ブログトップ

《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

<   2015年 08月 ( 11 )   > この月の画像一覧





お便り ありがとうございました

毎日 お元気で お忙しくされている 御様子 安心しております

いつも 多くの事を 教えて頂き 感謝しております
学びながら 最近 つくづく 思う事があります
それは この国の 古代史は
多くの 悲しみ に満ちていたんだ という事です

昨日 NHKの 番組 「Switch インタビュー 達人達(たち)」で
コピーライターの 糸井重里さん が

『 蜘蛛の事を知ろうと思えば 蜘蛛の巣ごと蜘蛛を見ないと
本当の蜘蛛の事は わからない 』

こんな お話を して おられました 。

蜘蛛 といえば
殺されていった 多くの 〈土蜘蛛〉の 悲しみの向こうには
同じ 土蜘蛛 でありながら、殺さざるをえなかった
〈景行天皇〉や 〈神功皇后〉の 悲しみが 見えてきます
同じように
同じ 筑紫の民でありながら
消されていった 〈九州王朝〉 の そして
長い間 その 怨霊に怯え続けた
〈畿内王朝〉の苦しみも見えてきます

いにしえの 多くの 悲しみの 戦争と
父母が 語ってくれた あの 悲しみの戦争とは
いったい 何が違うと言うのでしょうか

悲しみを乗り越えて 今は この国は
こんなに 平和だと 誰かが言っています
それを聞いた ある 外国の人が こんな事を言っていたそうです

『 10年間 に 30万人もの人が 自ら命を落とす この国の 異常さを
この国の人達は ほんとうに わかっているのだろうか
この国では まだ あの 戦争が 続いている 』と

形は違えど この国の 悲しみの連鎖 は 今も 続いているようです

私達が 本当に知らなくてはいけない
この国の 魂とは 何なのでしょうね

先日 ブログの中に載せた 越後伝説 〈松山鏡〉
鏡の中に 映った 自分の姿を
母だと思って 健気に生きた少女の姿は
私達が 今 忘れかけようとしている
何かを教えてくれたような気がしています
糸井さんが いう 蜘蛛の巣が
見えなかった 蜘蛛の糸 が
少しだけ 見えたような気もしています

明後日 から 新学期 が 始まります
朝起きて 子供達を見護る 私のささやかな 幸せ が
やがて いつか 誰かに 繋がっていくことを祈りながら の
私の 一日が また 始まります

所用があって
本日のシンポジウム 参加できなくなりましたが
今後 ますますの ご活躍を お祈りしております
季節の変わり目 くれぐれも ご自愛を

満月の日に 感謝を添えて

磯良 より



b0325317_10164159.jpg
今年も デュランタの花 が綺麗です









by nonkei7332 | 2015-08-30 10:40 | 日記 | Comments(0)


b0325317_15235399.jpg




《 神功皇后 》の新羅出兵の際に訪れた

末盧国( 佐賀県唐津付近) での伝説に

『 鮎釣り伝説 』 があります

こんな内容です


『 新羅遠征を前にして 皇后は占いました
「新羅救援が成功するのであれば、魚よこれに食いつけ!」  
そう叫んで、飯粒のついた釣り針を川に投げ入れたところ、
アユ(鮎)が釣れまたので、神功皇后は確信しました。
「神々は我々に味方した!
必ずや、新羅救援は成功するであろう!」』



最初にこの話を聞いた時の 素直な疑問がありました
「なんで 魚釣りなの ?」
「なんで 鮎でなくちゃ いけないの 鯉ではだめなの?」
そんな折 綾杉さんの「ひもろぎ逍遥」の
〈 志登神社 2 〉の中で
賢人のこんな記事を見つけたのです

昔の人は外界の波に動じない海淵を沼津、或は志登と呼び、
星影のゆらめきを見て海の異変を察しておりました。
やがてこれが倭語の鯰(なまず)
即ち漢名の鮎魚(せんぎょ)と結び付き
地震鯰の説が通りだしたのかもしれません。』

