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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

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すべてがここに
導かれていた
この島に
この海に
この神に



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《 ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも 我は忘れじ 志賀の皇神(すめがみ)》
万葉集(巻7・1230)

訳 : 航海の難所である鐘の岬を過ぎたとしても、
わたしは海路の無事をお願いしたこの志賀の神様を忘れない



太古の記憶の淵を
海馬は駆けめぐる
静けさと木洩れ陽の中で
歌姫が詠う 魂の讃歌も
海辺を笑みをうかべてはしゃぐ
穢れなき 八乙女らの舞も
私は 知っていた
初めてではなかったの?
どこで 知っていたの?
と誰かが聞いた
私は答えた
そう それは 私が生まれてくる前のこと
母の海に私が漂っていた頃に
私が見た 光景だったんだ と



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詩人 三好達治は「郷愁」という詩に
こう書いた

《 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。》

漢字の「海」の中に 「母」はいる
フランス語の 「母」は mere(メール)「海」は mer(メール)
フランスでは 「母」の中に 「海」はある


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この島で
この海で
すべての儀式は終わりを告げた
疲れきった 過去の戦神に訣れを告げよ
海人よ 風を読め
そして 追い風に帆を上げよ



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by nonkei7332 | 2014-05-30 12:41 | 古代史 | Comments(0)

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去年の六月だった
雨上がりの明るい午後
いつものように 部屋を出て
いつものように 公園をひとまわりした
海も風もおだやかで
心地よい 散歩を楽しんでいた
足が止まった。
いつも通る道の垣根の中に
珍しい 花を見つけた
初めて見る花だった
シャッターを押すのを 忘れる程
いっときの間 その花に見入っていた
部屋にもどり
さっそく 調べてみたら
花の名前は
《 トケイソウ 》 別名 〈 passion flower 〉
トケイソウという名前はわかる
確かに時計のように見えなくもないからだ
passion flower 訳して ( 情熱の花 )
聞いたことがある名前だ そんな歌があったような気がした
思い出せない 出てこない
EXILE じゃないし・・・
そうだ ! ザッピーナツ だ ! (私の海馬はまだ捨てたものじゃない)
もう 五十年以上前の歌なのに
♪♪ ララララー ララララー・・・わたしの胸に ♪♪
まだ 歌える。
そんなことを考えながら Wikipedia をのぞいてみた

和名は「トケイソウ 」三つに分裂した雌しべが
時計の長針、短針、秒針のように見える特徴のある花を咲かせることに由来する。
英名 「キリストの受難の花」の意味で、イエズス会の宣教師らによって
ラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。
16世紀、原産地である中南米に派遣された彼らは、
この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという
「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。
彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、
花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、
5枚の花弁と萼は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、
葉は槍であるなどと言われた。
属名は造語だが、やはり上記比喩に倣ったもの。
なお、英単語 passion には「情熱」の意味もあるが、
この植物の名称での passion は「受難」の意味であって、
「情熱」の意味ではない 〉


情熱の花 ではなく 受難の花 だったとは
それから 一週間ほどは 散歩の度に この花に会えたが
いつの間にか 姿が無くなってしまった
それから この道を通るたびに トケイソウを思い出す
受難の日々が続いた

先週 あの垣根の中に トケイソウ を見つけた
私は 一年ぶりの再会をドキドキして 楽しみながら
ある決意をしていた

“ また 一年 会えない 受難の日々は もういい いつも そばにいて欲しい ”

そんな訳で 私は ネットで 〈トケイソウ〉の花の苗を買った
明日 その苗が届く

私は 赤いトケイソウの苗を買った
なぜなら 私にとってこの花は
〈受難の花〉ではなく
いつまでも
〈情熱の花〉であって欲しいと願ったからだ。




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by nonkei7332 | 2014-05-26 12:04 | | Comments(0)


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最近 気になる 神様といえば
『お月様』こと
月読命(つきよみのみこと)ツキヨミ である
『古事記』では
イザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に
右目から生まれたのが ツキヨミで
左の目から生まれたのがアマテラス
鼻から生まれたのがスサノオで
共に重大な三神(三柱の貴子)といわれている
ところが 神話の世界をよくよく見てみると
ツキヨミは
アマテラスやスサノオのように
華々しい 活躍をすることもないのだ
いわゆる 主役ではないのだ
神社の数も驚くほど少ない
アマテラスやスサノオを祀る神社は数万も数十万もあるのに
ツキヨミを祀った神社はわずか 八十社しかない
どう考えても 何かがおかしい

あちらこちらに見え隠れするが
決して表舞台には現れてはこない ツキヨミ
神の世界の裏社会をしきる
ゴットファーザーみたいな 不気味な力を持った存在なのだ

月の満ち欠けや運行をみながら
古人は暦を作った
いにしえの世から 人々は 月を読みながら 季節を知っては農作物を作り
月を読みながら 潮の満ち干を知っては 海に漕ぎ出していったのだろう
まさしく ツキヨミ は神そのものだ

