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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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古都の光 の提灯





太宰府天満宮 の 秋の祭り

『神幸式大祭』が終わりました

この行事が始まったのが 今から 900年前 康和3年(1101年)

大宰権帥 大江匡房(おおえまさふさ)が


菅公を偲んで始めたとされています

菅公 在世の往時を偲び 御神霊をお慰めするとともに

皇室のご安泰と国家の平安


さらには 五穀豊穣を感謝するというのが

祭りの由来だと言われています


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心字池 の 巫女舞




最終日の25日は 菅公の命日 です

陽が落ちると 境内の心字池に千本のローソクに火が灯される


「千灯明」(せんとうみょう)

水上舞台では 巫女による神楽舞が奏上されます

この夜は 天満宮の境内だけではなく


『太宰府古都の光』という

イベントがおこなわれます

観世音寺 や 戒壇院 大宰府政庁跡や水城跡などの 5カ所が

灯籠や光のオブジェで彩られ

灯明の灯りによる光の道ができあがるのです



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政庁跡の 光のオブジェ
後ろは 四王寺山





都府楼という名で 地元では 親しまれてきた 古き都跡

筑紫万葉と呼ばれた 優雅な 宮廷文化が そこには見え隠れしています



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戒壇院 山門


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戒壇院 の 境内





この場所は 菅公という 一人の男を偲ぶだけの場所ではないのです

九州王朝という 歴史の闇に 消された

この国の ルーツ を偲ぶ場所なのです


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観世音寺 正面




隠された 真実とは 何なのか

観世音寺の梵鐘の音が

私に こっそり 教えてくれた

物語がありました



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榎社 を行き来した 御所車







by nonkei7332 | 2016-09-27 07:18 | 菅公・太宰府 | Comments(0)


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尾形光琳 『風神雷神屏風図』 東京国立博物館蔵



『 たまに出る子は 風に遭う』

という ことわざ があります

古来 より〈風に遭う〉ということは あまりいいことではないようです

江戸時代に書かれた 『絵本百物語』という 奇談集には

妖怪としての 〈風の神〉が書かれています

それによると

〈風の神〉は いつも黄色い邪気を吐きながら いつも

天空をさまよいながら 地上を見ています

〈風の神〉の持つ 邪気は 隙間が好きで

特に 暖かい と 寒い の 隙間は 大好物のようです

〈風の神〉の黄色い邪気に触れると 人は 病いにかかります

風邪 (かぜ) という字は ここからきたみたいです



人々が 一年中で 最も 風の被害を怖れる

三大厄日 というのがあります


二百十日 (にひゃくとうか)・・・(今年は8/31)

八朔 (はっさく)・・・(今年は9/1)

二百二十日 (にひゃくはつか)・・・(今年は9/10)


この三日は 立春から数えて210日目と 旧暦の8/1の朔日

そして 220日目の 三日のことです

この頃は稲が開花する重要な時期なのです それはまた

甚大な影響を与える台風に見舞われることも多い時期でもあるのです

天気予報などなかった 昔の人々にとっては

記憶に残る 何千年にも及ぶ 人々の 記録から

暦の中の 雑節 として この日を 残したのでした



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おはら風の盆





〈風の神〉を 鎮めるために 人々は 祈りました

越中富山のおわらの里では

『 おわら風の盆 』といって

村人達 は 400年もの間

9月1日から 3日迄 三日三晩 踊り続けています



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種山高原 「風の又三郎」の像



宮沢賢治 の書いた 童話の中で

『 風の又三郎 』という 話があります


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう



奇妙な 風の歌で始まる 童話です

谷川の岸に小さな学校の さわやかな九月一日の朝でした

青ぞらで 風が どう と鳴り 日光は運動場いっぱいでした

そこに奇妙な格好をした 一人の転校生が やってきます

名前は 高田三郎 変てこな ねずみいろのだぶだぶの上着を着て

白い半ずぼんをはいて それに赤い革の半靴をはいていました

顔 は まるで熟したりんごのようで 目はまん丸でまっくろな

男の子でした

村の子達は 「風の又三郎」と呼びました

9月1日から 又三郎がいなくなる 9月12日迄に起こった

子供達と又三郎との 間の日々の物語が この童話のあらすじです

宮沢賢治は この話の最後をこう結んでいました



「そうだないな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」

嘉助が高く叫びました。

 宿直室のほうで何かごとごと鳴る音がしました。

先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。

二人はしばらくだまったまま、

相手がほんとうにどう思っているか探るように

顔を見合わせたまま立ちました。

風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、

またがたがた鳴りました。



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私にとって 今年の二百十日から 二百二十日迄の 10日間は

