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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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遠野の里




若き頃 読んだ 『 遠 野 物 語 』を再読しました

明治43年 農商務省の若き官僚 『 柳 田 国 男 』
岩手県 遠野出身の大学生 佐々木喜善 から
故郷に残る119話にもおよぶ 民話や 神々の伝承を聞き
『 遠野物語 』という 記録集を 書きのこしました


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柳田国男




古代 遠野 は 山に囲まれた 湖だったといいます
やがて 長い時間が過ぎ 水が引き 盆地になります
縄文の頃 ここに 蝦夷 (えみし) が住んだことは 地名にのこる
アイヌ語が 教えてくれていると語られています

時は流れます
筑紫から 大和に朝廷を移した 一族は
仏教を中心とした
国造りに 奔走する中で 多くの 金 を
その権威を守る為に 必要とします
そこで 目をつけたのが 遠野 の金山 だったのでした
大道元年 ( 806年) 大和朝廷 は 蝦夷 を征服します
そして 捕虜として 大和に 連れてこられた
高度な 鉱山技術を持った 筑紫の工人達 を
その採掘の為に 遠野の地にも 送り込んだのでしょう
筑紫の 海の民 鉄の民 はこの地 に住むことになります
多くの 安曇の伝説 や 神 が この遠野にも
人々の 口から 口へと 伝承されていったのでしょう


遠野の三女神の伝説も然りです


大昔に 女神あり
三人の娘を伴いて 此の高原に来り
今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜
今夜よき夢を見たらん娘に
よき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに
夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを
末の姫眼覚めて窃に之を取り 我胸の上に載せたりしかば
終に最も美しき早地峰の山を得、
姉たちは六角牛と石神とを得たり。
若き三人の女神 各 三の山に住し
今も之を領したまふ故に
遠野の女どもは其妬を畏れて
今も此山に遊ばずと云へり

( 遠野物語 二話より)


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早池峰山


安曇族の守り神 宗像三女神 の 影 がここには見えます
中心となる 早池峰神社の祭神は
あの 瀬織津姫命 でした
朝廷に従属させられた 安曇の民は
傀儡の民として この山里で
水神を祀りながら 生きていくのですが
この地でも 賎民として 傀儡として蔑まれながらも
やがて 河童 を始め 多くの妖怪として 畏れられ
そしてまた 神として 崇められ
多くの 遠野の伝承として
人々の暮らしの中に 生き続けてきたのでしょう
歴史の中で 消されていった
安曇磯良 そして 瀬織津姫命
この国の 神の始まり が
遠く 遠野の里に 遠い記憶として
残されていたのでした



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柳田国男 は序文の中で こう語ります

『 願わくは 之を語りて 平地人を戦慄せしめよ 』

山に追われた 傀儡の民の
人 と 神(自然) とが 共存してきた
この国の 在り方を
経済至上主義 に毒された この国の 平地人よ
今こそ 思い出せと 叫んでいるようでした


明治29年に起こった 三陸大津波は
2万人の人命を奪い
平成11年の東北大震災の大津波は
1万5000人の命を奪いました


遠野の 遠い記憶の 物語は

この国の これからの 在り方を問う

警告の書 でも あったのです







by nonkei7332 | 2015-07-30 10:21 | 古代史 | Comments(0)


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朝早くの散歩は きもちがいい
ひんやりとした 冷気が 身体を鎮めてくれる
クマゼミ が 短い生を叫ぶようにうるさいくらい鳴いている
クマゼミ のことを 筑紫では ワシワシ というが
鳴き声が ワーシワシ と聞こえたからだろう


