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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

<   2014年 12月 ( 13 )   > この月の画像一覧



一年間 こんな 拙い ブログを 見てくださった

すべての 皆様に 感謝致します


今 考えると 軽い気持ちで 始めたブログでしたが
《 磯良の海 》という
とてつもない 大きな 名前をつけてしまったような気がします
それを 支えてくれた 綾杉るな さんを始めとする
安曇連 (あずみのむらじ) の みなさん ありがとうございました。

それから 影から 支えてくれた NON と KEI
我が 愛する ふたりの息子達 ありがとう。


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今年の 最後に 皆さんに 『 SMILE 』という 歌をおくります
この歌は わたしの 大好きな歌です
チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』の テーマ曲で
チャップリンの作曲です
マイケル・ジャクソン など 多くのアーティストにカバーされています
(音源は YouTube で聴いてください)


《 SMILE 》

Smile though your heart is aching
Smile even though it’s breaking
When there are clouds in the sky, you’ll get by
If you smile through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You’ll see the sun come shining through for you

Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near
That’s the time you must keep on trying

Smile, what's the use of crying?
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile


微笑んでごらん たとえ 心が 病んでも
微笑んでごらん たとえ 心が ひきさかれても
たとえ 空が雲に覆われていても
大丈夫 きみなら越えられる
微笑んでごらん 悲しくても 怖くても
微笑んでごらん 明日にはきっと
君のために また太陽が輝きだすから
 
今ある喜びで 笑顔を 輝かせてごらん
全ての 悲しみの跡も 消えてしまうから
涙が 近くに 迫ってきたら
そんな時こそ がんばるんだよ

微笑んでごらん 涙にくれそうな時でも
人生 まだまだ 捨てたもんじゃないと わかるから
君が微笑みを忘れないなら




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神の島 沖ノ島



来年の皆様のご多幸をお祈りします

よいお年を お迎えください

また 来年 お会いしましょう。




by nonkei7332 | 2014-12-29 00:45 | 日記 | Comments(2)

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観世音寺

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奈多海岸




人は 生涯 どれだけの 《 こころに 残る 音 》というものを
記憶しているのだろうか
私の中では

『 大晦日の 観世音寺の鐘の音 』

『 奈多海岸の 波の音 』

目を閉じて 海馬を震わせると なんの注釈もなく
あの 音達が 聞こえてくる



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観世音寺の天智院には 歌碑がある

《 手をあてて 鐘は たふとき 冷たさに 爪叩き聴く そのかそけきを 》

《 長塚 節 》(ながつかたかし)
歌人、小説家。茨城県結城郡の豪農の家に生まれ、
3歳のときすでに百人一首を暗誦できたとの言い伝えがある。
長じて正岡子規の門下に入り、『馬酔木』『アララギ』に多数の短歌を発表した。
30代前半に東京朝日新聞に連載した小説「土」は
日本の農民文学を確立した作品といわれる。
明治45年(1912年)、喉頭結核治療のため夏目漱石の紹介により、
九州大学病院に入院
この時 観世音寺の住職・石田琳樹と親交を持ち、幾度かこの寺を訪ねている
この歌は、死の前年 大正3年(1914年)の晩秋、
観世音寺を訪れて詠んだ歌
翌年 2月8日 36歳の若さで 亡くなっている

千年もの間 この国の歴史をずっと見てきたこの鐘に
手が触れた時の 尊さ その 冷たさ
そして 爪で叩いて鳴る その幽かな音に
残された 我が生命の日々を 重ねたのだろうか

初めて この歌碑の前に立った時
若き歌人の 哀しみに 私は涙が止まらなかった


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この 鐘の音を 穏やかに そして 深き 哀しみの中で 聞いておられた方がいる

菅原道真公 の 謫居の館は 十条右郭一坊にある南館だった
今の 榎社 のあたりだろう

『 不 出 門 』という 漢詩を遺されている (一部)

都 府 樓 纔 看 瓦 色
( 都府樓は纔かに瓦の色を看 )
觀 音 寺 只 聽 鐘 聲
( 觀音寺は只鐘の聲を聽く )

