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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

<   2016年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧



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名島神社付近から
三郡連山を望む
Am : 6 : 50





皆 様 へ


今年も 終わろうとしています

最後まで 《 磯良の海 》をのぞいて頂いて

ありがとうございました。

今年は 公私ともに いろんなことがあった 一年間でした

そんな中で ブログを通して また いろんな イベントを通して

沢山の方と 知り合えたことが 私の 大きな 喜びでした


来年は 酉年 です。

酉は翔べないぞ なんて 野暮なことは考えず

火の鳥 となって 宇宙を 過去を 未来を

燃え尽きるまで 翔んでいる

そんな 夢を みています


今朝 の 散歩 は アマテラスに ご挨拶。


良いお年をお迎えください。




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日の出
Am 7 : 40















by nonkei7332 | 2016-12-30 13:09 | Comments(0)


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警固公園





12月25日 クリスマスの日

この日 イエス・キリストが生まれたというのは

どうやら 嘘みたいですね

聖書によれば 10月1日か2日だといわれています

クリスマスの起源は 〈冬至〉 だというのが正解みたいです

それでも 祭り 大好き 日本人は 意味もなく はしゃぎます

私は 一神教徒ではないから 仏教徒だから静かにしています

なんて人は 嫌われます


日本人でも 〈冬至〉は 祝います

柚子湯に浸かって 禊(みそぎ) をします

それから かぼちゃ(南京)を食べます

冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼べるといわれています

この日 「運」を求めて 人々は 寒い中 列を作っていました



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天神 宝くじ売り場 の列





私はと言えば 30年来の友が待つ 恒例のパーティ です

お目当ては 「ん」のつく「運」を運んでくる

『ワイン 』です




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『神の雫』とは 漫画の名前です


《ストーリー》

世界の市場価値を左右するワイン評論家・神咲豊多香がこの世を去り、

時価20億円を超えるワインコレクションが遺された。

その頂点に立つ最上の一本こそが『神の雫』である―。

彼が選んだ12本のワイン『使徒』と『神の雫』の銘柄、および生産年を

言い当てた者のみが、遺産を手に入れることができるのだ。

この『使徒』対決に実の息子・雫と、

養子で天才若手評論家として名高い遠峰一青が挑む!


2004年11月の連載開始当初より、

独特のワイン表現を華麗なイメージで表現して人気作となる。

フランス・韓国をはじめ各国で翻訳出版され、

全世界で累計800万部を突破するワイン漫画の決定版。




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シャトー・モンペラ




漫画「神の雫」を代表する ボルドーワイン

『 シャトー・モンペラ 』 です

上品な 大人のワインとでも言いましょうか

高級感の割には そんなに 高くもないのが いいですね




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カサーレ・ヴェッキオ





このワインも 「神の雫」に出てくる

イタリアの アブルッツォ州のファルネーゼの

赤ワイン 『カサーレ・ヴェッキオ』です

〈イタリアのモンペラ〉と言われています

多少酸味があって 果実の味が さりげなくまろやかで

好きなワインです




ちなみに Wine (ワイン) は 英語です

フランス語では Vin(ヴァン)

ドイツ語では Wein(ヴァイン)

イタリア語・スペイン語 では Vino(ヴィノ)

というそうです



〈 神 の 雫 〉 ひとくち で 酔うのでしょうね






by nonkei7332 | 2016-12-26 23:03 | 日記 | Comments(4)


