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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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ニ週間前 夜半を 過ぎた頃 電話が鳴りました



I さんと連絡とれないんですけど どうしましょうか』



I さんとは 同じ町内に住む 一人住まいの93歳のおばあちゃんのことです



I さんの おとなりの K さんからの電話でした



鍵が閉まっていて 電話にも出なくて この暑さなので心配です



すぐ行きます



とりあえず I さんの緊急連絡先をメモして 現場に駆けつけました



〈落ち着いて〉と自分に言い聞かせて 緊急連絡先である



長崎の娘さんに連絡しました



お友達のところに行ってあるのかもしれませんが 確認が取れません』



『もしものことを考えて 救急車を呼んでもいいでしょうか・・・』



しばし 沈黙の後



『 明日の朝一番で 行きますので』



『 ・・・・はい わかりました 』



明朝 娘さんの指示で 救急車を手配



居間で倒れてあった I さん を見つけて 病院へ



そして そのまま入院 大事には至らなくて ホッとするも



心のどこかで あれで良かったのかと こだわりが残っていました





昨日の 昼に 民生委員さんから I さんの病状を聞いて



近いうちに お見舞いに行きましょうと言ってから



1時間後 もう一度 民生委員さんから 電話でした



『 実は I さんが 今朝亡くなられました 今夜7時からお通夜です』




・・・・』




身内だけの 静かな 通夜 でした I さんに最後の お別れ をしました



和かな 微笑んでおられるような I さん のお顔に




『 ごめんね おばあちゃん あの時 私が・・・・』



おばあちゃん 最後にみた夢は どんな だったの』




私は 心の中で 呟いていました





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最 後 の 夢 さだまさし




めくるめく 恋に 夢中だったあの頃



生きることで 必死だったそんな頃



悲しくて 恥ずかしい日々も



いつかゆるやかに 黄昏れてゆく





人は 過去を哀しむべきなのだろうか



それとも 忘れ去るべきなのだろうか



しあわせや 不幸せなんて



自分で決めたら良いものなのに




やがて時が来て もしも



この人生の最期に



たった一つだけ望みの



夢を見させてくれるというなら





私は どんな夢が見たいと



願うのだろうか



もしもその夢で私の生きた



意味が解るとしたら





本当に大事なものは 目に見えないから



大切な人も 失ってから気づくもの



甘くて美しい季節が



気づいたら過ぎ去っているように





やがて時が来て もしも



この人生の最期に



たった一つだけ過ちを



償わせてくれるというなら





私はなにを償いたいと



願うのだろうか



もしもその事で誰かの心が



救われるとしたら





やがて時が来て もしも



この人生の最期に



たった一つだけ望みの



夢を見させてくれるというなら






あなたの夢が見たいと思う



きっとあなたに会いたいと思う





あなたの夢が見たいと思う



きっとあなたに会いたいと思う





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by nonkei7332 | 2017-07-26 13:09 | さだまさし | Comments(0)


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ジリジリと灼けるような陽射しの中



夏越しの祓い の 山笠神事を終え



〈鎮めの能〉の余韻が 幽かに 境内に残る



博多の総鎮守 《櫛田神社》に 寄りました




神社の宝物 として残る 一枚の 〈山笠絵馬〉を



確認したくて 社務に寄ったのですが



残念なことに 今後は 門外不出 だと言われました



福岡市博物館 5年前の イベントに展示されていたんですが



何か トラブルでもあったのでしょうか



そんな事を 匂わすような 答えでした




時間があったので 境内 歩いてみました



神社には 拝殿 本殿の他に 小さな祠に納められた があります



〈摂社〉とか 〈末社〉と呼ばれています



かつては 摂社 末社 区別する 基準というのがあったようで



神社庁によれば 摂社に該当する条件とは



本社御祭神の荒魂(あらみたま)や 后神・御子神 を祀った社のほか



御祭神と関係のある神 現社地の地主神(じぬしがみ)など



特別な由緒がある社となっています



こうした基準に当てはまらないのが末社です



摂社は 末社より上位に置かれていたようです



今では そんな基準も無く 総じて 境内社 と呼ばれ ています



櫛田神社 境内には 社務所奥の 注連掛稲荷社 をはじめ



十三の境内社があります




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豊宇気毘売神 は いくつもの 名前を持っています

伊勢の下宮様 であり 辛国息長大姫

アメノウズメ だとも云われています



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櫛田神社 主祭神 大幡主命 》です



その左右にアマテラス〉 スサノオ〉 祀られています



境内社に祀られる 祭神達 大幡主 との関係を



百嶋系図 の中で見つけてみました




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百嶋神代系図




天御中主 (白山姫) ・大幡主 ・豊玉主(豊玉彦)



大国主 ・事代主 ・大物主(大山咋) などの



主の神 (ヌシノカミ) の神々 筑紫 倭国 海人族 祖神 なのです



これが〈おくしださま〉と 博多の民に 慕われてきた 神々の系譜です



やがて 志賀海神社 安曇族 繋がり



この国の 礎を 各地に 拡げていくことになります









by nonkei7332 | 2017-07-24 23:58 | 古代史 | Comments(0)