口語訳 : 近くの都府楼は 毎日わずかに瓦の色を遠くから眺めるばかりで、
観音寺 も ただ鐘の音を聴くだけで訪れたこともない

都での全ての栄華を そして 幼い我が子の 隈麿 までも 無くした
菅公の 御心情は 私には はかりしれない

ただ 時を超え 私の中にある あの鐘の音と
同じ 鐘の音を聞いておられた という まぎれもない 真実だけで
私の魂は 延喜二年(902年) 1113年前の
あの 冷たき 真冬の 榎の住処に 繋がっていく事ができる

今年もあと 三日
観世音寺の鐘の音は 今年も 多くの人々の魂を 癒しながら
百八つの 煩悩を 払っていくのだろう



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観世音寺 の 梵鐘






by nonkei7332 | 2014-12-28 12:02 | 菅公・太宰府 | Comments(0)

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白川付近



宝満の山にまします 玉依姫は 水分の神(みくまりのかみ)

この神体山を源とする 清き水は川となり 遠の朝廷 を潤しながら

やがては 磯良の海へと流れていく 御笠川

わが魂の流るる川なのです

古来 地元では この川は 七つの名前で呼ばれていました

山裾の北谷では 『北谷川』

太宰府の三条あたりで 『岩淵川』

連歌屋まで下ると『岩踏川(いわふみがわ)』

そして 五条付近では 『白川』と呼ばれ

藍染川 と 合流して観世音寺あたりで『思川(おもいがわ)』

水城大野城では『御笠川』

博多の町に入ってからは『石堂川』 と。

様々な名前と想いを乗せて 流れてきた この川の畔で

数え切れないほどの 物語が 語られてきたのでしょうね

そんな物語の中から

今日は 『檜垣』と いう 能楽の演目となった お話をします






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能楽 「檜垣」


《 檜 垣 》

平安時代の 承平・天慶(931年〜938年)のころ

太宰府の都に 檜垣 という 白拍子 が 「白川」のほとりに 住んでいました

歌舞にたけ 女流歌人として 広く知られた人でありました

〈檜垣〉というのは

《 檜(ひのき)の薄板を網代(あじろ)に編んで作った垣根 》という意味で

裕福な生活をいとなんでいたのでしょうか

様々な伝説に包まれ、その正体は詳らかでないのですが

〈世阿弥〉は こんな物語にしました


【 あらすじ 】

肥後の国 岩戸と云う山で 霊験あらたな観世音を信仰し

又 この地の美しい景色を楽しみながら三年の間山籠りしている僧がいた

この僧のもとに 何処からともなく 閼伽の水(仏前に供える水)を

両手に手繰る 百歳に近い老婆(前シテ) があらわれ

僧は常々不審に思っていたので、老婆に向かって名を尋ねると

あの 後撰集の歌 に

《 年ふれば我が黒髪の白川のみつわくむまで老いにけるかな》

と詠んでいるのは 自分の歌であると答えた

さてはその昔 筑前の大宰府に庵を結び 桧垣をしつらえて

「あの白川」の畔に住んでいた白拍子、後には衰えて

「この白川」の辺りで果てたと聞いている

その女の霊なのかと 僧はまことに奇異の思いをしたのである

老婆は在りし日 藤原興範(おきのり)に水を乞われた時のことを語り

そのしるしを見たければ

「あの白川」の辺りで わが跡を弔って賜れと 言い置いて姿を消した

僧はすぐに白川のほとりに赴き ねんごろに読教していると

先の 老婆(後シテ)が 再び現れて 弔いを喜ぶように 昔水を汲み

舞を舞った時の あり様を見せ

なおも弔って わが罪を償ってくれと頼み

姿微かに帰り去るのであった


【 あとがき 】

二つの白川が 書かれています

「あの白川」は 太宰府の白川

「この白川」は 熊本の白川でしょう

世阿弥は 「檜垣」を「関寺小町」「姨捨」とともに〈三老女〉と 呼び

能の世界では 最も位の高い 奥義中の奥義 と言っています

単に 老醜をはかなむのではなく

美しかった白拍子のいたましい末路を描き男どもを惹きつけた

その美しさゆえに

死後は 業火の焔に燃え立つ釣瓶(つるべ)を 永遠に手繰り続け

因果の水を汲まねばならなかったという 哀しき物語でした

中に出てくる後撰集の歌ですが


《 年ふれば 我が黒髪の白川の みづはくむまで 老いにけるかな》


訳 : 年が経って私の黒かった髪は白くなり

白川の水を汲むまでに老いて落ちぶれてしまいました


・「みづはくむ」とは水を汲むということだけでなく

腰が屈み老いた姿を「みつわぐむ」といいます。

この二つのことを掛け言葉として使っています


詠みかけた相手は 〈太宰大弐 藤原興範〉ですが

歌集では 〈肥後守 清原元輔〉になっていて

「大和物語」では 〈曲水の宴を始めた 太宰大弐 小野好古〉 となっています

いずれの男も 大物ばかりです

また 鎌倉時代に書かれた『無名草子』には 元輔の娘・清少納言を

檜垣 との間に生まれた子であるかのように記述しています

謎めいた人でもあったのですね



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思川付近


先日 太宰府の姉から 三笠川で「かわせみ」を見たよという

うれしい メールがありました

