海賊大将になりたかった男 ②
戊辰戦争に 出征した 村上義太郎 の 隊 は
江戸に着くと 木更津 で 待機します
上野の戦争が始まったと聞き 急ぎ駆けつけるも
時すでに遅く 戦闘は終り 彰義隊も潰滅した後だったのでした
この時 義太郎 は 将来を決する貴重なヒントを得ます それは
戦時における 迅速な軍備弾薬の輸送がいかに大事かということでした
福岡の文武館に戻ると 藩の参事となった 月形から 藩公からの指示で
大阪教導団に出頭を命ぜられます
教導団 とは 後の 陸軍士官学校 の事で
各藩から 数名の候補を集めてられていたのでした
天にも登る 義太郎の中で あの 海賊大将 の夢がもたげてきます
その大阪で またしても 大きな転機が訪れます
なんと 大阪教導団が東京教導団に 合併されていたのでした
同行した 団員は 福岡に帰ってしまいますが
義太郎は 決断を強いられます
東京へ行くかどうか 迷ってしまいました
そんな頃 義太郎 は 一人の 男と出会います
かつて 討幕勤皇の志士であり 薩長同盟の基礎づくりに奔走した
遠賀郡出身の 早川 勇 でした
早川は 義太郎の話を聞き 一冊の本を 彼に読ませます
それは 福沢諭吉の書いた 「西洋事情」でした
早川は 海賊大将の夢を ことごとく 喝破し
文明開化 の これからの世は 剣や大砲ではない
武士を捨て その志を 商工業 に尽くせと とくとくと 語ったのでした
早川 勇 は 後年 奈良府判事や元老院大書記官を勤め
晩年は郷土宗像の育英事業に専念しました
自分に 何ができるか 義太郎は 考えました
戊辰の時 物を運ぶ 事がいかに大事かと知らされた事を思い出し
運送事業を興す そう決めると 義太郎は すぐに 行動に移しました
当時の輸送手段といえば 大八車 でした 大八車を操る人を車力といい
大阪には 「車力組」と呼ばれる組織がありました
義太郎は さっそく 元締めを 訪ね 自分で車力をやりながら 研究を重ね
車力の製造法を取得するまでになったのでした
義太郎は 福岡へ戻ります
当時の福博の輸送手段は 馬方が主力でした
そこに 義太郎は 「車力組」を立ち上げます
先ずは 博多の 車力製造に地元の技術者を説き伏せます
それから 失業武士の息子達で その力を持て余している男達を
一人一人 車力運送事業の将来を語り 12名の仲間を集めました
車力の製造資金は 車力一台ごとの出資金25円を一株として出資させ
共同で事務所を出し 自ら 棟梁となって 営業に走りました
やがて 博多の町に 威勢のいい男達が 町中に闊歩していきます
士族青年の車力組の評判は 博多だけに留まらず 甘木 鳥栖 久留米
柳川からも 遠距離輸送の仕事の依頼が多くなり
平民からの 出資参加者も増えて 大成功をおさめます
途中 馬方との軋轢も起こりますが 勢いは止められず
事務所に「萬物運輸所」という 看板を掲げ
村上義太郎 の名前は 新進気鋭の若手事業家として 福博の町に
知られることになったのでした
黒田藩は 「御銀主」と呼ばれる三人の商人が 金融調達を務めていました
奥堂町の酒造家 堺宗平 ・中島町の米屋 熊谷又七・蔵本町の油屋 太田清蔵
博多の商傑 と呼ばれた人達です
廃藩により 藩への用立金 数万両の損害を被ったといわれています
藩庁はその見返りとして 「商会」と呼ばれる 内港の権利を
三人に譲渡しました ところが 誰がやっても 経営が思うようにいきません
そこで 三人が 白羽の矢を立てたのが 村上義太郎 でした
港湾の一切の権利を 期限なしの権利金を払う という条件で
「商会」は 義太郎の物になったのでした
船便の荷下ろし 積荷 配送 と 総合運輸業として 「商会」は大繁盛します
この時 義太郎 30歳。
明治10年 義太郎にとって 人生最大のチャンスが訪れます
西郷隆盛が新政府に反旗を打ち上げた 西南戦争が勃発します
官軍は 御用船で 弾薬 食糧 機材を 博多港 に何十隻と運びます
運ばれた貨物は 「商会」の手で 陸揚げされ 「車力組」で 昼夜の別なく
熊本へと運ばれていったのです
田原坂の激戦の中 数日 風雨が続き 弾薬が陸揚げされずにいると
義太郎は 急遽 御用船を 糸島の今津湾に運びます
今津から 陸揚げされた 弾薬で 官軍は 田原坂の激戦を勝利したといいます
義太郎を幼年育てた 月形 潔 が この頃 警察の巡査隊長として
反乱軍の鎮圧に 従事していたことも 追い風だったのでしょうか
西南戦争 で 義太郎 は 莫大な財産を築きました
明治13年 「商会」の権利を 突然 十七銀行の斡旋で 糸島加布里の船問屋
「東屋」に 売却します 遠浅の博多港 の 将来を見据えての 決断でしたが
売却益も計算の上でした
生涯 使い切れないほどの 莫大な財産を持った 義太郎が
いよいよ 最後の 事業にとりかかります
それは 誰もが びっくりする 大事業だったのでした。
続く