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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

カテゴリ:さだまさし( 17 )



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ニ週間前 夜半を 過ぎた頃 電話が鳴りました



I さんと連絡とれないんですけど どうしましょうか』



I さんとは 同じ町内に住む 一人住まいの93歳のおばあちゃんのことです



I さんの おとなりの K さんからの電話でした



鍵が閉まっていて 電話にも出なくて この暑さなので心配です



すぐ行きます



とりあえず I さんの緊急連絡先をメモして 現場に駆けつけました



〈落ち着いて〉と自分に言い聞かせて 緊急連絡先である



長崎の娘さんに連絡しました



お友達のところに行ってあるのかもしれませんが 確認が取れません』



『もしものことを考えて 救急車を呼んでもいいでしょうか・・・』



しばし 沈黙の後



『 明日の朝一番で 行きますので』



『 ・・・・はい わかりました 』



明朝 娘さんの指示で 救急車を手配



居間で倒れてあった I さん を見つけて 病院へ



そして そのまま入院 大事には至らなくて ホッとするも



心のどこかで あれで良かったのかと こだわりが残っていました





昨日の 昼に 民生委員さんから I さんの病状を聞いて



近いうちに お見舞いに行きましょうと言ってから



1時間後 もう一度 民生委員さんから 電話でした



『 実は I さんが 今朝亡くなられました 今夜7時からお通夜です』




・・・・』




身内だけの 静かな 通夜 でした I さんに最後の お別れ をしました



和かな 微笑んでおられるような I さん のお顔に




『 ごめんね おばあちゃん あの時 私が・・・・』



おばあちゃん 最後にみた夢は どんな だったの』




私は 心の中で 呟いていました





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最 後 の 夢 さだまさし




めくるめく 恋に 夢中だったあの頃



生きることで 必死だったそんな頃



悲しくて 恥ずかしい日々も



いつかゆるやかに 黄昏れてゆく





人は 過去を哀しむべきなのだろうか



それとも 忘れ去るべきなのだろうか



しあわせや 不幸せなんて



自分で決めたら良いものなのに




やがて時が来て もしも



この人生の最期に



たった一つだけ望みの



夢を見させてくれるというなら





私は どんな夢が見たいと



願うのだろうか



もしもその夢で私の生きた



意味が解るとしたら





本当に大事なものは 目に見えないから



大切な人も 失ってから気づくもの



甘くて美しい季節が



気づいたら過ぎ去っているように





やがて時が来て もしも



この人生の最期に



たった一つだけ過ちを



償わせてくれるというなら





私はなにを償いたいと



願うのだろうか



もしもその事で誰かの心が



救われるとしたら





やがて時が来て もしも



この人生の最期に



たった一つだけ望みの



夢を見させてくれるというなら






あなたの夢が見たいと思う



きっとあなたに会いたいと思う





あなたの夢が見たいと思う



きっとあなたに会いたいと思う





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by nonkei7332 | 2017-07-26 13:09 | さだまさし | Comments(0)



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六日のあやめ 』という があります


ここでいう 六日というのは


56 今日のことです


時機に遅れて役に立たないこと 》をいいます


55日の 端牛の節供 用いる菖蒲(あやめ)は


六日では もう 間に合わないという意味です




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端午の節供 〈菖蒲の節供〉ともいいます


菖蒲 厄祓い に使うのです


この国では 季節の変わり目に 五節供 』といって


厄祓いの行事をおこなってきました




人日(じんじつ) : 17 七草の節供



上巳(じょうし) : 33 桃の節句



端午(たんご) : 55 菖蒲の節供



七夕(たなばた) : 77 笹の節供



重陽(ちょうよう) : 99 菊の節供





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端午の節供


男の子の祭りという イメージが定着していますが


じつは 古代では 女の子の祭りだったのです


あまり知られていませんね



田植え月である 5月になると 「五月忌み」という行事をしていました


田植えは 早乙女(若い清らかな女性)がするものとされ


田植えの前に 一定の日々で 心身を清める 「物忌み」をしていました


蓬(よもぎ)や菖蒲で屋根を葺いた小屋に一晩籠って 穢れを祓ったのです



その後、武士の時代になると


「菖蒲」が 武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じることから


いつの間にか


男の子のおまつりに変わってしまったのでした





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菖蒲の花をみていると やはり この花は 女の子の イメージです