〈風の神〉〈又三郎〉と 出遭った 夢のような苦しき 日々でした

旋風(つむじかぜ) は 私の肋骨を折って 肺腑を破り

視えない風の景色を またひとつ 私に見せてくれました

それは 忘れかけようとしていた あの 夢のつづきでした

風と遭遇した 240時間が

私を 新たなる 時空間 に連れてきたようです

ここには 新たな 季節の予感が あるのです

私は 5年程 若返ったのかもしれません

いやいや 5年程 歳を重ねたのかもしれません



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櫛田神社の拝殿


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拝殿 破風 の 風神




今日 9月23日は

秋の社日(しゃにち)といいます

秋分の日に 最も近い 戊(つちのえ)の日の事をいいます

社日 は古代中国に由来し

「社」とは土地の守護神 土の神を意味します

この日は 産土神 (生まれた土地の守護神) を祀る日なのです



私の 産土神は 櫛田神社の 〈大幡主神〉です


今日 櫛田神社の 拝殿前に 私は立ち

拝殿の破風 に ある 風神の彫り物を 頭上にして

風神との 10日の日々を 主の神に 報告しました

そして 小さく 願うことも 忘れませんでした



『 神皇産霊(かみむすび) よ 風の邪気は 我のみに 留めなん

ただただ 家族の そして 人々の 安泰たらんことを 』



( 神皇産霊神 = 大幡主神 )











by nonkei7332 | 2016-09-23 18:48 | 日記 | Comments(0)


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白花曼珠沙華




〈中秋の名月〉の日

診察に呼ばれました

いつものように レントゲン撮影のあと

『 どうやら 肺に水(血)も 溜ってないようだし

膨らみ具合も昔に近いようですね 』

担当医は 私の肺を まるで 風船 のように 話す

『 肋骨は 3本とも 見事に折れていますから 当分は痛いでしょうね

ただ 痛むたびに 痛さも小さくなっていきますから 我慢して下さい

痛みが 無くなれば ブラジャーは外されてもいいですよ 』

彼は 胸当てバンドの事を いつも こう呼ぶ

あと 二週間もすれば 痛みも無くなるだろうと

いともあっさりと 収束宣言をしてしまったのだ

こうして 二週間足らずの 私の 「方丈記」は いともあっさりと

終わりを告げられたのでした



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帰りに 筥崎宮の『放生会』(ほうじょうや) へ寄りました


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筥崎宮 参道



かつて 放生会では 生きた亀が売られ 人々は この亀を買っては

近くの 川や池に放ったという 『放し亀』の風習がありました

八幡宮は 神仏習合 され 全国に広がっていった

日本で最も普及した 神社信仰ですが

神社 及び それ以前の祭神については

古来 謎とされています

海神 でもあり 幡を立ててまつる神 秦氏の氏神 とされた神だとすれば

私は 博多櫛田神社の 『大幡主神』こそが

ここには 隠れておられているような気がします

〈大幡主神〉こと 〈塩土老翁 (しおつちのおじ)〉

山幸彦を龍宮に連れて行った 亀として

記紀には 浦島の伝説として残っています

この《放生会》は 古代神話の入り口といってもいいような

多くの謎に包まれた 祭りなのです

人々は 何もわからず 〈秋が来たから放生会〉といって

ここに 集まってきます 祭りだから それでいいのです

豊饒を祈り 生きている事への 感謝を祈る

祭りだから それでいいのです

それこそが 祖神 への 感謝の祈りでも あるからです



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山保呂志 の 花



庭園で 淡紫色の 清楚 な花を見つけました


 『 山保呂志(やまほろし)』の 花


別名がありました


 『 蔓花茄子(つるはななす)』



花との出逢い

生きていることへの 感謝の一日でした
 



今回 多くの方から

激励のメッセージを頂きました

この場をお借りして 感謝申し上げます

ありがとうございました








by nonkei7332 | 2016-09-16 11:30 | 日記 | Comments(2)


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和歌山 有田 の 八朔




9月1日 『八朔』の日

朔月で 新月 新たな思いで 朝 いつもの時間に部屋を出た

いつものように 子供達を見守り

公民館の花壇に差し掛かった時

一陣の強風が舞い 私の足許をすくい

身体のバランスを失った私は 後ろ向きに 倒れてしまった

私の背中は 御影石の花壇の淵に 叩きつけられ そのまま 転倒

〈やっちゃった!〉

瞬間 私の脳は冷静にその場の状況を 見極めようとした

〈頭 は 打ってない〉〈背中打撲?〉〈息が苦しい ! )

