ブログトップ

《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

<   2014年 11月 ( 14 )   > この月の画像一覧



b0325317_12142810.jpg


旧暦 を読むようになってから
月を読む ようになってから
ツクヨミに 惹かれてから

一年になりました


今日は 11月28日 ですが 旧暦でいうと 10月7日 です

〈月の出〉が 11時 41分
〈月の南中〉が 17時 21分
〈月の入り〉が 23時 07分
〈月齢〉が 5.6

「月齢」とは
月の満ち欠けの状態を知るための目安になる数字です
新月から何日経過したかを表していて
新月を0として 翌日が1 翌々日が 2 と 1日に1ずつ数を増やしていく
月齢の数値を見ることによって、月齢が7前後であれば上弦
15前後であれば満月 22前後であれば下弦
30に近い数字であれば次の新月が近いということを知ることができます
月齢の端数を四捨五入して1を足せば旧暦の日付とだいたい一致します

福岡では 天気が良ければ 夕方の 17時21分頃には 空の真上に
夕月(三日月〉が見えるでしょう



b0325317_12020369.jpg




《 夕月夜(ゆうづくよ) 心もしのに 白露 の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも 》
万葉集 8巻1552

詠み人 : 湯原王(ゆはらのおおきみ) 天智天皇の皇子のひとり


訳 : 夕月夜に せつないほどに美しく 白露の降りた 庭の草木の陰で
こおろぎ が 鳴いています




b0325317_11571530.jpg



旧暦では 月の始まりは 『 新 月 』です
新月は「朔日」「大潮」とも呼ばれており 満月と同じで 太陽と月と地球が一直線になり
潮の満ち干を引き起こすような強力な 月の引力が 人間の体や精神にも なんらかの影響を与えます
新しい目標を立てたり 新しいことを始めるなら 新月の日が いいといいます

旧暦では 一年の始まりはというと 『 冬 至 』になります
1年のうちで 昼間が最も短いのが冬至です 新暦の12月22日か23日にあたります
太陽の力が最も 小さくなる日であるとともに
極限まで弱まった太陽のエネルギーがまるで復活するかのように
昼の長さが毎日どんどん長くなっていく スタートの日でもあるのです

このような太陽が復活するおめでたい日と 月が復活するおめでたい日がダブルで重なる日があります
その日を『 朔 旦 冬 至(さくたんとうじ)』といいます
「朔」は新月の意味「旦」は朝や夜明け つまり太陽が昇ってくるときという意味です
ところが新月から新月までの 月の満ち欠けひとめぐりのサイクルは29.5日なのに対して
冬至から冬至までのサイクルは365日と異なるため
両者が重なることは非常に少なく 19年に一度しかきません

その 19年に一度の目出度い 「朔旦冬至」が 今年の 12月22日 です




b0325317_12054835.jpg
壱岐の月讀神社




私ごとでは ありますが
19年後 〈2033年〉 つぎの 「朔旦冬至」に向けて
新たな スタートをきる日にしようと 決めています
不思議な事に
一つ前の 〈1995年〉 もう一つ前の 〈1976年〉の
「朔旦冬至」の年を 振り返ってみると
私を取り巻く環境が 大きく変わっていった
スタートの 年だったのです
(個人情報なので 詳しくは触れません)

誰にでも言える 大きな指標があります
達成できるかどうかはわかりません
でも 必ず 達成しなくてはいけない 指標です
目標(ゴール)ではありません

それは

『 2033年 までは 必ず 生きている ということです 』



b0325317_12031973.jpg
秋空に映える 紅き ブーゲンビレアの花


by nonkei7332 | 2014-11-28 12:10 | | Comments(0)

b0325317_07573286.jpg
寒椿 の 花




晩秋から 早春にかけての 花といえば 椿。
椿は 品種が 多く 山茶花 (さざんか) と 寒椿 の違い など
何度みても なかなか 区別するのが 大変な 花 です。


b0325317_07584490.jpg
右手の花が (山茶花〉 左手の花が (寒椿)




私の 大好きな 京 都 の 街 は 椿の名所 が多いのですが その中でも
『 等持院 の 侘助(わびすけ)椿 』『 鳥辺野 の 寒椿 』が 好きです
その 理由について 教えましょうか



b0325317_08012971.jpg
等持院 の 侘助椿



『 等持院 の 侘助椿 』を歌った 詩

衣笠の 古寺 の 侘助椿の
たおやかに 散りぬるも 陽に映えて
そのひとの 前髪 僅かにかすめながら
水面へと 身を投げる
鏡の まどろみの くだかれて
錦の帯の魚の ふためいて
同心円に 拡がる 紅のまわりで
さんざめく わたしの心
‥‥‥‥‥‥‥‥‥


