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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて



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鬼の面


いよいよ 今年も カウントダウン です



正月 といえば 古代から 行われて来た 祭事があります



》(ついな) と呼ばれています



追儺とは 大晦日(旧暦1230日)の宮中の年中行事であり



平安時代の初期ごろから行われている 鬼払いの儀式



「鬼やらい」「儺やらい」と呼ばれている とあります




もともと 正月 とは 村人 歳神 を迎えるための祭事だったようです



民俗学者 「折口信夫」よると



歳神と言ふのは 毎年春の初めに 空か 山の上から 来る神で



年の暮れに 村人が歳神を 迎へに行く』と書いています



大晦日に 山に登って 日の出を見る 〈御来光〉もこれが起源でしょう



正月の門松も 歳神が 家を間違えないようにと作られた 目印でした



それでは お迎えした とは なんだったのか



折口は 〈まれびと〉とか 〈常世神〉と言っていますが



それは 海を渡って来た 先祖神 だったのです



一年の豊作と幸せを 村人にもたらす 先祖を祀り



厄災を祓う 神事こそが 正月だったのです



追儺》とは 本来 儺=鬼 を追慕する神事 〉だったのですが



いつの頃か 儺=鬼 を追い払う神事 〉へと変わっていったのです



ここに 古代歴史の 隠された 真実 があるようです



とは 〈儺の国〉きらびやかな かつての九州王朝 です



畿内藤原王朝にとっては 歴史から消さなくてはならない



復活させてはならない 恐るべき 存在だったのです



全ての厄災は 九州王朝 の祟りだと決めつけ



その存在を 〈鬼〉にしてしまったのでした



藤原広嗣の乱 菅原道真 に対する 異常なまでの 報復や修正は



それを 物語っています



追儺 の神事は 後世 節分祭 に同化されました



今でも 「鬼は外」と 言って 鬼を祓う 行事として残っていますが



古代の 村人は 「鬼は内」と言って 先祖を迎えたのです



この 矛盾 に気がつかせないほど 畿内王朝の 見事なほどの



歴史隠蔽 現代も引きずっているのです




明日は 冬至 です



かぼちゃ (南瓜) 食べて 柚子湯 に浸かって



〈一陽来復〉に 感謝しましょう



http://hisamitsu.exblog.jp/25202634/ 一陽来復については クリックして下さい




# by nonkei7332 | 2017-12-21 15:15 | 古代史 | Comments(0)


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志賀海神社 左奥に見えるのが 摂社 今宮神社



私が大好きな 神社 ナンバーワン



志賀海神社 》です



志賀海神社 の創建 は明らかではありません



祭神は 綿津見三神 となっていますが 伝承によれば



もともと 勝馬 に鎮座していた 沖津宮 仲津宮 表津宮



1800年前に 勝山の麓(現在の地)に遷座したとされています



志賀海神社 には 〈摂社〉が 四社 ・〈末社〉が 十九社 あります



摂社 沖津宮(勝馬)・今宮神社・弘天神社(弘)・大嶽神社 (大嶽)です



この中で 今宮神社 だけが 何故か 志賀海神社 の境内 にあります



これは 想像ですが 現在地に遷座される前には



ひょっとすると 現在社殿のある場所には



今宮神社が すでに 鎮座していたのではないかと思えます





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今宮神社




今日は 《今宮神社》について 考えてみます



由緒書きによれば



祭神は 宇都志日金折命 : (うつしひかねおりのみこと)



住吉三神 : 安曇磯良丸をはじめ神孫安曇諸神



となっています






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さて 主祭神の 《宇都志日金折命》とは 誰のことでしょう



安曇磯良をはじめとする 安曇族の祖神 とされている 神です



宇都志日金折命 とは 奴国王大幡主 の皇子



〈豊玉彦〉のことなのです




豊玉彦 と 櫛稲田姫 とに生まれたのが 鴨玉依姫



鴨玉依姫 彦火火出見尊(ウガヤフキアエズ) こと 山幸彦



間に生まれたのが 安曇磯良 だと いわれています



豊玉彦の孫 が安曇磯良 なんです ( 百嶋系図参照 )





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さて 今宮 とはなんでしょうか (辞書には)


新たに生まれた皇子。


本宮から神霊を分けて 新しく祭った神社(別宮)


若宮・新宮(しんぐう)。



とすると 現社殿のある 場所には


今宮神社こと 豊玉彦を祀った 別宮があったのではないか


豊玉彦の 海の活動拠点として 志賀島の 存在が浮かび上がります


陸の拠点といえば そういえば


海の中道の根っこには 安曇郷 と呼ばれた 新宮町 ありますね



安曇磯良 を始めとする 安曇の故郷 志賀島


実は 祖父 奴国の皇子 神武天皇を支えた


豊玉彦(ヤタガラス)の 一大拠点 だったのです








# by nonkei7332 | 2017-12-12 08:40 | 古代史 | Comments(0)


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初雪葛 (ハツユキカズラ)