「六日のあやめ」の 主人公は 女の子なのです


そんな 若い女の子の 不安な想いを


さだまさし 名曲 六日のあやめ 』で 詠いました





子供の頃から 遅れて咲いていた


六日のあやめと 笑われて泣いた


遅れまいとしたら 転んで怪我をした


十日の菊と あきらめて泣いた




やっと大人になったのに


変らないのが悲しくて


そうつぶやいたらあなたは


遠くを見ながら笑った




遅れて咲いても 花は花


実らなくっても 恋は恋


叶わなくっても 夢は夢


届かなくっても 愛は愛


ほら 一番星みつけた




子供の頃から 年寄りっ子だった


三文安いと 笑われて怒った


怒るまいとしたら 涙がこぼれた


母だけが笑った 明日天気になあれ




こんな私でもいいですか


変らないけどいいですか


そうつぶやいたらあなたは


また遠くを見ながら笑った




雲にかくれても 月は月


飛べなくっても 鳥は鳥


どこへ流れても 水は水


変らなくっても 君は君


ほら 一番星





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by nonkei7332 | 2017-05-06 13:10 | さだまさし | Comments(0)


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馬酔木(あせび) の 花 が見たくて

箱崎宮 の 花庭園 に 行ってきました



春日山 から 飛火野辺り

ゆらゆらと 影ばかり 泥む夕暮れ

馬酔木の 森の 馬酔木に

たずねたずねた 帰り道




さだまさし は 『まほろば』の中で

《 馬酔木(あせび) の 森の 馬酔木(まよいぎ)に 》

と 詠いました



別れを決めた 若い二人がたどり着いたのは

春日大社参道の二の鳥居少し手前を 南側に入った

〈ささやきの小径〉辺りだったのでしょうか

道の両側には 馬酔木が 生い茂っています

二人の歩く道は 迷い道 だったのでしょう

狂おしい程の 別れの記憶が 蘇ってきます




遠い明日しか 見えない僕と

足元の ぬかるみを 気に病む君と

結ぶ 手と手の 虚ろさに

黙り黙った 別れ道




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馬酔木 は 花が終わり 四月の終わり頃になると

綺麗な 若葉に包まれます

去年 は 若葉の頃 でした

あれから 一年

私の 周りだけ 時の流れが こんなにも速いのは


何故 なのでしょうか






by nonkei7332 | 2017-03-23 06:25 | さだまさし | Comments(0)


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写真は 左から 真鍋大覚さん 宮崎康平さん 和子夫人
那珂川町の 裂田の溝 を訪れた時の様子です
「神々のふるさと」宮崎康平著 より




私が語る 二人の賢人 とは

宮崎康平 さん (1917~1980) と

真鍋大覚 さん (1923~1991)


の ことです


宮崎康平さん の 著書「まぼろしの邪馬臺國」(1967年) は

当時 邪馬台国論争の火付け役として 話題になった ベストセラーでしたが

古代史などには まったく興味がなかった私には

知ってはいても 目を通す事はありませんでした

その後 私が どんな人なんだろうと 興味を持ったは

さだまさし の 「邪馬臺」という歌を聴いた時だったのです

( 詳しくは 拙ブログ 1915/7/20 「海の日に」参照下さい )

