ブログトップ

《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

<   2015年 04月 ( 14 )   > この月の画像一覧



b0325317_15024533.jpg



『 その風 (伝統) を得て 心より 心に伝えていく花 』

世阿弥は『風姿花伝』の 書名の由来 を こう 述べています



b0325317_15040405.jpg


世阿弥は 『風姿花伝』の〈序〉で 申楽 ( 能 ) の起源を語ります

『 申楽と呼ばれる 長寿延命の芸能。

その起源をたずねてみる

仏在所(インド) より起こったという説

あるいは 神代より伝わるという説 などがある

しかし時移り代が隔たってしまったので

願初の姿を学ぶことは もはや 叶わない

近年 万人にもてはやされている この 芸能は

推古天皇の御代

聖徳太子が 秦河勝 に命じて 創作させたものである

ひとつには 天下泰平のため ひとつには 諸人娯楽のため

六十六番の演目を構成し 申楽と名付けたのだった

以来 代々の作者 演者たちが 花鳥風月を取り入れ

この 芸能に 息吹を与えてきたのである 』


神代説 は 世阿弥は 『 細男( せいのう) の散楽 』と言っています

「筑紫の風俗が宮廷に献上されたり雅楽寮で宮廷楽舞として

伝承されるようになった 」

と〈続日本紀〉にありますが

九州王朝舞 「筑紫舞」は こうして 宮廷舞として つくられ

今日まで 宮地嶽神社に 伝承されています

その源流は 安曇磯良が 首に鼓を首にかけ 白覆面をして 舞う

『細男舞』『磯良舞』だったのでしょう



b0325317_15043380.jpg
志式神社 磯良舞





世阿弥は こうも言っています

『 もともと 神楽よりつくられた芸なので

「神」と云う文字の偏をとり

旁だけを残して 暦の申でもあったため

申楽 と 名付けられた

すなわち 楽しみを申すという意味であり

神楽から 別れたという意味でもある』


散楽は宮廷舞として 保護されましたが

桓武天皇の頃 散楽土制度は廃止され

申楽 (猿楽) となって 寺社や街頭にその舞台を移し

やがて 全国にひろがっていきます

一部は 観阿弥世阿弥により 〈能) に昇華され

幕府や武士に保護されます

一部は 〈歌舞伎〉 や 〈狂言〉と形を変えていきます

一方 人形を使う からくり は 傀儡によって 各地に広まり

〈人形浄瑠璃 〉や〈文楽〉と なって伝統芸能に なっていきます

現存する あらゆる 芸能は こうして出来上がってきたのですが

その起源が 《 筑 紫 》にあったことは あまり 知られてないようです



b0325317_15050813.jpg






by nonkei7332 | 2015-04-30 15:05 | | Comments(0)



b0325317_10453611.jpg
〈カリブコ火山噴火〉



金曜日の朝

毎日会う ボランティアのメンバーとの会話

「 チリの火山噴火の映像 見ましたか?」
「 見た見た あれは 怖いよね 」
「 火山噴火は 地震に繋がると言いますから 何もなければいいですけどね 」
「 なんか 今朝の雲は 地震雲っぽいですね 」
「 ・・・ 」

西の空に 飛行機雲にしては ちょっと 太い 旗雲 が 靡いていました

翌日の11時頃 ネパール中部で マグニチュード7.8の地震が起きています
発生から一夜が明け 被害状況が わかってきて 犠牲者の数は
ネパール国内だけで 2200人 にのぼっているといいます