《 ラジオ体操の歌 》

新しい朝が来た 希望の朝だ

喜びに胸を開け 大空あおげ

ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を

この香る風に 開けよ

それ 一 二 三



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ブランコの上に 誰かが忘れた
ラジオ体操出席簿



私の中で 昭和の原風景とひとつ といえば
夏休みの 朝の ラジオ体操
ヒモに吊るした 出席簿 を首から さげて
眠い目をこすりながら 近くの広場に通ったものだ
休みなく通うと ノートや鉛筆がもらえた
体操の前に 流れてくる『ラジオ体操の歌』が好きだった
50年以上 うたっているから
もう 1000回以上 歌っているかも知れない
現役で 仕事をしているころ 眠そうな社員が何人かいると
朝礼のスピーチの代わりに よく この歌を歌ったもので
そういえば 飲みごとで 酔っ払った 若い社員が 私の事を
〈 ラジオ体操のオッサン〉とよく言っていたものだ

地域の子供見守り隊 のボランティアも
夏休みになると ちょっとは 暇にになるのかと思っていたが
ところがどっこい
朝のラジオ体操。
小学校のプールの監視 。
夏祭りの準備。
毎日 ゆっくり する 時間がないほどだ

今日は 町内の夏祭り 子供神輿が 町内を練り廻る


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思えば この一年

毎日 子供達の笑顔に囲まれている 至福の時間は

私を 大きく変えてくれた

鏡を見ると 真っ黒に日焼けした顔も

白髪には 案外 よく 似合っていると

一人 ほそ笑んでいる 私が おかしい



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by nonkei7332 | 2015-07-25 09:31 | 日記 | Comments(0)


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木賊




おそらく

この字 〈 木賊 〉を ( とくさ ) と読める人は

少ないだろうと思う


私も その一人だった


常緑シダ植物 で 茎が直立して長く節が多い

茎の先端には (つくし) そっくりの 胞子をつける

よく 観賞用として栽培されているが

硬い茎 で 物を磨いたりしたので

〈 砥草 〉とぎぐさ とも呼ばれ

〈 歯磨き草 〉とも呼ばれている

「木賊刈る」とは 秋の季語 だ



三年ほど前の事になるが

知人である 九大大学院の S教授 に連れられて

中央区 警固 にある

「小料理屋 木賊」というお店に行ったことがある

戸口の前に 木賊 が並んで植えてあった

中に入ると 7~8 人しか 座れない

カウンターの狭いお店だった

みんなが 「木賊のママ」と呼ぶ

年配の女主人が 一人で切り盛りされていた

私達が来るというので

前もって 魚を捌いて 小料理も何品か作って頂いていたが

どの料理も マイウ と 言える程の 一品だった

どこか 昭和の匂いのする店で

なぜか 日本酒 が飲みたくなる

博多をすべて わかっておられるような

凛とした ママの横顔に

母の顔が かぶって 見えた


話の中で

かつて この店に通われていた 常連客のお一人に

ドイツ文学者 の 高橋義孝 先生 が

おられたと聞いて 驚いてしまった



私にとって 日本の ドイツ文学者 の 双璧 と いえば

高橋健二さん (1902〜1998) と

高橋義孝さん (1913〜1995〉だった


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高橋義孝 氏




ヘッセの訳で有名な

中央大学の教授であった 高橋健二先生 は

私が ヘッセにのめり込み 大学まで 追いかけた 恩師である


かたや 高橋義孝教授 は

トーマス・マン や ゲーテ の 権威で

晩年は 相撲の 横綱審議委員長をされていた方でもある

ヨシタカ先生 は 1950年から 1970年まで

九大の教授をされていたので

そのころ この店に通われていたみたいだ

木賊のママ に ヨシタカ先生は どんな方でしたか聞くと

『もう ずいぶん 昔の話やからね」

といって

にこり とされた

それ以上 何も聞けない 沈黙に

私は ぐい呑 を開け

木賊のことに 話題を変えたのだった



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祇園会 の 山鉾 『木賊山』


真鍋大覚さん の 『儺の国の星拾遺』104P には

こんな 一説があった


「 いたとり の水田は 年によっては 赤潮が発生する。

十九年に 一度と よく いわれてきた

畦には 「木賊」が生える土地柄であって

十九歳 を とくさ と訓じた 所以がここにあった 」




筑紫 の 歳時


木賊 を見るたびに


農民達には


19年ごとに おしよせる


賊 に 思いをはせたのだろうか







by nonkei7332 | 2015-07-22 13:49 | 日記 | Comments(0)