それこそ 「出逢いは いつでも 偶然の風の中」でした



出逢い と言えば 私を 古代史へと 導いてくれたのは

ブログ「ひもろぎ逍遥」の 〈綾杉るな〉さん でした

綾杉ワールド は 多くの 出会いを私に与えてくれました

私が 記事の中で 《筑紫の賢人》と 勝手に 呼ばせていただいている

真鍋大覚さん との 出会いは 今では 大きな 存在です

図書館を巡って 真鍋さんの 書物を読みあさりました

難解な内容の書物ですので どうしても 自分の物にしたくて

綾杉さんに お聞きしてやっと手に入れたのが 『儺の国の星 拾遺』です

本の中で 度々 出てくるのが あの 宮崎康平さん の 名前でした

先日 数少ない 宮崎さんの著作の中で 『神々のふるさと』という本を

手に入れ 読んで 驚いたのが これまた 度々出てくる

真鍋さんの お名前だったのです



宮崎さんは本の中で こう書かれています


『 真鍋先生は 気象学者で 年輪と気象の関係を研究されている人である

私は その年輪から 古代の歴史を読み取ろうと すでに 何年も

先生について学び かつ 研究しているが おかげで 新しい幾多の事実を

確認することができた 』89p



奇しくも 同じ時代に 生まれた 古代史研究者 と 気象学者 の

お二人が 互いに 大事な存在であったことが

この本の 一行 一行 の 間に 感じることができますが

この 本の あとがき には

和子夫人が こんな 事を書かれていました



『 そもそも 康平 がはじめて『まぼろしの邪馬臺國』を世に問うてから

今日まで 大方の期待を裏切って なぜ 後続の著書を出さなかったかと

かねて先輩や友人からは苦言を呈され しかも 農園の経営や講演に

ひっぱりまわされて ペンを執ることがおろそかになったのではないか

と非難されたのだったが これは あくまで 副次的な現象で ほんとうは

九州大学の 真鍋大覚助教授 との出会いがきっかけで

脱線してしまったようなものである

人間が 自然をゆがめるほどの 巨大な力 を持ちはじめたのは

僅か百年このかたのことで 千七百年 という歳月は 自然界においては

束の間の時間にすぎない だから 古代に最も肉薄することができるのは

自然現象 を通じてだと考えた康平は 九州大学で航空気象学を

研究されている 真鍋大覚博士に教えを乞い 過去三千年にわたる

気象のプリントともいうべき 屋久杉の年輪を研究 を手始めに

〈気象〉〈日蝕〉〈海流〉等々 貴重なデータ や

九大図書館の資料を 提供していただいた 』




二人の賢人が あと10年 長生き されておられれば

新たな 古代史 発見に 大きく 寄与されたに違いないと

私 は 思っています



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by nonkei7332 | 2016-04-28 18:59 | さだまさし | Comments(0)

