菊理姫 の 里
遠い記憶です
季節 は 晩秋
朝早く 起きて 庭にでると 霜柱が立っていました
民家の屋根の上から 《背振の山々》が見えます
山頂付近には 雪が降ったのでしょう 白く輝いていました
背振 が 白くなると 雪が近いぞと 冬支度を急いだものです
背振山 は 私の原風景のひとつです
これまで 私は
〈比叡山〉〈信貴山〉〈英彦山〉〈国東〉と
神仏習合の霊山を訪ねてきました
いずれも 修験道の霊場でもあり 山の神が御座する
《なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼれる》と
西行法師 が歌ったような 聖地でした
年内 には 白山 (石川県) に 行く予定にしています
これらの地を訪れるたびに思うことは
仏教伝来 神仏習合 以前には これらの地には どんな神が
祀られていたのかという 素朴な疑問でした
そんな中でも 今 とても気になる 存在が 在ります
それは 白山 です
遠い昔 この国の住む人々の前に
南の海を越えて渡来してきた 民 がいました
人々は それらの民を客人(客神) と呼びました
幾たびとなく 訪れる海人達 は 船を操り わずかな平地で稲を植え
海岸線伝えに 多くの村を作っていったのでした
多くの海の幸をもたらした 《海の神》です
やがて 北の海を渡って 鉄を作る 客人(客神)たちもやってきました
山に入り 鉄をつくり 里に降りてきては 鍬や鎌の農具を
そして 山の幸をもたらした 《山の神》です
白山 とは 白き神の住む山 です
白き神 は 《菊理姫》(くくりひめ) 《白山姫》(はくさんひめ)と
呼ばれる 女神でした
《 百嶋説 》は 菊理姫 を 天御中主神 (アメノミナカヌシノカミ) だとします
古事記 には まだ 天地も定まらず 混沌とした時に
最初に現れた 宇宙根源の神だと書かれています
造化三神 と呼ばれる もっとも最初に出てくる中心神です
それに 続く 二神は
高皇産霊神 (たかみむすひのかみ)
神皇産霊神 (かみむすひのかみ) です
《百嶋説》では 高皇産霊 を 高麗 大伽耶国の王 高木大神 とします
神皇産霊 は 倭の奴国王 櫛田の神 大幡主神 とします
系図を見るとわかるように
天御中主 は 大幡主 の伯母にあたります
主(ぬし)の神々 は 白族 と呼ばれ
豊玉彦(豊玉主) 大国主 事代主 なども 博多を中心に展開した
あの 奴国 (春日市 那珂川町) の神々 なのです
百嶋研究家 の中には 天御中主 の 〈中〉は 那珂川の那珂 ではないか
という説を言われる方もいます そうだとすると
天御中主・菊理姫・白山姫 の坐した山とは
那珂川 の水源の 背振山 なのかもしれません
真鍋大覚 さんは 『儺の国の星 拾遺』の中で
「 〈儺〉或いは 〈奴〉は 夏を知らぬ残雪の形容であり
花の白さの形容である 」 また
「 倭人伝に出る 奴国、日本書紀に出る 儺縣(なかのあがた)の
“ぬ“ も “なか” も 韓語 の nun(ヌン) 即ち 〈雪〉或いは
霧雲の過冷却状態 即ち 〈霧氷〉のことである 」
と書かれていて
かつての 背振山 は かなり雪深き 白き山であったようです
古い記録によれば 背振の雪が 6月まで残っていたともいいます
石川県の白山連山 も 朝鮮半島の北にある 長白山(白頭山) も
古代 倭人 が 移り住んだ 土地から見えた 山 だったのかもしれません
故郷 奴国 にそびえる 白き山 背振山 を偲んで
つけた 名前ではなかったのか
私の 海馬の奥深く眠る 記憶は
幼き頃の 背振の景色 と 古代 の 白き神の住む山を
繋いでしまったようです
《 菊理姫 の里 》それは 背振の山々 だったのです