なるほど なるほど
鮎 は 鯰 の事なんだ
だから 新羅に上陸した時に 大津波が起こり
皇后軍は 新羅に勝利したんだ
皇后 は 津波を予言したんだな
こんな理解で正解なんでしょうが どこか 納得できないものを
引きずったままだったのでした



柳田国男 の 『 海上の道 』という記事を文庫で読んで
新たな発見をしました


二十年も前に、
私は一時熱心に風の名の集録を心がけたことがある。
農民も決して風に無関心ではないが、その呼称の多くは
海の生活からの感化を受けている。・・・・
「万葉集」の末二巻の中には アユノカゼ に
東風の二字を宛ている
多くの国語辞典には この語を東風と註し、
それを ほかの方角の風とするものを方言と見下すらしいが、
アユ は 後世の アイノカゼ も同様に、
海岸に向いてまともに吹いてくる風、
すなわち 数々の渡航の船を安らかに港入りさせ、
または 種々の珍らかなる物を、
渚に向かって吹き寄せる風の事だった。
海から種々の好ましい物を、日本人に寄与した風の名を
〈アユ〉と呼んだ理由はこうして 説明し得られるが、
是が 日本海沿岸だけに広く伝わって
東や南に面した海辺には知られてないのは、
やはり海運史の問題であろう
一つの例として心づくのは、尾張の アユチガタ、
後には郡となりまた県の名にもなったが、
古くは年魚市(アユチ)とも字には書いて、
越中と同じにアユと発音していた。」


鮎 とは 東風 (アユ) であって

魚でも 鯰でも なく 『風の名前』だったのでした

おそらく 新羅遠征 の 先頭に立った 安曇族達の話を聞いた 皇后が

『 東風(アユ) は まだか ! 』といった言葉が

『 鮎 (アユ) はまだか !』 と 誰かが 聞き違えたのでしょう

愛知 は 年魚市(アユチ) が 訛った 地名だったのですね



《 東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉の海人(あま)の
釣りする小船(おぶね) 漕ぎ隠れ見ゆ 》

万葉集17巻4017 大伴家持


〈訳〉
東風(あゆのかぜ)が 強く吹くみたいです
奈呉(なご=地名)の海人たちの
釣り船が波間にゆらゆらと見え隠れしています




b0325317_15175034.jpg
祇園祭り 「 鮎釣山 」



祇園祭りの 山鉾には『鮎釣山』という鉾があります

神功皇后が 肥前国松浦で 鮎を釣って

戦勝の兆としたという説話によるものだと言われています



b0325317_15193576.jpg
福岡市出身 『 浜崎あゆみ 』さん





アユ が ナマズ だなんて 誰が言ったんだ !!









by nonkei7332 | 2015-08-28 15:24 | 古代史 | Comments(2)


b0325317_01191274.jpg
しゅうめいぎく




久しぶりに 母の夢を見ました
母は 小さな子供の手を引いて歩いていました
その 子供は 私だったのでしょうか

『 あんたの顔は お父さん そっくりやね 』

母はそういいながら にこやかに 微笑んでいました


目が覚めて 顔を洗いながら
夢の中で 母が言っていた言葉を思い出していました
鏡を覗くと そこには 白髪の老いた男 の 顔がありました
私の口から 言葉がこぼれました

『 お父さん おはよう 』。




b0325317_01212758.jpg
なでしこ




《 越後の昔話 「 松山鏡 」 》


むかし、むかし、ある所に、
若いお侍さん夫婦が住んでおりました。
二人には幼い娘さんがおりました。
ある年のことです。お侍さんは江戸に所用で出かけました。
若奥さんは娘と一緒に帰りを待ちました。
夫は、いつも必ずお土産を買ってきてくれました。
娘にはお菓子と人形を、
愛する妻には鏡を買ってきました。
鏡というものを知らなかった妻は、興味津々でした。
鏡の中に顔が、女の人の顔が、若い美しい笑顔の顔が見えました。
それが誰だかわかりませんでした。
妻は、誰だか、夫に尋ねました。
夫はニコッと笑って言いました。

