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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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極楽鳥花




小雨の降る 朝

六年生 が 修学旅行 に出発した

『 あれほど いい天気が続いたんですけどね 』と

校長先生に 言うと

『 私の 日頃の行いが 悪いからでしょうね 』と

和かに 笑いながら 言われた

長崎の午後の降水確率は 70%

こんな日に限って というのは こんなことを言うのだろう

乾燥した日々が続いていたので

少しぐらいの雨も欲しかったというのが 本音なのだが

秋の空は 気まぐれなものだ

それでも 楽しそうな 子供たち

バスの窓から 元気に 手を振ってくれた



私の小学校の修学旅行 はというと

いまから 50年前 半世紀も 前の事になる

さすがに 長崎には 行った記憶はあるが 詳しくは覚えていない

あの頃の記憶 の中では 通った小学校が

九州では 初めて 吹奏楽(金管楽器) を 取り入れた 小学校 で

私は その初代のメンバー だった

楽器は 〈 メロフォン 〉を吹いていた

メロフォン という楽器は 今は 見かけないが

形も音域も フレンチホルン と同じようなもので

フレンチホルン が バルブを 左手で操作するのに対して

メロフォン は トランペットと同じように

ピストンを右手で操作するのが 大きな違いだ

代表曲だった 『クワイ河マーチ』

中ほどに メロフォン の ソロパート があった

マウスピース の感触 や

楽器を磨いた後の 真鍮のすえた匂い が懐かしい

どんたくの行進に参加したり 音楽会やテレビにも 出演したりした

話に聞くと 今でも 九州では 有名な 小学校吹奏楽部 だそうだ



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メロフォン



最近 よく読む 貝原益軒 の 『養生訓』


日々の暮らしの 手本にしている



ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、

古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、

山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、

酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、

皆是 心を楽ましめ、気を養ふ助なり。

貧賎の人も此楽つねに得やすし。

もしよく此楽をしれらば、

富貴にして楽をしらざる人にまさるべし

《 玩び とは : 心の慰めとする相手・風流の対象となる物 》



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仙人花



最近 不精に伸ばした 白髭 を撫でながら

仙人 の 日々は

今日もマイペースだ







by nonkei7332 | 2015-10-27 15:50 | 日記 | Comments(2)


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時々 君たちの夢を見ます

いまでは 37才 と 35才 のいい歳の親父になっているのに

夢の中に出てくる 君たちは

いつも 小さな子供だった頃の夢ばかりです

時々 送ってくれる 子供達(孫) との写真を見るたびに

そういえば 私にも こんな頃が あったなと

昔の写真を 探しては 失われていく 記憶を呼び戻しています

君たちが はしゃいでいる 昔の写真です

家族で 阿蘇に旅行に 行った時のスナップです

小さな旅でしたが 覚えていますか?

泊まった宿は 乙姫のペンション村 でしたね

丸太でできた 中二階の部屋を 君たちは 走り回っていました

乙姫ペンション村 なんて 洒落た名前をつけたもんだとしか

あの頃は 思っていませんでしたが

阿蘇の古代を紐解いていて 最近 わかったことがあります

近くに 乙姫神社 があります

祀られている祭神は 阿蘇の神々の母神 『蒲池媛』でした

( 9/30 の ブログ 「蒲池媛の謎」参照 )