童謡に 『海』という歌がある

〈 海は広いな 大きいな 月がのぼるし 陽がしずむ 〉
〈 海にお舟を浮かばせて 行ってみたいな よその国 〉

目を閉じて 遠い記憶をたどれば 見えてくる
いにしえの 磯良の海
私の中に 神様がいて もしそれに 順列があるとすれば
やっぱり 歌のとおり になるのかな

一番は 海(海神)
二番は 月(ツキヨミ)
三番は 陽(アマテラス)

今日は 旧暦の四月二十三日

今日は 二十四節句の 『小満』
【 陽気が良くなって 万物が次第に長じて天地に満ち始めることから
小満と言われます ようやく暑さも加わり 麦の穂が育ち
山野の草木が実をつけ始め 紅花が盛んに咲き乱れます
梅の実がなり 西日本では 走り梅雨がみられる頃
田植えの準備を始める頃でもあります 】

今日は 下弦の月 (二十二日月 )
陰暦で毎月22~23日に出る月で明け方に見える半月。
ちょうど日の出時に南中し、弦を下にして沈むので、
下弦と呼ばれる

新月まで あと八日だ。



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by nonkei7332 | 2014-05-21 10:12 | | Comments(0)


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今年も我が家のベランダを賑やかにしてくれる

《 ブーゲンビリア 》の花が咲いた

私は若い頃 沖縄や鹿児島で仕事をしたことがある
沖縄では 一年中 ハイビスカスとブーゲンビリアが競って花をつける
といっても 夏の花ではなく ピークは三月位だと思う
沖縄でも 鹿児島でも 民家の庭に見事なブーゲンビリアを見つけると
しばし 魂を抜かれたように 見入っていた
俗に 魂の花と呼ばれているが
うなずける 名前だ

我が家では 去年 鉢を手に入れて 五月と十月に二度花をつけてくれた
今年は何度 私の魂を奪ってくれるのだろうか

ブーゲンビリアの原産地は 中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。
ブーゲンビリアという名前は1768年にブラジルで木を見つけた
フランス人の探検家ブーガンヴィルに由来するという
花の色は赤から白まで変化に富み、
ピンクやマゼンタ、紫、橙、黄のものもあるように見える。
しかし、実際の花はいわゆる花の中央部にある小さな3つの白い部分である
色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉)であり、
通常三枚もしくは 六枚ある

ブーゲンビリアの花言葉は いくつかあるが

あなたしか見えない

私には これが 一番 ピンとくる 花言葉みたいだ。


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去年の秋のブーゲンビリア








by nonkei7332 | 2014-05-15 11:54 | | Comments(0)


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野球少年だった私は
テレビで プロ野球の放送を見ながら
スローモーションの画面をかじりつくように見ていた
夢を見ることが 日常であった少年の異様な感性は
またしても 夢の世界をさまよっていた
「あんな風に 僕にも見えたなら!僕のバットは全てのボールを真芯でとらえて
ホームランが打てる!」
夢想は 妄想は あまりにも 見事に崩れていく
ピッチャーの手を離れたボールは
まるで ハイスピードカメラのように
私のバットを擦りもせずに
キャッチーミットの中に吸い込まれていった

あの頃から もう たくさんの時間が私のそばを通りすぎていった
あっという間もなく ハイスピードカメラのように
スローモーションとは まったく無縁な
私の人生だったような気がする

そんな私が 週に三日のプール通いを始めた
プールに行くなど 何十年ぶりのことだろう
目的は 2020年の東京オリンピックではないことは確かだ
ただ 歩くだけの健康管理に変化が欲しかっただけの
単純な動機だったのだが
思いがけなく これまで経験したことがない感覚を感じている
それは 私には まったく無縁であった あの
スローモーションの世界だ
水の中を歩く感覚は
大袈裟に言えば
雲の間を 風に身体を任せて 空を漂うような快さだ
水の中を歩く速度を測った訳ではないが
およそ 秒速50cm
聞くところによれば
無風状態で 桜が舞い落ちる
無風状態で牡丹雪が舞う速さが
秒速50cm だといわれている
日本人がもっとも快い感性を感じれる速さ
自律神経の副交感神経が穏やかに作用して
身体をゆったりとリラックスできる状態も
この速さなのかもしれない

とにかく
ゆっくり 動くこと
そして ゆっくり 呼吸すること
生き急ぐこともなく
物事にとらわれることなく
残された時間など気にかけることもなく
スローモーションで
今 好きなことをする
そう 誰かが言っていたが
新幹線の窓口で
列車を探す心境であればいいのだと思う

『 ひかり は ないが のぞみ はある 』



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by nonkei7332 | 2014-05-09 13:59 | 日記 | Comments(0)