天は 即ち 是れ地の鏡なり

人宜しく時に天を仰ぎて

以って 地の変わるを知るべし


《 真鍋 大覚 》(まなべ だいかく 1923年〜1993年 ) 氏 は
その著書 『大地の雲映』の 序文の冒頭に
筑紫に今も語られる古い諺を 紹介しています

真鍋さんは 福岡県筑紫郡那珂川町の 生まれです
九州大学工学部航空工学科助教授 でありました
真鍋家は 福岡県筑紫郡那珂川町で 物部氏から 続く
代々 暦法を生業とする 家系で
祖父勝次 父利一 の残した 那珂川町に伝わる 日本古代に残る 星の伝承を
大覚氏は『儺の國の星』『儺の國の星 拾遺』という 著作に残されています
また 屋久島の 屋久杉を「縄文杉」と命名されたり
筑紫の古代地形を解明し「針摺瀬戸」と 命名されたり
1986年には 「日本地震雲研究会」を設立し 「地震雲」と命名するなど
多くの 業績を残されています

奇しくも 大覚氏が生まれたのは 1923年の大正12年
( 私の 亡き母と同じ歳だったんですね )
この年の 9月1日に あの 〈関東大震災〉がおこります
その年の火山噴火となると 1月に 阿蘇山 2月に 浅間山 6月に 焼岳
7月に 霧島山 と 噴火が記録されています
そしてあの 〈東日本大震災〉 の 2ヶ月前には 霧島の新燃岳
翌年の6月の 御嶽山の噴火 というように
国内の 火山噴火と地震の連動は 間違いのない 事実のようです

地球規模で言えば 先日の 4月22日の チリ 〈カリブコ火山噴火〉
そして 24日の 〈ネパール大地震〉 です

「大地の雲映」の中で 大覚氏は こう 書いている
『昔から 恐ろしい物の四つの代表に
“ 地震 雷 火事 親父 ” があります
最後の句の親父は 人間では ありませんで
“ 泡地 (あわち) 暴辞 (あばち) "
即ち 津波、或はそれで浚 (さら)われた空間です 』と

また 地震雲に関しては
『旗雲が 特に 遠方の地震に対して 白く細い線となって
空中に懸っているとき太陽がこれを横切れば
“ 白虹 日を貫く ” と云う現象に変わります
これも 昔から 天下大変の不吉な兆候として
恐れられておりました 』とあり
日本においては 710年〜1867年 における
白虹 の 観測例 41例 に対して
地震発生件数 が 32例 もあることを 述べられている

《 大地 と 大気は 接触していて その間に 隔たりはない 》

というのが大覚氏の 説であります

万葉集 や 記紀 をはじめ 多くの過去の文献を
独自の展開で明かされ
古人の残してくれた 警告を
現代人は 再考すべきであると 強く 語られています


b0325317_10470015.jpg
《 白 虹 》
写真は 2010年12月8日
宮城県南三陸町 震災前三ヶ月の写真
( 南三陸町 農業家民宿 『かくれ里』管理人様提供 )




筑紫 の 賢人 《真鍋大覚》氏

今 日本人 が 忘れてはいけない 稀有の お一人だと 思います


綾杉るなさんは
大覚氏の 残された 膨大な量の 知識を神社の伝承を重ねて
古代史の 新たな発見に 挑戦されているお一人です
詳しくは 『ひもろぎ逍遥』をご覧ください









by nonkei7332 | 2015-04-27 10:55 | 日記 | Comments(2)


b0325317_08554511.jpg




白い雲

おお見よ 白い雲はまた

忘れられた 美しい歌の

かすかなメロディーのように

青い空を かなたへ漂っていく


長い旅路にあって

さすらいの 悲しみ と 喜びを

味わいつくしたものでなければ

あの 雲の心は わからない


私は 太陽や海や風のように

白いもの 定めないものが好きだ

それは ふるさとを離れたさすらい人の

姉妹であり 天使であるのだから


『 ヘルマンヘッセ詩集 』より


ヘルマン・ヘッセ
20世紀前半の
詩 と 小説 によって 知られる
ドイツ文学を代表する作家です
南西ドイツの静かな田舎町に生まれました
85年の悩み多き生涯の中で 多くの作品を残したが、
一貫して「内面への道」を追求しました
時代を超えて 静かに 読みつがれる 作家の一人です


