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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

<   2014年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧


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朝から やかましい程の蝉しぐれ
一陣の風が 吹き抜けたあとに そこに 一掴みの秋があった
季節の予感 ? まだ 立秋にもなってないのだけどなぁ
とはいえ 青空に浮かぶ 百日紅(さるすべり)の花は
近くて遠い 季節を 紅く染めている

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私は 昔から 自分の予感 を信じていた。

地域の夏祭り
夕涼みのつもりで
息子が何年か前に 父の日に贈ってくれた
〈甚平〉を着て 部屋を出た
予感がした 何かがおこる 予感が
祭りは いつものように いつもの演目が続く
パイプ椅子に座り 団扇で足を撫でながら
町の人々の 小さな 幸せを覗き込む
黄昏れの向こうに夜があって
風のむこうには 新月が 浮かんでいる
毎年 恒例の抽選会だ
当選者の名前が告げられるたびに
そこいらじゅうに ため息が転がる
最後の賞品が告げられる
〈自転車が三台〉歓声が起きた
そうか 自転車だったのか!
私の海馬が震えた 予感は ここからきていたのだ!
間違いなく 私の名前が呼ばれると思った
当選者の名前が呼ばれた
一度目は聞き流した もう一度 名前が呼ばれた
そして
中央の舞台に向かって 団扇で空を扇ぎながら
拍手の中を 歩いていく 私がいた


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三日前に 松林の間を 自転車が走っている 夢をみていた
麦わら帽子をかぶって 海にむかっていたのは 父だった
微睡み(まどろみ)の中で
自転車があれば 私も 父を追いかけて 海に行くのに
そんな事を考えていたのだ



我が家の玄関には
ベージュ色の 新しい 自転車が置いてある
明日は 海に行こうと思った。








by nonkei7332 | 2014-07-29 10:18 | 日記 | Comments(0)

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姉からの誘いで 久しぶりの 夏の太宰府 を歩いた

30年ほど前に 5年ほど住んでいた町なので

町なみはすっかり変わってはいるが あちらこちらに 記憶が転がっている

姉が プロデュースした コースは

連歌屋の「寿し栄」でランチ。

それから 「光明禅寺」に寄って 「国立九州博物館」

帰りに参道の 「かさの屋」で 冷たい抹茶と梅が枝餅

全く参拝目的ではないところが 面白い



途中 『 観世音寺 』に寄ってもらった

ここの参道に連なる 楠(くすのき)は

春夏秋冬 いつ来ても その折々の姿で

訪問客を迎えてくれる


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『 観 世 音 寺 』

筑紫で亡くなった斉明天皇の追悼のため 天智天皇 が創建

約80年の歳月を費やして天平18年(746)完成した

当時は 七堂伽藍を備え 九州の中心的な寺院で


日本最古の梵鐘(国宝)が有名だ

毎年 大晦日の除夜に聞いていた 鐘の音は

今も 私の魂に染みついている




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『 寿 し 栄 』のランチは ゴー☆ジャス ! これで ¥1300 (^o^)




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太宰府天満宮の参道の一の鳥居を右に曲がるとつきあたりに

『 光 明 禅 寺 』がある

別名「苔寺」とも呼ばれ その名のとおり庭園は碧く苔むし

前庭を七・五・三の十五石で光の字に配石された〈仏光石庭 〉

裏庭は 青苔は大陸と島 白砂は水と大海を現し

長汀曲浦の見事な線で画出された枯山水の〈一滴海庭〉となっている

とくに 秋は 紅葉が映えて 美しい



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はじめは「逢初め川」といい

出会って「思い川」という


さだまさしの名曲 「都府楼」の出だしの歌詞だ

光明禅寺の 正門の前に 1mほどの小川が流れている



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『 藍 染 川 』は逢染川、想川、思川ともいわれ、

太宰府天満宮の神官と京女の悲しい恋物語が伝わっている



天満宮の神官は 京に上っている時

そこに住む梅壷という女性と恋に落ち

梅千世という子どもまでもうけました

しかし 神官はしばらくして郷里太宰府へ帰ってしまいます

残された梅壷は恋しさが募るばかり

子どものためを思って 遠く太宰府まで下ってくるのですが

そこで待っていたのは 神官の妻の意地悪な仕打ちでした

打ちひしがれた梅壷は 世をはかなんで

藍染川に身を投げて死んでしまうのです

亡骸に取り縋って泣く梅千世を見つけた神官は

梅壷が生き返るよう 一心に祈りました

すると そこに天神様が現れて 梅壷を生き返らせたのです

梅千世は長じて名僧となり

この光明禅寺を開祖したとの説もある




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遊園地の入り口の右手に 『 九 州 国 立 博 物 館 』の入り口がある