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花菖蒲(はなしょうぶ)の花




『 いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)』
菖蒲や 杜若の花がよく似ていて 区別がつかないことから
このようにいわれているが
たしかに 花菖蒲(はなしょうぶ)と菖蒲(あやめ)は違う花だし
杜若(かきつばた)も違う花だし その見分けはとてもつけにくい

今日は 五月五日の端午の節句
今は「こどもの日」になっているが
もともと 端午の節句は 奈良時代に中国から伝わった風習で
季節の変わり目である端午の日に薬草摘みをしたり
蘭を入れた湯を浴びたり 菖蒲を浸した酒を飲んだり
厄よけに菖蒲や蓬で作った人形を軒下に下げたりして
邪気を祓ったりしたという
この時使った菖蒲は
実は 綺麗な花をつける これらの花とはまた違う種類の植物なのだ
一般には菖蒲草(しょうぶぐさ)といわれている
万葉集にでてくる「アヤメグサ」もこれと同じものだ
整理すると 四種類の あやめ になる
・はなしょうぶ(花弁の元が黄色の目型模様)
・かきつばた (花弁の元が白の目型模様)
・あやめ(花弁の元が網目模様)
・しょうぶくさ(節句用、花は黄色で筒状)
かなりややこしい話だ

奈良時代に中国から渡来した女性たちが朝廷に仕えていて
漢女(あやめ)と呼ばれていた
彼女たちが端午の節供に用いた草を
「あやめ」と呼ぶようになったと言う説もある
漢女をあやめと呼んだもうひとつの理由は
花弁の元の濃い黄色の美しい目型模様からきていて
これは 彼女たちの目尻を強調したアイシャドウのような化粧が
「あやめ」の花のように見えたからだという

漢女達は 機織や養蚕 染織などの貴重な技術を
この国にもたらしてくれた恩人達なのだ

遠く故郷を離れて
荒海を越えて来た 漢女(あやめ)達の魂は
今もなお 女神となって 祀られていて
この国の子供達を護ってくれている
菖蒲(あやめ)の花を見る度に
私達は 報恩と感謝の祈りを忘れてはならない。

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菖蒲(あやめ)の花






by nonkei7332 | 2014-05-05 18:48 | | Comments(0)
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最近 物忘れが激しい事にきずいている
歳のせいに してしまえば それきりの話だが
しかし 考えてみれば
全ての事を 覚えておく必要もないのだ
おそらく 私がこの世で経験してきた事を分類してみたら
忘れてもいいような事が七割で
あとの二割がかすかに覚えていることで
あとの一割がはっきりと覚えていることになるのだろう

忘却が世の常 だとすれば
記憶するとは 覚えることではなく
思い出すことなのだ

脳の神経細胞は産まれた時が最大で
あとは 一秒毎に一個ずつの割合で減っていくといわれている
ただ 脳の中でも 年齢に関係なく 本人次第で
神経細胞がふえていく 場所があるという
それが 海 馬 である
海馬は脳の真ん中ちかくにあって 小指位の大きさで
人の欲求 本能 自律神経 記憶 などの働きとその制御を
つかさどる 大事な働きをする脳の器官だ
なんといっても その名前が奇妙だ
ギリシャ神話に登場する
海神ポセイドン がまたがる 海馬(4頭立ての馬車を引く架空の動物)
の尾に形が似ていることから、
ルネサンス後期のイタリアで活躍したボロ-ニャ大学の解剖学者
アランティオが 1587年にこの脳部位を 海馬 と名付けたといわれている

記憶障害のアルツハイマー病になると
最初に損傷をうけるのが 海馬 らしいので
私の海馬は大丈夫なのかといつも心配になる

人は誰でも思い出という記憶がある
しかし 記憶として残っている思い出の共通している部分は
快楽や恐怖や驚愕などといった
喜怒哀楽の強かった出来事に限られている
そういった情動は
海馬のすぐ隣にある 扁 桃 体 と呼ばれる
小さな球状の対の部位によって司られている
海馬を強くするには この 扁桃体 の力が 必ず 必要で
まずは 扁桃体 のスイッチを入れなくてはならない
それには 好きだという感情を 扁桃体 に与えることだ
扁桃体が好きと判断すると 海馬との共同作業で 長期記憶として
脳の中にインプットされるというシステムになっているらしい

扁桃体というのは感情の源である
とすると 人には 好き嫌いが大事なことになる
好きな事をたくさんすれは 海馬の神経細胞がふえていくのだ

花を愛でることの大好きな私が
赤い花柄のプリントのシャツを着て
好きな人に会いに行く
これこそが
認知症にならない 私の最高の予防医療だということを
誰も知らない


海の底にいると思っていた海神(磯良の神)が脳の真ん中におられて
その海馬のそばに一対の玉である扁桃体があって 海神を補佐している
私の頭の中で 混乱した情報がいくつもあって
私の扁桃体を刺激している
そして 私の海馬はひとつの結論をひとつの記憶として
海の底深くインプットしたみたいだ



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by nonkei7332 | 2014-05-01 11:56 | 日記 | Comments(0)