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神奈備(かんなび) とは

神籬(ひもろぎ) と 磐座(いわくら) の総称でもあります

神が「鎮座する」または「隠れ住まう」

山 や 森 や 岩 や 滝 などの 神域 のことをいいます

今年も たくさんの 神奈備を 訪ねてきましたが

最後の 杜 は 太宰府 五条 でした



伊藤まさこ著 『太宰府・宝満・沖ノ島』を読んで

ずっと 気になる場所が 記事の中にありました


第2章 倭国の成立

(6) 王宮はどこに置かれていたか~太宰府の中心ラインを復元する


太宰府の古代 王宮はどこだったのか という興味深い内容でした

山頂・王墓・神社を結ぶ 古代の祭祀ラインを手掛かりに

消された 歴史を 復元する というのが 伊藤さんの試みです

まず 太宰府の四角形の謎解きでした

〈宝満山〉の西に5km の位置にあるのが 〈大城山(四王寺山) 〉

南に 5km の位置にあるのが 〈宮地岳〉それを結び

もう一点の頂点は JR二日市駅の西側にある 〈塔ノ原〉付近

この 四つの頂点を結ぶと ほぼ正方形の聖域が出来上がるといいます

塔ノ原には 定かではないらしいのですが 何かがあったのでしょう

昔から 宝満山は太宰府の鬼門(東北)と言われているので

その中心となる 王宮の位置は 正方形の中心地点

太宰府天満宮から 南西に 500M くらいに行ったところにある

高尾山の斜面に鎮座する 《石穴稲荷神社》ではなかったかというのが

伊藤さんの 説 でした


天満宮 や 観世音寺 や 竈門神社 や 光明禅寺 に行くことがあっても

この 石穴神社を 訪れる参拝者は 極めて少ないみたいです

近くに住んでいたことがある私でも知らなかった 神社 です

伊藤さんは その由緒と 様子を 詳しく書かれていましたが

どうしても行ってみたいという 衝動には勝てません

近くにお住いの Tomさん に連絡すると 案内しますよ との返事

今年の 最後の神奈備訪問となりました


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場所は 筑紫女学園大学入口のすぐ側にありました

祭神は 宇迦之御霊大神(うかのみたまのおおかみ) 稲荷神です

由緒 は 文献や資料が消失して残ってないので

伝承によると 菅原道真が 太宰府に降られた時に

一緒に来られた神様だとされています どうやら

菅公没後に京都伏見稲荷が勧請されたようです


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本殿の横から 奥に 〈奥の院〉と呼ばれる

巨大な磐座(いわくら)がありました

まず 入口で 靴を脱ぎ 準備してある 履物を履き替えねばなりません

これだけでも エッと 身が竦みます

濡れた 石道を 転ばないように 登りました

聞こえてくるのは 鳥の鳴き声 と 耳をすますと 微かに

高尾山を水源とする せせらぎの音が聞こえます

上り詰めた処に 桃若稲荷神社 の祠があります





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一帯は 2Mから3Mの岩が 重なるように点在する 磐座です

ここが奥の院の入り口 左奥に トタン屋根があり 奥の院 がみえます

足元が滑るので 危険なので奥には進みませんでした

ここは神社境内とは 全くの別空間といってもいいでしょう


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神迎えの 原始信仰としての 神奈備の杜 としての 〈奥の院〉 と