「お前だよ。お前の顔だよ。」

妻は愛する夫からの贈り物を大事に引き出しにしまっておきました。
数年の幸せの日々が過ぎた時、妻は突然の病に倒れてしまいました。
死期を悟った母は、娘を枕元に呼び寄せると、
鏡を手渡し、言いました。

「娘よ、よくお聞き!お母さんは病で、もう駄目です。
でもお母さんが死んでも悲しがってはいけません。
鏡を見れば、いつもそばにいますから。」

お母さんが亡くなり、娘は毎日鏡を覗きました。
いつもそこにはお母さんがいました。
娘は自分の顔を見ているとは思いませんでした。
鏡を見れば、お母さんに会えると思っていました。
娘はお母さんとそっくり、若く美しくなっていました。
お母さんに毎日話しかけ、鏡を大事にしました。
父も、時々その光景を目にし、ある日娘に言いました。

「娘や。どうして毎日鏡に話しかけるのだ 」

「鏡を覗くと、いつもお母さんがいます。
お母さんはいつも若くて綺麗で微笑んでくれます。
話しかけてはくれませんが、いつも励ましてくれます。」

父は、娘の話を聞き、言葉が出ません。
涙が頬をつたわりました。










by nonkei7332 | 2015-08-28 08:15 | 日記 | Comments(0)


b0325317_00173643.jpg
土蜘蛛草紙絵巻 東京国立博物館




『「九十九」を 筑紫では「つくも」と読ませる
昔は《土蜘蛛》を尊敬して 親分を太白、子分を小白と呼んだ
「つくも」とは九を重合対立させた形で「つちくも」の略だった 』

筑紫の賢人 (真鍋大覚氏) は こう述べています

《 土蜘蛛 》と呼ばれた 古代氏族 が この国にはいました
というより 新たな新天地を求めて 海を渡ってきたのでしょう
彼等は 高度な鉱山技術をもった 産鉄の民でした
どこから 来たのかというと それは
「九十九の国」「白の国」「斯蘆国」 つまり「新羅国」です
新羅から来たといえば 出雲の スサノオ ですが
「雲」と「蜘蛛」同じ 出自 をもった氏族だったのでしょう
やがて 古出雲 と呼ばれる 筑豊の香春岳付近 に
この氏族は住み着くことになります
土蜘蛛 の里は 倭国 筑紫の国 だったのです
産鉄の民 は 新たな文化をこの国にもたらします
と同時に これらの技術を 背景とした 国ができ
やがて その支配権を争奪せんとする
国同士の争いとなっていくのでした
この国の 古代史 のすべてがここにあると言ってもいいでしょう

〈土蜘蛛〉〈鉄の民〉の
悲しみの歴史が始まります

12代天皇といわれる 景行天皇 は
九州各地の 土蜘蛛 を我が物にせんと
各部族に 過大な要求を押し付けますが
拒否した 土蜘蛛たちの多くを殺していきます
〈日本書記〉や 〈豊後風土記〉〈 肥前風土記〉 などには
土蜘蛛の名が記述されています

《豊前国》
神夏磯姫(かみなつそひめ)・鼻垂(はなたり)・耳垂(みみたり)・
麻剝(あさはぎ)・土折猪折(つちおりいおり)・ 葛築目(くずめち)

《豊後国》
速津姫(はやつひめ)・ 青 ・ 白 ・打猴(うちさる) ・八田(やた)
・國摩侶 ・小竹鹿奥(しのかおさ) ・ 小竹鹿臣(しのかおみ)

