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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

<   2015年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧



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『 半夏生 』( はんげしょう )

別名 を 『 半化粧 』 とも
片白草 』( かたしろぐさ ) とも いいます
ドクダミ科 の 植物で
この時期 白い 紐状の 花が咲かせます
葉っぱ の半分が ペンキを塗ったように 白くなりますが
夏の盛りを過ぎると
また 元の 緑の葉に もどっていくという
ファンタスティック な 変身をするので 有名です


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田植え が 終わった 三連水車



今年も 早くも 半分過ぎてしまいました

夏至から 数えて 十一日が過ぎると
七十二侯 (しちじゅうにこう)

・・・ 二十四節気(にじゅうしせっき)は
半月毎の季節の変化を示しますが
これをさらに約五日おきに分けて
気象の動きや動植物の変化を知らせる
日本独自の暦です ・・・

の ひとつ
半夏生 ( はんげしょう) と なります

今年は 7月 2日 がその日 に当たります
満月 の日です
昔から 農家では この日までに 田植えを終えて
七夕までの 五日間を休みを取ると されています
ちなみに 気候 という漢字がありますが
〈二十四節気 〉と 〈七十二侯 〉の
最後の漢字を 合わせた 言葉だといいます
日本人の自然と共存する 生活文化 がよく表れています




明日から 七月 です
博多では 祇園山笠の行事が スタートします
各流 では 早朝 から 笹竹や竹串御幣を立てて 注連縄を張り
櫛田神社の神職が 祝詞を奏上し お祓いをする
『 注連下ろし』の神事 が行われます
また 『 ご神入れ 』といって
飾り山笠が この日 一般に公開されますが
櫛田神社 の 飾り山だけは
一日早い 今日 神職がお祓いをして 公開されます
夕方には 今年の当番町が 各流れに 先立ち
筥崎浜で 『 当番町お汐井とり 』をします
全流れの お汐井とり は 9日です
ちなみに 今年の当番町は『 大黒流 』だそうです


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《 締め込み 》に 《 法被 》姿の 男達が

町ん中を そうつきあるきだすと

博多の町は 祭り本番です







by nonkei7332 | 2015-06-30 11:31 | 日記 | Comments(0)


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貝原益軒



福岡藩の儒学者 『 貝 原 益 軒 』

《 筑前国続風土記 》などの 歴史書 の 他に
健康(養生)についての指南書
養 生 訓 』(ようじょうくん)を 残した
正徳2年(1712年) 益軒 83歳 の 著作である


第8巻 「 老いを養う 」 (中村学園大学 貝原益軒アーカイブ) より


老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。

常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。

世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、
さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、
人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。

いかり、うらむべからず。

又、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、
うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、
天命をやすんじて、うれふべからず。

つねに楽しみて日を送るべし。

人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、
楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。

たとひ家まどしく、幸(さいわい)なくしても、うへて死ぬとも、
死ぬる時までは、
楽しみて過すべし。

貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。

年老ては、わが心の楽(たのしみ)の外、
万端、心にさしはさむべからず。

時にしたがひ、自楽しむべし。

自楽むは世俗の楽に非(あら)ず。

只、心にもとよりある楽を楽しみ、
胸中に一物一事のわづらひなく、
天地四時、
山川の好景、
草木の欣栄(きんえい)、
是又、楽しむべし。



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益軒 の墓がある 金龍寺 (福岡市中央区)







by nonkei7332 | 2015-06-29 19:56 | 日記 | Comments(0)


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井尻橋 から 背振山を望む


博多の町は 二つの川にはさまれている
ひとつは 東を流れる 宝満山 を源とする 三笠川 (石堂川)
もうひとつは 西を流れる 背振山 を源とする 那珂川
今日は 那珂川 の話

《 筑前国風土記 》( 貝原益軒著) には

『 日本紀には、儺河 ( なかがわ ) と書り
此川は、その源 早良郡 背振山の麓 又 此郡、五箇山の奥 大野より
流出、那珂郡中を流れて 博多の西 福岡の東に至りて
道程 六里をへて 海に入る。』

( 那珂川は 背振山を水源にして 那珂川町 春日市 福岡市 を通って
博多湾に注ぐ 延長35㎞の 河川 )