b0325317_08562057.jpg




戦争ならアリでもする。

国家ならミツバチでも持っている。

財産ならネズミでも集める。

君の魂が求めるのは、別の道だ。

そして、君の魂が損なわれるとき、

君が魂を犠牲にして成功を得るとき、

君にはいかなる幸福も花咲かない。

というのは「幸福」を感じることができるのは、

胃袋でもなく、頭脳でもなく、財布でもなく、

魂だけであるからだ。

ヘルマン・ヘッセ 「魂について」より









by nonkei7332 | 2015-04-25 08:57 | 日記 | Comments(0)



b0325317_20380641.jpg
ハナシュクシャ




私 は 今 〈白〉に囲まれています

すっかり 白くなった 頭髪の事ではありません




b0325317_20394465.jpg
雪柳




拙ブログで 日々 出会う 花を 追いかけてきました
改めて もう一度みてみると
何故か 白い花 が多い事に 驚いています
半数近くが 白い花 でした
その中から 幾つか 選んでみました




b0325317_20403425.jpg
牡丹



辛夷 ( コブシ )

朝鮮朝顔 ( チョウセンアサガオ )

梔 ( クチナシ )

百日紅 ( サルスベリ )

花縮紗(ハナシュクシャ)

風船唐綿 ( フウセントウワタ )

牡丹 ( ボタン )

花簪 ( ハナカンザシ )

大文字草 ( だいもんじそう )

雪柳 ( ユキヤナギ )

小手毬 ( コデマリ )

海芋 ( カイウ ) 別名 カラー



b0325317_20412056.jpg
百日紅



《 色見えで 移ろふものは世の中の 人の心の 花にぞありける 》
古今和歌集 小野小町

【 私 訳 】
目に見える 花の色は いつかは 色褪せていくのに
目には見えない 心の中 花の色は
いつのまに 褪せてしまうのですね




b0325317_20421431.jpg
小手毬




《 遠方の 白き花の名 知りたくて 近づけば枇杷の実をくるむ紙 》
俵万智 『風の手のひら』より



b0325317_20424733.jpg







by nonkei7332 | 2015-04-24 01:00 | | Comments(0)


b0325317_16430927.jpg
風神雷神図




私は 風の姿を 見た事がない

私の 網膜に映る 様々な 自然の景色がありますが

例えば 桜花が散る 様だとか

幾重にも 重なる 白き波の 紋様だとか

空を駆け 瞬時に その形を変えていく 雲の様であるとか

それらは 風が 織りなす 景色であって 風景と呼ばれるものですが

それは 風の姿ではありません

魂 は 目には見えない 見えないから 無いとは言えない ように

風 は 見えない 見えないからといって 無いとは言えないようです

それは まさに 神 です



気象的に言えば

地球上には 場所によって太陽エネルギーの分布 が異なるため

日光の当たり具合や 地表の温まりやすさの違いが

島や大陸といった巨大なスケールで存在すると 気圧が不均一になり

数千km規模の 高気圧や低気圧が生まれる。

高気圧から低気圧へと流れる空気が、「風」の おこる 主因である


〈東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 〉と詠まれるように

風には 向きがあって 吹いてくる方向 ( 風位 ) によって

古人は 風の名をつけました

東風 は ( こち ) 西風 は ( ならい ) 南風 は ( はえ ) 北風 は ( あなじ )

とくに 海の民 にとっては 風 は 生活のすべてでした

海の上では 東西南北では 読みきれない 微妙な風がふくので

西北 東北 東南 西南 の 方位 を 重ねた 八方の風位 が 定着します

関西では 半夏生の日に ( 7月2日頃 ) 蛸 ( たこ ) を食べる 風習が残っていますが

本来は 蛸を吊るして 稲田を大風から 護るために祈った 八風鎮護の行事でした

たしかに 蛸には 八本の足 があるので 八つの風位にみえます

正月に 神社では 八本の幟を立て 風向や 風力で その歳の豊穣を 占ったといいます

海人は 船の帆柱に 幟を 立てました

正月の 凧あげ の起源 もここにあるみたいです



綾杉さん の 「ひもろぎ逍遥」の 4月3日 の記事で

宗像の 「 珂昰古 」「 風子 」「 凧旗 」の話を知りました

毎月 8日に 凧をあげて 風信を読んだ という話も 繋がりますね



八風 については

仏教の中で 修行を妨げる 八つの出来事として 説かれています

人心を煽動(せんどう)する出来事を 風に喩えたのでしょうか


四順 : 利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)