《肥前国》
大山田女 ・狭山田女 ・打猴(うちさる)・海松橿姫(みるかしひめ)
大身・ 大耳・垂耳(たりみみ)・八十女(やそめ)
大白・中白(なかしろ)・小白(おしろ)・速来津姫(ハヤキツヒメ)
浮穴沫姫(うきあなわひめ)・鬱比表麻呂(ウツヒオマロ)

これらの 土蜘蛛 のなかには 神夏磯姫 や 速津姫 のように
仲間を裏切り 苦しみの中で 生き残る事を選んだ 族長もいました

やがて 14代 仲哀天皇の頃になると
生き残った 土蜘蛛族が 勢力を取り戻していきます
熊襲の後胤 《羽白熊鷲》(はじろくまわし) は
秋月を本拠地とする「白の国」の族長でしたが
仲哀天皇に 反旗を翻し 仲哀天皇を 矢で倒したのですが
仲哀の皇后だった 神功皇后 に 滅ぼされてしまいます
筑後の土蜘蛛族の首長であった 葛築目の後を継いだのは
香春岳の 《田油津姫》(たぶらつひめ) でした
神夏磯姫 の後胤 〈夏羽〉の妹でした
神功皇后軍 は 田油津姫 を たおし 応援に駆けつけた 夏羽をも
滅ぼしてしまったのです

こうして 王朝の基盤は 落ち着き 土蜘蛛族は朝廷の中に組み込まれて
独自の地位を占めていきます
朝廷も 産鉄の資源を国内から 国外に求めるようになり
半島をめぐって 新たな 争いに 巻き込まれていくのでした



b0325317_00194944.jpg
老松神社 蜘蛛塚
「空 sora そら」さんのブログより



土蜘蛛の 悲しみの霊魂は 各地の神社に祀られ ます
みやま市瀬高町にある 『老松神社』には
田油津姫の墓といわれる 「蜘蛛塚」があります
説明板によると 往時は「女王塚」と呼ばれていたとあります
葛築目の墓だったのかもしれません
土蜘蛛族 の首長には 女性が多いのは なぜでしょうか
記紀等に伝わる 古代朝鮮からの渡来人または渡来神といえば
「天之日矛」(アメノヒホコ)ですが
伝説によれば
その妻であった「阿加流比売」(アカルヒメ) は
日の神に仕える 巫女であったといいます
鬼道をつかって 倭国を治めた 卑弥呼 も 巫女でした
「土蜘蛛の女王」であった 田油津姫 と だぶって見えるのは
私だけでしょうか

民俗学者 柳田國男 は

人が 神になるには 二つの条件を満たさねばならない
一つは その人が 生前人並みはずれた 存在であること
もう一つは その人が怨念を残すような不運な死に方をすること 』

と 述べています


やがて この国の 歴史は

土蜘蛛の 怨念を 畏れ

多くの 『神』をつくることになります










by nonkei7332 | 2015-08-23 00:21 | 古代史 | Comments(0)


b0325317_16575280.jpg
江浦草 (つくも)




葦の一種で 「江浦草」(つくも)
通称 「津久毛」(つくも) と呼ばれる 植物です
古名では 「太藺」(おおい) と呼ばれていました
高さは 2M くらいで 太い藺草(いぐさ) みたいな 姿をしていて
庭の池などに 観賞用に植えられていたそうです



b0325317_16593578.jpg
在原業平


『 伊勢物語 』 とは

平安時代初期 に書かれた 作者未詳 の 歌物語
ひとりの男の 波乱に満ちた 一代記です
モデルとなったのは 奔放な 人生を送ったと伝えられる
天才歌人 在原業平(ありわらのなりひら)
(825〜880年) だと言われています
「源氏物語」をはじめ 多くの物語文学にも
大きな影響を与えた作品です