後世 菅公守護の元で 京都から勧請された伏見稲荷の〈本殿〉

神道の変遷が 同時に見られる 特異な聖地でもあるのです


日本書紀 神功皇后62年条に 面白い話がありました

『 新羅からの朝貢がなかったので、葛城襲津彦が新羅討伐に派遣し

新羅 を討とうと した。 『百済記』によると 沙至比跪(襲津彦)は

新羅から出された女性二人を受け取り 反逆して加羅國 を 討 った

加羅王 は百済に 逃げ込み 事の次第を伝える

この事が日本の天皇に伝わり 天皇 は 怒って兵 を送り加羅國を助ける

襲津彦は天皇が怒っているのを知って 公 には 帰らず 潜伏する。

襲津彦の妹に天皇へ仕えている者が居たので

襲津彦は 使 いを 送って 取 り次いでもらおうとする

妹が天皇に夢で襲津彦を見たと伝えてみる と

天皇 はなぜ 帰ってくる と 怒ったという

襲津彦は天皇の怒りが解けない事を知り、石穴に入っ て 自殺した 』


九州王朝説の 古田武彦さんは

『ここに 古代王朝ありき』 の中で

この「石穴」は 太宰府の石穴神社ではないかと書かれています

襲津彦の妹が気になりますが 天皇に仕えていたとなると

襲津彦の娘である 磐之媛は 仁徳天皇の妃だったので

ここにでる 天皇とは 仁徳天皇になるのでしょうか




古代の太宰府の王宮は何処か

その 王 とは

石穴 が 何かを つぶやいていましたが


Tomさん には 何かが聴こえていたみたいですが

私には まだ 聴こえなかったようです





赤 : 石穴稲荷神社
黄 : 大城山
緑 : 宝満山
青 : 宮地岳
紫 : 塔ノ原









by nonkei7332 | 2016-12-26 09:14 | 古代史 | Comments(0)


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白山連峰




NHKBSプレミアム

『 八百万の神がすむ山河~村治佳織・白洲正子祈りの道を往く』

(初回放送:2011年)の再放送を見ました


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白洲正子



白洲正子 (しらすまさこ)

