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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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警固神社 ( 天神2丁目 )




福岡市の中心街といえば

《天神》と呼ばれる 地域です

最近は 博多駅界隈も 駅の再開発にともなって

賑やかになりましたが

それでも 天神地区は 多くの商業施設や地下街 市庁舎などがあり

多くの市民が集まる 場所です

天神の明治通り沿いにある 〈水鏡天満宮〉が

天神という名前の出処だと言われています

さて 西鉄福岡駅に隣接する 三越 や ソラリアホテル に囲まれるように

警固公園があり その南に接するのが

『 警 固 神 社 』です

今日は この神社の謎を解いてみます


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祭神は 警固三神と書かれていました


神直昆神 (かんなおびのかみ)

大直昆神 (おおなおびのかみ)

八十渦津日神 (やそまがつひのかみ)


聞いたこともない神様だと思いますが

神直昆神 とは 下鴨神社の祭神 〈鴨玉依姫〉 の事です

大直昆神 とは 日吉神社や松尾神社の神様の 〈大山咋神〉のことです

京都下鴨神社の 〈丹塗り矢神話〉に出てくる お二人ですね ご夫婦です

お二人の子供が 上賀茂神社の祭神の 賀茂別雷神 なのです

さてさて 三番目の 八十渦津日神 とは誰なのか

実は 後世 歴史の闇に 消された 祓いの女神

あの 〈 瀬織津姫(せおりつひめ)〉のことです





警固神社は昔からここ(天神)にあったのではありません

由緒によりますと この神社の元宮は 南区警弥郷三丁目にある

警固神社(上警固神社)だといわれています

扁額には 〈 警固宮 〉と書かれていました。


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上警固神社 (警弥郷)


上警固神社の 由緒 にはこう書かれていました


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赤 (警固神社)
緑 (背振神社)







「筑前国続風土記」で 貝原益軒は

天神の警固神社の事を こう書いています


『 今かんがるに、警固と名付けしは、古、此の地に 警固所ありし故、

其の所にまします神なれば、名付け侍りしにや、

神功皇后の新羅を討ちたまひし時、此の神、

軍衆を警固したまふと云うは

其の名によりて 後の人附会せるなるべし』


すごい内容ですね 上警固神社は

その後 神功皇后が 福崎(福岡城本丸あたり)に祀ったとされていますが

益軒は 警固の名を借りた 後ずけだと言っています

おそらく 真実は いにしえの地図を見れば分かりますが

南区警弥郷近くまで海岸線だったのですが

その後 現在のように陸地が広まっていったので

福崎(黒田城本丸付近) に分社したのではと私は思っています

神功皇后は 国を護った神として 後世 度々 後ずけされていますが

これもその一つだと思います



そもそも 貝原益軒は 天神警固神社の事を

「小烏警固神社」と書いています

この神社の門前辺りは 古い地名で〈小烏馬場〉

と呼ばれていたためでしょうか


『 小烏の神社は、古より 此所に鎮座し給ふ。

城州下加茂の小烏の社と同神にて 建角身命 為。』



下鴨神社と小烏神社の ご祭神は 同じで

建角身命(ヤタガラス) こと 豊玉彦 だといっています

ただ 小烏神社が この場所(天神) にあったように書いていますが

益軒 の勘違いのような気もします

古地図をみると 警固所 と 小烏神社 は ちょっと 離れています


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呉服町路上にある 博多の地図

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鎌倉時代の 博多の古地図 「博多往古図」



鎌倉時代の古地図(上図)には 北警固所の南に〈小烏大明神〉とあります

現在 薬院の近くに 古小烏(ふるこがらす)という 地名があります

おそらく そこに 古い小烏神社 はあったのでこの地名が残ったのでしょう

じつは 現在は 警固三丁目の丘の上に 〈 小烏神社 〉があります

というより 丘の上に移されたようです


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小烏神社 (警固3丁目)



赤 (小烏神社)
緑 (警固神社)
黒 (古小烏町)