ピンクスポット 〈乙姫神社〉ブルースポット 〈乙姫ペンション村〉


阿蘇神話 には 健磐龍命(たけいわたつのみこと) がいます

健磐龍命 は 阿蘇の開拓に携わった 豪族で 神武天皇の孫になります

全国にいくつかある 「蹴裂伝説」が残っています


《 昔、阿蘇は外輪山に囲まれた大きな湖であった

健磐龍命は湖の水を流して田畑を拓くことを考えました

満身の力で湖の壁を蹴り壊したのですが 湖の水は流れ出したものの

大鯰 が横たわり水の流れをせき止めてしまいます

健磐龍命はこの大鯰を退治して湖の水を流します

大鯰の流れて行った後は 白川 となり

大鯰は 《上益城郡嘉島町鯰》という

土地に流れ着いたと言われています》


乙姫についても 熊本の各地に 「乙姫伝説」が残っていますが

概ね 乙姫様が鯰に助けられる という ストーリーです

乙姫 といえば 「龍宮城の乙姫様」を思い浮かべるのですが

どこかで 繋がっているのかもしれません

〈熊本〉は 昔は 〈隈本〉といっていました

隈(くま)という字は 狗奴国 の 狗奴(くな)が訛ったものです

熊襲 もそうでしょう

隈 という地名は 熊本だけではなく 福岡の 筑後にも 筑紫にも

たくさん残っています 雑餉隈 月隈 などもそうですね

鯰の伝説 も 佐賀にも 糸島にも 那珂川町 にも 残っています

狗奴国(熊襲) の 勢力は広範囲の九州に及んでいたようです

鯰 の伝説の起源 は 遠く中国の呉の国 からきています

呉人の風俗に「提冠提縫」というものがあります

提とは鯰のことで 呉人は鯰の冠を被っていたとされています

嘉島町の鯰という場所は そういった 謂れがある

今でいう パワースポット でもあるのです

かつて この鯰の村に 戦国時代の 南熊本の守護大名

小西行長 の 陣跡があったときいたことがあります

小西行長は 有名な クリスチャン大名でしたので

南熊本や宇城や八代 の神社などの多くを焼き払ったと言います

おそらく 多くの古代からの歴史遺産 が失われたようです

鯰の地 にも 何かあったのではと 思っています

陣屋跡 を代々守ってきた 庄屋 には いまでも


年老いた 御夫婦 が 住んでおられます


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私が 自分のルーツを追っかけてきた 旅も


まだ 旅の途中 です


それは 君たちにとっての ルーツでもあるのですが


君たちには もうひとつの ルーツがあるのです


ふたつのルーツ は 遠い昔 はひとつのものでした


奴国 と 狗奴国 争いはしましたが


やがて 九州王朝 という きらびやかな


この国の始まりでもあったのです



来月 京都に 孫に会いに行きます


紅葉真っ只中の いい季節をえらびました


1000年の王朝 の煌びやかさの奥に隠された


1500年前の 筑紫の王朝 の面影を探す 旅 になりそうです




熊本県 上益城郡 嘉島町 鯰





by nonkei7332 | 2015-10-26 12:07 | 博多ルーツ | Comments(2)


