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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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写真は 左から 真鍋大覚さん 宮崎康平さん 和子夫人
那珂川町の 裂田の溝 を訪れた時の様子です
「神々のふるさと」宮崎康平著 より




私が語る 二人の賢人 とは

宮崎康平 さん (1917~1980) と

真鍋大覚 さん (1923~1991)


の ことです


宮崎康平さん の 著書「まぼろしの邪馬臺國」(1967年) は

当時 邪馬台国論争の火付け役として 話題になった ベストセラーでしたが

古代史などには まったく興味がなかった私には

知ってはいても 目を通す事はありませんでした

その後 私が どんな人なんだろうと 興味を持ったは

さだまさし の 「邪馬臺」という歌を聴いた時だったのです

( 詳しくは 拙ブログ 1915/7/20 「海の日に」参照下さい )

それこそ 「出逢いは いつでも 偶然の風の中」でした



出逢い と言えば 私を 古代史へと 導いてくれたのは

ブログ「ひもろぎ逍遥」の 〈綾杉るな〉さん でした

綾杉ワールド は 多くの 出会いを私に与えてくれました

私が 記事の中で 《筑紫の賢人》と 勝手に 呼ばせていただいている

真鍋大覚さん との 出会いは 今では 大きな 存在です

図書館を巡って 真鍋さんの 書物を読みあさりました

難解な内容の書物ですので どうしても 自分の物にしたくて

綾杉さんに お聞きしてやっと手に入れたのが 『儺の国の星 拾遺』です

本の中で 度々 出てくるのが あの 宮崎康平さん の 名前でした

先日 数少ない 宮崎さんの著作の中で 『神々のふるさと』という本を

手に入れ 読んで 驚いたのが これまた 度々出てくる

真鍋さんの お名前だったのです



宮崎さんは本の中で こう書かれています


『 真鍋先生は 気象学者で 年輪と気象の関係を研究されている人である

私は その年輪から 古代の歴史を読み取ろうと すでに 何年も

先生について学び かつ 研究しているが おかげで 新しい幾多の事実を

確認することができた 』89p



奇しくも 同じ時代に 生まれた 古代史研究者 と 気象学者 の

お二人が 互いに 大事な存在であったことが

この本の 一行 一行 の 間に 感じることができますが

この 本の あとがき には

和子夫人が こんな 事を書かれていました



『 そもそも 康平 がはじめて『まぼろしの邪馬臺國』を世に問うてから

今日まで 大方の期待を裏切って なぜ 後続の著書を出さなかったかと

かねて先輩や友人からは苦言を呈され しかも 農園の経営や講演に

ひっぱりまわされて ペンを執ることがおろそかになったのではないか

と非難されたのだったが これは あくまで 副次的な現象で ほんとうは

九州大学の 真鍋大覚助教授 との出会いがきっかけで

脱線してしまったようなものである

人間が 自然をゆがめるほどの 巨大な力 を持ちはじめたのは

僅か百年このかたのことで 千七百年 という歳月は 自然界においては

束の間の時間にすぎない だから 古代に最も肉薄することができるのは

自然現象 を通じてだと考えた康平は 九州大学で航空気象学を

研究されている 真鍋大覚博士に教えを乞い 過去三千年にわたる

気象のプリントともいうべき 屋久杉の年輪を研究 を手始めに

〈気象〉〈日蝕〉〈海流〉等々 貴重なデータ や

九大図書館の資料を 提供していただいた 』




二人の賢人が あと10年 長生き されておられれば

新たな 古代史 発見に 大きく 寄与されたに違いないと

私 は 思っています



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by nonkei7332 | 2016-04-28 18:59 | 古代史 | Comments(0)



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牡丹 (ぼたん)




雨が大地を潤しています

この時季の雨を 二十四節気 で


『 穀 雨 』(こくう)と言います

「 雨が降って 百穀 を潤す 」と云って

柔らかな春の雨が降り始めると

里の民は 田植えの準備を始めます


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姫空木 (ひめうつぎ)



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雪餅草 (ゆきもちそう)



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高砂唐松 (たかさごからまつ)