長いエスカレーターと動く歩道が 博物館まで運んでくれる

老体には 誠にありがたい

蓮の花が 迎えてくれた



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参道は インターナショナル 何故か日本語が懐かしい

店の中に入っては 展示品をみると なぜかほっとする

やっぱりここは 日本だ




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『 か さ の 屋 』

姉のお気に入り の参道の途中にあるお土産屋さんだが

奥は カフェになっている

奥の部屋は 庭に面していて 簾越しに冷んやりとした 冷気さえ漂う

〈冷やし抹茶と梅が枝餅〉のセットを注文する

庭には 百日紅(さるすべり)の花が咲いていた

何処からか 野鳩がとんできて

百日紅の枝に止まっていた




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秋に なったら 🍁苔寺の紅葉🍁 見に来ようねと話していたら

『 小鳥居小路の 恵比寿様 』 が 和かに笑っておられた



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by nonkei7332 | 2014-07-27 21:34 | さだまさし | Comments(2)


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夏の花といえば 木槿(むくげ)ですね

『 槿花一朝(きんかいっちょう)の夢 』(人の世ははかないの意)

といわれるように 朝咲いて 夕方にはしぼんでしまう「一日花」です
とはいっても ほんとうは 二三日は咲いています

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《 萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 》
(万葉集第八巻 : 1538)

山上憶良(やまのうえのおくら)の詠んだ「秋の七草」の歌です
木槿の花は 秋の花 だったようです
万葉集に登場する「朝顔の花」は 私たちが良く知っている
あのヒルガオ科のアサガオとは違って
当時は 朝に咲くきれいな花を「朝顔(あさがほ)」と呼んでいました
木槿だけではなく 桔梗の花も 朝顔と呼ばれていたようです

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源氏物語の二十帖『 朝 顔 』の話。
朝顔の姫は 源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人ですね
姫君自身も源氏に好意を寄せていましたが
源氏の恋愛遍歴と彼と女君たちの顛末を知るにつけ
妻になろうとまでは思わず 源氏の求愛を拒み続けてプラトニックな関係を保ち
折に触れて便りを交わす風流な友情に終始したとあります 辛い片恋の物語です。
まれに「槿(あさがお)」と表記されることがあるので
この「朝顔」は木槿のことですね。

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韓国では 国の繁栄を意味する花として 国花になっています
そういわれれば 大統領の名前は 『 朴 槿 恵 』
〈槿〉の字が有りますね
 
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 『 それがしも 其(そ)の日暮らしぞ 花木槿 』

   私を慰めるように 一茶が 一句詠んでくれました。



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by nonkei7332 | 2014-07-22 13:24 | | Comments(0)

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花には表情がありますね
私には この花はいつも 笑っているように 見えるのですが

その笑顔の裏には
『 ギリシャ神話 』 の こんなにも悲しい物語が隠されていました

海の精 クリュティエ は 太陽神アポロンに愛されていました
やがて アポロンは ペルシア王女 レウコトエ に夢中になってしまいます
それを知った クリュティエ。
嫉妬に狂い ペルシャ王に娘の恋を密告してしまうのです
驚き怒った王は娘を捕まえると生き埋めにして殺してしまいます
アポロンは密告した犯人が クリュティエ だと知って
彼女のもとを完全に去ってしまいます
哀れな クリュティエ。
届かぬ恋の思いに すっかり やつれてしまい
9日間も 空の下 夜も昼も地面に立ちつくしました
食べることも忘れ 雨露と自分の流す涙を飲み干すだけでした
やせ細った クリュティエ はただ空を仰ぎ そこを通るアポロンの顔を見つめて
そちらへ自分の顔を向けるだけ
やがて 彼女の足は地面に根付き 美しい顔は花に変わってしまったのです
その花は今でも 太陽を追いかけるように咲いています
その花が ひまわり です

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ひまわりの花言葉を知っていますか ?