いったい いつ 誰が 丘の上に 移したのでしょうか

もう一度 上警固神社の由緒を見てください ヒントが書かれています

つまり 福岡城主 黒田長政が 慶長6年(1601年) 黒田城を築城する時に

城の本丸近くにあった 分社された下警固神社を

今の小烏神社のある所に移し

古小烏 にあった 小烏神社も移して 合祀したのでした

小烏神社跡は 藩士の住居にしたと記録には残っています

その後 慶長13年(1608年)二代目藩主忠之が本丸で 生まれると

警固三神こそが 産神だといって 山の上の 小烏の祠だけを残して

警固所があった 今の天神に 警固三神を祀る 警固神社として

神社を造営し 黒田藩主 代々 厚く 祀ってきて 今に続いています


天神警固神社 は 黒田家によって 慶長6年(1608)に


建てられた 社殿 だったのです





さて 私は 去年の11/10 の 記事の中で

京都下鴨神社の葵祭りの起源は

背振山麓に住む 賀茂氏が背振神社で行っていた祭りを

天智天皇が 京都にもってきたものだという

真鍋大覚さんの説を引用して 紹介しました


その後 下鴨神社を訪ね 八咫烏(ヤタガラス)こと豊玉彦と

鴨玉依姫 そして 大山咋神 の三神の繋がりを知り得ました

そして その影で 瀬織津姫が この神様達を

じっと 見守っている事を感じて帰ってきました


警固神社の元宮である 上警固神社のすぐ側には 実は 〈背振神社〉が

鎮座されています。同じ賀茂氏が祀ったものだと思っています

そもそも 背振神社の祭神は 宗像三女神になっていますが

私は 豊玉彦(ヤタガラス)が 隠れておられるような気がしてなりません


天神警固神社のご祭神には 警固三神のほかに 相殿神として


建角身命

豊玉姫命

神功皇后

応神天皇


の四神が 祀られていますが ここでも 建角身命 の名こそあれ

豊玉彦(ヤタガラス)は 表に出ずに 隠されているようにも思えます

神社をよく見て回りましたが

神紋は 黒田家の紋章と同じ「下がり藤」でした

千木 は 間違いなく 男千木 で 男の神様です

拝殿の瓦の上に 烏のような 置物が乗っているではありませんか

間違いなく あれは 八咫烏 (ヤタガラス) です

社務所で確認させて頂くと「その通りです」という答えでした

何か 安心したような 複雑な心境でした

何故に 警固神社の神様が 建角身命 を含めた 四神 ではないのかという

疑問ですが これ以上 突っ込むと 神社に迷惑が かかりますので

口を閉じることにします


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百島系図


ここからは 百島神社考古学 の世界です

百島説によると 祓戸神である 〈瀬織津姫〉と

出雲神話で スサノオ が 嫁にした 〈櫛稲田姫〉そして

「山城国風土記」に出てくる 丹波の姫 〈伊賀古夜姫命〉(イカコヤヒメ)

は 同じ人物だとされています

そして この姫 と 豊玉彦(ヤタガラス)の間に生まれたのが

鴨玉依姫 であり その夫が あの 大山咋神 なのです

私が 下鴨神社でみた あの神々の系譜が

博多の 小烏神社 警固神社の神々の系譜に重なるのです


それは 取りも直さず

豊玉彦の父である 博多の主の神である 櫛田の大幡主神

そして 大国主神 と 続く 白族(主の神の系譜)の中に

出雲族と言われる 秦氏の系譜が 取り込まれていった

出雲神話(国譲り神話) の 隠された 世界なのかもしれません


次は 豊玉彦と 豊秋津姫 と間に生まれた

豊玉姫 (鴨玉依姫とは異母違いの姉妹)を訪ねて


『若宮神社』を訪ねます








by nonkei7332 | 2016-08-30 10:51 | 古代史 | Comments(0)



九州国立博物館に 姉と二人で 出かけるたびに

参道のカフェで 食事をします


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一軒目 は お気に入りの 『 かさのや家 』です


梅ヶ枝餅 ランキング 一位の店でもあります


茶房ギャラリー に入って 食事をします


いつも 奥の中庭に面した 小部屋が 定番席です


外は 暑い陽射しの中でも ここは ひんやりとしていました


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中庭は いつも よく手入れされていて


季節の花々が咲いています


秋の訪れをつげる 《 秋 海 棠 》(しゅうかいどう)