私は 5歳の時から 福岡市の南部 (南区) 《 井 尻 》の町に住んでいた
西鉄大牟田線で福岡から 5番目の駅になる 井尻 は
今でこそ 住宅のひしめく郊外住宅地になっているが
50年前は 沿線一面 は 田んぼが 広がっていた
大橋駅 を過ぎると 田んぼの中から 川が見えた この川が 那珂川
鉄橋を渡ると 間もなく 井尻駅に着く 右手の往還道路に 並行して
狭い路地の 井尻商店街があり 左手には 踏切を渡って すぐに
映画にもなった『 しいのみ学園」という 知的障害者の施設がある
《 しいのみ学園は 1954年 創立 。
創立者は 〈 障害者教育の先駆者 〉といわれる
『 曻地三郎先生 』(1906〜2013) 》


小学校には 今みたいに プールなど無かったころで
夏休みになると 私達は 毎日のように 那珂川 の鉄橋付近で
身体が冷えて 唇が 紫色に変わるまで 泳いでいた
当時の 那珂川は 川底は 白砂で 水も澄んでいたし 綺麗だったのだ
真っ黒に日焼けした顔で 私達は川底に 潜っては 魚を捕まえたり
橋の上から 川に飛び込んだり まるで 河童 のように 遊んでいた

《 井尻 》という地名の由来については調べてみると
那珂川 の川沿いには 〈 井尻 〉という地名が 二つある事がわかった
ひとつは 福岡市南区の 井尻であり
もうひとつは 那珂川町 別所 に井尻地区という場所がある

《 筑前国風土記 》には

『 この郡には ふたつの 井尻村がある』

と書かれている

このふたつの井尻に共通しているいる事といえば 共に川沿いにあり
すぐそばに 《 井堰 》(いせき) がある事だ
南区の井尻のそばには番托井堰 (ばんたくいせき)』があり
那珂川町別所には 日本最古の用水路といわれる
「裂田の溝」(さくたのうなで) がある
その 取水口の すぐ上流にある
井尻井堰 (いじりいせき)』がそれである


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番托井堰 (ばんたくいせき)



《 儺の国の星拾遺 》133P で
真鍋大覚 さん はこう書かれている


『 水を祈る氏族、即ち 《みくまりのかみ》は近東に出る。
ISIS ( イシス ) ISRAEL (イスリル) がこれである。
倭人は伝えて 《いしり》と名付け、
もって 水勢の多寡と水温の上下を治す 女神の神とした。
今に残る 井尻 の郷名は その祠が安置されるところであった。』

また 145P には

『 かつて エジプトの祖神なる イシス は ナイル川の灌水に
全身の叡智をそそいだ 女人であったと 伝えられる。
倭人は「ゐがわのやまのかみ」なる 女神を
井出、唐門 のところに必ず祭った。
今の 井尻 なる 郷名が まさにそれであった。』


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エジプト神話 の イシリ女神




《 みくまりのかみ 》とは ウイック によれば

みくまりのかみ ( 水 分 神 ) とは 神名の通り、
水の分配を司る神である。
「くまり」は「配り(くばり)」の意で、
水源地 や 水路の分水点などに祀られる。
日本神話 では 神産みの段で
ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ 両神の子として
天水分神 (あめのみくまりのかみ)
国水分神 (くにのみくまりのかみ) が登場する
水に関わる神ということで 祈雨 の対象ともされ
また、田の神 や 水源地に祀られるものは 山の神 とも結びついた
後に、「みくまり」が「みこもり(御子守)」と解され、
子供の守護神、子授け安産の神としても信仰されるようなった 』


思いもしない 井尻 の地名 が エジプト神話 に 繋がることになったが
水分神 (みくまりのかみ) が祀られた 地 を井尻 といったのだろう

那珂川町の井尻地区では 毎年5月31日
井出あげ 』という神事 が今も 行われている
区の人達が 水門を清掃して 御神酒を注ぎ
水の恵みに感謝し 安全を祈願。
その後 水門西側の高台にある 五穀神に
五穀豊穣と田植えの無事をいのるという。


私が 少年期 青年期 を過ごした 井尻 の町には
こんな 地名の由来が あった


梅雨の晴れ間 今日は 真夏日に なりそうだ

田植えも 終わった 農家の人達の

ほっとした 顔が浮かんでくる








by nonkei7332 | 2015-06-29 16:38 | 古代史 | Comments(0)



