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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

<   2014年 10月 ( 13 )   > この月の画像一覧


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北斗七星と北極星




周防国(山口)の守護大名 大内氏の先祖は、
百済国 第26代聖明王の第3王子・琳聖太子(りんしょうたいし)と言い伝えられている
15世紀後半に書かれた『大内多々良氏譜牒』によれば、
琳聖王子は 推古天皇19年(611年)に百済から周防国多々良浜(山口県防府市)に上陸。
聖徳太子から多々良姓とともに領地として大内県(おおうちあがた)を賜ったという
その後 平安時代後期 多々良氏十六代の当主 盛房は大内介と名乗り、
以降歴代の当主もこれを世襲した
鎌倉 室町にかけて 西国一の戦国大名に駆け上がった 大内家は
31代 大 内 義 隆 の時代に絶頂期を迎え 京都に劣らぬ 絢爛たる大内文化が花開き
山口が「西の京」と呼ばれるまでになった
しかし 琳聖太子という人物名が
当時の日本や百済の文献に見ることはできないために 信憑性が薄く
琳聖太子なる人物を捏造してその子孫を称した 大内家の自作自演との説もあり
真偽は謎である
ただ 多くの戦国大名が 「源平藤橘」やその他の中央の貴族の嫡流を名乗ったなかで
唯一 百済の末裔を名乗った 大内氏の狙いは なんだったのか 興味深い話でもある

『星ふるまち』を 掲げる 山口県下松市には 琳聖王子の 『降星伝説』が残っている



《 降 星 伝 説 》
 
 595年推古天皇3年(17年説もあり)、9月18日、
周防国鷲頭庄青柳浦(わしづのしょう・あおやぎのうら)にある
松の大木に突如星がおり、七日七晩輝きました。
里人は不審に思い、巫女に星の精を呼び出させたところ、
「我は北辰尊星妙見大菩薩(ほくしんそんじょうみょうけんだいぼさつ)である。
これから3年後、百済の国の琳聖太子が、
聖徳太子に合うために来日されるので、お守りするためにやってきたのだ」
と語ったといいます。
 星の予言通り、推古5年、琳聖太子は来日し、聖徳太子に会われました。
この不思議な星の話を聞いた琳聖太子は、青柳浦に立ち寄られ、
北辰尊星妙見大菩薩を祀る社を、桂木山に建立し、
日本で初めての星祭りをおこなったとされています。
そして、星が松に下った霊地として、青柳浦は
下松と呼ばれるようになったと伝えられています。

(下松の地名の起こりについては、百済の国への風待ちの港だったことから、「百済待」あるいは「百済津」と呼ばれていたものが訛ってくだまつとなり、下松の字を充てたという説がある)
「下松市史」より引用


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大内家の氏神 氷上山興隆寺・北辰妙見社



古代中国で起こった 北辰妙見信仰が伝わったのが 推古天皇の頃といわれているが
この伝説との関係については わからない
ただ 明日香の高松塚古墳 (被葬者は百済王族説もある) の天井と北壁の壁画には
北斗七星と玄武像が描かれていることから
百済を通して 北辰妙見信仰が伝わったという説はあながち 嘘でもないようである
日本の三代妙見のひとつである 熊本八代の 妙見宮 では 社記などによると
中国渡来説の他に 妙見神は 百済国聖明王の第三皇子 琳聖太子 であるとの
百済渡来説が伝承されているのも興味深い話である


綾杉さんの『ひもろぎ逍遥』によると
百済国のあった 地域は もともと 帯方郡 と呼ばれていて
帯方とは 天の川のことであり 真鍋大覚の記述によれば
【 帯方とは銀河の傾きを見量りて、自らの空間的時間的位置をおさえる
特技ある民族の総称でもありました。】
と述べられています



《 星の国 百済 》《 百済王子の伝説 》
そして それを 出自とした 《 戦国大名 大内家 》
興味は ますます 拡がっていく



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by nonkei7332 | 2014-10-31 08:35 | 古代史 | Comments(0)