b0325317_17004176.jpg
絵屏風 「九十九髪」




全125話 のなかの 63話に
『 九十九髪 』という話があります


昔、色好みの女が、
なんとかして情深い男と一緒になりたいものだと思っていたが、
言いだすきっかけがないので、作り物の夢物語をした。
子どもを三人呼んでその夢の中身を語ったのだった。
(すると上の)二人の子は、そっけなく答えただけだったが、
三人目の子は、きっとよい男の人が現れるでしょう
と夢説きをしたので、女は機嫌がよくなった。
(三郎には)ほかの男はまったく情愛がない、
なんとかして 在五中将 (業平)と
一緒にさせてあげたいものだと思う心があった。
そこで、(業平が)狩りをしているところに行き会ったとき、
道にて馬の口を取って、
(ある女が)こんなふうに(あなたを)お慕いしていますというと、
(業平は)女を哀れに思って、(女の家に)やってきて、
一緒に寝たのであった。
さてその後、男の姿が見えなくなったので、女は男の家に行って、
その姿を垣間見たのであったが、それを男がほのかに見て、

《 百年に 一年 たらぬ つくも髪 われを恋ふらしおもかげに見ゆ 》

百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくも髪の老婆が、
私のことを恋しているらしいのが面影に見える
(だから、その女のところにいってやろうか)

男がこういいながら出発する様子を見て、
(女はうれしくなって)茨やカラタチのとげに刺されながら、
家に戻って床に臥した。
男の方では、女がしたように、忍び立ってかいま見ていると、
女は嘆き寝をするとて、

《 さむしろに 衣かたしき今宵もや 恋しき人に逢はでのみ寝む 》

むしろに衣を敷きながら、今宵も恋しいひとと一緒になれないで、
むなしく寝るのでしょうか

こう(女が)読むのを聞いて、
男は哀れと思って、その夜も一緒に寝てやったのであった

世の中の例としては、
自分でいとしく思う人を思い、そうでない人は思わないものだが、
この人(業平)は、いとしい人もそうでない人も、区別しない
(思いやりのある)心を持っていたのである。




b0325317_17014392.jpg
津久毛 で作った 刷毛



〈九十九〉 という 数字 は 〈百〉に ひとつ足らない数字です
〈百〉という 漢字 から 〈一〉を引くと 《 白 》という字になります
九十九髪 とは 老女の白髪 の事を いったようです

水草の 江浦草 (つくも) は
表装用の刷毛 の材料として使われたりもします
よく見ると 老女の髪の毛に 見えない事も
ないですね








by nonkei7332 | 2015-08-21 17:09 | 古代史 | Comments(0)


b0325317_21283388.jpg
葉鶏頭




ゆく夏に 名残る暑さは

夕焼けを 吸って

燃え立つ 葉鶏頭

・・・・・



荒井由美 の 『 晩夏 (ひとりの季節) 』
という 曲の冒頭の一節です
ユーミン の歌の中でも 群を抜く 名曲です
平原綾香もカバーしています





b0325317_21322407.jpg
鶏頭の花




《 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし 韓藍の花を 誰れか摘みけむ 》
万葉集 7巻 1362 作者不明