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クチナシの花 が咲きました

合歓 (ネム) の木にも 綿毛のような 花が咲きました



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人類が初めて 暦というのを 使い出したのは 10000年前
スコットランドの アバディーンシャー州 の 遺跡で
一年間の月の満ち欠けが 石に彫られていたといいます
日を見て 月を見て 星を見て 人は暦を作りました
時間を測るという行為は 歴史を知ることであり
来たるべき 未来を予測する 人類の知恵だったのです
私は カレンダーの他に もう一つ 私なりの 暦 を持っています
それは 『 花 暦 』 です 〈朝鮮朝顔〉も 咲きました
もうすぐ 向日葵 (ヒマワリ) 木槿 (ムクゲ) の季節です


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夏至が過ぎ 梅雨の晴れ間に 夏の予感がします
月初めに 校長先生から
『 夏休みの プールの監視員をして頂けませんか 』との依頼があり
先日 その救命講習の研修を受けてきました
「胸骨圧迫と人工呼吸の組み合わせによる 心肺蘇生法」については
今まで 何となく頭の中にあった 知識が一掃させられた内容でした
『 A E D 』Automated External Defibrillator ( 自動体外式除細動器 )
の使い方についても 理解することができました
プール監視員としての心得から 水質管理まで 簡単に考えていましたが
休憩をはさんで 6時間の実技も含めた かなり ハードな講習でした
あとは 暑い中での 自己管理ですね
来月からは ご無沙汰している プールにも 通う予定を入れました
何分にも 水にも 慣れておかないと いけませんからね

お隣で 講習を受けさせていただいた
西区姪浜 の 明るい お母さん
頑張って下さいね (^o^)/



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by nonkei7332 | 2015-06-25 11:12 | 日記 | Comments(0)



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マンガ日本昔話の『龍の子太郎』



信州長野の安曇野の里に 『龍の子太郎』という 民話があります

『龍の子太郎』 松谷みよ子作

むかし、むかしある山里に
おばあさんと太郎という子供が住んでいました。
ある日、太郎は おばあさんにたずねました。

『おばあさん、僕のお母さんはどこにいるのか
教えて下さい』

『もう少し大きくなったら教えてあげる。
それまで我慢しなさい 』

ある夏の日、太郎は村の子供たちと一緒に
山の中の湖に泳ぎに行きました。
湖の中に飛び込んだ太郎は
まるで魚のように自由に泳ぐことができました。

『太郎、お前のお母さんは竜だってぞ。
速く泳げるのは当たり前だ。お前は竜の子だ 』

子供の一人が言いました。
その言葉がいつも頭から離れませんでした。
ある日、太郎が畑で働いていると、
村人が湖を指差し言いました。

『 太郎、あの湖の水を流して 広いたんぼを作ってくれ
そうすれば米が取れる 』

太郎はいつかそうする決心をしました。
数年が経ち、太郎は立派な少年になりました。
おばあさんは太郎に本当のことをいう日がきました。

『 太郎 驚かないでくれ
お前の父は山に住んでいる白竜で
お前の母は湖に住んでいる犀竜だ
だからお前は神の子だ
お前の母は、お前を産んだとき、私に神の子ではなく
人間の子として育てて欲しいとあずけた。
お前は、力があるばかりでなく
人の気持ちがわかり、知恵も勇気もある。
あの湖の水を流して、広いたんぼを作ってくれ 』

『本当のことを言ってくれてありがとう。
友達に竜の子だと言われてきているから、
覚悟はできていました。
お母さんと力を合わせて、湖の水を流して
広いたんぼをきっと作る』

と 太郎は言いました。
次の朝、太郎は湖のほとりで母親を呼びました。
突然、湖が大きくゆれて、竜が姿をあらわしました。

『 太郎、私がお前が立派に育ったのを
湖の中から見ていました。
1日でもお前のことを忘れたことはありませんでした』

母親が言いました。

『 お母さん、どんなにお母さんに会いたかったことか
僕はお母さんと力を合わせて 湖の水を流して
広いたんぼを作って 村人にお礼をしたい 』

そう言うやいなや、太郎は湖に飛び込み、
お母さんの背中に飛び乗りました。

『 いいとも、お前と一緒ならどんなことでもできるよ
お母さんは岩にぶつかって穴をあける
そのため目が潰れるかも知れないから、
お前は背中の上でしっかりかじをとっておくれ 』

