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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

カテゴリ:さだまさし( 17 )



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《 クリスマスローズ 》  

  
雪が溶けて 春になると

この花が咲くのを知っていました

雪を はねのけて 花を咲かせるから

《 ゆきおこし 》とも呼ばれるんです

でも 長い間 雪の重さに 耐えてきたからでしょうか

なぜか 下ばかり 向いているのです

クリスマスの頃に咲く 薔薇に似ているからといって

つけられた 名前だそうですが

季節を間違えて 咲いた花みたいに 思われそうですね

でも この花は れっきとした 春の花 なんです


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花言葉は  『 慰 め 』(なぐさめ)




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思い出したわ あの頃そっと


私が 植えた花を


桜の下の 木陰のあたり


ほら まだ咲いてる


まるであなたに 抱きしめられた


あの日の 私のように


涙を 止めて 時間を 止めて


私の クリスマス・ローズ




「クリスマス・ローズ」 さだまさし より







by nonkei7332 | 2015-03-13 12:57 | さだまさし | Comments(0)


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大伴家持の像



664年に 中大兄皇子 が〈防人と烽(のろし)の制度〉を作ります

これは、前年(663年) 百済を助ける為に 唐・新羅 の連合軍と戦いますが

〈白村江の戦い〉に負けたために 対馬・壱岐・筑紫に兵を配置したり

水城を作ったりして 防衛網をつくる為のものです

敗戦により 九州の兵の多くが 唐の捕虜となったために

徴兵令を敷いて 集めた兵が 《 防 人 》とよばれています

主に 東国から 2000人の名もなき民が その役を課せられました

防人の任期は 3年 です 全てが自己負担という 厳しいものでした

生きて 帰れるかどうかもわからない 戦役でした

残された家族の思いは 計り知れません


そのころ 《 大伴家持 》(おおともやかもち)

兵部少輔の職にあり 東国から防人の兵士を集め

難波津から筑紫に向かって船出させる任にあたっていました

家持は 東国の国府に 防人達の歌 を集めるように 命じます

その中から 84首 の歌を選び 自らも 23首の歌を歌いました


万葉集巻二十には

「天平勝宝七歳乙未二月、相替へて筑紫の諸国に遣はさるる防人等が歌」とあります


《 防人に 行くは誰が背と問ふ人を 見るが羨しさ 物思ひもせず 》

万葉集巻20-4425 作者 : 不明


訳 : 「防人に行くのはどなたのだんな様だろうね」と

何の悩みも無く 話をしている人を見るとうらやましくて仕方ありません

(筑紫へ向かう 主人を見送る 妻が詠んだ歌です)