四違 : 称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)


衆生は 四順を愛欲し 四違を忌避しようとするために

八風におかされるとされます

人の心理を 微妙に 言い表していますね



古来 人は

目には見えぬ 風を読み 道標 ( みちしるべ )としました

風は 雲を呼び 雲映は 天変を知らせました

荒ぶる神は 地を震わせ 津波となって 人と山河を 飲み尽くし

生き残った 人は なす術もなく 神 に祈りました



《 海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ 》
天智天皇 万葉集 1巻–15


訳 : 筑紫の国から 海を眺めると 豊旗雲に

夕陽がさして 博多湾に落ちていきます

どうか 今夜の月夜は 穏やかであってほしい

解説 : 天智天皇が 予見したのかどうかはわかりませんが

この歌を詠んだのちに 664年 新羅が震源の 大きな地震が起き

儺津博多に 大津波が押し寄せた事が 記録されています

豊旗雲とは 地震雲のことです


天の禍 (わざわい) は

人 その訓 (おしえ) の何たるかを 顧みざるときに現る



b0325317_16213376.jpg

写真は 2013年 9月30日 18時7分 香椎浜より 北を見た 夕陽の写真です
その日のトップニュースは
9月27日 11時7分 におきた御嶽山の噴火の 犠牲者捜索のニュースでした








by nonkei7332 | 2015-04-23 16:22 | 日記 | Comments(0)


b0325317_12102548.jpg




フランス の 画家

《 モーリス・ユトリロ 》

パリ の モンマントルの丘に 生まれました
母 の 〈スザンヌ・ヴァラドン〉 は モデルであり 画家でした
父は 誰なのか 知りませんでした
12歳 の頃 祖母マドレーヌの 元から 学校に通いますが
17歳 の頃 母に会えぬ ストレスがこうじて 酒癖が重なり
アルコール中毒症 の 治療入院を 余儀なくされます
こんな ユトリロに 母は
治療目的で 絵を描く事を教え
酒乱と監禁 そして入院の繰り返しのなかでも
ユトリロは 描き続け
非凡な 感性に磨きをかけるのでした



b0325317_12161452.jpg


この頃 の ユトリロ は

『 白 の 時 代 』 といわれる 〈白〉を基調とした
風景画 を 描きますが 何故か 人物は描きませんでした
ある人がユトリロに尋ねました
「もし パリに二度と帰って来れないなら 何を持って行くか?」
それに 対して ユトリロ は
「漆喰のかけらを持っていく」と答えたそうです
漆喰の〈白〉に異常にこだわる ユトリロの画風は
錯乱の日々のなかで 頂点を極めていきます
心身は 病的でしたが 作品は 繊細で美しく 健康だったといいます
やがて ユトリロ の絵に 色彩と人物が 戻ってきます
35歳 になり 個展も大成功を収め
それ以来 ユトリロ の作品の評価は上がり
44歳 のときには 〈 レジオン・ド・ヌール勲章 〉を受賞し
画家として押しも押されぬ 地位を得ます
そんな中でも 孤独 と 酒浸り の日々は続いていました
ユトリロ 51歳 の時 母の すすめで
12歳年上の 未亡人 〈リュシー・ボーヴェル〉と結婚します
落ち着いた生活が ユトリロを 変えていきますが
53歳 の 時 母 ヴァラドンが 脳卒中で 亡くなります
母の死の知らせを受けた ユトリロ は その場に倒れて
母の葬儀に出ることも 出来ませんでした
哀しみの中 やっとも思いで 母の愛を独り占めできたのでしょうか
その後の ユトリロ を 支えたのは 聖母マリアへの信仰でした
晩年は 夫人に支えられながら 多くの作品を描き続けますが
72歳 になり 旅先で 脳充血により 変えらぬ人になります
パリのモンマントル を こよなく 愛した
モーリス・ユトリロ は
通いつめた 居酒屋 ラバン・アジル の 傍にある 墓地に
今も 静かに 眠っています



b0325317_12225880.jpg
ユトリロ と 母ヴァラドン




by nonkei7332 | 2015-04-21 12:49 | 日記 | Comments(2)