(語訳)
秋になったら 染料にしようと 思っていた
韓藍(からあい)の花を 誰かが 摘んでしまった

韓藍 の 花 とは 『 鶏 頭 』の花のことです
想いを寄せた人が 嫁いで行った悔しさを詠んだ歌です




b0325317_21340580.jpg
白萩



《 君ゆくと その夕暮れに二人して 柱にそめし 白萩の歌 》
与謝野晶子

与謝野鉄幹 は 近くにいた 多くの 弟子の中でも
与謝野晶子の事を「白萩の君」と言っていたそうです

《 別れねば ならぬ夕暮れ 二人して 柱に刻む 恋の暗号 》

俵 万智 は 〈チョコレート語訳 みだれ髪〉の中で
この歌をこんな風にうたっていました





b0325317_21345555.jpg
桔梗の花


《 白埴の 瓶に桔梗を 活けしかば 冴えたる秋は 既にふふめり 》
長塚 節 「鍼の如く」 より

( 語訳 )
白磁の瓶 に活けた 桔梗の花をみると
そこには もう 澄んだ秋の気配が 漂っています





b0325317_21354199.jpg
アマリリスの花



ギリシャ神話 『 アマリリス 』


ギリシャ に アマリリスという 羊飼いの少女が暮らしていました
そんな アマリリスは ある日 羊飼いの少年 アルテオに恋をしました
ところが アルテオは花がとても大好きで 花にしか興味がありません
だから アマリリスにはまったく関心を抱かず
彼に花束を届けてくれる少女に好意を持っていました
アマリリスは 神に祈りを捧げました
すると 神は 一本の矢とお告げを アマリリスに送りました
アマリリスはお告げどおり 自分を傷つけました
その傷から流れた血から 美しい花 が咲きました
その花を見た アルテオは その美しさに 夢中になり
いつも 離さず 愛したのでした
それから 人々は この花の事を
アマリリス と呼ぶようになりました









by nonkei7332 | 2015-08-16 22:48 | | Comments(0)


b0325317_17191870.jpg
ひぐらし




〈 立 秋 〉も 過ぎ

博多の街に 24日ぶりに 雨が降っています
乾ききった 大地には 恵みの雨です

天 と 地 の 間 に 人は生きています
人間 とは よくいったものですね

〈 間 〉といえば
夜 と 朝 の 間を 「 かそのあかとき 」
昼 と 夜 の 間を 「 たそのくれとき 」 と
古く 筑紫 では いっていたと いいます
やがて 言葉は 訛って
「暁 : あかつき」
「黄昏 : たそがれ」に
変わっていったのだと
賢人 は教えてくれました



七十二候 の暦で云えば
今日 7月12日 は『 寒 蝉 鳴 』
寒蝉 とは 〈 ひぐらし 〉や 〈 つくつくほうし 〉の事です
そういえば 昨日の昼過ぎには 法師ゼミ が鳴いていたし
夕暮れ には カナカナ と 蜩 (ひぐらし) も鳴いていました
暑さの ピークは過ぎたぞという 天からの 報せなのでしょうか
そういわれてみれば
今日から 少しずつ 少しずつ 寒くなるぞという
そんな 寒蝉の鳴く声に 聞こえなくもないのですが
はたして そう カナカナ 。



b0325317_17210703.jpg
夏の ( たそのくれとき )
浜男海岸




誰かの 大きな てのひら   

                                                                     
 遙か消えて行く 遠花火 

 愛も 悲しみも 憎しみも 

 疑ることさえも 知らずに 

 いつかは 離れて行く 

 父と 母と 故郷の 夏の匂い 

 遠い 夏の日の 水辺の 

 真白な心が 恋しい 

 愛の喜びを 数えて 

 愛の哀しみを 数えて 

 大人になれば こころの 

 矛盾との戦いと 気づかずに 

 いつも笑ってたあの日 

 いつも笑ってたあの夏の日


遠い夏 ~憧憬~   (さだまさしアルバム 第二楽章より)








by nonkei7332 | 2015-08-12 17:23 | 日記 | Comments(0)


b0325317_08590244.jpg
花桃




公園に 杏子の花 が満開の頃
新学期の小学校に 母親に連れられて
ひとりの 外国籍の 女の子が 転校してきました

みんなと同じように 私にも か細い声で
「おはようございます」
と やっと 覚えた日本語だったのでしょうか
少しはにかんだように でも はっきりと
あいさつ してくれました

この日が ももちゃん と 私の 最初の 出会いでした



昔々
もっと もっと ずーっと 昔
2600年 も昔の話
中国大陸は 春秋戦国時代 と 言われ
多くの小国が 統一を目指して 覇権を争っていた頃
今の湖南省 付近 水の都 と呼ばれていた
蘇州を都としていた国がありました
その名を 『 呉 』といいました