私が住んでいた 場所は ちょうど 「藍染川」が 合流する

『 思 川 』のすぐ そばでした

そんなに 綺麗とはいえない川でしたが

それでも 息子達と 魚釣りをしたり

次男坊の 〈 K E I 〉が 土手から 河原に落ちて 大騒動になったり

長男の 〈 N O N 〉 は 毎日 土手を通って 小学校に通っていましたし

春には 河原一面に菜の花が咲いていましたね

思い出ふかき 想いも深き「思川」です



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左上に 藍染川の合流している 場所が見えます

藍染川 の 物語については 「太宰府の夏」を
http://hisamitsu.exblog.jp/23039753/

白拍子 については 「旅人の恋」を






by nonkei7332 | 2014-12-27 13:11 | | Comments(0)

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謡曲高砂



クリスマスです
街には クリスマスソング が流れています
イエスキリストの降誕を祝う お祭り(ハレ)の日
古い 謂れによると 冬至を祝った 祭りが イエスの降誕とかさなって
クリスマスになったという話もあるみたいです
ちなみに 日本で 一番最初にクリスマスを祝ったのは フランシスコザビエルで
場所は あの 大内義隆 の 山口 だと言われています
〈古今東西〉祭り(ハレ)に 歌 と 舞 は 欠かせないもので
日本では 正月や婚礼には 晴れ着(ハレギ)をきて 謡曲を歌いました
歌う謡曲も その月や祭事に合わせて 決まっているようで 元旦は 『鶴亀』
婚礼は 『 高 砂 』が 定番だったようです
今日は クリスマス ですから 祝意を表す意味で『高砂』の話をします
そうです 結婚式の時に どこかの 親戚のおじさんが唸っていた あの
《 高砂や ~ この浦舟に帆を上げて~ 》です

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祝言ソング「謡曲高砂」の 作詞作曲は あの 〈 世阿弥 〉です

この 物語 こんな〈あらすじ〉です

平安時代前期の延喜の頃。
九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、
都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄ります。
そこで 松の落葉を掃く老夫婦に出会います
友成は、高砂の松について問いかけます
二人は 友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて
「相生(あいおい)の松」と呼ばれている謂われを教えます。
そして『万葉集』の昔のように今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、
それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛しました。
老翁はさらに、和歌が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、
樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして、松の由緒を語ります。
やがて老夫婦は、友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、
住吉での再会を約して夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、
そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。
残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、
月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。
住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。
月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、
君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。


松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから 長寿のめでたさを表しています
また、雌雄の別があり、夫婦を連想させています
世阿弥は この能を、
「播州高砂、摂津の国住吉と、国を隔てて住みながらも、夫婦として暮らす老人老女」
という人物設定で、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに、
松の長寿のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ、美しい詞章と舞いとで、表現しました


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さてさて 話は ここからです 世阿弥 は この話の中に
日本の 古代史を覆すような 謎 を隠しています
その 謎とは ‥‥‥ ( CMの後で ) ‥‥‥