網膜に映る すべての 物には 色がついています

〈空の青〉〈白い雲〉〈黄昏の夕日の紅〉〈黄色い月〉

そして 花々の色 となると まさしく 色の競演 なのです


b0325317_09590535.jpg


〈 花壇での 世話人さんとの 会話 〉

「 この 白い花 は なんと言う 名前ですか 」

『 それ からー というの 』

「 エッ 〈それから〉という 名前ですか 」

『 ちがう ちがう その花は カラー という名前 なの 』

「 すみません 聞きちがえちゃった ですね 」

「 それにしても 白い色 なのに カラー ( color ) というのも 面白いですね 」

『 それも 違うの カラー というのは
色の カラー (color) ではなくて
襟 の カラー ( collar ) の こと
修道院の女性 の 白い襟 によく似てるから ついた名前だって 』

「 ヘェ〜 面白いですね 」


楽しい 会話 でした

ちなみに カラーの花は

和名では 《 海 芋 》(かいう) と いいます




b0325317_10002422.jpg


色には 『 色彩心理 』というのがあって
確かに 修道女 の イメージ は 「神聖」 「純粋」 「無垢」
白い色 の イメージ と重なってくる
赤い襟 だったら 修道女の イメージは 完璧に 崩れてしまう

桜 の花が 赤い花だったとしたり
菜の花が 青い花だったとすると
春の季節感は
ちょっと 違うものになっていたのかもしれない

バラの花 の色 は と 聞かれたら 赤 や 白 と答えます
最近 青いバラ を 誰かが 造った といいますが
勝手に作るな というのが 私の本音 です
バラのイメージ が 変わってしまう からです



話は 変わりますが

日本には なかった
〈 色 〉の商標登録が 最近話題になっています
企業イメージ である 商標を
〈色〉にも 〈音〉にも 認める という
商標法 が 今月 改正 されたようです
すでに 多くの国では 実施されているようで
日本企業も 欧米で 商標登録しているといいます
各社とも 自社の商品の色を おそらく 登録してくるでしょう
その中で ソフトバンク が 〈白〉の登録をするという
そんな 話が 話題になっています
はたして どういう 結果になるのか 気になります



b0325317_10033220.jpg


花壇は 春の色で にぎやかです

冬の間の 色の消えた 花壇を知っているがゆえに

心の中まで 華やかに なるのです

ダッチアイリスの花 も 綺麗に咲きました








by nonkei7332 | 2015-04-18 10:09 | | Comments(0)


b0325317_14561898.jpg



ユキヤナギの花 が 終わり

桜の花 も 散ってしまうと

小手毬 (コデマリ) の 花 が咲きます



b0325317_15150564.jpg


ユキヤナギより 少し 大きいですが

寄り添うように 咲く 小さな 白い花 は とても 愛くるしい




博多弁で言えば

『 なんで こげん あいらしかとかいな 』


古くは 中国東南部から 渡来した花で

別名は スズカケ ( 鈴掛け )