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法隆寺 百済観音像


百済から 多くの王子が 倭国にわたってきた

百済国最後の王である 義慈王の王子
「豊璋王」と「禅広王」を人質として倭国に滞在させた話は 史実として残っているが
そのほかにも 伝説や伝承として 百済王子の渡来話が 多くのこっている

崇神天皇の頃 岡山の吉備(きび)の里に
『 温 羅 』(うら)という 百済の王子が住んでいた
温羅は名のごとく 温和にして温厚な王であり 里人からは 吉備冠者(吉備火車)と呼ばれていた
この 温羅 を ヤマト朝廷は、凶暴で獰猛な悪鬼にしてしまう 『温羅伝説』という 話があって
あの おとぎ話 「桃太郎の鬼退治」の下敷きになる話なのだ



《 温羅伝説 》

むかし むかし
異国の鬼神が飛来して吉備の国にやってきた
百済の王子で 名を温羅(うら)といい 吉備冠者(きびかじゃ) とも呼ばれていた
目は豹のように輝き 髪は赤みを帯びた異様な姿であった
そのうえ温羅は火を吹いて山を焼き 岩をうがち
人間や猿を食い 美しい女を奪ったりする
そのような 温羅は 人々から大変恐れられていた
そこで 五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)というヤマト朝廷の将軍が
この温羅を退治することになる 五十狭芹彦命が「鬼ノ城」に向かって矢を放つと
温羅の放った矢と途中で食い合って落ち 勝負がつかない
住吉大明神のお告げに従い 一度に二本の矢をつがえて射たところ
一本の矢は途中で食い合ったが もう一本は温羅の左眼に命中した
温羅は大雷雨で洪水を起こし その流れに乗って逃げようとした
川の水は 温羅の傷から流れ出た血で赤く染まった
温羅が雉(きじ)となって山中に逃げるが 命(みこと)は 鷹 となってこれを追う
追い詰められた温羅は今度は鯉に姿を変え 川を下り始めたが
命はすばやく鵜になって鯉を追い ようやく温羅を捕まえた
絶体絶命 温羅はついに命に降伏し 自分の「吉備冠者」の名を奉(たてまつ)った
五十狭芹彦命は吉備津彦命になった
戦いに勝利した命は 温羅の首を串に刺してさらし首にした
ところが不思議なことに この首はいつまで経っても吠え続け
執念を燃やし続けてやまない
そこで命は家来の犬飼建(イヌカイノタケル)に命じて犬に食わせたが
ドクロとなっても温羅の首は吠え続けるのだ 命は釜殿の地下八尺あまりも掘って
その中に埋めたが 13年間唸(うな)りやまなかった
ある夜のこと 命の夢になかに温羅が現れて言った
「阿曽郷にいる わが妻の阿曽女に命じて お釜の神饌(しんせん)を炊かしめよ
幸いあれば豊かに鳴り 禍があれば 荒々しく鳴ろう」と
命がその通りにすると 温羅の首はやっと吠えるのをやめたという


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吉備神社と桃太郎



百済からは 仏教をはじめさまざまな 文化や技術 を学んで 国づくりをした
吉備の豊かな砂鉄資源の開発も 渡来人とその技術に負うところが大きかったと思う
「火を吹いて山をうがつ温羅が片眼を射抜かれた」とされているのは
〈赤い顔〉や〈一つ目〉といった「たたら製鉄」に従事する「鉄の民」の姿である
各地に残る 鉄の民 と 下流の農民 との諍いが この地もあって
そこに 便乗して 吉備の国を我が物にしようとした ヤマト朝廷の調略というのが
真実の姿なのかもしれない
全国に残る 《鬼退治》は このパターン が多い
温羅の祟りを鬼といって 畏れ 神社に祀る 地元の 吉備彦神社 には 吉備津彦命(温羅)が祀られている
神社を建立して これを鎮める それでも だめなら 物語をつくり 後世に残す
私達が知っている「桃太郎」の話は こうやって 伝承されてきたのであろう