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毎年 正月の二日は息子二人と 三人でお酒を飲みます

日頃 近くに住んでいない 彼等とは 積もる話をします

仕事の事。孫達のこと。そして 私の近況。

長男の住む 熊本八代の話から

私の《熊襲(くまそ)》の話が延々と 続いた後で

話題が 孫の名前に変わりました


『 《 颯 人 》(はやと) の名前は 薩摩隼人の隼人をイメージしたのか 』


と次男に聞いてみたら 彼は こんな 話をしてくれた


『 実はね 薩摩隼人 のイメージではなくてね

漢字を見たらわかるように〈風に立つ人〉と書くだろう

さだまさしの 『風に立つライオン』という歌 知っていると思うけど

どんな困難にも立ち向かっていく男の子 になって欲しいという意味で

つけた 名前なんだよ 』


初めて聞いた話でした 胸が熱くなりました

この歌のことは 当然知っていますし 小説も読んでいたし

去年 映画化された 映画も観ていたからです

私の中では 去年観た 映画の中で最も感動した 素晴らしい映画でした

久し振りの 涙腺崩壊 の 映画でした



さだまさしが1987年に発表した楽曲「風に立つライオン」

アフリカ・ケニアで国際医療活動に従事した 実在の日本人医師

柴田紘一郎をモデルに作られたこの曲は、

日本に残してきた恋人に宛てた手紙を

歌にのせ、壮大なスケールで綴る名曲です

俳優の大沢たかお が 原作者との交流を深め

「風に立つライオン」の小説化・映画化を熱望したことから、

今回のプロジェクトは始まったのです

彼の願いを受けたさだまさしが 同名の小説を発表したのは13年

そして今年 大沢たかお主演による念願の映画版が遂に誕生しました


物語の主人公は 長崎の大学病院からケニアの研究施設

熱帯医学研究所に派遣された日本人医師・航一郎。

周辺で戦闘が続くこの地で 心に傷を負った元少年兵と出会った彼は

少年と真っ直ぐ向き合うことで医師としての生き方を見つめ直します

銃や地雷で負傷した人々が次々に運び込まれてくる過酷な医療の現場で

アフリカの大地に向かって「ガンバレッ」と叫び

自分を鼓舞しながら常に前向きに生きる航一郎を

原作者が彼をイメージしてキャラクターを作り上げたという

大沢たかお が はまり役で演じています

日本とケニア。航一郎の少年時代 から現在までを結ぶ

雄大なスケールの作品 。一人の日本人医師がもたらす

人種も時間も超えた他人を思う心の奇跡を 是非その目で確かめてくだい

(東宝 website 映画情報より)







by nonkei7332 | 2016-01-08 21:15 | さだまさし | Comments(0)