この シナリオ の目的は 神戸の高砂の松 と 難波の住吉の松 が夫婦である事をいっていて
それを 阿蘇宮司が承認するというものとなっているわけです
とすると 高砂神社と住吉大社に祀られる神が いったい 誰なのか


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高砂神社


〈高砂神社〉
社伝によれば 神功皇后の命により大己貴命が当地に祀られたことにより創建されたとつたえられています
とすれば この神社の神とは 《 神 功 皇 后 》 ということです


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住吉大社


〈住吉大社〉
第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)
第二本宮:中筒男命 (なかつつのをのみこと)
第三本宮:表筒男命 (うはつつのをのみこと)
第四本宮: 神功皇后 (じんぐうこうごう)

実は 大阪の住吉大社・福岡の住吉神社・下関の住吉神社 の三社が
日本三大住吉といわれていますが
割と しられていないのが この三社に元宮があって
その元宮とは 福岡 那珂川町にある 「現人神社」だということです


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現人神社



〈現人神社〉
その由来をみてみると

【 〈御祭神〉 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
〈御由緒 並びに御神徳〉
伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて禊祓い給いし時に生れまし
住吉三柱の大神を祭祀した最も古い社にして、神功皇后(1780年前)三韓遠征の際、
軍船の舳先に御形を現し、玉体を護り進路を導き、無事凱旋せしめた御神として、
皇后いたく畏(かしこ)み奉りて、この住吉の神の鎮まり座す現人宮を訪れ、
神田に水を引かむと山田の一の井堰を築き、裂田の溝を通水して、
五穀豊穣の誠を捧げられ、現人大明神の尊号を授けられ、
供奉の藤原朝臣佐伯宿禰をして祀官せしめられてより、現人大明神と称す。
摂津の住吉大社は現人大明神の和魂(にぎみたま)を祀り、
福岡の住吉宮は(1200年前)分霊せらる。】

誰がどうみても 現人大明神 とは 《 武内宿禰 》ではないでしょうか
とすると 住吉大社 の 深の神とは 《 武 内 宿 禰 》ということです


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世阿弥は 何をいいたかったのか

《 歴史から 抹殺された 武内宿禰 と 神功皇后 は 夫婦であった 》

それじゃ 応神天皇 は 誰の子❓ 仲哀天皇 は❓
謎解きは また 多くの 謎をつくります

そこのところを ゆっくりと クリスマスケーキ を食べながら
〈世阿弥〉さんに 聞くことにしましょう。












by nonkei7332 | 2014-12-25 11:19 | | Comments(0)


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南門通り 正面が 大隈講堂



私は 早稲田大学の学生ではなかった
なのに 私が 早稲田に住んでいた理由は
何人かの友人 が 近所に 住んでいたからだ
早稲田通りの馬場下交差点の かどに
「三朝庵」という蕎麦屋があって
早稲田大学正門までの道を「 南門通り 」という
当時は両側に キッチンや喫茶店が 並び
多くの学生が行き来する道だった
左手は 民家が坂に沿って建っていて
私の住む アパートはその奥ばったところにあった
三畳一間で 家賃が 4500円 共同の 炊事場とトイレで
住人はほとんどが 学生だったと思う
狭い階段をあがり 部屋の窓からは
南門通りの向こうに早稲田高校の白い校舎が見えた
近くには 銭湯がなく
早稲田通りを高田馬場方面に 上っていく途中にあった
「松の湯」まで 通っていた





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鈴木忠志 主宰の 『 早 稲 田 小 劇 場 』b0325317_17252752.jpg
通り沿いの喫茶店「モンシェリ」の二階にあった
演劇における 小劇場の走りの頃で いつも 若者で賑わっていた
私は 二度 観劇している
一度は 看板舞台女優だった 〈白石加代子〉の
『劇的なるものをめぐって』だったと思う
二度目は つかこうへいの
『戦争で死ねなかったお父さん』
薄暗く 決して綺麗だとはいえない 狭い客席だった
記憶は 薄れているが
狂気女優と言われた 白石加代子の 鬼の形相 や
(天皇陛下万歳) で終わるb0325317_17262980.jpg
『戦争で死ねなかったお父さん』のラストシーンだけが
微かに 記憶として 残っている
主役は 〈平田満 〉だったのかもしれない

