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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

<   2015年 03月 ( 16 )   > この月の画像一覧




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さだまさし の 2006年のアルバム『 美しき日本の面影 』の中に

《 桜人~序章春の夜の月~ 》

《 桜人~終章しず心なく〜 》

という二曲の 歌があります

六人の歌人の歌に さだまさしが 補作詞 した曲です

朱文字が 歌詩です 《 》は 歌人名 と 私訳 です


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今宵 桜人 《 藤原良経 》

空はなほ 霞もやらず風冴えて 雪げに曇る 春の夜の月

空はまだ春というのに霞もせず、風は寒く雪が降りそうな雲行きの春の夜の月だ 》

今宵 思ひ人 《 藤原俊成女 》

風通ふ 寝覚めの袖の花の香に 香る枕の 春の夜の夢

《 風に 目が覚めると 袖にも枕にも 桜の花のような貴方の匂いが残っています 夢だったのでしょうか 》

はらりはら

はらはらり

はらはらり



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今宵 あはれ人 《 大伴宿禰池主 》

桜花 今ぞ盛りと人は言へど われはさぶしも きみとしあらねば

《 桜は満開だというのに 貴女が居ないので なぜか さびしいのです 》

今宵 涙人 《 菅原道真 》

桜花 ぬしをわすれぬものならば 吹き来む風に言伝てはせよ

《 桜の花よ 主人を忘れないというのなら 筑紫の方に吹く風に 便りを届けておくれ 》

ゆらりゆら

ゆらゆらり

ゆらゆらり



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今宵 桜人 《 紀友則 》

久方の光のどけき 春の日に しづ心なく花の散るらむ

《 陽の光が穏やかな春の日なのに どうして 桜の花は散っていくのでしょうか 》

今宵 想い人 《 西行 》

願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ

《 願う事なら 二月の満月の頃に 桜の下で 死にたいと思っています 》

はらりはら

はらはらり

はらはらり




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《 さだまさし 》は ライナーノートに こんな風に 語っていました


この國の 風土の持つ美しい 季節感を通して

この國の人々の 心を歌おうと 思いました

そのことで この美しい國に住む 美しい人々が

本来の心 を 思い出せはしないだろうか







by nonkei7332 | 2015-03-30 15:29 | | Comments(0)

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寒風を 耐えた『 芝 桜 』派手じゃないけど とても 可愛い。



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『 チューリップ 』 もうすぐ 君達の季節だよ



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『 辛夷の花 』 青い空に 白 が映えます



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何の花なのか 名前がわかりません


『 紅色常盤満作 』(べにいろときわまんさく) でしょうか?



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ピンクの『 桃 』 満開です




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紅白 の『 桃 』




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可憐な花 『 ユキヤナギ 』



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『 山桜 』すでに 満開ですね



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『 ヨメイヨシノ 』は これから 本番です




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今年 最初の お花見三人組 女子大生


写真を撮ってあげた お礼に一枚 撮らせてもらいました

今日見た花で 一番綺麗な花 でしたよ







by nonkei7332 | 2015-03-27 11:16 | | Comments(0)


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正面より


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拝殿





博多には 古くからの町である 「綱輪町」(つなわまち) という町があった

いつのまにか 訛って「綱場町」(つなばちょう) と呼ばれ 今日まで 残っているが

町名の由来は その地に鎮座する 『 綱敷天満宮 』からである

この天満宮に謂れは


菅原道真公 が 筑紫の国への 下向の船旅の終わりの時


津の国 (博多) 『 袖の湊 』に上陸された


そこが 海辺だったので


漁師達が 船の友綱を手繰り上げて


蚊取線香のように 巻いて 輪にして


円座をつくり 道真公 をその座に迎えて


休んでいただいたという話からきている


実は 全く 同じ名前 と 由来の 綱敷天満宮 が

摂津須磨の浦 (神戸市東灘区) と

豊前国築城群高塚村 (福岡県築上町高塚) にもある



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沖の濱 の 南岸に 綱場天神の表記があります




博多の町は しばしば 兵火のため 焦土となっていたので 天満宮も何度か場所を変えたが

落ち着いたところが 「袖の湊」の博多本土 と 大水路 (博多中の道) を隔てた

対岸の 沖の濱地の南岸であった ( 鎌倉時代の博多古図 参照)

その後 袖の湊も やがて 陸地となり 今の 博多の地形になると

天満宮は 綱場通りと呼ばれる 往還沿いに 北向きに建てられたようだ

江戸の元禄の頃の大火で焼失したあとは 土居通り沿いに 西向きに建て直されたようで

再建当時の 境内地の広さは 五、六百坪もあって 土俵場があり

松の木や 梅の木や 多くの樹木が繁っていたといわれている

( 明治22年の博多地図 参照 )