《 この 詩の景色を 解説します 》

衣笠山の麓にある古寺 〈 等持院 〉 に咲く有楽椿 と云われる 侘助椿を 二人で 見ていました
突然 わたしの 想いは 椿の花となり 彼の前髪 をかすめながら
しなやかに そして しとやかに 夕陽をあびながら まるで 身を投げるように 池の上に 落ちていきました
落ちた椿の花 は 鏡のように 穏やかな 静かな池の水面を 壊して 波紋を拡げていきます
すると 錦鯉が 慌てて 驚いて逃げていきました
同心円に拡がっていく 紅い椿色の 波紋をみながら
わたしの中の 別れの不安は 確信へと変わっていくのでした



b0325317_08033025.jpg
鳥辺野 の 寒椿



『 鳥辺野 の 寒椿 』を 歌った 詩

寂しいからとそれだけで来るはずもない 鳥辺野
山道をゆけば 散り急ぐ様に
遠近(おちこち) に寒椿の紅 道を照らす春まだき
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
前のめりのまま 無造作に投げ出された愛が
季節に追われ ころんだまま
野晒しになっている 鳥辺野


《 この 詩の景色を 解説します 》

今熊野の剣神社から 御寺泉涌寺 までの 山道あたりを 鳥辺野 といいます
平安時代の頃 から この辺りは というより 鴨川を渡った 東側は
北の〈 蓮台野 れんだいの 〉 西の〈 化野 あだしの 〉と並ぶ 東の墓地・葬送の地でした
なので 静かな 寂しい 場所だからといって いつもくるような場所ではないのです
鳥辺野 の 春まだ浅い日 寒椿の紅き 花弁が あっちにも こっちにも 散らばっていて
道を 紅き血 の様に 染めていました
私が 喪くした 薄れゆく二人の記憶を 振り返れば
野晒しにされた 悲しみは 冬の中を まだ 転がっていました
寂しいからというだけで 来たのではなく
喪くした 愛を 葬るために 来た 鳥辺野 でした




b0325317_08054128.jpg
寒椿



《 さだ まさし 》
『 春告鳥 』そして 『 鳥辺野 』という 詩 の 一部 です
『 体 温 ( ぬくもり ) 』を 伝えることが できたら と さだまさし は 言います
詩を作る事 旋律を作る事 すべてが 帰るべき 何かを求める 旅 だとも いっていました

「春告鳥」の収められた アルバム名 『 夢供養 』
夢 を 供養するって いい 響きの 言葉ですね

この アルバム 出来たのが 1979年 (昭和54年)
さだまさし が 27歳 。私 が 28歳 。
私の 年譜 をみると 前の年に 今年 36歳になった 長男が
翌年に 今年 34歳になった 次男が 生まれた年でも ありました。



b0325317_08084168.jpg
寒椿










by nonkei7332 | 2014-11-26 08:09 | | Comments(0)