鬼の祟りを鎮めるために 多くの神社を建てて これを 鎮める
これこそ 伝統的な日本的なソリューションなのだ

とすると この国で
もっとも 鬼 として畏れられ もっとも 多く 神として 祀られた渡来人は 誰だったのか
それは ( 鉄の民 土師氏 )を 先祖とする『 菅 原 道 真 』だったといえば 考えすぎだろうか


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by nonkei7332 | 2014-10-29 14:14 | 古代史 | Comments(2)

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北の国からは 雪の便り
夕暮れの散歩では 吹く風は もはや 晩秋
薄手のジャンバーを羽織って 出かけた
頂いた 銀杏(ぎんなん) と かぼす を使って 今夜は ひとり鍋でもしようかと 考えていた
部屋にもどると すぐに 冷蔵庫を覗く 鰯があった イワシ鍋で決まりだ
イワシは つみれにせずに 新しいイワシだから 頭とわたを抜いて
ぶつ切りで使うのが 博多流 。



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朝の散歩で 黄色い 石蕗(つわぶき)の花をみつける
艶葉蕗(つやばぶき)が語源らしく 「艶のある葉のフキ」から転じたという
葉だけみると 蕗にしか見えない


《 いくたびか 時雨(しぐれ)のあめのかかりたる 石蕗の花も つひには 終はりぬ 》
斎藤茂吉



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よくみると 花粉まみれの キリギリス が じっとしていた


《 鳴き疲れ 寝覚め冷たき きりぎりす 朝餉の卓は 石蕗(つわ)の花かな 》
ヒサミツ



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白い薔薇の花 が 絢爛華麗 に咲いている



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朽ちかけた 赤い薔薇の花に カマキリが 餌を探していた



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私の気配にきずいて 首を私に向け一刻 睨んでいた 睨み返してやったが 怖かった



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青い空に 蒼い松の実が 眩しい



by nonkei7332 | 2014-10-28 11:58 | 日記 | Comments(2)


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秋の一日

姉の誘いで 九州国立博物館の 故宮展 に出かけた
姉も 家族で 旅行した時 寄ったというし 実は 私も
25年前 台湾の 故宮博物院を 訪れていたのだが 記憶が あまりない
何か 海馬に 触れるものが在るかと 期待したが 残念ながら
扁桃体は ほとんど 反応してくれなかったようだ
期待 外れだった



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〈 霜 降 〉は 過ぎたが 紅葉には まだ 早いようだ

秋の空には やはり 白い雲 が 似合う



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白い雲といえば

九州国立博物館の庭には、( 大伴旅人の歌碑 ) がある
かつては 九州歴史資料館の前庭にあったものだが 今は
九州国立博物館西側 アクセス入り口 に 建っている



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『 ここにありて 筑紫や何処 白雲の たなびく山の 方にあるらし 』
          (巻4・574・大伴旅人)

詳しくは 〈旅人の恋〉 を http://hisamitsu.exblog.jp/23099658/



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天満宮 に戻り

修学旅行の子供たち と 中国旅行者 の間を 手水所 楼門 を抜け

本殿 裏に回ると 二つの石碑が 建っている




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楠(くす)の古木の前に 俳人 荻原井泉水 の句碑 がある

《 くすの木 千年 さらに 今年の若葉なり 》



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野見宿祢公碑 が 建っている

野見宿祢は 菅原道真公の祖先に あたるということは

菅公は 私の祖先でも あるのかな? …

詳しくは 〈ルーツの旅〉を http://hisamitsu.exblog.jp/22508540/



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参道にもどり 昼食は 《 蕎麦 の やま武 》

蕎麦ではなく 知る人ぞ知る 隠れメニュー 《 雑煮 》を 食べる

六十年 博多雑煮 を食べ尽くしてきた二人の コメントは

「 まぁ まぁ やね 」。



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戻りの参道で カマキリ に出会った

カマキリが獲物をねらうとき
胸の前でカマをそろえて静止する 独特のポーズは “祈り” を連想させるというので
日本ではカマキリを「おがみ虫」という方言で呼ぶ所もあるらしい

京都祇園祭の山鉾「蟷螂山(とうろうやま)」を 思い出す
蟷螂山は「かまきり山」とも呼ばれ かまきりが羽を広げ
御所車の車輪が回転する など 祇園祭の山鉾では唯一の「からくり」
何かが 繋がってるのか 不思議な 出逢い もあるものだ



