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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて




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六日のあやめ 』という があります


ここでいう 六日というのは


56 今日のことです


時機に遅れて役に立たないこと 》をいいます


55日の 端牛の節供 用いる菖蒲(あやめ)は


六日では もう 間に合わないという意味です




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端午の節供 〈菖蒲の節供〉ともいいます


菖蒲 厄祓い に使うのです


この国では 季節の変わり目に 五節供 』といって


厄祓いの行事をおこなってきました




人日(じんじつ) : 17 七草の節供



上巳(じょうし) : 33 桃の節句



端午(たんご) : 55 菖蒲の節供



七夕(たなばた) : 77 笹の節供



重陽(ちょうよう) : 99 菊の節供





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端午の節供


男の子の祭りという イメージが定着していますが


じつは 古代では 女の子の祭りだったのです


あまり知られていませんね



田植え月である 5月になると 「五月忌み」という行事をしていました


田植えは 早乙女(若い清らかな女性)がするものとされ


田植えの前に 一定の日々で 心身を清める 「物忌み」をしていました


蓬(よもぎ)や菖蒲で屋根を葺いた小屋に一晩籠って 穢れを祓ったのです



その後、武士の時代になると


「菖蒲」が 武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じることから


いつの間にか


男の子のおまつりに変わってしまったのでした





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菖蒲の花をみていると やはり この花は 女の子の イメージです


「六日のあやめ」の 主人公は 女の子なのです


そんな 若い女の子の 不安な想いを


さだまさし 名曲 六日のあやめ 』で 詠いました





子供の頃から 遅れて咲いていた


六日のあやめと 笑われて泣いた


遅れまいとしたら 転んで怪我をした


十日の菊と あきらめて泣いた




やっと大人になったのに


変らないのが悲しくて


そうつぶやいたらあなたは


遠くを見ながら笑った




遅れて咲いても 花は花


実らなくっても 恋は恋


叶わなくっても 夢は夢


届かなくっても 愛は愛


ほら 一番星みつけた




子供の頃から 年寄りっ子だった


三文安いと 笑われて怒った


怒るまいとしたら 涙がこぼれた


母だけが笑った 明日天気になあれ




こんな私でもいいですか


変らないけどいいですか


そうつぶやいたらあなたは


また遠くを見ながら笑った




雲にかくれても 月は月


飛べなくっても 鳥は鳥


どこへ流れても 水は水


変らなくっても 君は君


ほら 一番星





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# by nonkei7332 | 2017-05-06 13:10 | さだまさし | Comments(0)


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御島神社鳥居 と 立花山




御島 とは 神がいた 神の島でした



〈香椎潟〉と呼ばれる 海岸線があって



万葉集に 三首 詠われています




いざ子ども 香椎の潟に 白袴の袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ


6956 大伴旅人(おおとものたびと)




時津風 吹くべくなりぬ 香椎潟 干の浦に玉藻刈りてな


6957 小野 老(おののおゆ)




行き帰り 常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には 見むよしもなし


6958 宇努 男人(うぬのおひと)