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桔梗 の 花




朝顔は 朝露負いて咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけり



万葉集 102104 作者不明




朝顔は 朝露を浴びて 咲くといいますが



本当は 夕暮れの中の方が 輝いてみえます




万葉の頃は 朝に開く花を 朝貌の花といいました



木槿(むくげ) や 桔梗 (ききょう) のことをいいました




山上憶良 秋の七草 を歌った歌です




萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 おみなへし また 藤袴 朝顔の花


万葉集81538



ここでいう 朝顔は桔梗の事なのです



貝原益軒 などは 朝顔は 木槿 (むくげ) だというふうに言っています



しかし 木槿は 朝咲いて 夕に萎むといわれているので



夕方綺麗に咲くのなら 桔梗なのでしょう




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グロリオサ




グロリオサ 〉という ユリ科の花を見つけました



別名を 百合車 といいます





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ハイビスカス



〈ハイビスカス〉は 木槿 芙蓉 とよく似ています



熱帯の花ですね ハワイの州花 です




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芙蓉 の花



暑い というより 熱い という 毎日です



高温熱射病情報 なるものが 発表され



外出は控えるようにと 予報は伝えています



くれぐれも ご自愛を








by nonkei7332 | 2017-07-22 17:54 | | Comments(0)

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桂川 の氾濫に崩れた 比良松中学校




福岡の朝倉市 大分の日田市を中心とした 豪雨災害は



有明海に流れ着いた 5人の遺体が見つかり



死者は 23人になったといいます



しかし 朝倉では まだ多くの未確認の方が多く 祈りは続きます



先月 私は 穏やかな初夏の風に包まれた 朝倉の里 を訪ねたばかりでした



濁流に流され 修羅と化した 景色は まるで 悪夢です






日本書紀の 「斉明紀」に 朝倉山の記述があります



斉明天皇は 661 3 福岡市南区にあった



〈磐瀬行宮〉(いくせのかりみや)に入り



5月には 朝倉の 〈橘広庭宮〉に 遷宮して 百済復興の戦いに備えますが



724 朝倉宮にて 崩御されます



天皇の葬儀がおこなわれた日の夕方の朝倉山についての記述です




鬼有(あ)りて、大笠を着(き)て、喪(も)の儀(ぎ)



を臨(のぞ)み視(み)る。



衆(ひとびと)、皆(みな)嗟怪(おかし)ぶ。》




いったい 何があったのでしょうか



実は 橘広庭宮 を作るときに 朝倉山の木を切って宮殿を作ったので



神の怒りが落雷となって 宮殿を壊し



鬼火となって人々を殺したという記事があります



鬼が 大きな傘を着て 山の向こうから 葬儀を覗いていたのを



人々は びっくりしながら 見ていたというのです




それから 1000年後 同じ 朝倉山の景色を



貝原益軒 『筑前国続風土記』の



朝倉=上座郡(かみつあさくら) の〈志波〉の欄に



地元に残る こんな説話を残していました




(一部私略)


香山淵という 大なる長淵 があります



寛永の初め(寛永21625年) 黒田忠之公の家老 栗山大膳が



家人から 宴に呼ばれ 住まいのあった志波村から池田村に行こうとすると



川の淵に 大きな亀がいたので 鉄砲名人でもあった 大膳は



思わず その亀を撃って 見事に命中させると



亀は二間ほど飛んで 淵に落ちたといいます



すると 六月中旬 極めて晴天なりしが 志波村の鳥山の峰から



黒雲が一片立ち昇ると にわかに 大雨となり 洪水がおこり



水は路上に溢れ たちまち 大膳が乗ってきた



馬の鞍までが浸かるほどになってしまった



前に進めなくなったが 久喜宮の宿までやっとの思いで着いたという



雨は こぼすように降って 白昼 暗夜のごとく昏くなり



物の色も消えるほど 降り続いた



三時(6時間)程 降り続き暮れ方にやっと止んだ



この辺の 民家は ことごとく 破壊されまた 動目来の山より



大木が 根から抜けて流れてきて



香山淵もこの時埋もれて陸になってしまった



田畑は 所々 川になって 上座郡では



三千石(300ha)ばかりの田んぼが川になってしまった 』





二つの話に共通するのは



大傘を着て覗き込んでいるのは 山に立ち昇り大雨をもたらした



黒雲であり それは 木を切られた 山の神(鬼) の仕業であり



淵の神である 大亀の祟りだと 人々に伝えられてきたのでしょう



大水だけでなく その後に起こった 疫病で多くの貴族が亡くなり



斉明天皇も それが原因で亡くなったとされる説もあります





1300年前 そして 400年前 そして



いつの時代も 自然の脅威の前では



人間は いつの時代も無力です



人の力が及ぶこともない その姿を 人は 〈神〉と呼んだのでしょう



そして 〈鬼〉と呼んだのでしょう



間違いなく 朝倉山には がいるのです








by nonkei7332 | 2017-07-09 21:51 | 古代史 | Comments(0)

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