夢 の 話 を ふたつ してみましょう。

ただ 私がみた 夢の話では ありません。



b0325317_22563465.jpg



ひとつは


《 夏 目 漱 石 》が自分が見た夢を

十話 綴った『 夢十話 』という 短編小説 の 話。

最近 「夢幻能」の演目をたくさん 読んでいたせいだろうか

一話ごとに 能の舞台を重ねながら 追体験して


みながら 二三度 読んで 遊んでみたが かなり 面白かった

特に 《 一話 》と 《 三話 》には 共通するテーマがある




《 第一夜 》 【 あらすじ 】


『 こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、

仰向に寝た女が静かな声でもう死にますと云う‥‥‥』


死を看取った女に

「百年経ったら 会いにくるから 待っていて」


と自分は頼まれる。

女の墓の横で待ち始めた自分は、

赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。

そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始める。

その自分の前に、一輪の真白な百合が 咲くのを見る

いつの間にか百年が過ぎていた。




《 第三夜 》 【 あらすじ 】


『 こんな夢を見た。六つになる子供を負ってる。


たしかに自分の子である。…』


田圃道を子供をおぶって歩いている。

子供は盲目である。

あぜ道を行くうち、子供は周囲の状況を次々と当て始め、

恐ろしくなった自分は子供を放り出して逃げることを考える。

道はいつしか山道へと入り、


やがて一本の杉の木の前に辿りついた。

子供が言う、

「 御前が ここで おれを殺したのは

今からちょうど百年前の文化五年の辰年だったね 」

その言葉を聞いて 自分は かつて 一人の盲目を殺した

人殺しだったのかと気がついた

すると 背中の子が 急に石地蔵のように重くなった。



共通のテーマは 「百年」である


二つとも 幻想的で 怪奇的な 話だが

第三話に出てくる (文化五年) は1809年

漱石がこの短編集を書いた1909年 の 百年前になる そして

第一話の夢を見たのが


この短編集を書いた 1909年 だとすれば

百年を過ぎた 今 あの百合の花は

今日 この時間 何処かに咲いていてもおかしくない

百年の 過去と未来を 夢の中で 逍遥する 漱石 は

百年後の 今の世の中に いったい 何を見ていたのだろうか。






b0325317_22573757.jpg



もうひとつの夢の話は

今から 25年前 漱石の 「 夢十話 」をモチーフにして

《 黒 澤 明 》 『 夢 』という 日米合作の映画をつくった 話。

この映画 八つの話がオムニバス形式になっていて

八つの話は 黒澤明がみた 夢 が元になっているという

その中のひとつに『 赤富士 』という夢の話がある





《 赤冨士 》 【 あらすじ 】


大音響と紅蓮に染まった空の下、大勢の人々が逃げ惑っている。

私は何があったのかわからない。

足下では、疲れ切った女性と子供が座り込んで泣いている。

原子力発電所が爆発したという。

愕然として見れば、赤く染まった富士山が大噴火を起こしている。

赤い色は、新技術で致死性の放射性物質を、

目で見えるようにしたものだった。

発電所の責任者や、着色技術を開発した科学者が絶望して自殺した後も、

私は押し寄せる赤い霧を必死に素手で払いのけ続けた…。



黒澤 が見た夢ほど 怖い夢はない

この映画 公開されたのが 1990年

そして 2011年 東日本大震災での 福島原発事故。

今年の 御嶽山噴火。

決して繋がってはいけない

繋がってしまった 夢 がそこには あるからだ。


私は 夢幻能の世界で

『 異界 』と 『 現在 』を 繋ぐ 『 ワキ 』なる存在があることを知った

漱石 も 黒澤 も ワキ人 として

夢の向こうにある 異界の扉を 開けてくれたのだろう




《 遠くのもの 》を 祈ろう


100年 いや 1000年 遠ければ 遠い ほど


その 祈りは 深く 拡がっていくはずだ







by nonkei7332 | 2014-11-22 22:58 | | Comments(0)


b0325317_15393889.jpg


ブーゲンビリア の 花の色が あせてくると
我が家 の ベランダも 冬支度 です
といっても 何も無しでは 愉しみがない

そこで 今年は

〈 シクラメン 〉にするか
〈 葉牡丹 〉にするか
〈 プリムラ・ジュリアン 〉にするか

三択で 迷った挙句
艶やかな プリムラ・ジュリアン にすることに決めました
品種が 〈 キャンディ マジック 〉
別名が 〈 バラ咲きジュリアン 〉
なんとまぁ 賑やかな名前負けしそうな花でしたが
寒さにも強く 甘い香りもするというから
取り敢えず ふた株 植えていました

菊 日 和 (きくびより) の 中 可憐な花 をつけてくれました

これから たくさんの 花を咲かせてくれるでしょうが
それにしても 最初に ついてくれた花は
どうして こんなにも 可愛いのでしょうね


花言葉 は 『 無言の愛 』


b0325317_15401834.jpg



《 住する所なきを まず花と知るべし 》 世阿弥 の 言葉

訳 : 停滞することなく 常に 何かに向かって いることが大事だという意味






by nonkei7332 | 2014-11-18 15:41 | | Comments(0)

《 レインボーローズ の 花 》


b0325317_13062838.jpg


友人が送ってくれた 花の写真の中の一枚だった
見た瞬間 思わず エッ と 声が出た
創られた 花とはいえ 私の花図鑑の中の タグが見つからない
たしかに 多くの花が 交配を重ねながら 作られたいったものかもしれないが
この花は 咲いた花を あとから 加工したものなのだ
しばらく 考えた後で 私は 『 奇跡の花 』という タグを新たにつくった
レインボーローズ の 花言葉 が『 奇跡 』だからではない