1910-1998 昭和・平成時代の随筆家

明治43年1月7日生まれ。伯爵樺山愛輔の次女。

夫は 吉田茂の側近で活躍した 白洲次郎。

女人禁制の能舞台に演者としてはじめてたつ。

昭和18年「お能」を刊行し

「能面」「かくれ里」で 読売文学賞を二度受賞

古美術 古典文学 紀行 など 幅広い分野で活躍。

平成10年12月26日死去。88歳。東京出身。



この一年 多くの書籍を読みましたが

誰の本が一番多かったかといえば

〈白洲正子〉の本 だったかもしれません

絞って選んだというより いく先々で 白洲正子に 出くわした

というのが 正しい答えなんです

テーマでいえば 最初は〈能・謡曲〉で出逢いました

それから〈西行〉〈明恵上人〉〈河合隼雄〉〈神仏習合〉

と 続きました


肌触りがいい文章を書かれる方です




この番組は 白洲さんが 歩いた

神の宿る日本の山河 〈美濃〉・〈越前〉・〈吉野〉・〈河内〉を

ギターリスト《村治佳織》さんが 辿る旅でした


白山とは 一つの山の名前ではないのです

加賀・越前・美濃 にまたがる

最高峰の 御前峰(2,702m)・剣ヶ峰(2,677m) ・大汝峰 (2,684m) の

「白山三峰」を中心とした 連峰を 白山と呼びます

白洲さんは 『かくれ里』『十一面観音巡礼』で

白山信仰を開いた 泰澄上人 の跡をたどりました


『 泰澄大師 は 山岳信仰の創始者で

神仏習合の元祖であるといっていい

私は この思想が 日本のすべての文化にわたる 母体だと思っている

明日には 白山の日の出を拝み

夕べには 落日に染まる日本海を眺めたに違いない

十一面観音が現れたのは そういった 瞬間ではなかったか 』




緑 : 越知山
赤 : 平泉白山神社
黒 : 白山




泰澄 は 越智山で 修行を積み ここで 十一面観音を夢見

早く来るべしと お告げを受けたといいます

途中 〈平泉寺白山神社〉により 真東に鎮座する

白山山頂をめざしたのが 泰澄36歳の春でした

御前峰の池のほとりで

十一面観音に化身した 白山の神に出会うのでした


白洲さんは 本の中で こう書かれています


『 周知のとおり 〈本地垂迹〉とは

仏が 仮に神の姿に現じて 衆生を済度するという考え方だが

それは仏教の方からいうことで、日本人の本来の心情からいえば、

逆に神が仏にのりうつって影向したと解すべきであろう。

その方が自然であるし、実際にもそういう過程を経て発達した。

泰澄の場合でいえば、

白山信仰の長い伝統があったから、仏教が無理なく吸収され、

神仏は極めて自然に合体することを得たのである 』


そして


『 神仏混淆の思想では、天竺の仏が衆生を済度するために、

かりに神の形に現じて、垂迹したことになっているが、

事実はそれと反対で、仏教を広めるには、

神の助けを必要としたのではないだろうか。

その差は紙一重でも、意味は大いに違う。

言葉をかえていうなら、

日本の神を経糸に、仏教を横糸にして織りあげたのが、

いわゆる本地垂迹説であった。

ただ相手が黙して語らぬ木や石であったため、


証明することは不可能だが、

日本の自然が私に、そういうことを物語る 』



神仏習合について 私自身 今ひとつ解りにくかったことを

すっきりと 解決してくれたのでした




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百嶋神社系図 一部



白山神社は 日本各地に 2,700社余り鎮座しています

ほとんどの祭神は 菊理媛神(白山比咩大神)・

伊邪那美尊(イザナギ)・伊邪那美尊(イザナミ) の三柱です


主祭神の 菊理媛(白山姫) は くぐり姫 ともいわれます

《百嶋神社考古学》では この白山姫 は

造化三神のひとり 天御中主(アメノナカヌシ)とします

水天宮の神 でもあります

主(ぬし)の神の母であり 大幡主・豊玉彦(ヤタガラス)・大国主・事代主

と続く 白族の祖でもあります

そして 白山姫の 婿は 金海伽耶の 〈金越智〉です

記紀では 〈ウマシアシカビヒコチ〉と呼ばれている神で

越智族の頭領です

越智族の男と 白族の姫の 恋物語が ここにはあります

越智山 と 白山神社 そして 白山頂上を 地図で結ぶと

東西一直線に 繋がっているといいます




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村治佳織さん




村治佳織 (むらじかおり)

1978年4月14日日本のギターリスト 東京都出身

3歳から ギターを習い


1994年に 日本フィルハーモニー交響楽団と共演し


1995年イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行

翌年には村松賞を受賞

第19回日本ゴールドディスク大賞

クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー(洋楽)を受賞

女性ギタリスト 日本ギタリストとして

世界で活躍する一流ギタープレイヤーと名高い





番組の中で 白山の麓での
ギター演奏 です










by nonkei7332 | 2016-12-20 14:49 | 古代史 | Comments(0)


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雨が降って 濡れ紅葉 が きれいです


《 もみじ葉を何惜しみけむ 木の間より漏りくる月は 今宵こそみれ 》

新古今和歌集592 具平親王(ともひらしんのう)


【通解】

紅葉が散っていくのをどうして惜しんだのでしょう

木の間から洩れて来る 月の光 は 紅葉が散ったからこそ

今宵見られるのです



我ら世代に対する 応援歌にも 聞こえますね


紅葉が散って 白秋(あき) が 深まったとことを嘆いてはいけない


紅葉が散ったからこそ 月の光が見えたじゃないかと


〈今宵こそ見れ〉とは


嘆くな 今こそ 新たな 行動を起こせという意味でしょうか



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福岡管区気象台によれば

15日 2時 福岡で初雪が観測されたようです

夜中だったので 私の網膜にはその光景は写っていません

この冬一番の寒気だそうで

背振山にも 15日 初冠雪 が 観測されました


私が 冬の訪れを 何によって知るかといえば

それは 脊振山の山頂の 冠雪 でした

雪は降らなくても 寒い日が続くと

麓の 私が住んでいた ところからでも

脊振山の山頂が 白く雪に覆われているのが見えました



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登山道にうっすらと積もった雪を集める子どもたち
16日午前10時すぎ
福岡市早良区の背振少年自然の家
(西日本新聞)






寒い雪の季節に 暖かい詩を見つけました



上の雪

寒かろな

つめたい月がさしていて


下の雪

重かろな

何百人ものせていて


中の雪

さみしかろな

空も地面(じべた) もみえないで



『つもった雪』 金子みすゞ詩集より








by nonkei7332 | 2016-12-17 00:45 | 日記 | Comments(0)