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鳥辺野の風景



鳥辺野(とりべの) とは

京都東山 三十六峰の一つ 阿弥陀ヶ峰(鳥辺山) を中心にして

西に広がる山麓一帯のことを いいます

北は 清水寺の南から 北は 稲荷山北麓 の 今熊野に至るまでの

地域を総称しています

徒然草 に

『化野の露消ゆる事なく 鳥辺野の烟(けむり)立ちさらでのみ』

と有名な一節がありますが

平安時代の頃より 北の〈蓮台寺〉西の〈化野〉東の〈鳥辺野〉は

風葬 鳥葬 の地とされていました

「鳥辺野の煙」とあるように 南の今熊野付近には 天皇廟もあり

皇族や貴族らがここで 荼毘に伏せられましたが

一方 北側 の山麓には 身寄りのない 屍 が

あちらこちらに 転がっていたといいます


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三十三間堂



京阪七条駅を降りて 「三十三間堂」に向かいます

120m にも及ぶ堂内には 1001躰にも及ぶ〈千手観音〉が

無言で 私を迎えてくれました

圧倒される 祈りの数と 怨みの数が そこには あって

時の重みと この地が 抱えざるをえなかった

《業》というものを 感ぜざるをえませんでした


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剣神社




楽しみにしていた 「京都国立博物館」が 休館という事で

足は 今熊野を目指します 新幹線をくぐり 町並みの中に

小さな『剣神社』がありました

通称「剣(つるぎ)さん」と親しまれる神社です。

今熊野一帯の産土神です。創建年代は不詳ですが

祭神が 瓊瓊杵命(ニニギ) と 白山姫 。

お二人とも 伽耶から来られた 鉄の神様 です

稲荷の神が ここにお呼びになったのかもしれません




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この 剣神社から 泉涌寺までの山道を 歩きながら

さだまさし が 『鳥辺野』という 曲をつくっています



寂しいからと それだけで


来るはずもない 鳥辺野

山道をゆけば 散り急ぐ様に

遠近(おちこち) に寒椿の紅 道を照らす春まだき


《 アルバム「うつろい」より 》



さだまさし は もう一曲 『鳥辺野心中』という曲も作っています


茨道(いばらみち) 袖を裂く けもの道

陵墓(みさきぎ)づたいに 枯れた竹林


追いかけられるようで おそるおそる振り向けば

しづ心なくはらり 紅い寒椿

《アルバム「さよならにっぽん」より》






青い空に 寒椿の似合う

静かな 山道でした


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山道を抜けるように 北へ 歩いて行きました

途中 民家の軒下に掛けてあった 「蘇民将来のお札」を見つけました


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民家の横にあった 小さな祠の「卍」の お地蔵さん

京都では 亡くなった 子供の為に お地蔵さんを祀ります



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東山五条の交差点横にある 大谷本廟 の横には

山沿いに 多くの 墓石が 並んでいました



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八坂神社




あまりの人の多さに 清水寺には登らず

そのまま 東山通りを 歩いて 八坂神社へ 行きました



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ここでも 「蘇民将来のお札」が売られていました

京都には 古くから 〈蘇民将来伝説〉という

説話があり 今でも多くの人に 信じられています


『備後風土記』に残る

〈蘇民将来伝説〉はこんな内容です


昔。北海に坐した スサノオ(牛頭天王)が

南の海の女神に求婚しようと旅に出たとき、日が暮れたので

蘇民将来(そみんしょうらい)と 巨旦将来 (こたんしょうらい)の

二人の兄弟のところへ行って宿を借りようとした。

兄の〈蘇民将来〉は貧しかったが、

弟の〈巨旦将来〉の方は裕福で借家を百戸も持っているほどだった。

そこで スサノオは 先ず弟の方へ行って宿を乞うたが、巨旦は断った。

兄のところへ行くと「どうぞ、どうぞ」と言って歓待してくれた。

彼は貧しかったため粟の柄(茎の藁)で座をつくり、

粟飯でもてなすことしかできなかった。

この後、年を経て スサノオは 八柱の御子を連れて帰って来て、

蘇民将来を訪れ「汝の子孫は家にいるか」とたずねた。

将来は「自分には妻と娘がいます」と答えると、

「茅草で輪を形取ったものをつくり、

それを家族の腰の上につけさせよ」と言った。

将来がその通りにすると、

茅輪をつけた将来一家を除く、その地のものは皆殺しにされていた。

そこで スサノオ は、初めて

「自分はスサノオ神である。後の世に疫病が流行することがあったら、

汝らは蘇民将来の子孫であると唱えるとともに、

茅輪を腰につけよ。そうすれば疫病から免れるであろう。」

と言って立ち去って行った





祇園社(八坂神社) の起こりも

たびたびおこる 災害や疫病をスサノオの仕業と考え

スサノオの化身である 牛頭天王を祀ったところに始まったのですが

謎の多い説話です

蘇民とはいったいどういった人達なのか

何故 スサノオは 自分を助けた 蘇民までも

一人の娘だけを残して 皆殺しにしたのだろうか

何故 将来 茅輪を結び 蘇民の子孫を名乗れば

疾病を逃れられるとしたのだろうか

残った一人の娘のその後は ?

何か 裏 がありそうな話でもあります

秦氏は 遠くは イスラエルから流れてきた 王族だったとも

いわれていますが まるで ユダヤ教イスラエルの

選民思想 の写しみたいでもあります

故郷を追われ 離散した 民族が

《我らこそ 神に選ばれた民》であるとの

近東エレサレムの民の 魂が

こんなところにも 残っているのでしょうか


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祇園




日が暮れてきました 祇園 の人混みを抜け

高瀬川 に辿り着いた時には

川面は もう 一日の終わりを 告げていました


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高瀬川












by nonkei7332 | 2015-12-17 10:55 | さだまさし | Comments(2)