『 私は あなただけを 見つめたい 』

ひまわり って 悲しい花でしたね。


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何度見ても 泣いてしまう映画がある

『 ひ ま わ り 』

舞台は 第二次世界大戦終結後のイタリア
出征したきり行方不明の夫の消息を求めて ロシアの大地を探しまわる
ジョバンナ が やっとの思いで 出会えた夫 アントニオ のそばには
美しい妻と子供がいた
その場を逃げるように去る 帰りの列車の中で
号泣する ジョバンナ(涙)
やがて イタリアに戻って 新しい生活を始めた 彼女のもとに
アントニオが訪ねてくる 再出発を促すアントニオに揺れ動く ジョバンナ
その時 二人の現実を諭すように ジョバンナの子供の泣き声 が(涙)
そして アントニオがロシアに帰る ミラノ駅のラストシーン
そのホームは 数年前彼女が戦場へ行く若き夫を見送った 同じホームだった
静かに走り出す列車の窓からじっと ジョバンナ を見つめる アントニオ
戦争が引き裂いた悲し過ぎる愛の物語でした
ひまわり畑をバックに流れる ヘンリー・マンシーニの主題歌も 哀しすぎたですね。


もう二度と あんな 戦争はやめようと誓った映画だった
なのに 現実(いま)も
あの 愚かな戦争が ひまわり の咲く
あの ウクライナの地で 続いているという
今朝の悲しい ニュース だった








by nonkei7332 | 2014-07-19 15:46 | | Comments(2)
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雨が降りそうだったから
傘を持っての散歩でした
そこまでして とお思いでしょうが
傷めた腰をかばって 歩かなくなると
いつまでも痛みは 遠のいてくれないから
ましてや 連日の雨
傘をステッキのように持ってでかけました
別れの予感にしても 恋の予感にしても
私の予感はどんな予感でも 当たるみたいで
雨の予感も的中しました
傘を広げようとしたその時
ピカッと 空が割れ ゴリゴリと〈鳴る神〉の音に紛れて
『 私を連れていって』
とちいさな声が 聞こえたのでした
周りを見渡してみたけど 人の気配はないし
ただ 足許の垣根の中に 一輪の 梔子(くちなし)の花
『お前か?』
『濡れたくないのか?』
もう一度 周りを見渡して
人の気配がないのを確認してから
そっと 手を伸ばして 手折ってあげました
いけない事とはわかっていました
それを 〈鳴る神〉の仕業にしてしまいました

くちなしの甘い香りは
私を 《 つみびと 》にしたのです


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アメリカの独身女性 ジェーン は38歳
イタリアのベネチアに一人旅行に出かけました。
といえば
そう 原題が 『 Summer Time 』
邦題が 『 旅 情 』
キャサリンヘップバーン主演の1955年の有名な映画ですね
この映画の主人公が
ジェーン や相手の男性の レナード ではなくて
実は 『くちなしの花』だったのを
私は 知っていました
ストーリーはどこにでもある "ひと夏の恋のアバンチュール" です
純粋な ジェーン はその心を 純白の『くちなしの花』に託しますが
哀しいかな それを運河に落としてしまうのです
実ることがない恋と知ってしまった ジェーン は
アメリカに帰る決心をします
その時の ジェーン の有名な名セリフ
「いつも パーティから 帰りそびれた私に 帰る時を教えてくれたのは レナード 貴方よ」
レナード は そんな彼女の 純白な想い を知っていました
そして あのラストシーン
ジェーンの乗る列車を追いかける レナード の手には
あの 純白の 『くちなしの花』が・・・



『くちなしの花』の甘い香りは
たくさんの人たちを
《 つみびと 》にしてきたのですね。








by nonkei7332 | 2014-07-16 18:34 | | Comments(4)


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〈 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ 〉
(万葉集七巻:1068)

歌聖(柿本人麻呂)の歌です
「天を詠む」と題詞にあるので 空 を詠んだ歌です

[ 海のように 広い空に雲が波立ち、月の舟が
星の林に 見え隠れしながら 漂っているのが見えます ]


私が見た 朝の海(磯良の海)は
青空が海に映り まるで 天の海 でした
波模様が 沙漠の風紋のように拡がり
月の舟は
波の(雲の)切れ間に見え隠れしながら
どこかに 行ってしまったのでしょうか
まるで「月の沙漠」の唄が
聞こえてきそうな 景色の中を
私の魂は 「 月 読 」に 繋がっていきました



