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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

日田三隈川



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三隈川



小春日和の週末 日田に行きました



バスが 朝倉付近に通る時



車窓から 災害地の 削り取られた 山肌や



流木が覆われた 傷だらけの町の景色が 目に入ってきます



朝倉 杷木 を通り 右手に 夜明ダム を見ながら



バスは 盆地である 日田の町に入って行きます



日田は 林業の町で 天領であった古い町並みが残る 豆田地区には



多くの観光客であふれていました



町の主役は 町の真ん中を流れる 鵜飼で有名な



九州一の大河 筑後川の 上流です



日田の人々は この川を 《 三 隈 川 》(みくまがわ)と呼び



郷土の川として 誇りを持っていて 決して 筑後川とは言わないのです




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日田 と三隈 の地名は 「豊日記」「豊後国志」に 記述されている



『日と鷹の伝説』に隠されています




日田盆地が 大きな 湖だった頃



ある日 東から 大きな鷹が飛んできて 羽根を水面につけると



大きな波が起こり 夜明(夜明けダムの地名)が決壊して



湖水は 筑後川に流れていってしまいました 鷹は北へ 飛んでいきます



後に残った干潟には 日隈 ・月隈・ 星隈 という



三つの丘だけが残ったのでした




日田郡 の以前の名前は 日高郡 といっていたそうです



日高 日鷹 ヒダカ 日田 に訛ったという説があります



残った三つの丘 を三隈といって 三隈川 の名前になったのでしょう



この昔話は 古代史ファンには とっても 魅力ある お話です



まず 地名の 〈隈〉について



百嶋先生 はこんなふうに話されています




隈とは集落という意味です この隈を使う人々が



九州王朝の招きでこちらのこの地区に異動してきた人々で



この地区とは筑後川流域を連想し てください



日の隈 なんなんの隈が沢山ある 小郡市にも



なんなんの隈が沢山ある・・・』




〈隈〉と言われる種族が 東から(南からという説もある)やってきて



筑後川流域に住み着いた やがて その勢力は 北へ向かう



福岡にも 月隈 ・干隈 ・雑餉隈 など 隈の地名はあります



〈東から飛んできた鷹〉いったい どんな種族だったのでしょう



考えられるのが 秦氏 ですね



はた 日田 ひた になったという説もあります



秦氏 新羅系の渡来人で 豊前 を拠点にした人々です



秦氏の頭領 金山彦 その血を受け継いだのが 新羅の王子



天日鉾(アメノホヒ) こと 素戔嗚(スサノウ) だったのです



これらの 隈の種族が 神武九州王朝 を支えていきます





日田の人々の あらゆる苦難にも耐え抜いてきた



古代の血の誇りが 三隈川に残っているのです



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帰りの 「駅の道」で 日田の 南部中学校の子供達が



災害支援の募金活動を行なっていました



カメラに写った 子供達の 一人一人の顔を見てください



なんと 素晴らしい いい顔をしているのでしょうか



日田の町の 最高の御土産をいただいたようでした








by nonkei7332 | 2017-12-01 22:44 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