背中に太郎を乗せた竜は湖の中に潜ると、
あらん限りの力をこめて岩にぶつかりました。
その音は数日続き、母竜の目は潰れ、
湖は血で赤く染まりました。
とうとう岩は大きな音と共に砕け、
湖の水が滝のように流れ出しました

そして太郎を乗せた母竜は天に上っていきました




この民話の由来は 各地に残る
『泉小太郎伝説』だといわれています
江戸時代に書かれた仁科濫觴記』(にしならんしょうき)には
泉小太郎 の名前は「白水光郎」(あまひかるこ)の名が
書き誤られたものだとされています
《「白」・「水」の2文字を「泉」の1文字に、
「光」の1文字を「小」・「太」の2文字に》

志賀島の 『安曇族』がやがて全国にちらばり
信州を拠点としたのが 安曇野 だとされています
『イズミ』は 『アズミ』の訛りとされ
志賀島の海人のことを『白水郎』と書いて アマと呼びますが
《白水郎》→《白水光郎》→《泉小太郎》
と伝わっていったのでしょう
「目が潰れる」「湖が赤く染まる」などという話は
「鉄の民」を連想します

長野といえば 『御柱祭』で有名な 『諏訪神社」を思い出しますが
〈古事記〉に書かれた 国譲り物語の 大国主命の子である
建御名方神(たけみなかたのかみ)が祀ってある神社なのですが
(みなかた) → (むなかた) (宗像) とも読めるし
安曇族との関わりが ここにもみられるようですね

私は この民話を読んで 龍の子太郎 の姿に

どうしても

少彦名神」をダブらせてしまいます

筑紫の神 である 「少彦名神」(スクナヒコナ) こと

「事代主神」(コトシロヌシ)

「龍の都」と 呼ばれている 志賀海神社

古代筑紫神話 は 信州の安曇野にも 生きていました。






by nonkei7332 | 2015-06-24 09:27 | 古代史 | Comments(0)


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早咲き のコスモス



疲れた時 めげそうになった時

自分を励ます 呪文 です


・・・ 焦るな ( あせるな )
・・・ 怒るな ( おこるな )
・・・ 威張るな ( いばるな )
・・・ 腐るな ( くさるな )
・・・ 負けるな ( まけるな )


「青い熊」と覚えましょう




今週 は チョット 充電中です
雨の合間を縫って 花散策 。


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大輪の紫陽花 白いアナベル


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日本アジサイをヨーロッパで品種改良した

ハイドランジアと呼ばれる アジサイです

その名も

「 ダンスパーティ 」


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日日草 ( にちにちそう ) が 清楚に咲いています



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見事な 白百合 です

何という 品種何でしょうか?


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海紅豆 の 散り花 です

赤い絨毯 のようですね






by nonkei7332 | 2015-06-18 06:53 | | Comments(0)


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『紫陽花園』の帰りに

『花庭園 』にも寄ってみました

お目当ては 〈七夕百合〉こと 〈姥百合〉

やっぱり ありませんでした (~_~;)



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百合の花は 品種が多く

後で調べても なかなか 名前が見つかりません

幾つかは 判りますが 一つでも判らないと

気に入らない 困った 性格です

あえて 花の名は 書かないことにしました

図鑑を見て びっくり!(◎_◎;)

《 博多百合 》とか 《 イソラ 》とかも あるんですよ ‼️



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梅雨の晴れ間 は 日差しも強く

今日の博多は 最高気温 30.9度

『筥カフェ』で 一服 アイスコーヒー を 注文



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な な なんと 今日の 『筥カフェ』カップル だらけ

話には 聞いていたが ここは 知る人ぞ 知る

博多の有名な

《 シニア カップル デートスポット 》

何組かの 微笑ましい カップル を 横目で見ながら

CAP をかぶった 場違いな 白髪のおっさん は

淡々と 喉を潤します




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それは そうと 6月12日 は 『恋人の日』

ひょとして この人達 まさか

その事を知っていて ここにいるの ⁉️

そんな事を 妄想しながら

汗が引くのを 待ちました




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《 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ 》

