脈を越えて頑敵と戦ひ

 今日まで前進しつづけた友を


今敵中の土の上に埋めてしまったのだ。

        
はげしい夜の春雷である。

 ごうごうたる雷鳴の中から

 今俺は彼等の聲を聞いてゐる。

 荒天の日々

 俺はよくあの掘り返された土のことを考へた。

 敵中にのこしてきた彼等のことを思ひ出した。

 空間に人の声とは思へない

 流血にこもった喘ぐ言葉を

 俺はもう幾度きいただらう。



 悲しい護国の鬼たちよ!

 すさまじい夜の春雷の中に

 君達はまた銃剣をとり

 遠ざかる俺達を呼んでゐるのだらうか。

 ある者は脳髄を射ち割られ

 ある者は胸部を射ち抜かれて

 よろめき叫ぶ君達の聲は

 どろどろと俺の胸を打ち

 びたびたと冷たいものを額に通はせる。

 黒い夜の貨物船上に

 かなしい歴史は空から降る。

 明るい三月の曙のまだ来ぬ中に

 夜の春雷よ、遠くへかえれ。

 友を拉して遠くへかえれ。
                              



# by nonkei7332 | 2017-03-27 05:15 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