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雲間草(くもまぐさ)



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瑠璃唐草 (るりからくさ)



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苧環 (おだまき)



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馬酔木 (あせび) の若葉



〈 七十二候 〉でいえば

『 葭 始 生 』(あし はじめて しょうず)

水辺の葭(葦) が芽吹き始める頃です





by nonkei7332 | 2016-04-21 19:25 | | Comments(0)


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トン族 の 少女




福山雅治 が 次に訪れた 所は

中国 貴州省 占里村(せんりむら) でした

少数民族『 トン族 』と呼ばれる 人たちが住む

山に囲まれ 鼓楼 と呼ばれる 村の聖地を中心に

700人ほどの 村民からなる 小さな村 です

ここも 独自の文字をもたない 「トン族大歌」という 歌で

村の歴史 や 文化を伝えてきた 人たちでした

幾重にも重なる 棚田 で もち米を作る人たち

古き 日本の 農村をコピーした様な 風景がそこにはありました

人々は 祖神を そして 山の神 地の神を 祭っていました


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村に入るには 川に架かる 「 風 雨 橋 」と呼ばれる

屋根付きの橋を渡らなければならないといいます

その姿を テレビの画面で 見た時

私の中で 幾つかの記憶が 繋がり

それは ひとつの確信に繋がっていったのでした

『 あの橋 と いっしょだ 』

私の記憶は かつて 見たことのある

あの橋を 思い出していました

その橋とは 宇佐神宮 の 寄藻川(よりもがわ)に架かる

「 呉 橋 」(くれはし)です

いつの時代に造られたのか 解らないとされ

ただ 呉の人が造ったと 伝えられる 謎の橋です


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宇佐神宮 呉橋



中国春秋時代 「呉越同舟」と言われる様に

仲の悪かった「呉」も「越」も 同じ風俗 と 文化をもつ

同じ 民族 だったのです

呉越 の 末裔は 海を渡り 倭人となりました

山に追われた人々は 奥へ奥へと 迫害を逃れ

少数民族 となって そこに 山里を築きました

そのひとつが 「トン族」だったのでした



そういえば 倭人もまた

独自の文字をもたない 人達 だったのです

日本における 文字の起源 といえば 万葉仮名 が最初です

やがて そこから 片仮名 平仮名 が生まれます

とすると 万葉以前の人達は 「トン族」と同じように

山の神を祀り 水の女神を祀り


神の使いである カラスに

その年の豊作を 託した 人々だったのでしょうか

そこには 祖神を伝承する 「歌」があったのかもしれません



番組では 300人の トン族の合唱隊 と

「トン族大歌」の代表曲である 「セミの歌」をバックにして

福山雅治 が 自分の歌 「明日へのマーチ」を歌いあげます

ひとつになった 歌声は やがて ひとつの 絆となって

山の木々 山の神々 と繋がり

私の魂の中で ひとつの 感動となっていったのでした



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by nonkei7332 | 2016-04-17 07:11 | 日記 | Comments(0)


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ヨルング族の踊り




3月25日 NHK の SONGS スペシャル

『 福山雅治 SONG LINE 歌い継ぐ者たち 』

という番組を見ました。

最初は 福山雅治 の 特別番組だと思っていましたので

そのうち 見てみようと思って 録画していたのです

昨日 思い出して 観てみました

予想とは違い 奥の深い ドキュメンタリー番組だったのです



人はなぜ歌うのか 人類にとって 歌うとは何なのか

福山雅治が 独自の文字を持たなかった 二つの民族を訪ね

人類における歌の起源に迫るという 壮大なテーマの番組でした



福山が訪ねた最初の訪問地は

オーストラリアの北西部 アーネムランド

先住民〈アボリジニ〉の住む《ヨルング族》でした

彼らは 今でも 狩猟生活を営みながら

歌い継がれた 神話や伝承を 文字ではなく

歌う事と踊る事で おそらく 何千年も 語り繋いできた人達で

私が最も 驚いたのが ヨルング族に伝わる 神話の歌と踊りです

古老のソングマンが語る 物語は こんな内容でした



『 虹蛇(ニジヘビ) の 物語 』


はるか昔 遠く旅をして 虹ヘビ が やってきました

虹ヘビ は 休憩をとるために ある 一本の木に近寄り

そこで 嵐を巻き起こし 雷をおこします すると そこから

水が湧き上がり 泉があらわれ 泉は大地を潤します

( 虹ヘビによってもたらされた水源を レインボーリバーといいます)