万葉集8巻1500 坂上郎女


《私訳》

誰も知らない 夏の野原の茂みに咲く 姫百合のように

私の 片恋 は どうして こんなに 悲しいのでしょう



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by nonkei7332 | 2015-06-13 08:00 | | Comments(0)


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『 筥崎宮 紫陽花園 』

毎年 水無月 (みずのつき) 六月になると 必ず 訪れる場所です

去年までは 雨の降る日を わざわざ選んで 出掛けていました

何故そこまで こだわったのか

私だけの 理由が そこにはありました

《 紫陽花には 雨がいちばん 似あう 》

と 思っていたからでしょう

いつから そう思っていたのか 薄れた記憶 を辿ってみると

ザーッ という 雨音 以外 何も聞こえない 静けさの中で

傘をさして ただぼんやりと 雨に濡れる 紫陽花 を みている

そんな 私の景色が 見えてきます

《 こだわり や 執着 は捨てるために有る 》

去年までの 生き方を 変えるべく

今年の〈紫陽花詣で〉は 梅雨の晴れ間 を選びました



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花をみる あどけない 子供達の 驚きの表情

この 一枚が 今日の BEST SHOT です

( 雨の日だったら この子達に逢えなかったかも)




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柏葉紫陽花


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スカイブルー


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ホワイトキララ


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コンペイトウ


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ハワイアンジュピター








by nonkei7332 | 2015-06-12 22:41 | | Comments(0)


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海紅豆(かいこうず)の花
別名 (アメリカ梯梧)



一人暮らしを始めた頃のこと

外食にも飽きて 自炊をはじめたのはいいが

ついつい 量を多く作ってしまうのである

カレーを作ろうものなら 悲劇の極み

3日 も 4日 も 食べ続ける 羽目におちいる

最後の一皿のころには 体じゅう 部屋じゅうに満ちあふれた

カレーの匂いに もう二度と こんな生活は嫌だと 思ったものだ


そもそも 《一日三食》などという事を 誰が決めたものなのか

おそらく 昔 「腹が減っては戦が出来ぬ」といって

野山 を 駆け抜けた 兵士達 や

一日中 田や畑の中で 汗水垂らしながら

土にまみれた 農民達にとっては

食べないと体がもたなかったから うまれた

食生活 で あったのであろう

「一日に玄米四合 と味噌と少しの野菜を食べ」といった

宮沢賢治の詩を読んで 今の若者は

あれは食べ過ぎじゃないか といったコメントを見たが

昔の ハードな 農民の生活を知らない者の言葉にしか思えない

「 食 は 命 」というが

現代人とっては 〈一日三食〉という 飽食生活が

かえって 命を縮めている原因だとは 誰も気づかないのだろうか


世の中 が 様変わりしている

地下鉄に乗ると ほとんどの人が スマートフォンを覗いている

近くに コンビニがあれば 生きていくのに 困る事はない

酒屋 も 米屋 も 八百屋も 商店街から 姿を消した

その 商店街さえも 近い将来 無くなっていくのだろう



変わったものは 何なのか

変わらないものは 何なのか

変えなくちゃいけないものは 何なのか

変えちゃいけないものは 何なのか



改めて 自分に 問うてみる と いろんなものが 見えてくるはずだ



「二日目のカレー は美味しい」と 誰かがいったが

私 は 美味しいと思った ためしがない


「恋も二度目なら 少しは上手に」と 誰かが 歌っていたが

私 は 上手な恋をした ためしがない


すべてにおいて 「一期一会」を 大事にしたいと思う


今日この頃である


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山桃 の 実





by nonkei7332 | 2015-06-11 16:08 | 日記 | Comments(0)


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磐之媛稜 に咲く カキツバタ
写真 MOMO




《 秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ 》
万葉集2巻88 磐之媛皇后

《私訳》
秋の稲穂に 朝霧が立ち込めています
霧は やがていつの間にか 消えてしまいますが
あなたへの 想いは 消えることはありません



磐之媛(いわいのひめ) は 16代 仁徳天皇 の皇后になられた方です
父は 葛城氏の始祖といわれる 葛城襲津彦
ということは 祖父 は あの 武内宿禰 になります
筑紫の基山付近を根拠地にしていた 紀氏葛城氏 の 姫 だったのです
葛城氏 と 天皇家 との繋がりは 深いものがありました
16代仁徳天皇 から 24代仁賢天皇まで ほとんどの 天皇が
葛城氏の娘を 后妃か 母としているからです
本来 何不自由もない 磐之媛 なのに
この歌は どうして こんなに 哀しいのでしょうか