福岡 初雪 です



平年よりも 10 早いそうです



先週は 小春日和 今週 は冬隣り



朝の 旗振り 一年の中で もっとも 辛い季節 です



息子が 高校時代に使っていた アディダスマークの



ニット帽を 深々と 耳まで被せて



小雪の舞う中を 部屋を出ました



ポッケット の中には ピンクの小さな 手袋が入っています



2年生の 〈スーチャン〉 への プレゼントです



スーチャン ピジャブ を被った ムスリマ です



きれいな 日本語を喋る 笑顔の可愛い 女の子です



先週 『寒い寒い 手が冷たいよー』といって



小さな身体を かがめて 登校していました



今朝『 使っていいよ』といって 手袋を 渡すと 嬉しそうに



『ありがとうございます』と 元気な声が帰ってきました



実は 先週 イオンの100 見つけた 手袋です



いつも 笑顔をくれる ほんとに ささやかな お返しなんです



旗振りおじさんも 六度目の冬を 迎えます



あと 10 今の4年生 二十歳になるまで 目標です



明日も雪の朝 でしょうか



天気予報が恨めしい日々が続きます。




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# by nonkei7332 | 2017-12-05 17:33 | 日記 | Comments(0)


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三隈川



小春日和の週末 日田に行きました



バスが 朝倉付近に通る時



車窓から 災害地の 削り取られた 山肌や



流木が覆われた 傷だらけの町の景色が 目に入ってきます



朝倉 杷木 を通り 右手に 夜明ダム を見ながら



バスは 盆地である 日田の町に入って行きます



日田は 林業の町で 天領であった古い町並みが残る 豆田地区には



多くの観光客であふれていました



町の主役は 町の真ん中を流れる 鵜飼で有名な



九州一の大河 筑後川の 上流です



日田の人々は この川を 《 三 隈 川 》(みくまがわ)と呼び



郷土の川として 誇りを持っていて 決して 筑後川とは言わないのです




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日田 と三隈 の地名は 「豊日記」「豊後国志」に 記述されている



『日と鷹の伝説』に隠されています




日田盆地が 大きな 湖だった頃



ある日 東から 大きな鷹が飛んできて 羽根を水面につけると



大きな波が起こり 夜明(夜明けダムの地名)が決壊して



湖水は 筑後川に流れていってしまいました 鷹は北へ 飛んでいきます



後に残った干潟には 日隈 ・月隈・ 星隈 という



三つの丘だけが残ったのでした




日田郡 の以前の名前は 日高郡 といっていたそうです



日高 日鷹 ヒダカ 日田 に訛ったという説があります



残った三つの丘 を三隈といって 三隈川 の名前になったのでしょう



この昔話は 古代史ファンには とっても 魅力ある お話です



まず 地名の 〈隈〉について



百嶋先生 はこんなふうに話されています




隈とは集落という意味です この隈を使う人々が



九州王朝の招きでこちらのこの地区に異動してきた人々で



この地区とは筑後川流域を連想し てください



日の隈 なんなんの隈が沢山ある 小郡市にも



なんなんの隈が沢山ある・・・』




〈隈〉と言われる種族が 東から(南からという説もある)やってきて



筑後川流域に住み着いた やがて その勢力は 北へ向かう



福岡にも 月隈 ・干隈 ・雑餉隈 など 隈の地名はあります



〈東から飛んできた鷹〉いったい どんな種族だったのでしょう



考えられるのが 秦氏 ですね



はた 日田 ひた になったという説もあります



秦氏 新羅系の渡来人で 豊前 を拠点にした人々です



秦氏の頭領 金山彦 その血を受け継いだのが 新羅の王子



天日鉾(アメノホヒ) こと 素戔嗚(スサノウ) だったのです



これらの 隈の種族が 神武九州王朝 を支えていきます





日田の人々の あらゆる苦難にも耐え抜いてきた



古代の血の誇りが 三隈川に残っているのです



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帰りの 「駅の道」で 日田の 南部中学校の子供達が



災害支援の募金活動を行なっていました



カメラに写った 子供達の 一人一人の顔を見てください



なんと 素晴らしい いい顔をしているのでしょうか



日田の町の 最高の御土産をいただいたようでした








# by nonkei7332 | 2017-12-01 22:44 | 古代史 | Comments(0)


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磯良の海 》という この ブログ の初稿日 です



古代史に興味を覚え 日々の出来事などを交えた



稚拙なブログ のスタートの日でした



いくつかの季節が通り過ぎていきました



こんなブログですが 見ていただく訪問者も多くなり



昨日 訪問者総数が 50000人を 数えておりました



そもそも ブログを 立ち上げた理由はといえば



きっかけは 自分のルーツ 探しでした



亡き母 遺していた 一幅の 家系図



『小堀氏略系図』(福岡市博物館所有)



私の中に眠っていた 海馬の門を叩いたのでした



先祖の事など 考えたこともなかった男が



ファミリーヒストリー 追いかけ始めたのでした



そんな内容を 二人の息子達とも 共有できたらとも考えました



『一週間以上 記事が途絶えたら 何かあったのだと思って連絡しろ』



そんな事を 彼等に言ったことを覚えています



博多山笠人形の始祖と呼ばれた 先祖です



やがて 興味は 古代史 神社考古学 へと 拡がっていき



今の ブログ みたいになってしまいました



これから先 どんな ブログになっていくのでしょうね



自分でも 解りません



古代史についても 私は 学者でも 研究家 でもありません



まだまだ 愛好家のレベルです



多少 身体が 不自由な為に 現地にも 自由に行くことも出来ません



花が好きで 子供達が好きで 音楽が好きで



日々 ボランティアに多くの時間を費やす 浮浪雲です



何が飛び出すかわからない



言い換えれば 掴みようのない ブログですけど



これかも どうぞ ノンビリと



お付き合いください。




初稿の記事です


http://hisamitsu.exblog.jp/22133185/





# by nonkei7332 | 2017-11-27 10:18 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