周りを見渡したが 誰もいない 100M先の部屋に戻ることを選択したが

どのようにして 部屋にたどり着いたかは 覚えていない

部屋に着くなり 緊急連絡のスイッチを押す

5回目のコールの後 『どうされましたか』と声が聞こえた

『背中を打って 息ができない 救急車を呼んでください』

絞るような声で私は喋った

『すぐ手配します 5分で着きます 大丈夫ですか』

『・・・』

意識はしっかりしている 苦しい呼吸で呻きながらも

私は 財布と保険証と ケータイを手にしていた

遠くに 救急車の音が聞こえた 海馬が震えた

記憶が蘇る かつて 私は こんな 空間にいたことがある

車が揺れるたびに 背中に鈍痛が走る その度に呼吸が3秒とまる

朝の通勤時間帯なのだ やたらと止まりながら 救急病棟についた

痛み止めの注射を打って すぐに MRIへ 呼吸は相変わらず 浅い。

痛み疲れた頃 担当医の野太い声が聞こえた

『肋骨が2本折れていて 折れた骨が 肺を破っています』

『肺の蘇生するために 管を入れる手術をします 麻酔かけますから』

麻酔 は この痛みから解放してくれるのだろうか

そんな 期待は 見事に覆された

内視鏡による 胸をえぐる手術は さらに 激痛だったのだ

再び 痛み止めの注射を打つ 1時間くらいたっただろうか

呼吸が楽になった


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胸に管が入り 管は〈メラサキューム〉という

電動式低圧吸引器 に繋がっている 人口肺みたいなものだろう

点滴がされて酸素が吸入され 肋骨はバンドで強く固定されている

物々しいフル装備だ

看護士さんが『お兄さんと熊本の息子さんが こちらに向かっています』

と伝えてくれた


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日常は ある日突然に こうして 姿を変える


兄と長男が 病室を 私の生活の場に変えてくれるのに

それほど 時間はかからなかった

食卓兼 書斎兼 物入れのデスクが ひとつだけ

ベッド と 周りを仕切るカーテン

iPad があるので ブログは書けるし

なによりも 平均600kcal の三食はありがたい


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私 の 『方丈の庵』はこうして出来上がった


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『 鴨 長明 』(かものちょうめい) が

山科の日野山に「方丈」を組んだのは1208年 52歳の時でした

一丈四方の庵には 中央に炉があり 余分なものはすべてを捨て

最低限生活に必要なものだけをそばに置いたといいます

『方丈記』を書き始めたのが58歳の頃でした


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鴨 長命



ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、

久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖と、またかくのごとし。


【現代語訳】

河の流れは絶えることなくどこまでも流れていき、

しかもそれは元と同じ水ではない。

よどみに浮かぶ泡は一方では消え一方ではでき、

長い間留まっているということがない。

世の中の人とその住居とも、同じようなものだ。




さてさて 私の 『方丈記』はいつまで続くのでしょうか






by nonkei7332 | 2016-09-06 22:40 | 日記 | Comments(6)



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若宮神社 正面鳥居



福岡市の中央には

東西に走る 三本の大きな通りがあります

北から 〈昭和通り〉〈明治通り〉〈国体通り〉と通称で 呼ばれています

最も新しいのが 国体通り です

昭和23年 福岡市で国体が開催された折に整備された道路なので

その名が今も残っています


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若宮神社 境内




先日 紹介した 警固神社 も この通り沿いにあって

そこから 西に向かって 3分も歩けば

通り沿い左に 鳥居が立っています

この神社が 『 若 宮 神 社 』です

ビルに囲まれた 社務所はあれど 人はおらずの 寂れた社です

ただ 往時の勢いを残すような 楠の巨木が目をみはります


古代 ここに 奴国という国がありました

奴国王 は 大幡の主として 船に帆を立てて 大海を渡っていました

奴国王子は ヤタガラスと呼ばれ 倭国皇帝 神武の 補佐をしていました

王子は 他の種族を取り込むために 婚姻をしました

そして 生まれた 一人の 奴国王女がいました


その王女を祀った神社が 若宮神社 です

祭神は 《 豊 玉 姫 》です



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青木 繁 「わだつみのいろこの宮』 (一部)
桂の木に乗っているのが 山幸彦
赤い衣を着た 女が 豊玉姫




私が 豊玉姫 を知ったのは この絵でした

いつ頃だったのかはよく覚えていません

ただ 場所は 久留米の石橋美術館だったことは覚えています

この絵が 神話を題材にしたものだということも知りませんでした

海幸 山幸の話は知っていたものの 『豊玉姫 って 誰 ?』

そんな私でしたから それ以上の事は知ろうともしなかったようです

ただ 海神のいた 〈いろこの宮〉が

志賀島 だということだけは 誰かに 教えられたのを 憶えています


奴国の王子 豊玉彦(ヤタガラス) の娘

《豊玉姫》と《鴨玉依姫》

母は違う 異母姉妹になるのですが この二人の女神 と

豊玉彦の姉の アカルヒメと スサノオの間に生まれた

《市杵島姫》この三人の女神が 宗像三女神 と呼ばれている 女神です


豊玉姫 は 山幸彦 の 子を宿すのですが 見てはいけない

お産の姿を 見られたとして 山幸彦を捨てます

豊玉姫が 次に選んだのが 伽耶国 出雲族の 王子 大国主命 でした

山幸彦との子供 鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ) は

神話では 妹の玉依姫が育てたという美談に なっていますが

本当は 玉依姫 は ウガヤ を 夫としています そして

生まれてきた子が 海神 安曇磯良 です


古代社会は 母系社会です 女が男を選びます

婚姻の基本は 女の家族が男を迎え入れるといった

女を中心として婚姻が成立していたようです

三人の女神達の 周りには 多くの男達がうごめいていました

女神達 は それぞれ 違う出自をもって この島に渡ってきた

渡来人達の 心を掴みました

そして 男達は 女神の夢見る 龍宮を 拠り所としながら

倭国という 九州統一王朝を

創りあげていったのかもしれません








by nonkei7332 | 2016-09-02 22:30 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