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「 月の沙漠 」
 
 月の沙漠を はるばると 旅の駱駝 (らくだ)が 行きました
 金と銀との 鞍 (くら)置いて 二つならんで 行きました

 金の鞍には 銀の甕(かめ) 銀の鞍には 金の甕(かめ)
 二つの甕は それぞれに 紐(ひも)で結んで ありました

 先の鞍には 王子さま 後の鞍には お姫さま
 乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました

 広い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
 朧(おぼろ)にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと

  砂丘を 越えて 行きました
  黙って 越えて 行きました




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遠い古(いにしえ)の海を
はるばると越えてやってきた
王子と姫の物語も
「 月 読 」は 見守っていたのでしょう

明日は
満月です。








by nonkei7332 | 2014-07-11 12:00 | | Comments(2)
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絵馬(えま)とは 神社や寺院に祈願するとき

あるいは祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに

寺社に奉納する 絵が描かれた木の板である

天満宮なんかのように

希望する進路をかいたりする 小さなものから

神社を造営した時とか 祈願したことが叶った時などに

特別に絵師にたのんで 書かせて 奉納する

大型のものまで 多種多様の絵馬がある

神社によっては 絵馬を飾りつけるための 

絵馬堂があったりするが

大型の絵馬については 社殿に飾られる事が多い



小堀家十二代 《 小 堀 甚 三 》作 による 絵馬 が

西区の 『 姪 浜 住 吉 神 社 』に奉納されていると知ったのが

去年の夏

見てみたいという 衝動は抑えきれないもので

「絵馬を見れますか」と社務に電話してみた

「いつでもどうぞ」という返事を頂いたので すぐに 出かけた

地下鉄姪浜駅をおりて 歩いて10分

姪浜の古い町並みの中に 姪浜住吉神社は鎮座していた

イザナギの禊の地に関係のある由緒深き 神社なのだと聞く

社務所で 挨拶をすると 宮司が 出てこられ

「社殿を開けますから 自由にみてください」といって頂いた

入り口の上に 四幅の「山笠図」が掛けてあった

その中の一番右端の一枚が 甚三の描いた 絵馬だった

多少 くすんではいるが 壮麗な 山笠の絵だった


「 明治25年奉納 」 「 山笠作人 博多下土居町 小堀甚三 」 


銘板に書いてあった

甚三は 明治34年 58歳で亡くなっているから

49歳 の時の製作となる

絵馬は誰にでも 書けるものとはちがうから

小堀甚三は 世間でも 評価される

絵師の一人だったのだろう


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「博多にわか」という

博多に伝わる話芸の伝統芸能がある

〈博多弁で喋り〉〈面をかぶり〉〈話に落ちをつける〉

これだけの原則さえ守れば 誰にでも出来る 話芸だ

面を 半 面(はんめん)といって

今から350年くらい前は

提灯を半分に切って目の部分だけをくり抜いた提灯半面だったが

それが黒塗りの面に変わり 明治になり白塗りになり

明治10年代20年代になって

今のような半面になったという

井上精三 著 『にわか今昔談義』には


「 明治二十二年頃 下土居町 不思木屋事 人形師小堀甚兵衛作ル 」

とある

小堀甚兵衛 は 半面の作者でもあったようだ




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小堀甚三 小堀甚兵衛 兄弟は

山笠人形という優れた技能を持ちながらも

時代の流れには 勝つことはできなかったが

それでも

細工人形 山笠絵馬 にわか半面 といった

博多の町人文化を

支え続けてきた人でもあったようだ







by nonkei7332 | 2014-07-07 11:57 | ルーツ | Comments(0)



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山笠の 「流(ながれ)」の起源は

天正15年(1587年)豊臣秀吉のおこなった

「太閤町割り」 である

博多川と御笠川の間の町を南北七つに区割りして 

その単位を「流」とした 

今もその流れは 受け継がれ

「千代流」「恵比寿流」「土居流」「大黒流」


「東流」「中洲流」「西流」

として 残っている

櫛田神社の正面の道は 土居通り と呼ばれ

この通りを囲む町々が 

「土居流」だ

町名改正で 昔の古い町名は 今はほとんど 残っていないが

江戸時代の文献では 十の町に 分かれている 


大乗寺前町(51戸) 上土居町(46戸)中土居町(52戸)


下土居町(47戸) 行町(71戸)濱小路町(26戸)


西方寺前町(38戸)片土居町(56戸)川口町(34戸)


上新川端町(129戸)