愛らしい ピンクの花を つけていました


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もうひとつの花は 《 藪 蘭 》(やぶらん) です


日陰の庭に よく見られる紫の棒状の花です


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粉挽の置物に 雀が寄ってきて 食事の真っ最中でした


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選んだ メニューは 『 松香堂弁当 (宰府路) 』


なかなかの お味でした。


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素敵な ステンドグラスでしたので シャッター。


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もう 一軒は 『 中村屋 』


梅ヶ枝餅ランキング 四位の店です


食事は 蕎麦が美味しいです


《 天ざる蕎麦 》を注文しました


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中村屋 の 中庭です



もっと 素敵な店があれば どなたか 教えてください


太宰府に行く 楽しみがまた ひとつ 増えます










by nonkei7332 | 2016-08-25 12:00 | 日記 | Comments(0)

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東 山 魁 夷 (ひがしやまかいい) 1908 ~ 1999



『 東山魁夷展 自然と人、そして町 』


九州国立博物館には 多くの人が訪れていました

一生に一度でいいから 東山芸術に直接触れてみたい


私もそんな 一人 でした


誰人にも そう思わせるほど


東山魁夷 の絵には 神が宿っています



今回の 目玉は 唐招提寺御影堂の障壁画だと言われていますが

90点もの 多くの風景画は 無駄がない 統一された構図です

静けさと 神秘さを醸しだす 青と白 の色彩の前に立つと

魂を奪われたように その世界の中に 吸い込まれていきます


多くの作品の中から 絵の前で 足が動かすことができなかった

三点の絵がありました

(購入した絵画集を撮影しましたので 実物とは多少色合いが異なります)




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「年暮れる」1968年作 山種美術館蔵

大晦日の京都の町家の景色が描かれています

静けさの中に 神の降り立った 家々の平和への 祈りが見えてきます



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「行く秋」1990年作 長野県信濃美術館蔵

魁夷 82歳の作品です ドイツ北部の郊外の秋の景色です

金箔を散らした 楓の落ち葉には 冬に臨む 老いた人の寂しではなく

生命の全てを吐き出したような 荘厳な輝きが 心を打ちます



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「静唱」1981年作 長野県信濃美術館蔵

パリ郊外のソー公園の景色です

私が最も好きな 魁夷の絵です

ポストカードを買い 小さな額縁に入れて リビングに飾りました

東山魁夷 は日本人です

日本の美しき山や海の情感を 唯一描ける 稀有の画聖です

北欧の森を描いたとしても その目線の向こうにあるのは

日本の山河のような気がします

絵の前に立つと 金縛りにあったように 動けなくなります

そこには 多くの苦しみや悲しみを乗り越えてきた

日本人としての 自然神への 祈りが

私に 憑依してくるからでしょうか




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北欧旅行中の 東山魁夷 撮影 : 寺島照夫







by nonkei7332 | 2016-08-24 11:30 | 日記 | Comments(0)

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とにかく 暑い

猛暑日が 一ヶ月くらいも続いているでしょうか

夕立程度の雨が 二回程降りましたが

涼しくなる程のものではなかったようです


真っ赤な 鶏頭(けいとう)の花が 咲いています

久留米ゲイトウ と呼ばれる品種です


トサカ状の花が折り重なるように固まって球のようになります


《我がやどに 韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむぞと思ふ》

万葉集3巻384 山部赤人


【 解釈 】

我が家の庭に 鶏頭を植えたあのですが 枯れてしまいました

でも 来年のために また種を蒔こうかと思っています


( 韓藍 とは 鶏頭の別名です )


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黄色の鶏頭も咲いていました

《 ひいやりと 剃刀ひとつ落ちてあり 鶏頭の花 黄なる庭さき 》

北原白秋 「桐の花」



夏の花壇に 種を蒔いたのが 梅雨入りの頃でしょうか

〈ひまわり〉〈コスモス〉〈マツバボタン〉 そして 〈鶏頭〉

コスモスは一輪だけですが 他は みんな 花をつけてくれました

可愛くて仕方ないですね


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by nonkei7332 | 2016-08-20 11:09 | | Comments(0)