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中央あたりに 綱場天神が 土居通り沿いにあります





昭和の戦災で 社殿も楼門も全焼し しばらく 官有地となっていたが

昭和25年 現在地に 百坪ほどの土地の 無償払下げを受けて

戦後の都市計画で出来た 新道沿いに 南向きに 神殿を 造営し

現在に至っている


天満宮の祭祀は 古来より

綱場町 と 下土居町とが共同で 今日まで奉仕されてきたようだ

去年の山笠の時に 訪れたが 「土居流」の 詰所 として 境内が使われていた

「下土居町」と言えば このブログの〈ルーツのタグ〉で紹介したように

我が家の先祖 「小堀家」があった町で 文献によれば

天満宮の四軒となりに「山笠細工人形店」の看板が出ていたようである

おそらく 先祖達が 子供だった頃 天満宮の 境内で 日が暮れるまで

真っ黒になるまで 汚れて 遊んでいたのだろう

目を閉じて 海馬を覗くと 子供達の唄う声が 聞こえてくる



通りゃんせ 通りゃんせ

ここは どこの細道じゃ

天神様の細道じゃ~




by nonkei7332 | 2015-03-26 12:02 | 博多ルーツ | Comments(0)


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正面から



菅原道真公 の 水鏡伝説 が残る 《 水鏡天満宮 》


福岡市 最大の繁華街「天神」の地名の由来となったのも この 水鏡天満宮です



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本殿




こんな 歌がありました


《 水鏡せると伝ふる 天神の みあしのあとに 千鳥 群れ飛ぶ 》

道真公が 博多に上られた折に
四十川 ( 今の薬院新川 ) の水面にご自分のお姿をご覧になったとされ
当初は「容見天神」(すがたみてんじん) とよばれていました
社殿も 現在地ではなく もっと 上流の 今泉付近だったと言われています
当時は 今の 博多とは ずいぶん違う 地形ですが それでも
浜千鳥が飛んでいる 海岸線では あったようですね ( 鎌倉時代の博多古地図参照 )


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「冷泉津」の右上に 容見天神 の表記があります




その後 500年経って 冷泉津と呼ばれた 干潟も 次第に陸地となり

黒田長政が 福岡城を築城の折には 東北の鬼門に当たる

現在の場所に 移転させたといわれています (江戸時代の博多古地図参照)


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左下が 福岡城 右上の川沿いに 赤い色の鳥居があるのが 「水鏡天満宮」




《 氏神 》の定義を 「お宮参り」した神社とすれば

この 水鏡天満宮 が 私の氏神になります

実は 私の両親は 結婚と同時に

水鏡天満宮の社務所の裏にあった 茶室のある 小さな家にすんでいました

(綾杉酒造所跡付近)

というのも 表千家の茶道を教えていた 母の叔母の養子になって 後を継いだからです

綾杉酒造所は 香椎宮そばの 武内家の関係の酒屋さんでしたね

私の想像ですが おそらく この付近には 綺麗な水 があったんでしょうね

そういう訳で 私の兄と姉は 天満宮そばの この家で 生まれています

私はここでは 生まれていませんが 路地の奥にあった 茶室と庭のある 小さな家は

今でも 憶えています




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茶室と庭の写真









by nonkei7332 | 2015-03-25 22:21 | 博多ルーツ | Comments(0)


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福岡市の 桜の開花予想は 22日 でしたが

窓辺の 桜は まだのようです

でも 蕾は 夕方には開くのではないかと 思えるほどでした

いずれにしても その季節が来たようです


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《 西 行 》

にとって 桜とは なんだったのでしょう

多くの 歌を残しています


《 春風の 花を散らすと見る夢は さめても 胸のさわぐなりけり 》

【私訳】
春風が 桜の花をふき散らす夢は 覚めてもなお その美しさに 私の胸は 掻き乱されています



《 いかで我 この世のほかの思ひいでに 風をいとはで 花をながめむ 》

【私訳】
私は今世の思い出として 風の心配をせずに ゆっくりと 桜の花を眺めていたいのです



《 いかでかは 散らであれとも 思ふべき しばしと慕ふ 歎き知れ花 》

【私訳】
どうかもうしばらくは 散らないでほしいと願う私を 花よ 知っているのか



《 春ごとの 花に心を なぐさめて 六十(むそじ)あまりの 年を経にける 》

【私訳】
春ごとの 桜の花に 心を慰められて はや 60歳を越えてしまいました




《 願はくは 花の下にて 春死なむ その 如月の 望月のころ 》


如月 (二月) の 満月の夜に 桜の花の下 で 死にたいと 願った 歌です
西行の願ったように 入寂は 文治六年 ( 1190 ) 二月十六日 享年 73歳。
新暦になおすと この日は 3月30日 だったとのことです
桜は満開だったのでしょうね
その日が 満月だったのかは 定かではありませんが
釈迦入滅の日が 二月十五日なので
仏の後を追うように 亡くなったと後世伝えられたようです