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帰りに 宝満宮竈門神社 に 久し振りに寄ってみた

最近 リニュアル されて 随分 変わったと 聞いてはいたが
あまりにも 世俗化した その様相には 正直 がっかりさせられた

あの 神功皇后を 心で支えた 玉依姫命 ゆかりの 社であるというのに



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綺麗すぎる 社務所





鳥居のそばにある 民家の垣根に 〈 花 梨 の 実 〉

秋 の 空に 揺れていた




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by nonkei7332 | 2014-10-24 02:41 | 菅公・太宰府 | Comments(2)


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嵐山の竹林




《 一雨ごとに 》  
       
                          
一雨ごとに 寒くなりました 
震える筆は 寒さ のせいですか
色ずく 葉多(肌)も 寒さ のせいですか

二人で歩いた 天龍寺
秘めた想いの 夕霧の
藤袴の花は
今年も咲いてくれましたか

月が渡った 渡月橋
渡れぬ恋を 責めますか
それとも 渡って来いと
言ってくれますか
          
一雨ごとに寒くなりました
震える筆は 誰のせいですか

比叡を越え来る 都鳥
朱き河原に 思い出の
彼岸花は
今年も咲いてくれましたか

想いをなせぬ 賀茂の川
流せぬ恋を 責めますか
それとも 流してしまえと
言ってくれますか

一雨ごとに寒くなりました
色ずく 葉多(肌)は 誰のせいですか

人でにぎあう 祇園会も
後のまつりが 好きでした
撫子の花は
今年も咲いてくれましたか

絆を運ぶ 高瀬舟
果たせぬ恋も 乗せますか
それとも 通って来いと
言ってくれますか

一雨ごとに寒くなりました 
震える筆は 寒さのせいですね
色ずく 葉多(肌)も寒さのせいですね




《 京都の晩秋は日毎寒くなっていきます かつて 京都をひとり旅した時に
〈冷えゆく恋〉をイメージして作った歌詩です 》


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上から 清澄寺 天龍寺 嵐山付近










by nonkei7332 | 2014-10-21 10:40 | 日記 | Comments(0)

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アサキマダラ





《 胡蝶の夢 》とは

中国の戦国時代

道教の始祖とされる人物の 荘子(荘周) の 説話である



昔の話だが

わたし 荘周は 夢の中で 胡蝶 となった

喜々として 胡蝶になりきっていた

自分でも楽しくて 心ゆくばかりに

ひらひらと舞っていた

荘周であることは 全く念頭になかった

はっと目が覚めると

これはしたり、荘周ではないか

ところで 荘周である私が 夢の中で胡蝶となったのか

自分は実は胡蝶であって いま夢を見て荘周となっているのか

いずれが本当か私にはわからない

荘周と胡蝶とには確かに 形の上では区別があるはずだ

しかし 主体としての自分には変わりは無く

これが 物の変化 というものである




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《 蝶の夢をみた 青い蝶になって 海を渡っていた 》



夢を見た前日に

藤袴の花に集まる アサキマダラ の写真を見て

すっかり魅了されていたからにちがいない

アサキマダラ は

2011年10月10日に 和歌山県から放たれて

83日後に 約2,500 km 離れた

香港で捕獲されたというから 驚きだ

さっそく「夢」のシンボル辞典を開いて

「青い蝶」を調べて見た


( 青い色は精神性 霊性を表す )

( 蝶は 今までより高度な表現形式への生まれ変わり。

エネルギーの変化。

その美しさは、あらゆる浮き沈みを経験してきたので、

成長過程に信頼を置いたことから表れました。

新しい気づきに勝利したことを表しています。)


不思議な夢には 違いなかった



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月から見た 地球




不思議といえば

知人のブログにこんな 凄い 記事をみつけた



今 私たちは地球という星に

壮大な魔法をかけて 遊びに来た 仲間なんだろうなと

夜空をみながら思いました

〈地球ツアー〉

存分に楽しみましょうね


〈地球ツアー〉をしている 私達と

そんな 夢想 をしている 私達は

はたして どちらが ほんとの 私達なのだろうか?