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今津湾岸 のヨット




博多湾沿い 唐津街道 を 西に向かう

姪浜をすぎると 今津湾沿いの

生の松原 長垂海岸と 白砂青松の 綺麗な海岸線 が続く

唐津街道 は 今宿から は 海岸線をはなれ 前原へと

糸島半島の田園地帯を 突き抜けるように 西へ 道が伸びていく

このあたり かつては 海峡であったといわれ

糸島の名前は 海を隔てた 怡土国 と 志摩国 から

怡土志磨 (いとしま) と呼ばれるようになったといわれている

伊勢・志摩(イセ・シマ)は この地の名前が 移ったものだ

天照大神が降臨したとされる(天の)岩戸が 天ケ岳の傍にある

桜井神社(岩戸宮)の裏手にある


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今津北崎 から 志賀島がみえる


『魏志倭人伝』には、伊都国と呼ばれた このあたり

「(末廬國から)東南へ陸を500里行くと、伊都國に到る。

そこの長官を爾支(にし)といい、

副官は泄謨觚(せつもこ)・柄渠觚(ひょうごこ)という。

1000余戸の家がある。世々に王があるも、

みな女王國に統べて属する

帯方郡(たいほうぐん)の使者が往来して、

ここに常にとどまる場所である。」

また

「 女王国より北には、特別に一つの大率(だいそつ)を置いて

諸国を監察させており、諸国はこれを畏(おそ)れている。

大率はいつも伊都国で政務を執り、

それぞれの国にとって中国の刺史(しし)のような役割を持っている。

王が京都(洛陽)や帯方郡や諸韓国に使者を派遣したり、

帯方郡が倭国へ使者を遣わすときは、

いつも津(港)で、文書や賜与された物品を点検して、

伝送して女王のもとへ到着する時に、間違いがないようにする」

と書かれている


大率 と呼ばれた 王が 代々 この国の 政務を執行したとあるが

女王とは 卑弥呼 であって 大率の王は 神武天皇 だったのだろうか

この二人が 兄妹 であったという 説もある

とすると アマテラス は 卑弥呼であったというのも

おかしくもない


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北崎海岸より 能古島が見える 手前は 海釣り公園


そんなことを 考えながら 今宿から 海岸線を 北にむかった

入海にかかる 橋のたもとには ヨットが停泊し

今津 北崎 唐泊 に続く 白砂の綺麗な 海沿いを 楽しんだ


《 韓亭能許の浦 波立たぬ日はあれども 家に恋ひぬ日なし 》

万葉集 15巻 3670 遣新羅使

《 訳 》

韓亭(からとまり) の沖の 能古島の海に波が立たない日はあっても

家のことを恋しく想わない日はない


《解説》

韓亭 と 呼ばれた 唐泊の港は

遣隋使 遣唐使 遣新羅使 との 要港だった

沖の波が高いと 舟人は 何日も この場所に停泊し

海の鎮まるのをまったという 韓人が多く泊まる 宿もあり

人々は ここを 韓亭 と呼んだ


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半島の先端の町が 唐泊


志賀島 能古島 が 沖に見える 今津の浜・唐泊

ここは 磯良の海の 入り口だったのだ









by nonkei7332 | 2015-10-22 15:06 | 古代史 | Comments(0)


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まんが日本昔ばなし より





私達のまわりには 沢山の 昔話がうごめいています

今は昔 で始まる 今昔物語ではありませんが

この国には 数えきれない 昔話が それこそ

八百万(やおろず) と言われるくらい 存在しているのでしょう


柳田国男さん は 「日本の伝説」でこう述べています


『 伝説と昔話とはどう違うか。

それに答えるならば、昔話は動物の如く、

伝説は植物のようなものであります。

昔話は方々を飛びあるくから、

どこに行っても同じ姿を見かけることが出来ますが、

伝説はある一つの土地に根を生やしていて、

そうして常に成長して行くのであります。』


昔ばなし といえば TBS系のテレビアニメ

『まんが日本昔ばなし』を よく見ていました

土曜日の 7:30〜8:00 という 時間帯でしたね

今でも オープニングの曲を覚えています

♪ ぼうや 良い子だ ねんねしな 今も昔もかわりなく

母のめぐみの 子守唄 遠い昔のものがたり ♪

市原悦子 と 常田冨士男 の独特の語りぐち がなつかしい

物語の総数が 1474話 もあったということを知って 驚いています

そのデータを調べてみると

タイトル数が多かった 物語でいうと


① 鬼 ・・・ 110話 《鬼がわらった(熊本)》《牛鬼淵(三重)》et

② 龍(竜) ・・ 73話 《小太郎と母龍(長野)》《龍の淵(宮崎)》et

③ 地蔵 ・・・ 72話 《笠地蔵(東北)》《身代わり地蔵(大分)》et

④ きつね ・・ 54話 《きつねの恩返し(奈良)》《ごんぎつね》et

⑤ 大蛇(ヘビ)・ 53話 《大蛇の棲む岩(岩手)》《大蛇の塔(山口)》et

⑥ 河童 ・・・ 29話 《河童の雨乞い》《河童のくれた妙薬》et

⑦ たぬき ・・ 27話 《狸の手習い(滋賀)》《たぬきのしっぽ(栃木)》et

⑧ さる ・・・ 27話 《サルの生き肝(山口)》《猿の恩返し》et


上位 の タイトルでもわかるように

〈鬼〉〈龍〉〈きつね(稲荷)〉〈大蛇〉〈河童〉

〈地蔵〉をのぞくと 出処は やはり 北九州 (筑紫) のようですね

多くの 伝説や昔ばなしが 海人達によって

全国津々浦々まで 拡がって

やがて その土地土地 の 昔ばなしとなって

伝え語られていったのでしょうか





by nonkei7332 | 2015-10-17 18:34 | 古代史 | Comments(0)