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旧暦の 2月16日 は 今年は 4月4日 になります

おそらく 桜花爛漫 の 日になるでしょう

そして その日は 奇しくも 満月 (望月) の日 なのです

私 は 来月4日の 予定表の項目に こう書き入れています


《 夜桜 西行を 偲ぶ 》







当ブログ《 西行という男 》参照
http://hisamitsu.exblog.jp/23530245/








by nonkei7332 | 2015-03-23 15:47 | 日記 | Comments(0)


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聖福寺



博多の町人に 古くから 『 仙厓さん 』と呼ばれ 愛された 和尚がいました
仙厓さんが生きた時代は 江戸の中期 11歳で出家し
40歳になるまで 諸国行脚の旅を続け
兄弟子でもあった 太宰府戒壇院の 太室玄昭(たいしつげんしょう)の勧めで
博多の『 聖福寺 』の第123世住持となります
仙厓さんは 若い時から 非凡であった 書画を多く残していますが
その中に 『 老人六歌仙 』という 詩句があります

1.しわがよる、ほくろができる、腰まがる、頭ははげる、ひげ白くなる。
《 顔に皺がより、肌にほくろができて、腰が曲がり、頭髪は薄くなり、髭が白くなる 》

2.手は振れる、足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。 
《 手が震え、脚がよろめき、歯は抜けて、耳が遠くなり、視力が低下する 》

3.身に添うは、頭巾、襟巻、杖、眼鏡、たんぽ、温石(おんじゃく)、しびん、孫の手。
《 身に付けるのは、頭巾や襟巻、杖、老眼鏡、湯たんぽ、かいろ、尿瓶、孫の手 》

4.聞きたがる、死にとむながる、寂しがる、心はまがる、欲ふかくなる。
《 人が話していると間に入って聞きたがり、死を恐れ、寂しがり、心がひねくれ、強欲になる 》

5.くどくなる、気短になる、ぐちになる、出しゃばりたがる、世話やきたがる。 
《 くどくどと、気短になり、愚痴が多くなり、出しゃばりで、人の世話を焼きたがる 》

6.またしても、同じはなしに子を誉める、達者自慢に人は嫌がる。
《 いつも子供の自慢と自分の健康自慢の同じ話を繰り返すので、人に嫌がられる 》


今も昔も 見につまされる 話ばかりです



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仙厓さんの書画



仙厓さんの 逸話のなかで 一番面白いのは 臨終の時の話です
周りの者が 最期に何か一言を と望んだときに 仙厓和尚が ポツリと言った一言です

『 まだ 死にとうない 』

あっけにとられた 周囲の人達の様子が目に見えるようですね
全てを知り尽くした 古老の最期の言葉 いいですね。


by nonkei7332 | 2015-03-21 09:19 | 博多ルーツ | Comments(0)

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謡曲を 読み込んでいくと

あちらこちらに 〈松〉 が出てきます

まるで 〈松物語〉 といってもいいくらいです



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そういえば 〈能舞台〉の正面の羽目板の事を鏡板といいますが

そこには 必ず 大きな 〈老松〉が 描かれてます

演者は 神の依り代とされる 老松の前で 神に見守られて舞をまうのです

それから 舞台をよく見ますと

〈本舞台〉と 奥の〈鏡の間〉との間に 橋のような通路があります

通路といっても ここで演技することもあるのですが

ここの場所を 〈橋掛リ〉(はしがかり) とよびます

ここには 本舞台から 鏡の間に向かって 脇には

大・中・小 の 〈若松〉 が植えてあり 順に 一の松、ニノ松、三の松 と言われています

ここにも〈松〉 です それも 三段重ね です




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三階松紋



三段重ねの松 といえば 《 三階松紋 》

この神紋は 宮地嶽神社や 高良下宮社 や 壱岐神社などの 神紋です

もともと 三つ巴の神紋は

八幡宮とか 住吉宮の神紋で 海人族の紋章だといわれていますが

九州王朝の紋章でもある 《三階松紋》 が

能舞台の中にも こっそり 残されているとすれば

世阿弥の能楽 と 九州王朝 も〈松〉で 繋がっているんですね




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木瓜紋


博多祇園山笠 の期間中には 関係者は 木瓜(きゅうり) を食べません

小学校の給食にも 木瓜 は出さないんです

それは 櫛田神社 の神紋が 木瓜 の切り口に似ているからという 俗説ですが

この 《木瓜紋》 じつは きゅうりの切り口 ではなくて

松笠 (まつぼっくり) の形からきているという説も聞いたことがあります




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松の風は

こんなところにも

吹いていました












by nonkei7332 | 2015-03-20 19:45 | | Comments(0)