月明かりの海を 青い蝶 になって

胡の国へ飛んでいく 私の夢は はてしなく 拡がる






by nonkei7332 | 2014-10-19 08:16 | | Comments(2)

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日本名 『 極楽鳥花 』

「極楽鳥」は ”風鳥(ふうちょう)”という鳥の別名で、b0325317_10444898.jpg
金色の美しい飾り羽を尾の部分にもつ
この鳥に似ている花ということで
「極楽鳥花」と命名された
英名「バード・オブ・パラダイス・フラワー」
南アフリカ原産で
日本へは、明治時代に渡来したとされる

『 ストレリチア 』
イギリスのジョージ3世の王妃シャーロットの
旧姓ストレリッツから名ずけられた
植物愛好家だったという

 




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花言葉は 『 気取った恋 』


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by nonkei7332 | 2014-10-16 10:47 | | Comments(0)


【 野分の旦 】(のわき の あした) とは 秋の暴風雨が過ぎ去った翌日の朝の様子。
台風一過の 朝の様子。 野分(のわき、のわけ)は秋の嵐を表す言葉です



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台風一過 の朝 (野分の旦) は 散歩するのが 私の決まり事になっている
荒ぶる神が鎮まったあとに 被災者の魂に鎮魂の祈りを捧げる
それは 祈りと感謝の儀式でもあるからだ
昨日は思っていたより 雨も風も 強くは無かったが
それでも 吹き戻しの風はかなり強く 窓をかなり揺らしていたようだ

禊を終えた 大地のように 空気は澄み切っていた



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椚 (くぬぎ)の木の下に どんぐりが沢山 落ちていた



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くぬぎ は 古くは 橡 (つるばみ)とよばれ
どんぐりの実やかさの煎汁(せんじゆう)で染色をする
黒に近い灰色 喪服の色のことを 橡色(つるばみいろ)という



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《 紅は うつろうものぞ 橡の なれにし衣に なおしかめやも 》
大伴家持(万葉集巻十八4109)


(訳) : 紅(くれない)で染めた衣はきれいですが 色があせやすいものです
橡(つるばみ)で染めた衣は地味でも慣れ親しんでいるので やはり良いものですよ

(註釈) : 妻がいるのに若い女に心変わりした部下を諭した歌だというが
家持のことを 知れば 自分を諭した歌といった方が 正しいかもしれない




『 源氏物語 』二十八帖「野分」光源氏36歳の秋の話

秋のある日 激しい 野分(台風)が都を吹き荒れた。
六条院の庭の草花も倒れ そこへ訪れた 夕霧(源氏の息子)は
混乱の中で 偶然 紫の上 (源氏の妻)の姿を垣間見て その美貌に衝撃を受ける
その後祖母大宮の元へ見舞いに参上してからも、爛漫の桜のような
紫の上 の艶姿は夕霧の脳裏に焼きついて消えなかった。
野分の去った翌日 源氏は夕霧を連れて 宿下がり中の
秋好中宮を始めとする女君たちの見舞いに回った
玉鬘(夕顔の娘)の元を訪れた時
こっそりと覗き見た夕霧は玉鬘の美しさに見とれると共に
親子とは思えない振舞いを見せる源氏に驚き不審に思う




夕霧と玉鬘の話は「 藤 袴 」にもありましたね
当ブログ 《一願成就》にも関連の記事があり
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藤袴の花








by nonkei7332 | 2014-10-14 15:55 | 日記 | Comments(4)

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《 くもひとつ なき秋空に ひこうきぐも 》



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1964年 東京オリンピック
私が 中学生になった年だった
あれから もう 50年が過ぎたなんて
まだ 風呂を石炭で沸かしていた頃だから
夕方になると 町じゅうに
石炭のツンとした匂いが立ち込めていた
200円を手にして 西鉄で天神まで行き
〈センターシネマ 〉で 映画を見て
帰りに〈 因幡うどん〉が 食べれた頃でした
テレビでは 加山雄三が歌っていたし
ビートルズを聞くと 何故か 不良になると言われた頃でした