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リンガーハット の 長崎ちゃんぽん



食欲 の 秋 です

昔から 私は 食堂に入ると

〈ラーメン 〉か 〈ちゃんぽん〉 か というと


必ず ちゃんぽん をオーダーする

いまでこそ 博多ラーメン 全盛 なので

ちゃんぽん が メニュー にある 店も少なくなったが

それでも ちょっと 古い 博多の食堂には 必ず あるものだった


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ちゃんぽん といえば 長崎が発祥 とされている

もともと 長崎の中華街で まかない で作っていたものを

メニューにしたという

長崎には 本場のちゃんぽん がある

そういえば 長崎ちゃんぽんの専門店である


《リンガーハット》

長崎 の 浜勝という とんかつ屋 が起こした 全国チェーンの店だが

今では 中国にも アメリカにも 進出していて


500店舗もの店があるという


オープンの頃に比べると 最近 味が落ちたように思う

東京で 生活している頃 新橋の店に寄って食べてみたが

食べ慣れた 味が違うのには 驚いた

店長に 「九州店で 食べる 味とは違うが何故か」というと

関東の人に合わせた 味にしていると答えたのには 閉口した

それっきり リンガーハットの敷居が高くなったようだ



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長崎駅から 歩いて 3分 〈 金 龍 〉


長崎には 出張に行くたびに

中華街などで ちゃんぽん ばかり食べていたが

何と言っても 私の中での ナンバーワン の店は

長崎駅 にも 近い《 金 龍 》

狭いカウンターが10席ぐらいの 狭い小さな店だが

その美味さは 群を抜く

壁には さだまさし の色紙が貼ってあった


さだまさし の学生時代を 小説にした


「ちゃんぽん食べたかっ!」

5月には NHK でドラマにもなったが

さだまさしの記憶の中には きっと

あの《金龍》のちゃんぽん があったのだろう


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金龍 の ちゃんぽん



学生時代を 同じ東京の 空の下で 過ごした私でもあるので

ちゃんぽん を 食べたい 九州人のせつない想い は 良く解る

どこにも ないから 自分で作ってやれと思ったことがあった

ところが 肝心の あの 黄色い太い ちゃんぽん玉 が

どこにも売ってないのだ

4、5件 探し回っても とうとう 見つからず

ため息をついて 諦めた事を 覚えている



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志賀海神社 参道沿い の 中西食堂



今年の一月 志賀島 に訪れたとき

ちゃんぽん が 美味しい 店があるからといって

安曇連 の友人 Aさんに 連れて行ってもらった

《 中西食堂 》の 特製ちゃんぽん は 美味しかった

地元の野菜と 海産物の 具沢山 で 忘れられない 味になった

今月 綾杉さんの「歴史講座」で 志賀島に行くようになっている

バスを降りて 志賀海神社に寄ったあと

参道沿いの 《中西食堂》で ちゃんぽん を食べる

この スケジュールは 変わる事はない


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by nonkei7332 | 2015-10-16 10:42 | 日記 | Comments(5)

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岸和田 だんじり祭り




九州では 秋祭り を 「くんち」「おくんち」といいます

秋 の 豊穣収穫祭 です


起源 は 天皇が 五穀の新縠を 天津神 国津神に 捧げ

自らも食しその年の収穫に感謝する

〈新嘗祭〉(にいなめさい) だといわれています

現在でも 11月23日 に宮中や 各地の神社で 祭祀が行われ

「勤労感謝の日」として 国民の祝日 になっています

〈くんち〉の語源は 諸説ありますが

〈九日説〉が 主説でしょう つまり 旧暦の9月9日 (10月21日)