この国には 人々に伝えられている 昔話がありました

昔々 ひとりの漁師が
小舟に乗って 川をさかのぼり
山奥深くに入り込むと 桃の花が一面に咲き乱れる
水源にまで たどり着きました
さらに 山奥まで行くと 細長い洞窟があって
穴をぬけると そこには 一面 花に覆われた
美しい村がありました
家々からは 炊事のための白い煙があがり
村人たちは 幸せに暮らしていました
そこで 漁師 は 村人たちと 楽しい日々を過ごしました
やがて 漁師は 穴をぬけて 里にもどると
里人に 美しい村の話をしました
みんなで 桃の花が咲く 水源を探しましたが
とうとう だれも 見つけることができませんでした
呉の国の人達は その 美しい 理想の村の事を
『 桃源郷 』『 桃花源 』と呼ぶようになったのでした


やがて 呉の国は
隣の「 越 」の国に滅ぼされてしまいます
殺されるか 奴隷にされるかしかなかった 呉の人達は
葦舟に乗って 長江を下り 黄海を渡って
かつて 夢見た 桃源郷 を 探して
海流に身をまかせたのでした
たどり着いたのは 水の綺麗な 美しい島でした
人々は ここで
稲をつくり 鉄を作り 織物をつくり
そして ひとつの 国を 興したのでした

その国の名を『 倭 国 』といいます

この国 (日本) の 始まりだったのです



転校生の女の子 は
毎日 笑顔で 朝のあいさつをしてくれました
やがて 友達もできました
運動会 スナップを撮って 写真をあげると
とても 嬉しそうでした
そんな 或る日 その子から 一枚の手紙を もらいました
たどたどしい 字では ありましたが

『 毎朝 ずーと 朝のあいさつ
⚪︎⚪︎さん ありがとうございます。
⚪︎⚪︎さん 大好きです。』
そして
『 わたしは ももちゃんです 。』
と 書いてありました

爺様には 嬉しい手紙でした
孫からもらった 手紙のようでした
他の子に 〈ももちゃん〉は なんて言う名前なの と聞くと

「 桃 が好きだから ももちゃん らしいよ
みんなも 先生も ももちゃん といっているよ 」
と教えてくれました



b0325317_09025903.jpg
長野 昼神温泉 花桃の里





桃の国から来た 少女

私の中に 万葉集 の一首 が 思いつきます


《 春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 》
万葉集 19巻 4139 大伴家持


( 私訳 )

春の庭に 桃の花が 紅く 輝いています

その下の道に たたずむ 少女も 輝いてみえます



先日 夏休みの野外活動で
子供達は 飯ごう炊さん をして
自分たちで カレーを作りました
ももちゃん も ご飯が美味しいと言って
二回もお代わりしていました

みんなと はしゃいでいる ももちゃん の背中に
私は こう つぶやいていました


この美味しい ご飯は ずっと ずっと 遠い昔

ももちゃん の産まれた国の 人達が

死ぬ思いをして 運んでくれた 宝物なんだよ

そして ももちゃんが 今いる この国こそが

桃花源 と呼ばれた 美しい国なんだよ って







by nonkei7332 | 2015-08-10 09:05 | 古代史 | Comments(0)