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今日は 海の恩恵に感謝するとともに

海洋国家日本の繁栄を願う日 だそうです


麦わら帽子をかぶって

磯良の海 ( 博多湾 ) がみえる公園の ベンチに座り

海の声を 聴いていました

この海が大好きだった 父の甲高い声が聞こえます

磯で遊ぶ 子供達の はしゃぐ声が聞こえます

耳をそばだてると 海人達の艪(ろ)で漕ぐ 音も

海辺の 名島(浦島) の宮の 笛や太鼓の音も 聞こえてきます



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10年前 私は 仕事で 島原 に行ったことがあります
JR の 諫早 で乗り継いで 島原鉄道 に乗りました
今は亡き 一人の 古代史研究家 であり
島原鉄道の復興の立役者でもあった その人の面影と
『まぼろしの邪馬台国』という本を抱えての 道行きでした
その人とは 《 宮崎康平 》 (1917~1980) さん です
〈さだまさし〉 は 父と 宮崎さんとが 親友であった繋がりで
生前 親交もあったそうで 宮崎さんが亡くなった後
こんな 歌 をつくっています


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宮崎康平氏



《 邪 馬 臺 》

盲いた詩人はいつも	ザボン口に運び乍ら 

想い出たどる様に	

見えない目を開いて 静かに海を観てた 	

幻の国の事を	まるで故郷を語る様に 

 道程について	風景について 優しく僕に話した 

 有明の空の雲だけが あの人の寂しさを知っていた 	

そう弥生の風に	追われる様に 

 あなたが逝った	晩に 眠れないまま息を密めて 

 不思議な夢を観た 

 雲仙(やま) は噴煙を吐いて	

霧は針摺瀬戸(かいきょう) を包み込んで 	

異国の便り乗せた	小さな舟がひとつ 静かにすべってくる 

 盲いた詩人がひとり	その小舟に座っている 	

得意の笑顔みせて	はにかむ様にじっと 静かに海を観てる 

 有明の海に風が吹く あの人を追いかけて夢が吹く 	

ああ悲しい程に	焦がれ続けた 幻の人が	

今 きっとあなたを抱きしめている 

 不思議な夢を観た



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映画 「まぼろしの邪馬台国」にて
宮崎康平役 の竹中直人
和子役 の 吉永小百合




なみだは


にんげんのつくることのできる


一番 小さな海です


( 寺山修司 海の歌 より)




by nonkei7332 | 2015-07-20 14:57 | 日記 | Comments(0)

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博多祇園山笠 の最終日
『 追い山 』は
午前4時59分 一番山笠 の櫛田入りで 始まり
七番山笠 が 廻り止め に到着するのが 午前6時頃
疲れ切った男たちの顔に笑みが戻ると
櫛田神社の 能舞台では 厳かに 最後の神事
『 鎮めの能 』(しずめののう) が はじまります



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この 由緒ある 能楽の奉納が始まったのが
寛永8年(1668年) だといわれています
朝倉甘木の能楽師 梅津太夫 によって 演ぜられました
その後 たびたび 中絶 再興 を繰り返してきましたが
今では 宮総代がその任にあたっておられます

さて ここで 奉納される 能の演目は 『 翁 』です
他の演目が 奉納されることは ありません

『 翁 』は多くの 能の演目の中にあって
特殊な位置をしめています
「 翁は能にして能にあらず 」とよくいわれます
そこには 物語というものはなく ある意味での儀式なのです
五穀豊穣を祈る 農民行事が起源だと いわれています
舞台で 舞うのは 「翁」「千歳」「三番叟」三人の役者です
「翁」は 村の長老 「千歳」は 村の若者
「三番叟」は 村の農民達 を象徴しています
面 を持った 千歳 を先頭に
翁 三番叟 囃子方 が舞台に登場します
まず 千歳 が 足を踏みながら
まるで 大地の神を 呼び出すような
露払いと呼ばれる 舞を舞います
そして その間に 右奥に座した 翁 は
舞台の上で 厳かに 白い 翁面をつけ
村の長老から 翁の神へと 変身します
次に 翁 が舞います
舞が終わり 面を外した 翁と千歳は 舞台から退出します
三番叟 が登場します
舞台は一転 アップテンポな 囃子が 舞台に流れ
黒い面をつけた 三番叟 は 鈴を鳴らしながら 舞います
それは まるで 神を迎えた 農民達 の喜びの舞いのようです


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翁面


老翁の神 とは いったい 誰でしょうか

櫛田神社に縁深き 若松様とよばれる
武内宿禰 の化身 でしょうか?