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リンガーハット の 長崎ちゃんぽん



食欲 の 秋 です

昔から 私は 食堂に入ると

〈ラーメン 〉か 〈ちゃんぽん〉 か というと


必ず ちゃんぽん をオーダーする

いまでこそ 博多ラーメン 全盛 なので

ちゃんぽん が メニュー にある 店も少なくなったが

それでも ちょっと 古い 博多の食堂には 必ず あるものだった


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ちゃんぽん といえば 長崎が発祥 とされている

もともと 長崎の中華街で まかない で作っていたものを

メニューにしたという

長崎には 本場のちゃんぽん がある

そういえば 長崎ちゃんぽんの専門店である


《リンガーハット》

長崎 の 浜勝という とんかつ屋 が起こした 全国チェーンの店だが

今では 中国にも アメリカにも 進出していて


500店舗もの店があるという


オープンの頃に比べると 最近 味が落ちたように思う

東京で 生活している頃 新橋の店に寄って食べてみたが

食べ慣れた 味が違うのには 驚いた

店長に 「九州店で 食べる 味とは違うが何故か」というと

関東の人に合わせた 味にしていると答えたのには 閉口した

それっきり リンガーハットの敷居が高くなったようだ



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長崎駅から 歩いて 3分 〈 金 龍 〉


長崎には 出張に行くたびに

中華街などで ちゃんぽん ばかり食べていたが

何と言っても 私の中での ナンバーワン の店は

長崎駅 にも 近い《 金 龍 》

狭いカウンターが10席ぐらいの 狭い小さな店だが

その美味さは 群を抜く

壁には さだまさし の色紙が貼ってあった


さだまさし の学生時代を 小説にした


「ちゃんぽん食べたかっ!」

5月には NHK でドラマにもなったが

さだまさしの記憶の中には きっと

あの《金龍》のちゃんぽん があったのだろう


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金龍 の ちゃんぽん



学生時代を 同じ東京の 空の下で 過ごした私でもあるので

ちゃんぽん を 食べたい 九州人のせつない想い は 良く解る

どこにも ないから 自分で作ってやれと思ったことがあった

ところが 肝心の あの 黄色い太い ちゃんぽん玉 が

どこにも売ってないのだ

4、5件 探し回っても とうとう 見つからず

ため息をついて 諦めた事を 覚えている



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志賀海神社 参道沿い の 中西食堂



今年の一月 志賀島 に訪れたとき

ちゃんぽん が 美味しい 店があるからといって

安曇連 の友人 Aさんに 連れて行ってもらった

《 中西食堂 》の 特製ちゃんぽん は 美味しかった

地元の野菜と 海産物の 具沢山 で 忘れられない 味になった

今月 綾杉さんの「歴史講座」で 志賀島に行くようになっている

バスを降りて 志賀海神社に寄ったあと

参道沿いの 《中西食堂》で ちゃんぽん を食べる

この スケジュールは 変わる事はない


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by nonkei7332 | 2015-10-16 10:42 | さだまさし | Comments(5)


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ひぐらし




〈 立 秋 〉も 過ぎ

博多の街に 24日ぶりに 雨が降っています
乾ききった 大地には 恵みの雨です

天 と 地 の 間 に 人は生きています
人間 とは よくいったものですね

〈 間 〉といえば
夜 と 朝 の 間を 「 かそのあかとき 」
昼 と 夜 の 間を 「 たそのくれとき 」 と
古く 筑紫 では いっていたと いいます
やがて 言葉は 訛って
「暁 : あかつき」
「黄昏 : たそがれ」に
変わっていったのだと
賢人 は教えてくれました



七十二候 の暦で云えば
今日 7月12日 は『 寒 蝉 鳴 』
寒蝉 とは 〈 ひぐらし 〉や 〈 つくつくほうし 〉の事です
そういえば 昨日の昼過ぎには 法師ゼミ が鳴いていたし
夕暮れ には カナカナ と 蜩 (ひぐらし) も鳴いていました
暑さの ピークは過ぎたぞという 天からの 報せなのでしょうか
そういわれてみれば
今日から 少しずつ 少しずつ 寒くなるぞという
そんな 寒蝉の鳴く声に 聞こえなくもないのですが
はたして そう カナカナ 。



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夏の ( たそのくれとき )
浜男海岸




誰かの 大きな てのひら   

                                                                     
 遙か消えて行く 遠花火 

 愛も 悲しみも 憎しみも 

 疑ることさえも 知らずに 

 いつかは 離れて行く 

 父と 母と 故郷の 夏の匂い 

 遠い 夏の日の 水辺の 

 真白な心が 恋しい 

 愛の喜びを 数えて 

 愛の哀しみを 数えて 

 大人になれば こころの 

 矛盾との戦いと 気づかずに 

 いつも笑ってたあの日 

 いつも笑ってたあの夏の日


遠い夏 ~憧憬~   (さだまさしアルバム 第二楽章より)








by nonkei7332 | 2015-08-12 17:23 | さだまさし | Comments(0)