この中で 今も町名として残っているのは 土居町と川端町だけになる


時は明治のころ 「土居流」下土居町の話である

下土居町は商家の町だ

紙屋呉服店(現在のデパート)を中心に 商店が並び 人々が集まり

かなりのにぎあいを見せていて 博多の中心的存在の町であったという

そのほぼ ど真ん中 高山博多織店と新島本家(材木商)の隣りに

「不思木屋」という店があった

表の古い看板には 〈 山笠細工人形製作 〉と書いてあった

店主の名前は 小 堀 甚 三 小堀家十二代目の当主である

小堀家の歴史は古く 永享九年(1437年)四月

京都四条に住む 木偶師(からくり人形師)小堀善左衛門正直は

博多津の招きで下向し 初め櫛田神社境内に住み


津中から扶持を給せられ 山笠人形の制作に従事した

いわば 博多山笠人形の始祖である

十代 甚次 のころになると 博多津中の願い出により

黒田藩より 山笠人形細工の永代を仰せ付けられ

大いに 繁栄したとの記録が残っている

ところが 十二代 甚三 22歳の時


明治維新 廃藩置県がおこり 古例は廃止され

独占していた 山笠人形制作が自由になったのである

その上 明治五年 県令により 明治16年までの10年間


山笠は廃止された

小堀家は またたくまに 不遇の時代を迎える 


甚三には 甚兵衛 と 甚七という弟がいた



場所は変わって 土居流にある 西方寺前町

文献によると 西方寺前町 は 多くの大工とそれに付随する 家々が

集まっていた町だと書いてある

ここに 大工の棟梁をしている 成 田 善 兵 衛 が住んでいた

成田家は 士族であったが 理由はわからないが 博多に住む様になり

幕末のころの博多史誌『石城遺聞』によれば


西方寺前町の 町年寄り として

〈成田宗次郎〉の名前が残っている 善兵衛との関係は不詳だが

町の重鎮としての 役を担っていたことは 間違いないようである

善兵衛には嫡子がいなかったが 娘が二人いた。


「流」の同族意識は強いものがある 小堀甚三 と 成田善兵衛

二人は山笠を通してだけではなく 町は違えど 強い繋がりがあった


明治7年9月24日

小堀甚三の弟 小 堀 甚 兵 衛

成田善兵衛の次女 成 田 テ フ

養子縁組で 夫婦となる


江戸から 明治にかけて 同じ 土居流に住んでいた 

一人の山笠細工人形師の男と 


大工の娘 の間に何があったのかはわからない 

栄枯盛衰のなかで 当主同士がきめた 縁 であったのか

噂に聞く 二人に 燃えるような 恋 があったのかは

誰も知るよしもない


誰も知らない

私 の 曽祖父 と 曽祖母 の 物語である。



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by nonkei7332 | 2014-07-05 22:55 | ルーツ | Comments(0)


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名前も知らない花でした
いつも 立ち止まって 空を見上げて 見ていました


夢の中で 子供たちに聞きました
(あの花はなんていう名前なの?)
子供たちは言いました
(あの花 ビアンカ の花 って いうんだ)
(白い花 っていう 意味さ)
(だって 夏なのにキラキラ輝いているだろう)
(みんな ビア って呼んでるよ)
私も ビア って呼んでいいのかなと聞くと
(どうかなぁ~ ビア に聞いてみたら)
そう言って 子供たちは どこかに行ってしまいました


目が覚めると 外は雨
雨音だけが聞こえる 静かな朝です
熱い コーヒーを飲みながら
ビア の事を 考えていました
雨が降っているけど 大丈夫かな
ビア の声が聞こえてきました
《 仕方ないですね 思うようにいかないのが人生です
笑いましょう 疫病神も近寄れないようにね 》


雨が 強く 降っています
Kenny.G を 聞いています
《 Over the Rainbow 》
澄み切った サックス🎷の音が 雨音を消してくれます
歌詞をみたくなりました



《 Over the Rainbow 》~虹のかなたに~

Somewhere over the rainbow
Way up high
(どこか、虹の向こうの空高くに)
There's a land that I heard of
Once in a lullaby
(昔、子守唄で聞いた国があるはず)
Somewhere over the rainbow
Skies are blue
(どこか、虹の向こうに空がとても青く)
And the dreams that you dare to dream
Really do come true
(信じてた夢がすべて叶う場所がある)
Some day I'll wish upon a star
(あたしはいつか星に願うでしょう)
And wake up where the clouds are far behind me
(そして目覚めると雲ははるかかなたに消えて晴れわたり)
Where troubles melt like lemondrops
(悩みはレモンドロップのようにとけてなくなる)
Away above the chimney tops
(煙突よりもずっと上のほうで)
That's where you'll find me
(あなたはあたしを見つけるわ)