それとも 山幸彦を竜宮へ案内した
塩土老翁(しおつちのおきな)?

それとも 村の守り神 猿田彦神 ?



「 鎮めの能 」は 山笠を締めくくる 最後の神事でした

博多の町に 祭りの後の 静けさと

暑い 暑い 夏がやってきます






by nonkei7332 | 2015-07-16 07:04 | | Comments(0)



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七十二候 でいうと

7月13日から 7月17日 までを

『 蓮 始 開 』( はすはじめてひらく ) といいます

水の底から 徐々に 茎が伸びてきて この頃 いっせいに
花を咲かせる 頃 なんですね
「月下美人」の花のように 一晩 ほどではありませんが
花の命は短くて
蓮の花 は 四日ほどで 花を閉じてしまいます

蓮の華 を 「 蓮 華 」といいます
仏教の教えの中には 度々 登場します
「 一蓮托生 」や「如蓮華在水」など
よく使われる 言葉ですね

蓮の根 を 「 蓮 根 」
これはもう 日本人の食卓には欠かせません

「 蓮の実 」といえば
昔 福岡城 のお堀には
一面 蓮の花が咲いていました
父 は 蓮の花が終って 実をつけると
私たちを 蓮の実取りに 連れて行ってくれました
記憶が途切れていて その実をどんな風にして
食べたのかは 残念ながら 覚えていません


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蓮の実
『フォト蔵 』より



七十二候 は 日本の暦ですが
もともとは 古代中国にあったもので
中国では 「蓮始開」のころ を
『蟋蟀居壁 』(しつしゅつ かべに おる) といって
こおろぎ が 壁で 鳴く頃 だといっています

こおろぎの鳴く声はまだ聞こえませんが

先週 梅雨の晴れ間に 蝉の声は 聞こえていましたね

蜻蛉 (トンボ ) は もう たくさん 飛んでいます

蜻蛉 のことを 別名 〈アキツ〉といいます
〈アキツ〉は 訛って 〈アカネ〉といわれ
夏の 夕焼けの色 だといわれました
漢字で書けば 《 茜 色 》と書きますが
今でも 茜色の空 とか言います


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茜色のストール



実は この色には もう一つの 謂れがあります
古く 平安 の頃から 根っこが 赤い色をしていることから
〈 赤 根 〉と 呼ばれる草があって
人々は それを 草木染め にする事を 茜染め と呼び
染まった色を 茜色 とよんだそうです




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そういえば 昨日も 茜色の夕日でした

かつて 天智天皇 も 憂いた

あの 夕焼けの色でした

大雨 が こないといいのですが







by nonkei7332 | 2015-07-14 12:07 | 日記 | Comments(0)


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7月10日 の朝

博多の町の各流の山小屋に納められた 舁き山が
いっせいに それぞれの町内で動き始めるのが
「流れ舁き」であり
これから 12日 の 「追い山ならし」
15日 の 「追い山」と
祭りは ピークを迎えます


山笠の起源とは いったい なんだったのでしょう

全国では 1500件 近い 山鉾 の祭りがあるとされるなかで
山笠と呼ばれる 山鉾は博多を中心とした 北九州に多いのです
そもそも 山鉾のはじまりは 京都の祇園御霊会 (祇園会) だとされます
古来 京都では 川がよく氾濫する土地だったようで
その度に 疫病がおこり 多くの人が 亡くなっていました
祇園会は 都を 襲う 疫病を鎮める祭事 と スサノオ (牛頭天王) 信仰が
習合し 慣例化した 祭礼だったのです