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〈山峡飛雪〉 東山魁夷




父の夢を見ました


寡黙な父が ブツブツと独り言を言いながら


畑の土を 撫でていました


芋を掘るわけでもなく


種を蒔いているわけでもないのです




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〈白い朝〉 東山魁夷




『 ところで 父さん 幾つになったの 』


『 父親の年もわからないほど 頭が回らんのか バカチンガ 』


『 生きていりゃ 105歳 だなぁ 』


『 そういう お前は 幾つになった 』


『 ・・・・』


『 父さん そっちは 寂しくないか 』



『 〈二十億光年の孤独〉とか言って くしゃみしていた 詩人がいたろ 』


『 ・・・・』


『 そいつに比べりゃ 〈百年の孤独〉なんて まだ ちょろいもんさ 』




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〈冬華〉 東山魁夷



畑の傍らには 欠けた皿があって



何かが 動いていました


それは ミミズ でした


父は ミミズを探していたのです


きっと 釣りにいく準備をしていたのでしょうか


嬉しそうな 顔をして


風花の舞う 冬の空を ながめていました






「二十億光年の孤独」・・・谷川俊太郎 (第一詩集)





by nonkei7332 | 2016-12-13 09:56 | | Comments(0)


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古墳時代の高低差地図に現在地図を重ねたものです
赤色 : 住吉大社
青色 : 高津宮




「 大坂 は 凡そ 日本一の境地なり 」

織田信長 は そう いったそうです

境地とは 何処だといえば それは 上山台地 だと言われています

その言葉を 引き継いだ 秀吉が


その 北端に 大阪城を 築城しました


それ以降の商都としての 大阪の繁栄は 歴史の示すとうり


難波宮(なにわのみや) が台地の北部に造られたのが

652年 孝徳天皇 の頃 その後 天皇一人残されて

飛鳥に遷都されるなど 出たり入ったりの 存在感のうすい都です

発掘されたのも 戦後になってからです

最近はおもむろに 公園などを整備しているようです


《 難波津に 咲くやこの花冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 》


百人一首の序歌とされるこの歌

仁徳天皇の即位を祝った 王仁の作だといわれています

出典は 万葉集ではなく 古今和歌集の仮名序です

謎が多いこの歌

最大の謎は 難波津 は はたして 何処だったのかです


その謎を求めて この台地の 南端に 鎮座する


『住吉大社』

そして 仁徳天皇ゆかりの宮と言われる


『高津宮』を訪ねました



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住吉大社 正面 鳥居




博多に住む者にとって 住吉は馴染みの深い宮です

全国に 2129社 ある 住吉神社の中で

大阪の住吉大社 下関にある 住吉神社 そして 博多にある 住吉神社が

三大住吉といわれています



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住吉大社 は 摂津国一の宮 です

創建は 神功皇后に絡めた話になっていますが

何故か 説得力に欠ける話になっています

(神功皇后に絡む話に 違和感を持つようになったのは何故でしょうか)

文献として残るものからして 8世紀になってからの創建でしょう

綺麗な神社ですが なぜか 魂を揺さぶるような 霊験を感じませんでした



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第一本宮






路面電車に乗って 北へ


途中 谷町線に乗り換え 9丁目で降りて 坂を下ると


『高津宮』の 一の鳥居です


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北に向かって参道を下ると 注連柱(しめばしら)が建っています


文字が刻まれていました


「仁風敷宇宙」「徳化洽乾坤」


仁徳天皇の 治世を表しているのでしょうか



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階段を登ると 本殿に出ます 思ってたよりも小さく


こじんまりとした お宮さんです



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お目当の一つ 狛犬 です


尻尾の数に 意味があるそうですが

どんな意味があるのかは 聞きそびれました



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創建は 866年 です 勅命だそうです


直感で 前が あるなと思いました

摂社 の前で 足が止まります 「これか」思わず声をあげました

比売古曽神社(ひめこそじんじゃ)