子供たちは 聖なる水で 水浴びをします

そこに 神の使いの鳥(キジ・カラス)が飛んできて 沢山の葉 を集めます

鳥たちが 住処(すみか) に戻る時 大地を 風が吹き抜けていきます



儀式(祭り) には 必ず 最初に この物語を 歌い 踊るといいます

踊りでは 二本の棒 を持った 虹ヘビ(二人の男)の後を 女たちが 続きます

木のそばに来ると 虹ヘビは 二本の棒で 木を叩き折ります

(虹ヘビは女神の様に思えます 二本の棒は 稲妻を表しているのでしょう)



私の驚きは この物語が

日本の古代神話 との共通点が多いということでした

一本の木とは 山 を想像させます

虹 という漢字はなぜ虫偏なのかの意味も よくわかります

日本の伝説でも 虹 は 蛇 の化身だといわれていましたし

その姿は 龍 そのものです 龍神は 日本古代神話では

罔象女(ミズハノメ)という 山の神です

すべての 水の起源 を取り仕切る 女神でした

子供達が 聖水で水浴びする姿は 禊(みそぎ)の儀式とダブります

神の使いのカラスが 葉(恵み)を集める などは

導きの神 八咫烏(やたがらす) 豊玉彦 の姿を連想してしまいます



番組では 福山雅治が 日本の魂の歌だと言って 彼らの中で

自分の歌「クスノキ」を 歌います

(詳しくは 去年の8月9日に「被爆クスノキ」という記事にしています)



言葉もわからない ヨルング族の少女が

目を閉じて その 歌 に 聞き入っていました

この歌 に秘められた 木の神 の魂を

人類すべての 平和への叫びの 願いを

その小さな体で 必死に 受け止めようとしているその姿に

私は まぎれもなく 感動していました


それを 可能にしたのは

文字でもなく 言葉でもなく

人類共通の言語である

歌 だったのです






by nonkei7332 | 2016-04-14 11:30 | 日記 | Comments(0)