人々は 疫病の 鎮静を願い 山 や 鉾 と呼ばれる 作り物をつくり
厄神を 移しかえ 依り代 ( よりしろ ) として 川に流したとされます
依り代 を 川に流すといえば
ひな祭り の 起源である 流し雛 も
子供の無病息災を願い 人の型をした和紙を
川に流して 穢れを祓ったもので
やがて 人型( ヒトガタ ) は 人形 と 呼ばれるようになったといいます
山鉾 山笠 に多くの人形が使われるのも
依り代 の起源に因るものでしょう
川に流す という行為は
博多の町 の 「 流 」の呼称の起源のようでもあります
旗 や 川 の数え方の単位も 流 といいます
山笠の 舁き手に向かって
水を掛ける 「勢い水」(きおいみず) も
本来は 「浄い水」 から きたのではないかと 考えられます
それは 水によって 穢れを祓う 行為であって
決して 舁き手の身体を冷やす為だけでは なかったのだと思います
雨もまたしかりです
博多の梅雨明けは 平均すると 7月19日頃だと言われていますから
山笠期間は 梅雨の真っ只中です 雨もまた 浄めの雨なのでしょうか


すべての 穢れを 水で 祓う 女神といえば
「 瀬 織 津 姫 」ですね
歴史の闇に消された 女神といわれている 謎の女神です
瀬織津姫を祀る 福津市の〈 波折神社 〉も 宗像市の 〈 皐月宮 〉も
川のほとり 川口 に 鎮座しています
川 ( 天の川 ) のほとりにいる 女神といえば
棚機 (たなばた) の 織姫 もまた 瀬織津姫 だとも いわれています
古事記の神産み神話 では イザナギが 黄泉の穢れを 禊いで
アマテラス( 太陽の神) ツキヨミ ( 月の神) スサノオ ( 海の神) の
三貴神 をつくったといわれていますが
ツキヨミ は すべての 生を産む 夜の神 であり 女神 であり
その姿は 瀬織津姫 だとも言われています

櫛田神社 の 主祭神は 大幡大神 ( 櫛田明神 ) という神様 です
よく 櫛稲田姫 と 混同されていますが
櫛稲田姫 と 櫛田明神 とは 全く 別の神様です
実は この神様 も 謎多き神様で 言い伝えによると
その昔は 女性の神様であったという 話が あるそうです


勇壮な 男の祭りとして 知られる 博多祇園山笠

しかし その奥には

男達 の 平和への祈りを

そっと見守る 龍神 ( 女神 ) が いるという

私の妄想は どこまでも 拡がっていくのでした







by nonkei7332 | 2015-07-11 19:13 | 古代史 | Comments(0)


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福岡市東区 19時12分 撮影



真鍋大覚さん は 「儺の国の星拾遺」224P
〈梅雨星〉の中でこう書かれている

『 《 夏の夕焼け舟漕いで待て、秋の夕焼け鎌砥いで待て 》
筑前志摩 から 筑後三池まで、
百姓ならば誰でも知っている諺である
夏の夕映は大水、大震の前兆であり、
秋の夕映は天気の前兆であった 』



福岡市には 午後4時ごろ 雷が鳴り かなりの雨が降った
雨が止むと 青空がひろがり 夕空は 紅く染まったのだ
この大気の 落差は 普通ではない
台風9号 の余波だろうか 湿度が高く
大気はかなり不安定で いつ 大雨になるのか
定かではないと気象庁は言っている
大水の前兆でなければ いいのだが ・・・。


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福岡市東区 19時 03分 撮影


同じ頃 気になる 雲が 南の空に 広がっていた

「 豊 旗 雲 」?