重陽の節句 にあわせて 祭りがおこなわれました

各地によって 多少 日程が ずれたりしますが

これが 元となっているようです


『三大くんち(九州三大秋祭り)』といえば

「長崎くんち」「博多おくんち」「唐津くんち」です


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長崎くんち 龍踊


《 長崎くんち 》(10月7日〜10月10日)


長崎市の諏訪神社の秋季大祭です

見どころは 各町の「奉納踊り」

各町の奉納踊りには 有名な「龍踊(じゃおどり)」や

「鯨の潮吹き」「御朱印船」「阿蘭陀万歳」などがあります

祭(くんち)の始まりは 江戸時代の寛永年間(17世紀)

二人の遊女が諏訪神社に舞を奉納したことだと言われています

その後 年々盛んになっていき さらに長崎という土地柄から

中国や南蛮文化の影響を受けました

この「長崎くんちの奉納踊」は重要無形文化財となっています



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博多おくんち 神輿渡御



《 博多おくんち 》(10月23日〜10月24日)


博多おくんち」は 博多の総鎮守である

櫛田神社の秋の例祭です

かつては収穫を祝う新嘗祭(にいなめさい)でしたが

昭和28年より 名称を変更して新たに祭礼を行うようになりました

神輿渡御や 稚児行列の他 五穀豊穣市 相撲大会などが催されています

昭和28年といえば 6月26日に 〈北九州大水害〉がおきた年で

北九州各地で1000名の死亡者を出しています

4月に起きた阿蘇山の噴火による 土石流と戦中戦後の森林乱伐が

被害を大きくしたと言われています




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唐津 曳山



《 唐津くんち 》(11月2日〜11月4日)


毎年11月に唐津神社で開催される

例祭「唐津くんち」は掛け声とともに

曳山が駆け抜ける勇壮な祭として知られています

その特徴はなんといっても 獅子

漆塗りの獅子頭を被って舞う「カブカブ獅子」の奉納や

大きな赤獅子 青獅子を乗せた曳山の巡行で知られています

唐津くんちは江戸時代に始まったと考えられていますが

この曳山は、文政2年(1819年)に

《石崎嘉兵衛》が伊勢参りの帰途に

京都で見た祇園 山笠をヒントにして仲間たちと

赤獅子をつくり奉納したのが始まりだといわれています

今では14基の曳山があり「唐津くんちの曳山行事」として

重要無形文化財となっています







by nonkei7332 | 2015-10-12 08:30 | 古代史 | Comments(0)

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《 静かなる 秋のけはひの つかれより 桜の霜葉 ちりそめにけむ 》

北原白秋 〈桐の花〉 より


風の冷たさに 深まる 白秋(あき) を 感じます

朱夏(なつ) の 記憶を惜しむように

木々の葉が 色ずいて行きます



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磯良の海 は たそのくれとき(黄昏)

淤能碁呂島(おのごろじま) は

神々の 揺籠 に 揺られながら

深い眠りに落ちていきます



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by nonkei7332 | 2015-10-09 10:05 | 日記 | Comments(0)