〈比売古曽神〉別名 〈阿加流比売神〉(あかるひめ)といいます



〈アカルヒメ〉と 〈スサノオ〉の話は こんな 話です

倭国の主の王 《大幡主》は 新羅の王子でもある

天日穂(アメノヒボコ)こと スサノオ に手を焼いていました

そこで 自分の娘 阿加流比売神(アカルヒメ)を 新羅に嫁がせたのですが

スサノオのヤンチャは収まりません アカル姫 も とうとう

「私はあなたの妻となるべき女ではない 祖国へ帰ります」と言って

小舟を操り 倭国に戻ってきました

大幡主は アカル姫を 豊後の姫島に隠し アカル姫 はそこで

スサノオとの間の娘 市杵島姫を産みます

スサノオは 形相を変え アカル姫を追って 大幡主のもとにやってきました

大幡主は 妹の 埴安姫と 金山彦との娘 櫛稲田姫(クシイナダヒメ)に

スサノオ の 悪行を 治めるようにと 一緒にさせます(出雲神話)

悪行の DNAは 間に生まれた 長髄彦(ナガスネヒコ)が 引き継ぎ

大きな 問題を起こすのでした (神武への謀叛)


大幡主 は 妹の埴安姫の 二番めの旦那 伽倻国大山祇(月読尊)

との間の長女の 神大市姫(かみおちひめ) に スサノオ を託します

神大市姫こと ミズハノメ の霊力により とうとう スサノオ の悪霊は

静めることができたのでした。


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高津宮 灯篭





河内 大阪 を回って 見たいものを 見てきましたが

感じたものは ここは 〈商都〉だということでした

少なくとも 歴史の都 では ないようです

私には アカルヒメ も 仁徳天皇 も 難波津 も 九州筑前倭国の話が

後世 畿内に飛び火しているように思えます

まるで 後出しじゃんけんに 勝った 場所のようだといえば

怒られますでしょうね

古代史の真実は 未だに ふたをされたままのようです




by nonkei7332 | 2016-12-12 12:16 | 古代史 | Comments(0)


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杜鵑草 (ホトトギス)





センテナリアン と呼ばれる人達がいます

一世紀をセンチュリー ということから

一世紀 (100年) 生きてきた人達に 与えられた 言葉です

昭和38年 52年前 には 153人 しかおられませんでしたが

今年は 65692人 の人が センテナリアン になられたそうです

驚くべき 数字 です



健康で 人の手をかりずに 寿命を延ばすのは至難の業です

私の父は 83歳で 母は 89歳で 永眠しました

さほど 家族に負担もかけずに 静かな 臨終でした

天寿とは あらかじめ 決められている寿命のことをいうそうです

誰が決めたのかは知りませんが

私にも 決められた 寿命があるのなら

静かに それを 全うすることを願っています

センテナリアン センチメンタル な 話になりました



実は 今日で 65歳 になりました

地域の子供達に かこまれて 幸せな毎日を過ごしています

決して 孤独な 独居ではないと 自負していますが

息子たちには どう見えているのでしょうか

毎年 正月には 息子二人と 三人で 酒を呑むのが

恒例になっていて 私には 至福の時間なのですが

さてさて いつまで 続くのでしょうか

美味い酒を呑む というのは 楽しい時間を過ごすことをいいますが

日頃 あまり 酒を呑む事がないので

この日ぐらいはと 美味い酒を準備しました


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『百年の孤独』

幻の焼酎とされる 40度の強い 麦焼酎です

ネーミングは コロンビアのノーベル賞作家ガルシア・マルケスの

同名小説 「百年の孤独」からとったといいます

この小説 読んだことはありません

このボトルケースに ジャズミュージシャン


エリック・ドルフィーの言葉が 書かれています




When you have music. after it is over. gone in the air.