《 わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 あきらけくこそ 》
万葉集1巻-15 中大兄皇子

古来 皇子の仕事といえば
天皇の代わりに 天地の暦を読む事であった
この歌は 夕焼けの美しい雲や 月夜を詠んだものではなく
天変の前兆である「 豊 旗 雲 」を見た 皇子の
民 の 生活を 憂いた歌 なのだ


〈 百姓の諺 〉などと
決して 軽んじる事はあってはならない
何百年も伝えられてきた その土地の伝承は
今の気象学的検証をはるかに 凌駕する
血と汗の染み込んだ データの積み重ねであるからだ


「 荒ぶる神 」といえば

想定外の怖さを 私達は 学んだはずなのに

哀しきかな

川内原発1号機 の 再稼働準備が

最終段階に入ったと報じられている








by nonkei7332 | 2015-07-08 23:47 | 日記 | Comments(0)


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夏の夜に ひときわ 輝く
牽牛星 ( わし座アルタイ) と 織姫星 (こと座ベガ)
そして その間に流れるように横たわる 天の川

今日は 新暦の七夕です
一年に一度の この日なのに 朝から 雨です
七夕の夜に降る雨を 催涙雨 (さいるいう) と いいます
夜には 止んでほしいものですね
旧暦で 7月7日は 今年は 8月20日になります
新暦か旧暦か というより
新暦も旧暦も 七夕 だと思へば いいのです
そうすれば 織姫 も 彦星も 一年に一度ではなく
二度会えるのですから
涙を流す確率も それだけ 少なくなるですからね

《 一年に 七日の夜のみ 逢う人の 恋も過ぎねば 夜は更けゆくも 》
万葉集10巻-2032 柿本人麻呂

〈私訳〉
一年に一度しか会えない 七日の夜なのに
恋もこれからなのに
時間だけが過ぎてしまいます
誰か時間を止めて!


《 この夕 降りゆく雨は 彦星の 早漕ぐ舟の 櫂のちりかも 》
万葉集10巻-2052 作者不明

〈私訳〉
夕方になっても 降りやまぬ雨は
彦星が 急いで 舟を漕ぐ
櫂の しずく なのでしょうか


万葉集には 七夕を詠った歌が 132首 あります
恋の歌を かくも 儚く 詠める 万葉の人々の感性に
ただ ただ 憧れるだけです

五色の短冊 が もしここにあったのなら
私は どんな 願いを かくのでしょうか?

すでに 私の感性は 錆びついているようです






by nonkei7332 | 2015-07-07 11:58 | 万葉集 | Comments(0)


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今年の沖縄県予選 開会式



高校野球が始まって 今年で 100年

97回目の夏の大会の予選の試合が各地で 始まったようだ

熱烈な西鉄ライオンズファンであった 父の影響で
物心ついた頃から 私のそばには
いつも グローブとボールがあった

野球の原風景といえば 今は無き 平和台球場
外野の向こうには 城跡の石垣の上に 木が生えていて
多くのファンが 木に登って 観戦していたのだ

父は 4歳の私をおんぶして 木に登った
父の異常に興奮した 熱い背中と
カクテル光線に照らされた 緑の野球場の 遠い記憶がある



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平和台球場名物 木登り観戦



野球少年は やがて 高校球児 になった
私の夏の大会 は 50回目の記念大会だった
平和台球場での 開会式 を憶えている
予選の一回戦は 今は無き 香椎球場
( 今は かしいかえんの一部と駐車場 になっている )
暑い日だったのを 憶えている
監督さんの指示で 塩を舐めながら 試合に臨んだが
惜しくも 一回戦 敗退 対戦相手が 同じような 進学校の
福岡高校だっただけに 悔しさが残った


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香椎球場跡地



かつて 我が校野球部 の 先輩は
甲子園の一歩手前の 県大会決勝まで 進んだが
小倉高校 に負けて 残念ながら 大願を果たせずにいた

1997年10月 我が校野球部創立70周年を記念して
ヤフードーム球場で 小倉高校の OB を招待して
記念試合をしたが
その時の写真が残っていた


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二人の息子達は 悲しいかな

野球には見向きもせずに

サッカースクールに 通い

高校まで サッカーを続けた

父の思いは 「キャプテン翼 」には 勝てなかったようだ







by nonkei7332 | 2015-07-04 15:27 | 日記 | Comments(2)