《 小竹が葉の さやく霜夜に七重かる 衣に増せる 子ろが肌はも 》

万葉集巻20-4431 作者 : 不明


訳 : 笹の葉が揺れ 霜が降る冷たい夜は 衣を七枚も重ね着をします

でもそれよりも 温かい 妻の肌のぬくもりを思い出してしまいます



家持は 朝廷の指示により 万葉集を編纂するのですが

ある意味で 朝廷の意向を憎む 民の声を どうして こんなにも

たくさん 残そうとしたのか という 疑問が残ります

私は 家持の中に 抑えることのできない 衝動があったように思えてなりません

それは かつては 天皇の側近として この国を守って来た 先祖の怨念だったのかもしれません

そうでないとしても 家持にとって 多くの「防人の歌」は

《 反戦歌 》だったのではないでしょうか



いつの時代でも 国家という 魔性に踊らされた 為政者のために

哀しむのは いつも 名も無き民 でした

民の悲しみは 残された家族であり

変わってはならない 故郷の山河だったのです





《 さだまさし 》は 反戦の叫びを「防人の詩」に込めて 歌いあげました



おしえてください


この世に生きとしいけるものの


すべての生命に限りがあるのならば


海は死にますか 山は死にますか


風はどうですか 空もそうですか


おしえてください



《 村上春樹 》 は エルサレム賞の 受賞スピーチで こう話しました


私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです

我々は国や人種や宗教を超えて 同じ人間なのだということ

システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです

見たところ 壁と戦っても勝ち目はありません

壁はあまりに高く あまりに暗くて-あまりに冷たいのです

少しでも勝機があるとしたら

それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること

そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです

考えてみてください 我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります

システムは魂を持っていません システムに我々を搾取させてはいけません

システムに生命を任せてはいけません システムが我々を作ったのではありません

我々がシステムを作ったのです



今日も テレビのニュースでは フランス で起きた 悲劇が 伝えられています


そして 日本では 新春恒例の宮中行事『歌会始の儀』を あったことを

21,000人の国民が 歌を送ってきたことを テレビで 伝えています


《 夕やみの せまる田に入り 稔りたる 稲の根本に 鎌をあてがふ 》


天皇陛下は 毎年植えた稲を鎌で収穫される 秋の情景を詠まれました


21000首の「歌会始の歌」 そして 98首の「防人の歌」

同じ 日本人の歌だということを 私達は忘れてはいけないのです


今日 太宰府天満宮の「飛梅」が 例年より 16日も早く咲いたそうです

国博での 七支刀展示に 合わせてくれた 菅公の 計らいみたいですね

この星の ほんとの春は いつになるのでしょうか



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プリムラジュリアン の 花








by nonkei7332 | 2015-01-14 23:43 | さだまさし | Comments(0)

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寒椿 の 花



晩秋から 早春にかけての 花といえば 椿。

椿は 品種が 多く 山茶花 (さざんか) と 寒椿 の違い など

何度みても なかなか 区別するのが 大変な 花 です。



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右手の花が (山茶花〉 左手の花が (寒椿)




私の 大好きな 京 都 の 街 は 椿の名所 が多いのですが

その中でも

『 等持院 の 侘助(わびすけ)椿 』『 鳥辺野 の 寒椿 』が 好きです

その 理由について 教えましょうか




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等持院 の 侘助椿



『 等持院 の 侘助椿 』を歌った

さだまさし の 詩



衣笠の 古寺 の 侘助椿の

たおやかに 散りぬるも 陽に映えて

そのひとの 前髪 僅かにかすめながら

水面へと 身を投げる

鏡の まどろみの くだかれて

錦の帯の魚の ふためいて

同心円に 拡がる 紅のまわりで

さんざめく わたしの心

‥‥‥‥‥‥‥‥‥


《 この 詩の景色を 解説します 》

衣笠山の麓にある古寺 〈 等持院 〉 に咲く

有楽椿 と云われる 侘助椿を 二人で 見ていました

突然 わたしの 想いは 椿の花となり

彼の前髪 をかすめながら

しなやかに そして しとやかに 夕陽をあびながら

まるで 身を投げるように 池の上に 落ちていきました

落ちた椿の花 は

鏡のように 穏やかな 静かな池の水面を 壊して 波紋を拡げていきます

すると 錦鯉が 慌てて 驚いて逃げていきました

同心円に拡がっていく 紅い椿色の 波紋をみながら

わたしの中の 別れの不安は 確信へと変わっていくのでした



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鳥辺野 の 寒椿



『 鳥辺野 の 寒椿 』を 歌った

さだまさし の 詩



寂しいからとそれだけで来るはずもない 鳥辺野

山道をゆけば 散り急ぐ様に

遠近(おちこち) に寒椿の紅 道を照らす春まだき

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

前のめりのまま 無造作に投げ出された愛が

季節に追われ ころんだまま

野晒しになっている 鳥辺野



《 この 詩の景色を 解説します 》


今熊野の剣神社から 御寺泉涌寺 までの

山道あたりを 鳥辺野 といいます

平安時代の頃 から この辺りは というより

鴨川を渡った 東側は

北の〈 蓮台野 れんだいの 〉 西の〈 化野 あだしの 〉と並ぶ

東の墓地・葬送の地でした

なので 静かな 寂しい 場所だからといって

いつもくるような場所ではないのです

鳥辺野 の 春まだ浅い日

寒椿の紅き 花弁が あっちにも こっちにも 散らばっていて

道を 紅き血 の様に 染めていました

私が 喪くした 薄れゆく二人の記憶を 振り返れば

野晒しにされた 悲しみは 冬の中を まだ 転がっていました

寂しいからというだけで 来たのではなく

喪くした 愛を 葬るために 来た 鳥辺野 でした




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白い 寒椿



《 さだ まさし 》

『 春告鳥 』そして 『 鳥辺野 』という 詩 の 一部 です

『 体 温 ( ぬくもり ) 』を

伝えることが できたら と さだまさし は 言います

詩を作る事 旋律を作る事

すべてが 帰るべき 何かを求める 旅 だとも いっていました

「春告鳥」の収められた アルバム名 『 夢供養 』

夢 を 供養するって いい 響きの 言葉ですね



この アルバム 出来たのが 1979年 (昭和54年)