当時の 早稲田大学は早稲田騒動と言われる
革マル派と中核派が 一般学生をも巻き込んだ
過激な紛争の日々の ど真ん中の頃で
ピリピリとした空気が 正門付近には 漂っていた
セクトに属していない山口大三郎という文学部 一般学生 が
革マル派のリンチで死亡した凄惨な事件があった
村上春樹の 『海辺のカフカ』はこの事件をモデルにしている

私といえば 詩 ばかりを書いていて
「ユリイカ」「現代詩手帳」や「詩学」などの雑誌に
ペンネームで投稿を繰り返していたが b0325317_17284991.jpg
未熟な故に 選に入ることは 一度もなかった

「早稲田小劇場」はその後 早稲田大学の所有になり
解体され 更地になっていたが
来年の5月『早稲田小劇場どらま館』として 再建されるようだ
早稲田大学は その 設置の趣旨を
・早稲田演劇振興の拠点とする。
・演劇の世界をめざす学生(役者・脚本・演出など)
の登竜門として位置づける
としている
昔の 劇場を知っている 一人として
完成した折には 訪れてみたいと思っている
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by nonkei7332 | 2014-12-23 17:49 | 日記 | Comments(0)


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19年 に 一度 の この日

朔旦冬至 の 朝 に

暁 に むかひて 祈る









太陽 (アマテラス) よ 月 (ツクヨミ)よ

共に 混じりて 地球のすべての 生きるものたちに 希望をあたえよ

今 朝日に包まれた 子供たちの 19年後の為に 穏やかな 温もりを 与えよ

そして 私に 何ができるのか ひとつかみの 指針を 与えよ

もし こんな 私にも できる事があるとすれば その暗き道に 昼も 夜も

一条の 光を 与えよ



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「ベルリンの壁」崩壊25周年を 2日後にひかえた
今年の 11月7日
ウェルト文学賞受賞した 村上春樹 さん が
ベルリン市内で こんな スピーチを されたという


私にとって 壁は人々を分かつもの
一つの価値観と別の価値観を隔てるものの象徴です
壁は私たちを守ることもある
しかし 私たちを守るためには 他者を排除しなければならない
それが壁の論理です
壁はやがてほかの論理を受け入れない固定化したシステムとなります
時には 暴力を伴って
ベルリンの壁は間違いなく その典型でした
世界には多くの種類の壁があります
民族 宗教 不寛容 原理主義 強欲 そして不安といった壁です
私たちは壁というシステムなしには生きられないのでしょうか

ジョン・レノン が かつて歌ったように
私たち誰もが想像する力を持っています
暴力的でシニカルな現実を前に それは か弱く はかない希望に見えるかもしれません
でもくじけずにより良い より自由な世界についての物語を語り続ける
静かで息の長い努力をすること
一人一人の想像する力は そこから見いだされるのです
たとえ壁に囲まれていても 壁のない世界を語ることはできます
その世界は自分の目で見えるし 手で触れることだってできる
それが大事な何かの出発点になるかもしれません


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1971年 彼は 早稲田大学 文学部 演劇学科 に 在籍し
水道橋の ジャズ喫茶 「水道橋スウィング」で働きながら
私は 某大学の 文学部 独文学科 に在籍し ヘルマンヘッセに 浸りながら
同じ 空の下 で ジョン・レノン の イマジン を 聞いていた






by nonkei7332 | 2014-12-22 12:33 | 日記 | Comments(0)


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『 妖怪ウオッチ 』 から
『ゲゲゲの鬼太郎』
『 宮崎 駿 』
(もののけ姫) (となりのトトロ) (千と千尋の神隠し)
にいたるまで
妖 怪 が 世の中に はびこっています