太宰府の官人達は



香椎宮に詣る ことが 日常であったみたいです



その帰りに 香椎の浜まで来て



遊んだ思い出を詠んだ歌なのでしょう





その 香椎潟 御島 がありました



今は 島の姿はなく そこに鎮座していたであろう



神社の 鳥居 海の中に ぽつんと立っています



その 神社とは 〈御島神社〉です 香椎宮の末社 です



祭神は 綿津見神 です




この神社の由緒が 『八幡本記』には こう書かれています




香椎宮の西、浜男と云ふ所の浜、是即ち橿日浦なり。



ここより八、九町ばかり沖に大岩あり。是を御島と云ふ。



則ち、皇后のいたり給ひて、御髪をすすがせ給ひし処なり。



岩島にて其の上に御島神社の社あり。」




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御島グリーンベイウオーク 全景




香椎潟は 埋め立てや 都市開発で 綺麗になりました



今や 私の お気に入りの ウォーキングコース なのです



最近 名前がつきました 御島グリーンベイウォーク



新緑の 立花連山 眺めながら 2900M のコース






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〈香椎浜北公園〉をスタートして 〈片男佐橋〉を渡り



〈香椎海岸遊歩道〉を歩きます






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海上の人道橋と日本最大級を誇る 〈あいたか橋〉を渡ると



〈アイランドシティ外周緑地〉最後に



〈御島かたらい橋〉を渡ってゴールです




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海岸の欄干に シロツメクサ 作った



髪飾りが掛けてありました




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神功皇后は ここで 髪を洗い 髪を結い上げて



男の髪型にしたという



伝説が残っています 三韓征伐の出発地なのです



女から 男に変わった場所なのです



頭に飾ってあった かずらを外して ここに 掛けたのでしょうか





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今日は 子供の日



戦さなどない



いつまでも 平和な国であって欲しいですね







# by nonkei7332 | 2017-05-06 11:20 | 日記 | Comments(0)


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狛 魚




どこの神社でも よく 見られるのが 狛犬 (こまいぬ) です



入り口 辺りに 一対 置かれています



獅子 狛犬 だけではなく 神仏の 守護獣 として



多くの 動物 その役目を果たしています



一般には「神使」といわれています



神の使いですから そこの 祭神と



何らかの縁のある 動物が置かれているわけです



有名なのが 稲荷神社の 〈狐〉であったり



弁財天 〈蛇〉であったり 毘沙門天 〈虎〉だったりします



さて 名島神社 には 全国でも 珍しい



》が あります



ギョ ギョ ギョ~ 初めて見た人は そう云います





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シーラカンス




生きた化石といわれる 深海魚



シーラカンス (coelacanth) によく見ると 似ていますよね



対馬の琴崎にある 胡禄神社の伝承に 海神の姿を



金鱗の蛇 》だという話が残っています



もともと 名島神社は 明治になるまでは 名島弁財天 として



世間に認知されていたわけですから も絡んで 当然です



狛魚 = シーラカンス = 金鱗の蛇 = 海神



名島神社の謎解き こんなところにもありました





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名島神社 の 千木





ところで 名島神社の 祭神はと いえば



宗像三女神 田心姫 ・湍津姫 ・市杵島姫 ) です



ところが 神殿の千木 をみると 男千木 です



もうひとつの



この神社の古祭神 女神ではなく 男神 かもしれません



このパターン いくつか見て来ました



宗像大社 呼子の 田島神社 もそうでした



そこに 隠れて 鎮座する 古祭神 大国主命 でした




神殿の裏に鎮座する 摂社 を見てみると





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妙見宮 (天之御中主神)




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大黒天社 (大国主神)




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恵比須社 (事代主神)




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百嶋系図 より 主の神々




主の神 (ぬしのかみ) の勢揃い ですね



とすると 古祭神は



〈大幡主 = 大若子〉もしくは 〈豊国主 = 小若子 = 豊玉彦) となります



海神といえば 安曇磯良 を思いますが



磯良 もっと 後世の 海人族の主だと考えています



ここでは 豊玉姫の父 豊玉彦 》が 名島神社の 古祭神なのでしょう





名島神社 そうですが 北九州には



神功皇后の伝承 が多く残されています



日本書紀 異様なほど 神功皇后紀 多くの紙面を割かれています



そこには 九州王朝 (神武・懿徳・孝霊・孝元・開化・仁徳)



存在を隠そうとする 畿内王朝の意図を感じます



私的な考えですが 神功皇后の三韓征伐は 作り話だと思っています



『三国史記』にも 史実として 幾たびかの



倭国の新羅への侵攻の記事が書かれていますが



とりわけ 斉明天皇(女帝) 新羅侵攻



だぶらせて 描かれたのではないかと 私は思っています





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本殿四角 の 四神
東 の 青龍


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南 の 朱雀





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西 の 白虎





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北 の 玄武









豊玉彦 別称 八咫烏 (やたがらす) です



同じ 鳥でも カモメ カモメ



海神神社 の中を カモメ達は 自由に 走り回っていました







# by nonkei7332 | 2017-04-26 20:48 | 古代史 | Comments(0)


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名島神社から見える 博多湾





カモメ達が 登っていった後から



最後に 神社の階段を登りました



途中 左手に下り曲輪〉と呼ばれる 土俵のある 広場から



遠くに 志賀島が見える 見晴らしのいい場所があります



そこから 見える海が



〈 磯良の海 〉です



そう 名づけたのは 私 です



今では 100年公園 カモメ大橋 にさえぎられて



能古島 志賀島 隠れてしまいますが



ほんの 50年前迄 は



島影 の美しい 景観だったのでしょう




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博多湾屏風図






博多八景 〉という 博多の町の 景勝地がありました



近江八景 金沢八景 というのは 有名ですので



博多八景 なんて 二番煎じゃないの と思われるかもしれませんが



実は 中国北宋時代 元祖八景〈瀟湘八景〉に影響を受けた



日本での 最初の八景は 博多八景 》だったのです



初代八景は 中世 鎌倉末期



聖福寺の僧 〈鉄庵道生〉(てつあんどうしょう)



八つの景観に合わせて 漢詩を作ったのが 初代です





香椎暮雪(かしいぼせつ)