さだまさし が 27歳 。私 が 28歳 。

私の 年譜 をみると 前の年に 今年 36歳になった 長男が

翌年に 今年 34歳になった 次男が 生まれた年でも ありました。




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寒椿










by nonkei7332 | 2014-11-26 08:09 | さだまさし | Comments(0)

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十五夜は、一年で最も月が美しいとされる

次いで美しいのが 十三夜(旧暦の9月13日)

今年は 10月6日月曜 にあたる


実は 今年は暦の関係で、


171年ぶりに『 後(のち)の十三夜 』なるものが


11月5日に出現する


旧暦は約3年ごとに 閏月(うるうづき)を挿入して


暦を調整する仕組みで


今年の場合は 9月の後に 閏9月 が入る。


このため暦の上では9月13日が 2回 あることになる






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《 雲きえし 秋のなかばの空よりも 月は今宵ぞ 名におへりける 》

西行 / 山家集


(訳) : 十五日の月(秋のなかばの空) よりも

晩秋の十三夜の方が 名に相応しく素晴らしい




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ベランダに咲いた ブーゲンビリアの花





 
十三夜の月が


照らす海の道を


船の影が横切ってく


君の愛していた


鉢植えの花は


今年も綺麗に咲いたよ



( さだまさし / 十三夜 ) より



 


by nonkei7332 | 2014-10-04 14:59 | さだまさし | Comments(0)

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台風は逸れた それでも 野を分ける風は強く

咲く花も散ってしまったかなと思いながら

雨上がりを 外に出た

鈍色の空を背に 白い 百日紅(さるすべり)が

雨に濡れながらも 凛々しく 咲いていた



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百日紅(さるすべり)


中国南部を原産とする夏を代表する花木の一つで 冬は落葉する

春に伸びた枝の先端に夏から秋にかけて花がさく

花色は白、ピンク、紅、紅紫花びらは6枚でフチが強く波打ち

満開時期の姿はよく目立つ 花後には球形や楕円形の果実をつけ

熟すとはじけてタネを散らす

樹皮は褐色で所々はがれて白い肌があらわれ 縞模様になる

樹皮のはがれた部分はつるつるしているところから

「猿も滑って落ちる→猿滑り」というのが 名前の由来とされている

漢字では「百日紅」という漢字を当てるが

これは開花期間が長いところからきている


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あなたの瞳に映る 真白な百日紅

遙かな青空の 遠くに白い雲

去ってゆく季節に 取り残されるより

いっそ季節ごと 消してしまえたら

心の色も 想い出色も

咲いては散ってゆく 風が吹く

百日紅の花


(百日紅(ひゃくじつこう)さだまさし) より


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『 散れば咲き 散れば咲きして 百日紅 』(加賀千代女)



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今日から 夏の甲子園 大会が始まった

今年は 96回大会だという

46年前 私もユニフォームを着て 開会式の行進に参加していた

場所は 残念ながら 甲子園ではない 今はもう無くなったが

福岡の 平和台球場

ちょうど 50回記念大会だった

もう 半世紀も前の話なのに

よく 憶えている 暑い日だった








by nonkei7332 | 2014-08-11 11:59 | さだまさし | Comments(0)

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姉からの誘いで 久しぶりの 夏の太宰府 を歩いた

30年ほど前に 5年ほど住んでいた町なので

町なみはすっかり変わってはいるが あちらこちらに 記憶が転がっている

姉が プロデュースした コースは

連歌屋の「寿し栄」でランチ。

それから 「光明禅寺」に寄って 「国立九州博物館」

帰りに参道の 「かさの屋」で 冷たい抹茶と梅が枝餅

全く参拝目的ではないところが 面白い



途中 『 観世音寺 』に寄ってもらった

ここの参道に連なる 楠(くすのき)は

春夏秋冬 いつ来ても その折々の姿で

訪問客を迎えてくれる


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『 観 世 音 寺 』

筑紫で亡くなった斉明天皇の追悼のため 天智天皇 が創建

約80年の歳月を費やして天平18年(746)完成した

当時は 七堂伽藍を備え 九州の中心的な寺院で


日本最古の梵鐘(国宝)が有名だ

毎年 大晦日の除夜に聞いていた 鐘の音は

今も 私の魂に染みついている




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『 寿 し 栄 』のランチは ゴー☆ジャス ! これで ¥1300 (^o^)