『勿怪の幸い』(もっけのさいわい) という言葉があって
思いがけない幸運 の事を言うのですが
この意味は 物の怪(妖怪)がもたらす幸福を意味しています
妖怪は 祟り や 恐怖 だけの存在ではなく
時として幸福を授けてくれる存在でもあるみたいなのですが
最近の 世の中 説明のつかない事が あまりにも多い
その最たるものが 異常な自然現象ですね
〈火山噴火〉〈冷夏〉〈集中豪雨〉そして 〈十二月の大雪〉
決して 妖怪のせいだとは いうつもりはありません
誰もが 想定できない 異常気象は もはや 神の領域なのですから

神の領域と言えば 神が「鎮座する」または「隠れ住まう」領域の事のことを
『 神 奈 備 』(かんなび)といいます
魔 や 禍 が簡単に往来できないように 人は 注連縄(しめなわ) をはり
祠を 建てて 聖なる領域 と 俗なる領域を分け 秩序を維持するために区域を作って
禁足地にしているところもあるようです
こういった場所を『 結 界 』(けっかい) 『 端 境 』(はざかい) といったりします
注意をしなくては いけない場所のようです

端境 に共通する場所は というと
環境や状況が変わる 時間や空間を表していて
時間でいえば
昼と夜が変わる 黄昏時 や 夜明け時 は 昔から 「 逢魔時 」(おうまがとき)と呼ばれ
現世に存在しないものと出遭う時刻であると考えられていたし
場所でいえば
「道」の状態が変化する 「坂」「峠」 「辻」 「橋」 「集落の境」なども
異界との 「端境」と考えられ 妖怪の 魔や禍に見舞われないように
地蔵や道祖神を設けた 場所だったようです


私は 妖怪 大好き人間ではないですが
妖怪が出そうな 端境 は なぜか 大好き なようで
この ブログ の第一回目の記事は 「黄昏を歩く」
二回目の記事は 「 暁(あかつき) 」
その後も やたらと 朝 や 夕暮れ が目立つし
先週の記事は 「橋」と 「坂」が 続いたり
タグ を見ると 「夢」や 「能」なども 結界 がテーマですし
どうやら 私自身が いつの間にか

『 妖怪オヤジ 』

に なってしまったようですね




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by nonkei7332 | 2014-12-20 01:06 | 日記 | Comments(0)


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自画像



二十歳の画家 《 パブロ・ピカソ 》
親友の カサジェマス の自殺をきっかけにして
青色を基調とした暗い画面で悲哀に満ちた作品を描きだす
「死」「苦悩」「絶望」「貧困」「社会から見捨てられた人々」
などを 冷たい 青の色調で 描いている
それは 1901年から 1904年 に および
ピカソにおける この時代は
『 青 の 時 代 』とよばれている
なぜ ピカソは青にこだわったのか
その理由は いろいろ 憶測されているが
本当のことは 本人にしかわからない
〈青春 は 青だから〉
私には それ以上の答えが 必要だとは 思われないのだが






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『 もっと 光 を 』

ドイツの文豪 《 ゲーテ 》が 亡くなる最後に言った 言葉として有名だが
しかし 本当のところは 目が不自由になったゲーテが
「もっと窓を開けて明るくしてくれ」と言った言葉を
担当の医者がカルテに書き残しておいたところ
それが 最後の言葉として広まった いうのが真相だったようだ
しかし 晩年のゲーテが 光学の研究に没頭していて
『色彩論』という 書物を20年かけて 世の中に 発表したことは あまり 知られていない
ゲーテは (青)と (黄) をもっとも根源的な色とし、
光に一番近い色が (黄) 闇に一番近い色が (青) であるとした
とくに 闇の 青色 があって 始めて色彩が成立すると主張した
ゲーテにとって 晩年の研究は まさしく
『 青 の 時 代 』だったのだろう





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中村修二・カリフォルニア大学教授、
天野浩・名古屋大学教授、
赤崎勇・名城大学終身教授

日本の三人の物理学者の ノーベル賞の授賞式の光景が テレビから 流れている
受賞の公式理由は
『 効率的な 青色発光ダイオード を発明し
明るく省エネルギーな白色光源を可能とした 』
といわれている
未来を明るく変えた 彼らの努力は 日本人の誇りなのだ
彼らの費やした 多難の年月
『 青 の 時 代 』に拍手を送ろう