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ハイビスカスローゼル の 花



《 ハイビスカスローゼル 》の 花 が咲いていました

アオイ科 フヨウ属 の花で 《 ローゼル 》ともいいます

ハイビスカスの 一種です

赤い実 が 赤い枝に 交互についています


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ハイビスカスローゼル の 実




赤い実を 10個 ほど わけていただきました

赤い色は 実の 萼 (がく) の部分で 中を開けると

白い種が びっしり 入っています 外が赤い オクラ のようです

この 赤いローゼルの実を使って 〈 ハイビスカスティ 〉を 作っています


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実を切って 中の種の部分を除き

赤い がく を 乾燥させて

煎じたものが ハイビスカスティ です

酸味があって ビタミンC 不足の方には おすすめです


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実は ハイビスカスティ は

《 スカバ 》で 何度か 飲んだことがあります

何となく 珈琲 に飽きるときが ありますよね

そんな時に 飲んでいました

自分で つくるのは 今回 初めてです



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オリビアオン




冷え込んできた 秋の夜に

あったかい ハイビスカスティ を飲みながら

大好きな 〈 オリビアオン 〉 の bossa nova を聴きながら

あれこれ 古代の妄想 を楽しんでみることにします


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by nonkei7332 | 2015-10-04 05:55 | | Comments(0)

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中秋 の 名月

〈 空 sora そら 〉 さんの ブログ より




10月は 《 神 無 月 》(かんなずき) です

神無月 の 語源は

神を祭る月だから 「神の月」とする説が有力とされています

「無」は 「水無月」(みなずき) と同じく

「の」を意味する格助詞「な」です

中世の俗説には 10月に 全国の神々 が 出雲大社に集まり

諸国には 神がいなくなることから「神無月」になった説があり

出雲国 では 反対に「神有月」(かみありつき) と呼ばれています

その他の説では 雷の鳴らない月で「雷無月」が転じたとする説や

新穀で酒を醸す月なので「醸成月」が転じたとする説もあります


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筑紫の賢人 真鍋大覚さん は

著書 『 玄界灘の海上気象 』で

日本の神話発祥の地を 筑紫 背振山系 の 伊都国 であるとされ

筑紫に残る たたら鍛冶 の 砂鉄選別の 《 かんな流し 》を 示し

神無月 の 起源に言及されています

 

" かんな "

鋳物師間の用語で 砂鉄を選別する 水樋(すいひ) のことであり

木工具の " かんな " (鉋) はこれから 暗示されて

平面の削り出しに考案されたものである。

" かんな " は 女子の携わる作業として

かわのおみな(川女) の 転訛であろうか

背振山系の農家は 秋の彼岸に水を落とす。

すなわち 那珂川を堰でとめて水田に送る灌漑用水の

水門、取出口を開くのである。

稲の収穫はそれから始まる。

したがって 多量の河水を必要とする " かんな流し " は、

土砂 が 水田や溝渠 を埋没することを極度に忌避した 古代、

すなわち 素戔嗚尊の溝埋、畦放 以来、

すべての水の使用が出来、かつ 農閑期に入る


十月から ということになる。

これが おそらく 神無月 の 起源であろう。



【 語訳 】

水樋 (すいひ) ・・・ 水を流す管

素戔嗚尊の溝埋、畦放・・・記紀には スサノオ が アマテラスに

多くの 狼藉を働いたと記されています 溝埋(みぞうえ)とは

田に水を引くために設けた溝を埋めることで

水を引けないようにすることで 畦放(あはなち) とは

田に張っている水を、畔を壊すことで流出させることです




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井上陽水 さん



井上陽水 の セカンドアルバム〈陽水Ⅱセンチメンタル〉に

《 神無月にかこまれて 》という曲が 収録されています

ちょうど 私が 二十歳の頃

東京新宿の 三畳一間 の アパート で 飽きるほど 聴いていた曲です

まさしく この曲は 我が青春 の ポートレート でした



人恋しと泣けば 十三夜

月はおぼろ 淡い色具合

雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ

丸い月には 流れる雲が

ちぎれた雲が よくにあう



風がさわぐ 今や冬隣り

逃げる様に 渡り鳥がゆく

列についてゆけない者に また来る春が

あるかどうかは誰もしらない

ただひたすらの 風まかせ



神無月に 僕はかこまれて

口笛吹く それはこだまする

青い夜の空気の中に 生きてるものは

涙も見せず 笑いも忘れ

息をひそめて 冬を待つ








by nonkei7332 | 2015-10-02 22:22 | 古代史 | Comments(0)