見た瞬間に 思わず エッ と声が出た
出逢い そのものが 奇跡だった花につける タグ という 意味なのだ

目を閉じて このタグにいれる 花の記憶を 辿ってみた
いくつかの花の名前が 私の口から こぼれた






by nonkei7332 | 2014-11-17 13:11 | | Comments(0)


b0325317_01142512.jpg


能 の話をしましょう

能では 舞台に立つ 主人公のことを 〈シテ〉 といいます
そして その シテ の相手役を 〈ワキ〉といいます
(一般に言う脇役はここからきています)

ワキ は必ず 男役がなります そして ワキ役は 面をつけることはありません
能は 仮面劇ですが 能面を付けるのは シテ役 だけです

能 の中には 現実と夢が交差しながら物語が進んでいく 構成の能を
〈 夢幻能 〉といいます 世阿弥 が 確立した 様式です

夢幻能 の中では 主人公(シテ) は 神 や 鬼 や 亡霊 などの 異界の者達です
いわゆる 目には見えない者 この世には存在しない者 が シテ になります
こういった シテに対応していく ワキ は この世の者で
旅の途中のひとりの 男(僧)がつとめます 面も付けない 直面の男です



b0325317_01152077.jpg


《 旅の途中の (あるところで) で ワキ は 化身の姿をした シテ と出会います 》

夢幻能の ほとんどが このパターンから 始まります

シテ と ワキ の二人は(あるところ) をめぐって
思い出話のようなものを交わしながら
途中から話がだんだん 妖しくも 深刻になって いきます
そのうちに ワキの旅人は
この者(シテ)がふつうの者ではないことに気がつきます
シテ にそのことを尋ねると 本当の自分の正体をほのめかしながらも
また会いましょうと言って姿を消してしまいます
ワキ (旅人) が 我にかえると あたりは暗くなり
消えた シテ が 本来の姿で 再び 現れ 自身の物語を語りながら
幽玄の舞を舞っていきます
ワキの者が 夢か幻かと思っているうちに ふたたび シテ の姿も消えて
演目は終わります
演目は変わっても 夢幻能は ほとんどが こういった 流れなのです



b0325317_01160639.jpg


夢幻能 においては シテ は 面を着けた 目には見えない
存在の無い 〈 異界の者 〉たちです
異界の者とは ある時は 神 であり 死者 であり
亡霊 であり 妖怪であり 鬼 でありました
何かの 理由があって この世に 想いを残していった者達 ばかりです

ワキ の 役目 とは そういった 異界の者たちの 存在を 夢の中に登場させ
無念 残念 を 夢の中で聞いてあげることであり
そのことで さまよう 怨念を 晴らしてあげる事でした

そして それは ワキの役目を 舞台を見つめる 観客達 と 共有させることで
演者 と 観客 をも含めた ひとつの舞台に仕立てることであり
共に シテ達の 抱えた この国の無念をも 晴らすべく
「呪鎮」の儀式にまで昇華させようとした
世阿弥 の 時空を超えた 壮大な試みだったのでしょう
 




b0325317_01192481.jpg


《 秋深く 夜も ひとりの Waki となり 夢幻の舞に酔いしれようか 》

ヒサミツ





by nonkei7332 | 2014-11-17 01:21 | | Comments(0)

b0325317_07054056.jpg



日本の伝統芸といえば 『 能 』である
今日では 国際的にも 高い評価を受け 世界無形遺産に指定されている

能の起源 をたどれば
古代ギリシア 古代ローマ などの大衆芸能が
シルクロード経由で徐々に 中国に持ち込まれ
「散楽」もしくは 百戯または雑技と呼ばれて拡がっていった
奈良時代になると
滑稽な物まねや 寸劇 曲芸 奇術 軽業 幻術などの 「散楽」
荘厳な舞 や 音楽を奏でる「雅楽」 とともに 日本にも伝えられ
朝廷が 散楽師の養成機関「散樂戸」を設けるなどして
これらの 芸能の保護を図った
延暦元年(782年)桓武天皇の時代に散楽戸は廃止されるが
その事で 各地に 散楽と土着の芸能が融合した
多彩な芸能が生まれていくことになる
散楽のうちの 物真似芸 を起源とする 「猿楽」 は、
後に観阿弥、世阿弥らによって「能」へと発展した
《実際に「能楽」と呼ばれるようになったのは
明治になってからのことで それまでは「猿楽」と呼ばれていました》
曲芸的な要素の一部は 後に「歌舞伎」に引き継がれた
滑稽芸は「狂言」や笑いを扱う演芸になり独自の芸能文化を築いていった。
奇術は近世初期に「手妻」となった
散楽のうち人形を使った諸芸は「傀儡(くぐつ)」となり、
やがて「人形浄瑠璃」や 「文楽」へと引き継がれていった
このように 散楽は 後世の日本の民族芸能の基盤となった



b0325317_07074007.jpg



そのなかでも「 猿楽 」は朝廷や幕府の援護もあり
これらの芸を行う役者集団の「座(ざ)」が各地で活動するようになる
座 は寺社に所属し 法会や祭礼等で集まった人々に芸を披露し