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『 目 黒 川 』
「青の洞窟」をイメージしたイルミネーションが初登場した
全長約500メートル 往復1kmに渡る 壮麗な景色が
大人の街「中目黒」の 冬色 を 青色 にかえた



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『 青の洞窟 』は イタリア南部・カプリ島 にある海食洞である







by nonkei7332 | 2014-12-14 08:01 | 日記 | Comments(2)


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「花」のタグを叩いてみると
この 一年 私を 愛でてくれた 華達 が勢ぞろいしています
何も繕わない 無垢の花空間の中で
いつしか 私は 束の間の 蝶 になり 風 になっていた ようです

今年 最後の花は 『 杜鵑草 』ほととぎす
鳥の名前が花の名前になっています
珍しいというより この花だけかもしれません
花にある 紫色の斑点が 野鳥のホトトギスの胸の模様に似ていることが
その由来になっているそうです
花言葉 は 『 秘めた 意志 』



『 花 女 房 』という 昔話があります

ある村に独身の 馬子 がいました
いい声で馬子唄を歌いながら 馬に食べさせる草を刈っていました
ある晩 女がその男のところにやって来て 一晩泊めてくれと言い
料理を作った後 女の方から求婚し 男は承諾します
二人は夫婦になって 幸せに 暮らしていました
ある日 男が草の中にきれいな月見草の花を見つけ
妻に見せようと 刈って 家にもどると
妻は 家の中で 倒れていました
妻は 虫の息で自分の素性を明かします
自分は月見草の花の精であり
馬子唄の声に惚れ込んで 妻にしてもらおうと
人間に姿を変えたのだと
草が刈られてしまえば 自分の命もこれまでです
「今まで ありがとう」と言って
静かに 息をひきとったのでした

「日本昔話大成」関敬吾編 より


花が美しいのは 常に いつかは 無くなるという
「死」が その 背後に 存在するからでしょうか
結末は悲劇的であり その悲劇的な「死」が
月見草の美しさを ひときわ 物語っています



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いづれの花か散らで残るべき
散るゆゑによりて
咲くころあれば めずらしきなり

訳 : どんな花でも 必ず 散ってしまいます
散るからこそ また咲いた時の
美しさが あるのです

世阿弥 の 『花伝書 』より




by nonkei7332 | 2014-12-11 00:28 | | Comments(0)


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齢 を また ひとつ 重ねました

初心 に返ってといいます
二月から はじめた このブログも はや 10ヶ月
記事を重ねるたびに どうなることやらと心配しておりますが
何と無く 様になりつつようでもあり 今だに 稚拙でもあり
こればかりは 見者に 委ねることしか ないようです

相変わらず タグ に多い 「花」
そして 最近 登場した 「能」
今の私の 《 マイブーム 》が 『 世阿弥 』ですから 当然なんですけど

今年は 世阿弥 生誕 650年の節目の年だそうです
世阿弥が残した『 風 姿 花 伝 』 別名 「花伝書」という本の中に
あの 有名な一説があります


しかれば 当流に 万能一徳の一句あり。
初心わするべからず
この句 三か条の口伝あり。
是非の初心を忘るべからず。
時々の初心を忘れべからず。
老後の初心を忘れべからず。
この三つ よくよく口伝すべし。


《 万能一徳 》とは
あらゆる芸(能)がそこを 根源とする 一つの徳目であるということです
それは

《 初心わするべからず 》

初めて何かを始めた時の 純粋な気持ちに戻りなさい
というのが 一般に言われているところの解釈なんでしょうが
世阿弥 のいう 初心とは ちょっと違うみたいです
初心には (是非) (時々) (老後) の三つの初心があって
世阿弥は 初心とは 〈 未熟さの自覚 〉だと言っています
だから それは 若い時だけではなく 年をとっても あるもので
未熟さを自覚しなければ 失敗するぞと 戒めています
老後には老後の初心を忘れるなということですね


初心 の 反対語は 慢心 だと心得て
老後の初心を忘れない為にと
先週から ボランティア を ひとつ させて 頂いています
楽しい 時間です











by nonkei7332 | 2014-12-10 14:31 | | Comments(0)