You can never capture it again.



音楽とは、ひとたび発せられてしまうと

二度と取り戻すことは出来ない



男三人で しみじみ 呑んでみようと思っています








by nonkei7332 | 2016-12-10 13:00 | 日記 | Comments(2)


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信貴山から 大和盆地




信 貴 山 (しぎさん)


奈良県生駒郡平群町にある 山です

紅葉が 美しい境内を 多くの参拝者が訪れていました


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神仏習合 の 霊場です

去年訪ねた 比叡山 と 同じなのでしょうが

なぜか 空気の重さが違います

信貴山は 古くは 神の山 だったのでしょうか



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ここの地名は 平群(へぐり) です

平安時代の辞書 『和名類聚抄』によると

《大和国平群郡》には 六ヶ所の 郷名 が 記されています

那珂 ・飽波(あくなみ)・平群(へくり)・夜麻・坂門・額田(ぬかた)

福岡に住んでいる者は 『あれれ これ 福岡だ』 と思っちゃいますね

ちなみに 《筑前国早良郡》の 郷名 には

毘伊(ひい)・能解(のけ)・額田(ぬかだ)・早良(さわら)・

平群(へぐり)・田部(たべ)・曽我(蘇我)

七郷があったと記されています。

新撰姓氏録 (平安初期に書かれた 氏族の出自録) によると

平群氏とは

「河内国 皇別 早良臣 平群朝臣同祖 武内宿禰男平群都久宿禰之後也」

と 記されています

早良 と 平群 は 同祖 みたいですね

早良(福岡)から 平群 (奈良) へ 移動してきたと考えるのが 自然ですよね

そういえば 筑紫の賢人 真鍋大覚 は

『 背振(せふり)の語源は 平群(へぐり)にあった』とも 言っていました



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古事記には

武内宿禰の第四子「平群都久宿禰」(へぐりのつくのすくね)


についての 面白い 話があります

仁徳天皇が生まれた時 仁徳天皇の産屋には

「木菟(ヅク=ミミヅク)」が飛び込んできました

同じ日に生まれた ヅクノスクネの産屋には

「鷦鷯(サザキ=ミソサザイ)」が飛び込んできました

それで飛び込んだ鳥の名を交換して お互いの 本名としたという話です


仁徳天皇=大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)

平群都久宿禰=木菟宿禰(つくのすくね)


謎が多いこの 鳥達の話 何が隠されているんでしょうね



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もう一つ 地名でいえば


前回 大阪古代地図に 「河内湖」がありました

この 河内湖 4世紀から 5世紀頃には「草香江」と呼ばれていたのです

「草香江」といえば 博多古図 には 同じ名前の入り海があります


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博多古図



この入り海に注ぎ込む 川を 樋井川 (ひいがわ)といいます

早良郡の郷に 毘伊(ひい) とあったのがこれでしょう

この川の上流に 柏原 という 地区が今も残っています

《 草香江 に 注ぎ込む川 の 上流に 柏原という里がある 》

これは 河内国 の話ではありません 筑前博多 の話なのです。


百舌鳥から 始まった


《 鳥 づくし の 旅 》は まだ 続きます




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信貴山 から 大和を望む









by nonkei7332 | 2016-12-06 15:45 | 古代史 | Comments(0)


