『 飛ぶ夢をしばらく見ない』
脚本家の 山田太一 さん が
本格的に小説を書いた第一作です
二作目の〈山本周五郎賞〉を授賞した『異人たちとの夏』や
三作目の『遠くの声を探して』と合わして
山田太一のファンタジー三部作として
良く読まれている小説です
夢という異次元空間への旅 そんな内容だったと思う
問題は 〈飛ぶ夢〉そう 空を飛ぶ夢の話をしようと思う
人は 夢を見る
私も人並みに夢をみるのだが
少年の頃の私は枕元にノートとペンを置いて
毎朝 夢の日記をつけているような
夢 大好き少年の変わった子供だった
じつはその頃から 空を飛ぶ夢を それも頻繁に見ていた
あのスーパーマンのように地面を蹴って空を飛んだり
宙に浮かんで 空を泳いだり あるときは自分だけではなく
人と手を握って 一緒に空を飛ぶ事もできる
実に爽快で不思議な夢をみることの出来る少年だった
ある日の事
私は夢が覚めないまま ランドセルを背負って
田んぼの畦道を歩いていた
不意に 走り始めた私は 大空に向かって 地面を蹴ったのだ
その瞬間 夢が覚めた
私の頬は 嫌という程 大地とキスをした
学校の保健室の先生が
「何をしていたの?」と聞かれた
「空を飛ぼうと思って でも 飛べなくて・・」というと
先生は 笑いころげていたが
私は 恥ずかしさと悲しさで 失意の底にいた
誰でもそんな夢を見るんだと思って
何人かの友達に聞いてみたが
変人みたいに思われてからは
それ以来 飛ぶ夢のことは 人に話すことは止めた
それでも 長い間 飛ぶ夢は見続けていた
ある日 画家の シャガール の絵を見た
彼の絵の多くは 空を飛んでいる絵ばかりだったのだ
シャガールも おそらく 飛ぶ夢を見ていたんだろうと思った
山田太一の小説もみんな読んだが 彼もまた
飛ぶ夢を見ていたにちがいない
どうやら 変人は 私だけでは ないのだと
密かに思っていた
2010年12月31日
なんの 祟り だったのだろうか
私の頭の中で 思いもしない 大津波が起こり
私の左手と左足の動きをとめた
風花が舞う 街の中を 救急車に揺られながら
私は間違いなくあの空を飛ぶ夢を見ていた
あの日から 三年の月日がすぎた
不思議だが あの日から
・・〈飛ぶ夢をしばらくみない〉
はたして 変人を 卒業したのか
それとも 大事なものを 無くしてしまったのかは
私にも わからない。