特に 大和国(奈良県)を本拠とする大和猿楽四座が 都で人気を得て
室町幕府の庇護を背景に 勢力を伸ばしていく

『 大和猿楽四座 』
外山(とび)座 《 宝生流 》
結崎(ゆうざき)座 《 観世流 》
坂戸(さかど)座《 金剛流 》
円満井(えまい)座 《 金春流 》


b0325317_07095574.jpg


『大和猿楽四座」のうち、
結崎座の「観阿弥」は、物まね芸主体の猿楽に、
中世の流行曲の曲(クセ)舞などを取り入れ、
能の演劇性を高めた
さらに観阿弥の子「世阿弥」は、
より洗練された芸を追求し、夢幻能の仕組みを確立して、
能の芸術的な進化は さらに 洗練されていった
こうして 明治以降 猿楽は「能楽」と呼ばれるようになり
現在に通じる 仮面劇・歌舞劇 の総合芸術として
大成していったのである







by nonkei7332 | 2014-11-15 07:23 | | Comments(0)


b0325317_18145789.jpg



冬隣 とでも言うのでしょうか

急に 寒くなりました

こんな時は ユックリ 湯に浸かり暖かい羽毛に包まれて

夢幻 の 世界で遊ぶにかぎるのですが

《 能 》の本をみていたら

『 邯鄲 』という 夢幻能 の演目がありました

中国の唐時代の伝奇小説「 枕中記 」からの説話です




b0325317_16435188.jpg

邯鄲面




《 邯鄲(かんたん) の枕 》


昔、中国の蜀という国に、盧生(ろせい) という男が住んでいました。

彼は、日々ただ漠然と暮らしていたのですが、

あるとき、楚の国の 羊飛山に偉いお坊さんがいると聞き

どう生きるべきか尋ねてみようと 思い立ち、旅に出ます。

羊飛山への道すがら、盧生 は 邯鄲 という町で 宿を取りました

その宿で 女主人に勧められて 粟のご飯が炊ける までの間

「邯鄲の枕」という不思議な枕で一眠りすることにしました。

邯鄲の枕は以前、女主人がある仙術使いから貰ったもので、

未来につ いて悟りを得られるという いわくつきの枕でした。

さて、盧生が寝ていると、誰かが呼びに来ました。

それは楚の国の 皇帝の勅使で、

盧生に帝位を譲るために遣わされたと言うのです。

盧生は思いがけない申し出に不審がりながらも、玉の輿に乗り、

宮殿へ 行きました。

その宮殿の様子と言ったら、壮大で豪華絢爛、

驚くほど 素晴らしく、

極楽か天宮かと思われるほどでした

盧生が皇帝になって栄華をほしいままにし、

五十年が過ぎました

宮殿では、在位五十年の祝宴が催されます

寿命を長らえる酒が献上 され、舞人が祝賀の舞を舞うと、

盧生も興にのり、みずから舞い始め ました。

すると昼夜、春夏秋冬が目まぐるしく移り変わる様子が眼前 に展開され、

盧生が面白く楽しんでいると、

やがて途切れ途切れにな り、一切が消え失せます。

気づけば宿の女主人が、粟ご飯が炊けたと 起こしに来ていて、

盧生は目覚めます。

皇帝在位五十年は夢の中の出来事だったのです。

五十年の栄華も一睡の夢であり、

粟ご飯が炊ける間の一炊の夢で した。

盧生はそこでこの世はすべて

夢のようにはかないものだという 悟りを得ます。

そしてこの邯鄲の枕こそ、自分の求めていた人生の師 であったと感謝して、

望みをかなえて帰途につくのでした。






b0325317_18044374.jpg
世阿弥像



《 秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず 》

世阿弥 の言葉


夢幻能の世界を大成させた 世阿弥 にとって

「花」こそが

生涯を賭けて追及した 美学 でした

永享6年(1434年)72歳の 世阿弥 は

突然、都からの追放を言い渡され

その後 81歳で 配流の地 佐渡 で

「花追い人」と呼ばれた

波乱な生涯をとじます



同じ頃 永享9年 (1437年)