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古代の 大阪平野 河内平野の地形はこうなっていました


二つの川のデルタ地帯からできた 湿地帯でした 二つの川とは


琵琶湖を水源とする 〈淀川水系〉


奈良盆地の全域から幾つかの支流が集まり 香芝辺りで本流となり


生駒山地と金剛山脈の間を 潜り抜け


河内平野から河内湖へと注いでいた 〈大和川水系〉です


青いラインは現在の大和川 です 西に流れ 大阪湾に注いでいますが


古代は 北へ流れ 河内湖へと注いでいました



百舌鳥古墳群 と 古市古墳群 は 現在の大和川の南


河内台地と海沿いの台地付近に 造られているわけですが


築造に従事した 人々は 北へ流れる 大和川の川筋や


生駒山西麓 に集落をつくって いたと思われます




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手前 大和川 と 生駒山系南麓



八尾市に住む 次男が 柏原に用事があるというので


私も 連れていってもらいました


生駒の山麓を 左に見ながら 南に走ります


大和川が 山の間をぬって 河内に出たところが 柏原市です


奈良の 橿原市とよく間違えられるといいますが


私の関心は 柏原 の 地名の起源です


福岡背振山系の油山の山麓にある 柏原という地名がありますが


この二つの地名の共通性についてですが この件は次回にします





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さて 最初に行ったのが 「史跡高井田横穴公園」でした


公園内には 柏原市歴史資料館があります


山の斜面には 国内でも最大規模の 162基の横穴墓が点在します


6世紀中頃から 7世紀前半にかけて造られたものです


興味深いのが そのうちの 27基の横穴には


「人物」「鳥」「船」などの 「線刻壁画」が描かれています




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船 には二人の小さな人物が描かれていて


右側の人物は碇(いかり)を引き上げ


左側の人物はオールを漕いでいるみたいです


真ん中の人物は 正装みたいです 髪型は 耳の横で髪を束ねる


美豆良(みずら)( 日本の上古における貴族男性の髪型)でしょうか




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山の頂上には「高井田山古墳」が あるというので



遊歩道を 息子と孫姫 と どんぐりを拾いながら 登りました




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直径22Mの円墳です


造られたのが 5世紀末 横穴群よりも 前にできています


石積みの玄室の中から 鏡 ガラスの装飾などの 副葬品が出土しています


被葬者は 古墳築造の人々の 族長 だったのかもしれませんね




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大和川を遡り 信貴山に登る途中で 思わぬ神社に遭遇しました


青谷という集落でした


なんと 「金山彦神社」でした


生駒山の西麓や南麓 には 多くの たたら鉄製造の鍛治地があったようです


古墳築造に 欠かせないものが 鉄器でした


人々の食料を確保するための 農地開墾にも 稲作にも


鉄器による 鍬 や 鋤 は 欠かせない道具だったからです


古墳群を見下ろすように 鉱山の神 金山彦が 厳かに鎮座されていました


神紋は 五七桐 でした



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拝殿


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龍王社 と 稲荷社





金山彦神社より道なりに山上へいくと


雁多尾畑(かりんどばた)という集落があって


ここには 金山姫神社 があるということでしたが


見つけることができませんでした


もともとは 金山彦神社も 金山姫神社も 嶽山という頂上に


祀られていたものが 中世になって


今のところに移ったとされています


山道からは 大和盆地 が きれいに見えました




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奈良大和盆地






赤 : 高井田横穴群
黄色 : 金山彦神社
緑 : 金山姫神社




百舌鳥という人々を 追って 古墳群 鎮守の百舌鳥八幡宮


高井田横穴群 金山彦神社 と見てきましたが


縄文末期から 弥生時代の鉄器製造の主流は九州であったこと


鉄器や鍛治工房は 畿内には ほとんど無かった事を考えると


ある時期 九州王朝を支えてきた 金山彦を 祖神とする


鍛治工房集団が 大量に 河内に 移動してきたは間違いないようです


土師氏は 秦氏 は その後 桓武天皇の平安京遷都に


大きな役割を果たしますが 仏教が浸透するにつれ


古墳築造の時代は終わりを告げます


土師氏 秦氏 の名前は 消えて行きますが


土師氏 は 菅原氏 秋篠氏 大江氏 と名前を変えて


朝臣として 新たな時代を生きていくのでした





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by nonkei7332 | 2016-12-04 11:25 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