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太宰府天満宮の参道の一の鳥居を右に曲がるとつきあたりに

『 光 明 禅 寺 』がある

別名「苔寺」とも呼ばれ その名のとおり庭園は碧く苔むし

前庭を七・五・三の十五石で光の字に配石された〈仏光石庭 〉

裏庭は 青苔は大陸と島 白砂は水と大海を現し

長汀曲浦の見事な線で画出された枯山水の〈一滴海庭〉となっている

とくに 秋は 紅葉が映えて 美しい



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はじめは「逢初め川」といい

出会って「思い川」という


さだまさしの名曲 「都府楼」の出だしの歌詞だ

光明禅寺の 正門の前に 1mほどの小川が流れている



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『 藍 染 川 』は逢染川、想川、思川ともいわれ、

太宰府天満宮の神官と京女の悲しい恋物語が伝わっている



天満宮の神官は 京に上っている時

そこに住む梅壷という女性と恋に落ち

梅千世という子どもまでもうけました

しかし 神官はしばらくして郷里太宰府へ帰ってしまいます

残された梅壷は恋しさが募るばかり

子どものためを思って 遠く太宰府まで下ってくるのですが

そこで待っていたのは 神官の妻の意地悪な仕打ちでした

打ちひしがれた梅壷は 世をはかなんで

藍染川に身を投げて死んでしまうのです

亡骸に取り縋って泣く梅千世を見つけた神官は

梅壷が生き返るよう 一心に祈りました

すると そこに天神様が現れて 梅壷を生き返らせたのです

梅千世は長じて名僧となり

この光明禅寺を開祖したとの説もある




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遊園地の入り口の右手に 『 九 州 国 立 博 物 館 』の入り口がある

長いエスカレーターと動く歩道が 博物館まで運んでくれる

老体には 誠にありがたい

蓮の花が 迎えてくれた



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参道は インターナショナル 何故か日本語が懐かしい

店の中に入っては 展示品をみると なぜかほっとする

やっぱりここは 日本だ




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『 か さ の 屋 』

姉のお気に入り の参道の途中にあるお土産屋さんだが

奥は カフェになっている

奥の部屋は 庭に面していて 簾越しに冷んやりとした 冷気さえ漂う

〈冷やし抹茶と梅が枝餅〉のセットを注文する

庭には 百日紅(さるすべり)の花が咲いていた

何処からか 野鳩がとんできて

百日紅の枝に止まっていた




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秋に なったら 🍁苔寺の紅葉🍁 見に来ようねと話していたら

『 小鳥居小路の 恵比寿様 』 が 和かに笑っておられた



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by nonkei7332 | 2014-07-27 21:34 | さだまさし | Comments(2)


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つゆのあとさきの トパーズ色の風は


遠ざかる 君のあとを かけぬける


・・・・・・・・・


自分から去っていく女(ひと)を

静かに 送る 〈さだまさし〉 の歌だ


別れていく女(ひと)を 決して なじるわけでもなく

悲しみにひたり おろたえている訳でもなく

さりとて 追いかけることもせず

〈さだ〉 に言わせると 

破局に際して 男が示す 最後の誠意であり 

後悔も 未練も 或いは 怒りまでも 

包み込んで見せる ポーズであり

言い換えれば 寛容という 美辞 であると


『 ごめんなさいと一言 ありがとうと一言 』


そういう 女(ひと)の言葉を 聞きながら


『 君は 最後まで 優しかった 』


としか言えない 男の女々しさを

笑えない 私がいた



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忘れられない 心の景色 がある

その日は朝から 水色 の雨が降っていて
 
公園には たくさんの紫陽花がさいていた

私は 公園の外れにある図書館にいた

二階のベランダから 

私は雨を見ているふりをしながら

雨の向こうに 誰かを 探していた 

胸は息ができないくらい 苦しかった

その女(ひと)は 露草色(つゆくさいろ)の傘をさして 

空色(そらいろ)のレインブーツをはいていた

玄関の前で立ち止まると 

ゆっくりと傘をたたん
 
上を見上げると 

すぐに 私を見つけてくれた

何秒かのあいだ 二人は見つめあっていた

その間 地球も時間も動きを止めた

私の息も止まっていた

天色(あまいろ)の風景のなかで 

その女(ひと)の頬だけがほんのり

乙女色(おとめいろ)に染まっていく

そして はにかむように

その まばゆい頬を 笑顔に変えてくれたから

私は やっと 息をする事ができた 


私 も その女(ひと)も 確か 十八の頃


トパーズ色の風 が吹いていた。









by nonkei7332 | 2014-06-24 08:06 | さだまさし | Comments(0)