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8月15日 は 『終戦の日』

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」だと いわれています


私の叔父は 1945年3月17日 硫黄島で亡くなっています

硫黄島では 日本兵の戦没者数は 20000人。

米国における 戦死者は 6800人 戦傷者は21000人。

勝者であれ敗者であれ 戦争とは かくも 悲惨だったのです


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第71回 全国戦没者慰霊祭における 天皇皇后両陛下



昭和56年8月7日


当時 皇太子殿下でいらっしゃった 今上天皇は

「日本人として忘れてはならない4つの日がある」と話されています


8月6日・・・・「広島原爆の日」

8月9日・・・・「長崎原爆の日」

8月15日・・・「終戦記念日」

6月23日・・・「沖縄戦終結の日」


鎮魂の旅を続けてこられた 天皇のお姿は

今 日本人が忘れかけようとしている

何かを語りかけられているようにも思えてきます

風化していく 記憶をいかに繋いでいくかが

今を生きているものの 努めなのでしょう



内田 樹 (うちだたつる)氏 は講演の中で こんな話をされていました


世の中には

変化してよいもの

変化すべきものと

変化しない方がよいもの

変えてはならないものがある

それを識別することはきわめて難しい



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8月15日 は 『 精霊流し 』です

死者の魂を弔って送る日です

盆の間 先祖に捧げた供物を 川に流す行事なのですが

今では 環境美化の為 川に流す事は 禁止されています

私の 50年前の記憶では

盆が終わると 那珂川には上流から流れてきた

木船や 藁で作った多くの精霊船が 川岸に流れ着いていました

あの 風景は もう消えてしまったのでしょうか


私の住む町では 毎年 この日に 中央の公園に

宗教色のない祭壇と供物棚をつくります

住民達は 盆の間供えた物を持ち寄り

子供達は花火をして遊びます


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おそらく 神社も寺院もない 古代の村では

鎮守の杜に 村人が集まり

神楽に酔い 精霊(祖霊)を送ったのでしょう

2000年という刻を超えて 人々は 形は変われど

同じ思いで この場に集まってきます


死んでいった者へ 生きている者が できることといえば

弔う事と 祈る事しかないのですから


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楽しそうに 花火をする 親子の姿に祈ります

この国が この星が いつまでも 平和でありますようにと。






by nonkei7332 | 2016-08-16 08:30 | 日記 | Comments(0)


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人の記憶とは かなり 〈あいまい〉なものですね

〈あいまい〉という言葉を 漢字で書くと

〈曖昧〉と書くそうですが 私は 長い間

〈曖味〉と 記憶していました

味 と 昧 の違いは 口偏 と日偏 の違いなんですけど

全く 意味の違う 漢字だという事がわかりました

〈昧〉とは

はっきりしないこと 暗いこと

愚かなこと 道理に暗いこと

夜明け前を表すこと

と辞典には 載っています


三昧(ざんまい) という言葉があります

語源は 仏教語らしく

心を一つの対象に集中して動揺しない状態

雑念を去り没入することによって

対象が正しくとらえられるとする

悟りの境地 みたいな状態をいうみたいですが

私たちが使う 日常用語では

〈贅沢三昧〉とか 〈遊興三昧〉とか 〈仕事三昧〉とか

どちらかというと 愚かなことの意味で使われることが 多いみたいです


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さてさて 昨日から


四年に一度の オリンピックが 始まっちゃいました

そして 今日からは これでもか というように

夏の高校野球が 始まっちゃいました

もう 何にも 手につきません


お尻に根が生えてしまいました

当分の間は 〈テレビ三昧〉の愚かなる 日々が 続きそうです








by nonkei7332 | 2016-08-07 18:39 | 日記 | Comments(0)



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百日紅




《 風かよふ 百日紅の花見れば 立秋のけはひ 既にうごけ 》

北原白秋


白南風 が吹いて 風鈴を揺らしています

すると どうでしょう

あれほど 騒がしかった 蝉時雨 の音が消えたのでした

百日紅の花が終わるころには

虫の音に 囲まれて 白秋 (あき) は もう しらんでいるのでしょうか

途切れた 記憶は 遠い日の花火


秋の風を 悲しい風と詠んだのは 誰だったのか



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白い 百日紅






《 花あかき 百日紅の下にして 子が立ちとまる 影のみじかさ 》

北原白秋


『 百日も咲いてるなんて 嘘だよね 』

少女が 花の名前が書いた 名札を見て いいました

『 嘘じゃないよ 花が散っても また 次の花を咲かせるんだよ 』

白い 百日紅 の花が 返事をしました

『 白いお花なのに あなたの名前は どうして 百日紅 というの 』

少女は 不思議そうに たずねました

さるすべりの花は 答えに困ってしまいました











by nonkei7332 | 2016-08-03 12:15 | | Comments(0)