小さな花が丸く集まり

小さな 手毬 のように見えるので

小手毬 とよばれました



b0325317_14572819.jpg
手毬






花言葉 は 『友情 』









by nonkei7332 | 2015-04-17 15:17 | | Comments(0)


b0325317_06534109.jpeg





万葉 の 頃

男 が 女 の 許へ 通いました

女 は 通ってくる 男 を待つしかなかったのです

待つ日 が 重なると 想いは 乱れます

女 は 想いを 筆にのせ 歌を詠み

ひとずてに 送ることしか できなかったのです

『 あなた が いない日々は こんなにも 寂しいのです 』

とは

心の上に 糸しい(愛しい) 糸しい(愛しい) 言葉をのせた 想いでした

だから 女たちは 万葉仮名 で 戀 は 孤悲 (こひ) と書いたのでした

孤独な 悲しい 想い だったのです


b0325317_06541949.jpeg




歌聖 (柿本人麻呂) が 孤悲(こひ) のうたを 詠みました

《 鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めらむ 》

万葉集11巻2513


【 私訳 】 : 雷が 少しだけ鳴って 曇ってきて 雨が 降らないでしょうか
そうしたら あなたを 帰さずにできるのに

この歌に 返歌を 詠みました

《 鳴る神の 光響みて降らずとも 我は止らむ 妹し止めてば 》

万葉集11巻2514


【私訳】: 雷が鳴らなくても 雨が降らなくても 私はここにいます
あなたが 一言 「ここに居て」 と 言ってくれるのであれば




b0325317_06553675.jpeg




『 言の葉の庭 』(ことのは の にわ)

人麻呂 のこの歌を テーマにした

アニメの 美しい作品 があります

甘く せつない 片恋の物語です


《 始めの あらすじ 》

靴職人を目指す 高校一年生の 〈タカオ〉は 15歳

雨の日 授業をさぼっては 庭園で靴のデザインを考えていた。

ある日 タカオは 庭園で 昼間から ビールを飲んでいる

不思議な女性 27歳の 〈ユキノ〉に出会う

どこかで 会ったかと タカオ が尋ねると ユキノ は否定し

「鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」

の 万葉集の歌を 言い残して 去っていった



b0325317_06560637.jpeg



万葉集では

戀 は 「孤悲」のほかに 「古悲」と書かれた 歌もあります

サントリーオールド の CM 憶えています

《 恋は 遠い日の花火 ではない 》

恋は 何時かは 冷めるもの と 誰かが言いました

でも 永遠に 冷めない 恋が あるとすれば

それは 『 片 恋 』 なのかもしれませんね










by nonkei7332 | 2015-04-15 09:14 | 万葉集 | Comments(0)



b0325317_11022332.jpg






両陛下が パラオ を訪問された

青い海と 青い空

激戦地 ペリリュー島に向かって

頭を垂れて祈られる 両陛下の白いお姿に

私達は 何を 学べばいいのだろうか


私の世代は

〈戦争が終わって 僕等は生れた 戦争を知らずに 僕等は育った 〉

と 歌に 唄われた

「戦争を知らない子供たち」と呼ばれた 最初の世代だった


そして 私の父は

戦争で死ねなかった 海軍兵士として

日本軍の重要拠点だった ラバウル からの帰還兵だった

パラオのように 敵軍の上陸こそ無かったが

補給が途絶えたので 自給自足を強いられ

多くの兵士が 栄養失調や マラリヤなどの病気により

亡くなっていた と聞いた

私が 小学生の頃 だったが

父は 時々 悪寒を伴う 高熱で 何日も 寝込む事があった

マラリヤ熱の症状が 身体の奥に 潜んでいたのだろう

父の中では あの戦争は まだ終わってはいなかった

陽気な父だったが 戦争に関しては いつも 寡黙だった

『 戦争は二度としてはいかん 』

といつも 酒を飲んでは言っていた


晩年 の父は 土をいじりながら

奈多の海岸 を歩いては

おきゅうと草を拾って来ては

自家製のおきゅうとを作ってくれた


海が大好きだった 父

生きていれば 今年 104歳になる



b0325317_11051635.jpg
奈多の海岸


今年 82歳になられる 陛下のうしろ姿が

奈多の浜から 磯良の海 を眺めていた

在りし日の 父の姿と重なる

両陛下には いつまでも お元気でと

祈らずには おられない









by nonkei7332 | 2015-04-13 11:11 | 日記 | Comments(0)