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博多駅前 大博通り




「 山笠のあるけん 博多たい 」

博多の住む人だけでなく 広く知られるこの 言葉は

かつて 某博多の銘菓が使った TVCM のコピーでした

その中で 博多や 博多町人の気質をこう言っていました


博多には 安泰を祈る 縁起担ぎ や しきたり が 今も息づいている

その中で生まれ育った博多っ子は あけっぴろげ で 人がいい

すこしばかり横行(おうぎょう)で祭り好き


博多出身 の 〈チューリップ〉は 名曲『博多っ子純情』の歌詞の中で

博多の男 をこう歌っています


男たちは とても見栄っ張りで気が強い

海の風に吹かれるから

だけど みんな 貰い泣きするようなやつ

酒を飲んで 肩をたたく


巷に言われる 「博多」のイメージはそんなとこかもしれません


それでは 何故 この町が

博多 と呼ばれるようになったかについては

知っているひとは少ないようです


《 博 多 》(はかた)というの 地名の語源については

Wikipedia では こう書かれています


「ハカタ」の語源は

「土地博(ひろ)く 人・物産多し」という言葉から「博多」

大鳥が羽を広げたような地形から「羽形」

海外へ出る船の停泊する潟から「泊潟」


射た鶴の羽が落ちたとして「羽片」

切り倒された大樹の葉が舞い落ちたので「葉形」

などの説がある。 
    


Wiki には 書かれていない ハカタ の語源に

『 伯 方 』(はかた) という 名前があります

〈方〉という漢字は 場所とか 国土 という意味があるので

〈伯〉がいた場所 とか 〈伯〉が治めた国土 という意味なのでしょうか

博多駅から 博多港へ一直線に伸びる 大通りがあります

『大博通り』といいます それから この通りから一筋入った 上呉服町には

大正時代に作られた 古き博多人にとっては懐かしい

「大博劇場」と呼ばれる 劇場(後に映画館となった)がありました


神社考古学の 故百嶋由一郎 さんは


この 「大博」(たいはく) という名前について

『太伯』(たいはく)の名残りが残っていると語られていました


魏志倭人伝 には

『 倭 は 呉(中国)の 太伯の子孫である』


と書かれています

呉太伯という 王は どんな人だったのかは

司馬遷が書いた「史記」に詳しく書かれています

それによると


紀元前10世紀ごろ 中国は 周 という国が治めていました

周の先王である〈古王〉には

太伯(たいはく)虞仲(ろちゅう)季歴(きれき)という

三人の息子がいました 古王は後継に 三男の 季歴 を選び

太伯 と 盧仲 は 南の地 に移り 「句呉」(後の呉)という国を興します

やがて 紀元前480年ごろから 〈呉〉は 隣の国 〈越〉と激しく争い

とうとう 紀元前473年 呉の最後の王 「夫差王」の時 呉は滅びます


中国の史書には


「周の元王三年 越は呉を亡し その庶(親族)ともに海に入りて 倭 となる」


と記されています

国を追われた 呉族系海洋民族 (白族・伯族) の一部は 海を渡り

博多湾岸にたどり着き やがて 倭人の国 奴国(なこく)をおこします

安曇族 の祖先 です


百嶋説 によると

古事記神話に出てくる 最初の神

『天御中主神(アメノミナカヌシノカミ) 』の 別名を

『白山姫』又の名を 菊理姫(くくりひめ) といい

全国の水天宮 や 白山姫神社 祀られている 女神 は

伯族の女神であります

その 弟は 奴国 の 先王 である『白川伯王』なのです

百嶋説では その息子こそが

博多の総鎮守 「櫛田神社」の主祭神

『大幡主神』(おおはたぬしのかみ)だと言われています

白川伯王には あと 二人の娘がいました

ひとりは 神武天皇(大白王子) の母 「神玉依姫」であり

もうひとりは 大国主命 の母である 「埴安姫」だと言われています

安曇族の祖神 『豊玉彦』(ヤタガラス) は

「大幡主神」伯族直系の 奴国の王子として

古代九州王朝の 礎を築いていったのでしょう


山笠が近ずくたびに 頭を悩ませていた

「 おくしださん の 謎 」

「 博多 の 主 」

少しは見えてきたような気がします



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百嶋系図 の一部





by nonkei7332 | 2016-04-09 18:42 | 古代史 | Comments(0)


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〈神鳴り〉の 音 に 目が覚めた朝

時計を見ると 7時 を 過ぎていました

バタバタと 顔を洗い

レインコートに CAP をかぶって 外に出ました

春の雨 は 優しい はずなのに

横殴りの雨は 私の頬を叩いていました

南風(はえ) が吹くと 海人達 は 空が荒れると怖れたんだ

そんな事を考えながら

むしろ 温かな 雨を 楽しんでいました



今日は 始業式

子供達 は いつものように 元気でした

私の いつもの一日が こうして また 始まります

春の嵐 は 昨日までの 私の業 を

禊ぐように 激しく降っていました


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桜 が 散っていきました

そのそばで 松の花 が 咲き始めました

松の花 は「今度は 私の番よ」と

小さな声で 話しかけてくれました

雨に濡れながら 散る花と 咲く花 に 囲まれて

いつしか 私も

花 になっていました


《 秘すれば 花 》 世阿弥「風姿花伝」より







by nonkei7332 | 2016-04-07 14:33 | | Comments(0)



花曇りの中 桜が満開になりました


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《 やどにある 桜の花は 今もかも 松風早み 地に散るらむ 》

万葉集 8ー1458 厚見王(あつみのおおきみ)


【 通解 】

あなたの庭に咲いている 桜の花は

松風が強いので 散ってしまうのではないかと心配です








by nonkei7332 | 2016-04-01 20:34 | | Comments(0)