2020年 東京オリンピック
わずか 6年後の事なのに
どんな 世の中になっているのか想像がつかない
変わりゆく速度が測れない



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誕生日の花がありました
10月10日は 『ケイトウ』でした
花言葉は 『 色あせぬ恋 』






by nonkei7332 | 2014-10-10 11:25 | 日記 | Comments(2)


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一日早いが 誕生日 おめでとう
そして 家族も恙無く 元気にしているということに
ただただ かたじけなく 思っています
1980年10月10日 こんな私達を選んで
この世にうまれてくれた 君に 感謝しています
あれから 34年 たくさんの 思い出が重なって 涙に変わります
この写真を覚えてますか
天拝山の麓にある 武藏寺 の境内ですね
藤棚の下の こぼれ陽のなかで 君達は 天使のように 輝いていました
そして今 私の目の前には そんな君達の子供達の写真が 同じように
天使の顔をして 私を見ています
いつもは そばに居ないから 話したいことは 山程あるのですが
今日は 今 私が受けている “ レッスン ” の話をします
その レッスンとは 「死のレッスン」です
縁起でもないと 怒っているかもしれませんが
大事なことなので まあ 聞いて下さい

私が 一番最初に 死を意識したのは いつだったのか
それは まだ小学生の頃だったでしょうか ある日私は
父が死んだ夢を見ました 目が覚めても 悲しくて やがていつかは
父も死ぬんだと思うだけで 涙がでたのを 覚えています
あれが〈 LESSON1〉でした

そして 〈LESSON2〉は 君達が生まれた時です
なにがあっても たとえ死んでも こいつらは守るぞという
不思議な思いが ありました
このことは君たちにも経験があるでしょうが
私はこの時 幽かではありますが ある種の死を意識したんです
君達が 生まれるのと同時に
私の中で 何かが 死んだのを 感じていました

そして〈LESSON3〉は 私が 脳疾患で 倒れた時です
あの時 私は はっきりと 人はこうやって死んで行くんだと
救急車の中で感じていました 痛みも 執着もなく
ただ そこには 真っ白な世界があるだけでした
臨死体験とまではないにしても すぐ隣に 死があって
あれ以降 今でも あの時の感覚は 身体のどこかで おぼえています

そして〈LESSON4〉は 父と母の死でした
二人とも苦しむことなく 家族に看取られての 穏やかな 臨終でした
悲しみは 「ごめんなさい」という言葉と
「ありがとう」という言葉の リフレインでした
私が学んだことは 親が居なくなったので
もう 私は子供ではなくなったということ と
そして 今度は いよいよ 自分達の番だなという事でした

それから 何度か 友人の死などにも立ち会いました
LESSON は 今でも 続いているのです
死は恐怖でした でも 何回も LESSON をうけるたびに
死はみじかなものに なっていきました
私の身体のなかでも 髪の毛が私を離れ
何処かへ散歩に行って そのまま帰ってこなかったり
目が見ずらくなったり 歯が抜けたりといった 加齢に伴う 老いも
ある意味では 死への LESSON でもあるのです
最近では 日常の中に たくさんの 死 が転がっています
多くの死の LESSON を受けながら 残された時間を 輝きながら生きて行く
そして LESSON の成果が試される 本番では
ウキウキしながら にこやかに笑って
『 それではみんな ありがとう 行ってきます 』
といって 死んでいきたい
そんなことを 考えています
安心しましたか
そのために 気分良く死ぬために それまでに 何をすべきかが
私の今の 最大の課題なのです

最後に 決して受けたくない 「死のLESSON」が一つだけあります
それは 君達が 私より先に 死 を経験することです
願わくば 私と 同じような カリキュラム〈LESSON3を除く)で
この LESSON をうけて くれればと 思っています
それが 一番の 親孝行だと 思ってください

朝夕 寒くなります 身体を大事に。
正月は 三人でまた いい酒を飲みましょう。。


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by nonkei7332 | 2014-10-09 11:04 | 日記 | Comments(0)