京都 四条に住む

若き 木偶師 小堀甚左衛門正直 は

博多 櫛田神社に 招聘され

京都から 博多へと 下向します


二人とも

〈 筑紫傀儡の民 〉の末裔 だったのでしょうか






by nonkei7332 | 2014-11-14 18:19 | | Comments(0)

b0325317_19321904.jpg


一年を通して 散歩は 秋が似合う



b0325317_19341281.jpg



桜葉も 紅く色を落とし 一枚 一枚 落ちていく

〈 恋はするものではなく 落ちるもの 〉

〈 Fall in love 〉とは よく言ったものだ


b0325317_19372938.jpg



青き空 朱に染まる 緑葉 一幅の絵に 酔う


b0325317_19400490.jpg


b0325317_19410661.jpg


《 南 京 黄 櫨 (なんきんはぜ)》の 紅き葉 と 白き実



b0325317_19475865.jpg



《 皇 帝 ダリア 》の花 別名:木立ダリア


b0325317_20442744.jpg


空を見上げると
地上から 3~4m の高さにもなるだろうか
ピンクの大輪の花が
晩秋の空に そびえて立つ姿は
皇帝 という名にふさわしい



b0325317_20470603.jpg



《 唐 綿 (とうわた) 》の 花 と 袋果



b0325317_20534060.jpg


原産地は 南アメリカ ガガイモ科の 一年草
赤褐色の花が 鮮やかに咲く 風船唐綿 よりも 派手な花だ
花のあと 袋果を結び 中からタネと光沢のある
シルクの糸みたいな 冠毛が吹き出てくる




b0325317_10374220.jpg






by nonkei7332 | 2014-11-11 21:08 | | Comments(0)

名島神社 本殿
b0325317_04593139.jpg




神功皇后との 繋がり 多き 名島神社 の沖に

かつて 《 妙 見 島 》と呼ばれた 島があった



b0325317_05015922.jpg
名島神社 より 妙見島を見る



この島は 干潮になれば 200m程の距離を 歩いて 渡れた
島の規模は 東西約100m 南北約50m 標高10数mで
ふたこぶの小さな 峰がある
写真には 鳥居があるのを 確認できます
かつては この島には 妙見を祀った神社があって
那の国の宮殿といわれた 名島の 北方の守り神として
その役目を果たしていたのであろうか



b0325317_05030100.jpg
大正時代の妙見島




『 筑前国続風土記附録 』には
【 妙見島は 神功皇后の三韓より 御帰陣の時に 船具を納めし所也。
故に今も 波濤 列しき時は 鉾 及び 矢の根 など 砂中よりでる 】
という記述がなされている



b0325317_05045398.jpg
当時の航空図



天正十五年(1587)秀吉の九州征伐の後
筑前太守に毛利の 小早川隆景(こばやかわたかかげ)が任ぜられた
隆景は それまでの筑前支配の拠点・立花山城へは入らず 名島城を改築して入った
ともかく 名島 が 筑前の政治の中心となったのである
秀吉も淀君を伴って 名島城に滞在したという 記録がある
安土桃山時代 から 江戸時代の始めに 活躍した 博多の豪商 神屋宗湛
が記した『宗湛日記』と呼ばれる 自身が出席した 茶会の記録文がある
この日記によると 天正16年(1588)2月25日に始まった
小早川隆景の名島城普請の見舞いに
翌月6日 日本酒(練り酒)と肴を持って参上し
この島と名島の間の浜辺で酒宴を 開いた
また 同月27日には 隆景主催の茶会がこの島で開催され
質素な 茶席で茶を点てた様子や隆景が上機嫌だったことが 記されているという



b0325317_05073153.jpg
『軍師 官兵衛』
鶴見辰吾 扮する
小早川隆景




b0325317_05084199.jpg
妙見島跡に豊臣秀吉が使ったと言われる井戸が今も残ってる



b0325317_05101486.jpg
名島海岸から 妙見島跡を望む
白いマンションの裏手が妙見島跡



b0325317_05103341.jpg
百年公園側から 妙見島跡を望む


b0325317_05105795.jpg
名島海岸 の 夕日




神功皇后の三韓征伐の時も

豊臣秀吉の朝鮮出兵の時も

この島の 北辰妙見の神は

この国の行く末を じっと見守って くれていたのだろう












by nonkei7332 | 2014-11-09 05:42 | 古代史 | Comments(0)