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去年の3月20日の〈辛夷の花〉




今朝 優しい 春の雨のなかで

白い 〈辛夷の花〉が かたい蕾を 脱ぎ捨てたようです



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もう 何年ぶりだろうか
ネクタイ を締める事など 葬祭以外には ないだろうと思っていた
ピンクのカッターシャツ に 梅鼠色 (うめねずいろ) のネクタイを選んだ
選んだというと たくさんもっているみたいだが
多くは 息子たちに 譲ってしまったから
私は 四本のネクタイしか持っていない
それも 葬祭用の二本を除けば 二本だけだ
春用にと残しておいた 方を締めただけのことだ
そもそも 卒業式に来賓として 招かれるなど 思ってもいなかった事だ
『旗振りオジサン』にも来て欲しいとの 子供達からの 要望ですと 校長から聞いた
来賓の控え室に入ると 〈この人誰だろう〉という視線を感じながらも
何度か面識のある 公民館の館長と毎朝挨拶をする 幼稚園の園長先生に挨拶をした

子供達は 綺麗に 着飾っていた とくに 女の子の袴姿には びっくりした
それも 一人二人ではなく 女の子の 三割の子は 色とりどりの袴姿なのだ
そういえば 中学も高校も おそらく 卒業式は制服だろうから
小学校くらいはという親心が 解らないでもない


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子供達が 別れの歌を 歌ってくれたが やはり「仰げば尊し」ではなかった

初めて聴いた 校歌には こんな 歌詞があった


玄界灘の 荒い潮

波も静かな 博多湾

帆柱石に 刻まれた

歴史伝える 松の風


まるで 私のブログ 《磯良の海》を歌った 歌みたいだと 一人で頷いていた

いつになく 緊張した 六年生
何人かの子供達は 私を見つけて 目で挨拶をしてくれました
明日から もう あの子達の笑顔が 見れなくなると思うと
ちょっぴり 目頭が センチメンタルになってしまいました


今日は 「彼岸の入り」

私の 花暦では 彼岸がすぎると

桜の花が 一斉に 咲き始めるようになっている








by nonkei7332 | 2015-03-18 16:08 | 日記 | Comments(0)


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《 難波津に 咲くや此の花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 》

【 通釈 】
難波津( 博多津の国 )に この花( 梅 )が 咲いたよ

冬の間はこもっていた花が いよいよ春だよと

この花( 梅 )が咲いたよ.


この歌は 「百人一首」の 始めに歌われる 序歌 です

『古今集仮名序』の古註には

難波津の歌」は 大鷦鷯(おおささぎ)帝(仁徳天皇)の御代の初めを祝う歌である

仁徳天皇が 難波( 博多津の国 )で 皇子であられた時

弟皇子と春宮の位をたがいに譲り合って即位なさらず 三年も経ってしまったので

王仁(わに) という人が気がかりに思い、詠んで奉った歌である。

この花とは 梅の花のことです

(王仁:百済から帰化した学者)




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博多人形 「木花咲耶姫」






日本神話に出てくる女神 木花咲耶姫 (このはなさくやひめ)


この歌の中にかくされています


木花咲耶姫は アマテラスの孫 ニニギノミコト(瓊瓊杵命) の妻であり


あの 海幸彦 山幸彦 の母 です


山幸彦の孫が 神武天皇 です


この歌は 古代倭王朝の事 を 詠ったものでしょう





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太宰府政庁前 (模型)




万葉集 には 119首もの 〈梅の歌〉が詠まれています

特に 天平二年正月の十三日

太宰府の 大伴旅人 邸にて催された 宴において

それぞれの参加者が 梅を題にして詠った 32首 の梅の歌(5巻 815~845)を 読むと

あたかも 其処に 同席している 想いにかられるほど

優美な世界に引き込まれていきます

やはり 万葉の古都とは 筑紫の古都だと 思わざるを得ないですね




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by nonkei7332 | 2015-03-17 00:10 | | Comments(0)


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《 ユキヤナギ 》

去年の春 雪が降り積もったように 満開に 咲いていました



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〈フジノピンク〉といわれる 品種の ユキヤナギ です
今年も 赤い蕾から 真っ白な 花を咲かせてくれました
遠くからみると 淡いピンクに見えます
この花は いろんな 別名をもっています
〈小米花〉〈小米桜〉〈小米柳〉〈えくぼ花〉
中国では 〈噴雪花〉(ふんせつか) と呼ばれています




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冷たい風の中 子供達の 薄紅梅の 頬っぺた のように

キラキラと 愛くるしい 小花が 輝いています




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ユキヤナギ の 花言葉 《 愛らしさ 》




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私の 花暦 によれば

〈 ユキヤナギ 〉とが咲くと

もうすぐ 〈 辛夷の花 〉が咲きます









by nonkei7332 | 2015-03-13 15:34 | | Comments(0)