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ビア は 大丈夫だよ
こんなに雨が降っても 笑っているし
いつまでも 白く 輝いているから
顔晴っているから

誰かの 声がした


by nonkei7332 | 2014-07-03 07:05 | | Comments(0)


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昔から博多の人々に「おくしださん」と呼ばれて親しまれている
「櫛田神社」は 謎多き 神社である

創建は 天平宝字元年だから 奈良時代の757年

祭神は 正殿(中殿)が 『大幡主大神』(おおはたぬしのみこと)
別名『大若子命』
天御中主尊十八世の孫・彦久良伊命の御子であり
倭姫(やまとひめの)命が天照大神を伊勢神宮に鎮座したとき,
南伊勢(三重県)の豪族として協力したため
神国造(かみのくにのみやつこ)と神宮の大神主に任じられた
垂仁天皇から 越の国(北陸)の賊徒阿彦を討伐することを命ぜられ
大いに旗(幡)を挙げて戦いに勝ったので大幡主と呼ばれている
『櫛田明神』とよばれることもある

左殿は 『天照皇大神』(アマテラス)
大幡主大神がその側を離れずに奉仕したことから
同じ時期に勧請されたとある

右殿は 『素戔嗚主命』(スサノオ)
藤原純友の乱 平定に際し
京都祇園の八坂神社に祈願したことから その分霊を祀ったのが
天慶四年(941年)だから 創建後 184年後のことである

さて 問題は 左右に 「アマテラス」と「スサノオ」を従えている
「大幡主大神」とは 一体 どんな神様なのかということだ

(アマテラス)( ・・・・) (スサノオ)

まん中の( )の中に神様の 名前を入れなさい との問いに
答えは 果たして ?

(イザナギ)?
〈解説〉アマテラス と スサノオを 作った神様だから

(ツキヨミ)?
〈解説〉 イザナギの作った神様が この三人組だから


話は 変わるが 博多には 社家町という町があった
今の冷泉町の 櫛田表参道の道沿いにあったようだ
社家とは神社に仕える 神職のことで
ここには 代々 櫛田神社に奉仕してきた人々が住んでいた
〈祝部家 〉〈天野家 〉〈八尋家 〉〈梅崎家 〉 この四社家だ
大幡主命に奉仕しているのが 〈祝部家 〉
天照大神に奉仕してきたのが 〈天野家〉
素戔嗚主大神に奉仕してきたのが 〈八尋家〉
巫女で奉仕してきたのが 〈梅崎家〉

この中で 祝部家の祖先は 福津市の『縫殿神社』に祀られている
応神天皇の時代に呉の国から招かれた 四人の織姫と
深い関係があると伝えられている


縫殿神社の説明によれば

応神天皇の頃に、呉の国(今の中国)から
兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)
の四名の姫が織物、縫物の進んだ技術を日本に伝える為に招かれました。
この中の兄媛は宗像神の求めでこの地に残り、
中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めたと言われています。
この神社は日本最初の裁縫の神様であり、
この地はデザイン、ファッションの発祥の地と言えます


祝部家は 代々 男性は 櫛田明神の神主として奉仕してきて
女性は 裁縫技術に関する仕事に携わってきたという
祝部家出身の 祝部安子は 明治7年頃より
近くの女性を対象に裁縫塾をひらいていたが
明治42年には私立櫛田女学校が認可を受けこの地に校舎を置いた
その後 櫛田裁縫学校となり 多くの博多の女性達がここで裁縫を学んだ
今は その跡地に 〈博多町家ふるさと館〉ができている

「祝部家」は 秦氏の末裔にちがいないだるう
ちなみに伊勢神宮に代々神官として務めて来た
「度会氏」も秦氏の末裔なようだ

これは あくまでも 妄想だが
櫛田神社の主祭神は 「大幡主命 」
以前があって 秦氏繋がりで
それは 「月読命」であったのではないだろうか
と 私は思いたいが・・・??

「おくしださん」の謎は 深まるばかりだ





by nonkei7332 | 2014-07-02 11:55 | ルーツ | Comments(0)