実は 韓流ドラマにも 負けず劣らない
天皇の 後継者争い が そこにはあったのでした
15代応神天皇には 三人の後継者候補の皇子がいました

長兄であった 大山守皇子(おおやまもりのみこ)
そして 大鷦鷯皇子(おおささぎのみこ) (後の仁徳天皇)
そして 年少だった 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)

三人の中で 抜きん出ていたのが いちばん弟であった 稚郎子 でした
稚郎子 は 古代豪族 和珥氏 の血を引く 皇子であり
王朝の中で大きな勢力を持っていました
天皇は 皇太子に 稚郎子を選び 大山守には 山川林野の管掌を任せ
大鷦鷯 には 皇太子の補佐を命じました
その翌年 応神天皇が 崩御すると 不満を抱いていた 大山守 は
稚郎子 を討つべく 兵を動かし 謀反をおこしたのでした
しかし 大鷦鷯 の通報によって そのことを知った 稚郎子は
謀反を治め 大山守を 亡き者にします しかし 何があったのか
兄である 大鷦鷯 こそ皇位を継ぐべきだと言って 即位しませんでした
大鷦鷯 のほうも 亡父の決めたことを破るのは 道に反すると譲りません
こうして 三年もの間 天皇不在の世の中が続いたのでした
そして 遂に 稚郎子は 苦悩の末に 自殺をしてしまいます
( 激しい後継者争いに 追われた稚郎子が死を選んだという説もあります)
臨終の床に駆けつけた 大鷦鷯 に 稚郎子は
「 妹の 八田皇女 (やたのひめみこ) のことを 妃に 」という遺言をのこします
こうした 背景があって 大鷦鷯皇子 は 16代仁徳天皇 となります

天皇と磐之媛 を取り巻く 環境は 決して安定したものではありませんでした
天皇を支えた 葛城氏 と 亡き稚郎子皇子 を支えた 豪族和珥氏の勢力は
水面下で 対立していたのでした
やがて 天皇は 亡き稚郎子の遺言どおり 八田皇女 を妃として 宮廷に迎えます
磐之媛は そのことを 旅先で知りますが そのまま 宮廷には戻らず
紀国 葛城の里の宮に 引きこもってしまいます
これ以上 混乱を避けようとした 磐之媛 の想いは
天皇も理解したのでしょう
それでも 何度も 戻るように 葛城の里に 使いを送りますが
磐之媛 は それを 頑なに 断るのでした 唯一の救いは
磐之媛の長男である 去来穂別皇子(いざほわけのみこ)(後の履中天皇) が
皇太子となった事でしたが 皇子の為にも 宮廷には戻りませんでした
やがて 5年の月日が 経ちます
皇后磐之媛 は 多くの 憂いを 遺して 病で この世を去ってしまいます


《 ありつつも 君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまでに 》
万葉集2巻87 磐之媛皇后

《私訳》
このまま あなたを 待ちます
この黒髪が 白くなったとしても
わたしは ここで あなたを 待っています


《 君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ 》
万葉集2巻85 磐之媛皇后

《私訳》
あなたと別れて もう随分日が経ちます
山を越えて あなたを迎えに行ったらいいのか
それとも ここで あなたを待ったらいいのか
わたしは どうしたらいいのでしょう


磐之媛 の 憂いが 通じたのでしょうか
その後の天皇家 は
17代 履中天皇 18代 反正天皇 19代 允恭天皇 と
磐之媛の皇子が 即位したのでした
八田皇女 は その後 大妃 として 史実に残る事はありませんでした
つまり 天皇との間に 皇子が生まれなかったのでしょうか


古事記 には 嫉妬深き 男勝りの 皇后として

その名を残した 磐之媛皇后 でしたが

万葉集 を 読む かぎり そこには

夫を愛し 子供達を愛しながら 生き抜いた

磐之媛 の 憂い しか見えないのは

私 だけでしょうか。







by nonkei7332 | 2015-06-10 22:47 | 古代史 | Comments(0)