b0325317_17215650.jpg
山王神社 被曝 クスノキ



長崎の山王神社の境内に 立つ

樹齢500年の クスノキ は

70年前の 今日 被曝し

枯れ木同然に朽ち果ててしまった

2年後 奇跡的に芽吹き 毎年 樹勢を盛り返し

今日の大楠へと蘇ったという


この国の 決して 失くしてはならない 誇りが ある

平和への連鎖を 叫ぶ この国の魂は

いつかは この地球(ほし) の 憎しみの連鎖 を断ち切る

最後の砦なのかもしれない



b0325317_17230060.jpg
福山雅治


《 福山雅治 》46歳 幅広い年代にファンを持つ
シンガーソングライター

昨年 4月に発売したアルバム「HUMAN」のなかで

故郷 長崎の 被曝クスノキ の事を歌った

「クスノキ」という曲が収録されている




《 クスノキ 》


我が 魂は この土に根差し

決して朽ちずに 決して倒れずに


我は この丘 この丘で生きる

幾百年越え 時代の風に吹かれ


片足鳥居 と 共に

人々の営みを

歓びを かなしみを

ただ 見届けて


我が 魂は 奪われはしない

この身 折られど この身 焼かれども


涼風も 爆風も

五月雨も 黒い雨も

ただ浴びて ただ受けて

ただ 空を目指し


我が魂は この土に根差し

葉音で歌う 生命の叫びを





b0325317_17233582.jpg
長崎 平和の鐘





by nonkei7332 | 2015-08-09 17:27 | 日記 | Comments(0)


b0325317_06343703.jpg



夏休み 子供達が プールで はしゃぎまわっています
子供は 自然そのものです
〈泣き〉〈笑い〉〈怒り〉〈 眠り〉
その姿は 天使といってもいいでしょう


『 幼児虐待が 何故 文明国に多いのか それは 文明国は
自然をコントロールできると思っているからである。
幼児は 自然 そのもであるからだ 』

誰の話だったのかは 忘れたましたが
そんな話をきいたことがあります
ただ 幼児虐待は 現代だけの話ではありまん
古い文献や伝承のなかにも 哀しい史実が残っています

そのひとつが 古代の 海人風習であった
《 持衰 》(じさい) です

〈 持衰 〉という言葉が 初めて でてくるのが
中国の歴史書で 日本の風俗なども伝えた
「魏志倭人伝」でした

《 其の行来、海を渡りて中国に詣るとき、
恒に一人をして、頭を梳けらず、
機蝨を去らず、衣服垢汚し、肉を食せず、
婦人に近づかず、喪人の如くせしむ。
これを名づけて持衰となす。
若し行く者吉善なれば、共にその生口と財物とを顧し、
若し疾病あるか、暴害に遭わば、便ち之を殺さんと欲す。
其れ 持衰 謹まずと謂うなり。》

皆川博子氏は『瀧夜叉』の中で
〈持衰〉についてこう書かれています

遣唐使の時に必ず伴っていたとの記述あり
船路の災いを身に受ける。
荒(しけ) の時は海神の贄(いけにえ)として海に投げ入れられる
水や食べ物は十分に与えられ、ある種の敬いの対象になっている
瀬戸内にある家舟(えぶね)という各世帯にいる
奴(やっこ)から 選ばれるらしい。
5歳くらいの時に神籤で選び出され、
持衰としての運命を受け入れるようずっと神社で育てられる。
持衰は時化の度に失うので常に補充されなければならない。
身繕い(入浴や髪を梳かすことなど)はしてはならない。
黥(いれずみ)を目~頬~こめかみにかけて入れられてる。


古代において 自然災害は

多くの人命を失うものとして 畏れられ

荒れ狂う 自然 (荒神) に対して

幼児を 人身御供(ひとみごくう) として

生贄として神に 捧げた 風習でした

飢饉の時の 口減しのために 嬰児を殺す〈間引き〉や

洪水を防ぐための 〈人柱〉などは 幼児だけでなく

村の厄介者と呼ばれた 身体・知的・精神障害者 を

その対象としたと いわれています

遠野に残る 『座敷ワラシ』や 『河童』は

亡くなっていった子供達を弔う 村人たちの

懺悔の残像のようにもみえてきます


b0325317_06372302.jpg

夾竹桃の花





《 島原の子守唄 》


おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の

なしの木 育ちよ

何のなしやら 何のなしやら

色気なしばよ ショーカイナ

はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ

鬼の池ん久助どんの 連れんこらるるばい





注) 〈鬼の池ん 久助どんの 連れんこられるばい〉

とは 鬼池の久助 という人物は 人買い で

貧しい農村から 幼い子供達を 遊郭に売り渡していたといいます



b0325317_06375485.jpg

黒いヒマワリ









by nonkei7332 | 2015-08-07 07:06 | 古代史 | Comments(0)