箱崎蚕市(はこざきさんし)


長橋春潮(ながはししゅんちょう)


荘浜泛月(しょうはまはんげつ)


志賀独釣(しかどくちょう)


浦山秋晩(うらやましゅうばん)


一崎松行(いっさきしょうこう)


野古帰帆(のこきはん)





その後 近世 江戸時代 に書かれた『石城志』(せきじょうし)という



博多紹介本には また 違った 八景が 書かれています





濡衣夜雨(ぬれぎぬやう)


箱崎晴嵐(はこざきせいらん)


若杉秋月(わかすぎしゅうげつ)


奈多落雁(なたらくがん)


博多帰帆(はかたきはん)


横岳晩鐘(よこたけばんしょう)


竃山暮雪(かまどやまぼせつ)


名島夕照(なしませきしょう)






余程の 博多通でないと 場所が 特定できませんね



この中で 名島夕照 があります



名島海岸から 見える



島影に沈む 夕陽 朱く染まる海が



絶景だとされたのでしょう






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名島海岸から 落ちていく夕陽を 写していました




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夕陽に 飛び込んできた カモメです



カモメ大橋 から写した



お気に入りの 一枚 です




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カモメ達は



拝殿横の 手水舎 囲んで 清めの作法 を習っていました



飲んじゃダメ ! 口をゆすぐだけ ‼︎



キョトン とした 男の子が 私に云いました



どうして 飲んじゃ ダメなの







# by nonkei7332 | 2017-04-26 06:45 | 古代史 | Comments(0)



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名島神社 二の鳥居




名島海岸 を通り過ぎると



名島神社の入り口 に出ます 二の鳥居です



珍しい 両部鳥居です



道路をはさんで 海岸には 一の鳥居が あります



海岸下手 小さな祠があります




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名島神社 古宮





何も知らない 一人の子が その前で手を合わせていると



ぞろぞろと 後から来たカモメ達が



同じように 手を合わせていきます



何とも 不思議な光景を 私は 見入っていました



祠には 何も書かれていませんが



実は ここは 名島神社の 古宮〉 です




古代より この神社は



島(名島は島だった) の頂上に鎮座していましたが



中世 豊前大友氏の庶流



立花家7代の 立花鑑載(たちばなあきとし)が



立花城の出城として 築いたのが 城の始まりで



その後 秀吉が 筑前を 小早川隆景 に与えると 隆景は



名島城を 改修して 居城に仕上げます




その際 頂上の社を 海岸下手に移動させたのが



この祠の場所だったようです




黒田長政が 名島城を廃城にすると




現在の位置に 社殿は移され 古宮は



昔の面影として 小さな祠が残っているだけになっているのです





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庚申塚




二の鳥居の横には 大小数体の 石碑が建っています



石碑というより これらは 〈庚申塚〉です



庚申塔 とも呼ばれる これらの 石塔は



福岡の町のあちらこちらでも 見られます



庚申信仰 の始まりは 古く 奈良時代だと言われています



その後 平安貴族や 武士階級にも拡がり



猿田彦 地域を護る 塞の神 田の神 地蔵尊とも習合した



道祖神信仰として 民間にも 拡がり



江戸から明治にかけて 大流行します




庚申信仰は 中国の道教が起源です



人の体には 〈三尸の虫〉(さんしのむし) という虫が



生まれた時から 誰にでも 住みついていて



60日に一度 庚申の日の夜 人が眠っている間に



天に昇って 人が行なった 悪事を報告しに行くといいます



それによって人の寿命が短くなったり 死んで地獄に落ちたりするので



だったら その夜は 寝ないで過ごそうというのが



〈庚申待ち〉といわれる 行事です 近所で集まって



朝まで呑み明かすという 行事が 全国的に流行したそうです



庚申待ち 3年続けると その記念に 石碑を建てたといいますから



江戸時代には 町中 庚申塚 だらけになったそうです



明治になって 廃仏毀釈にともない 庚申信仰は迷信だとされ



政府は 多くの 石塔を壊します



それ以来 庚申信仰は急速に衰えてしまいました



まだ 未だ 地域によっては 多く 残っている所も あるようですが



町の景観の変化に いつかは 無くなっていくのでしょうか





名島神社脇の 庚申塚 には



「庚申大福神」「青面金剛」と書かれています



〈青面金剛〉は 仏教系の庚申塔の性格が強いとされる



三尸の虫を抑える 神様です





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神社の階段を


若葉が薫る 木洩れ陽の中を


カモメ達は 翔ぶように 登っていきます


危ないぞ 走るな~‼︎


私の声は 全く 無視されていました









# by nonkei7332 | 2017-04-24 21:20 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