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今日は 海の恩恵に感謝するとともに

海洋国家日本の繁栄を願う日 だそうです


麦わら帽子をかぶって

磯良の海 ( 博多湾 ) がみえる公園の ベンチに座り

海の声を 聴いていました

この海が大好きだった 父の甲高い声が聞こえます

磯で遊ぶ 子供達の はしゃぐ声が聞こえます

耳をそばだてると 海人達の艪(ろ)で漕ぐ 音も

海辺の 名島(浦島) の宮の 笛や太鼓の音も 聞こえてきます



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10年前 私は 仕事で 島原 に行ったことがあります

JR の 諫早 で乗り継いで 島原鉄道 に乗りました

今は亡き 一人の 古代史研究家 であり

島原鉄道の復興の立役者でもあった その人の面影と

『まぼろしの邪馬台国』という本を抱えての 道行きでした

その人とは 《 宮崎康平 》 (1917~1980) さん です

〈さだまさし〉 は 父と 宮崎さんとが 親友であった繋がりで

生前 親交もあったそうで 宮崎さんが亡くなった後

こんな 歌 をつくっています



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宮崎康平氏




《 邪 馬 臺 》 さだまさし



盲いた詩人はいつもザボン口に運び乍ら 

想い出たどる様に

見えない目を開いて 静かに海を観てた 

幻の国の事をまるで故郷を語る様に 

 道程について風景について 優しく僕に話した 

 有明の空の雲だけが あの人の寂しさを知っていた 

そう弥生の風に追われる様に 

 あなたが逝った晩に 眠れないまま息を密めて 

 不思議な夢を観た 

 雲仙(やま) は噴煙を吐いて

霧は針摺瀬戸(かいきょう) を包み込んで 

異国の便り乗せた小さな舟がひとつ 静かにすべってくる 

 盲いた詩人がひとりその小舟に座っている 

得意の笑顔みせてはにかむ様にじっと 静かに海を観てる 

 有明の海に風が吹く あの人を追いかけて夢が吹く 

ああ悲しい程に焦がれ続けた 幻の人が

今 きっとあなたを抱きしめている 

 不思議な夢を観た



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映画 「まぼろしの邪馬台国」にて
宮崎康平役 の竹中直人
和子役 の 吉永小百合




なみだは


にんげんのつくることのできる


一番 小さな海です


( 寺山修司 海の歌 より)




by nonkei7332 | 2015-07-20 14:57 | さだまさし | Comments(0)



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さだまさし の 2006年のアルバム『 美しき日本の面影 』の中に

《 桜人~序章春の夜の月~ 》

《 桜人~終章しず心なく〜 》

という二曲の 歌があります

六人の歌人の歌に さだまさしが 補作詞 した曲です

朱文字が 歌詩です 《 》は 歌人名 と 私訳 です


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今宵 桜人 《 藤原良経 》

空はなほ 霞もやらず風冴えて 雪げに曇る 春の夜の月

空はまだ春というのに霞もせず、風は寒く雪が降りそうな雲行きの春の夜の月だ 》

今宵 思ひ人 《 藤原俊成女 》

風通ふ 寝覚めの袖の花の香に 香る枕の 春の夜の夢

《 風に 目が覚めると 袖にも枕にも 桜の花のような貴方の匂いが残っています 夢だったのでしょうか 》

はらりはら

はらはらり

はらはらり



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今宵 あはれ人 《 大伴宿禰池主 》

桜花 今ぞ盛りと人は言へど われはさぶしも きみとしあらねば

《 桜は満開だというのに 貴女が居ないので なぜか さびしいのです 》

今宵 涙人 《 菅原道真 》

桜花 ぬしをわすれぬものならば 吹き来む風に言伝てはせよ

《 桜の花よ 主人を忘れないというのなら 筑紫の方に吹く風に 便りを届けておくれ 》

ゆらりゆら

ゆらゆらり

ゆらゆらり



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今宵 桜人 《 紀友則 》

久方の光のどけき 春の日に しづ心なく花の散るらむ

《 陽の光が穏やかな春の日なのに どうして 桜の花は散っていくのでしょうか 》

今宵 想い人 《 西行 》

願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ

《 願う事なら 二月の満月の頃に 桜の下で 死にたいと思っています 》

はらりはら

はらはらり

はらはらり




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《 さだまさし 》は ライナーノートに こんな風に 語っていました


この國の 風土の持つ美しい 季節感を通して

この國の人々の 心を歌おうと 思いました

そのことで この美しい國に住む 美しい人々が

本来の心 を 思い出せはしないだろうか







by nonkei7332 | 2015-03-30 15:29 | さだまさし | Comments(0)

by ヒサミツ