六日のあやめ
『 六日のあやめ 』という 諺 があります
ここでいう 六日というのは
5月6日 今日のことです
《 時機に遅れて役に立たないこと 》をいいます
5月5日の 端牛の節供 に 用いる菖蒲(あやめ)は
六日では もう 間に合わないという意味です
端午の節供 は 〈菖蒲の節供〉ともいいます
菖蒲 は 厄祓い に使うのです
この国では 季節の変わり目に 『 五節供 』といって
厄祓いの行事をおこなってきました
人日(じんじつ) : 1月7日 七草の節供
上巳(じょうし) : 3月3日 桃の節句
端午(たんご) : 5月5日 菖蒲の節供
七夕(たなばた) : 7月7日 笹の節供
重陽(ちょうよう) : 9月9日 菊の節供
端午の節供 は
男の子の祭りという イメージが定着していますが
じつは 古代では 女の子の祭りだったのです
あまり知られていませんね
田植え月である 5月になると 「五月忌み」という行事をしていました
田植えは 早乙女(若い清らかな女性)がするものとされ
田植えの前に 一定の日々で 心身を清める 「物忌み」をしていました
蓬(よもぎ)や菖蒲で屋根を葺いた小屋に一晩籠って 穢れを祓ったのです
その後、武士の時代になると
「菖蒲」が 武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じることから
いつの間にか
男の子のおまつりに変わってしまったのでした
菖蒲の花をみていると やはり この花は 女の子の イメージです
「六日のあやめ」の 主人公は 女の子なのです
そんな 若い女の子の 不安な想いを
さだまさし は 名曲 『 六日のあやめ 』で 詠いました
子供の頃から 遅れて咲いていた
六日のあやめと 笑われて泣いた
遅れまいとしたら 転んで怪我をした
十日の菊と あきらめて泣いた
やっと大人になったのに
変らないのが悲しくて
そうつぶやいたらあなたは
遠くを見ながら笑った
遅れて咲いても 花は花
実らなくっても 恋は恋
叶わなくっても 夢は夢
届かなくっても 愛は愛
ほら 一番星みつけた
子供の頃から 年寄りっ子だった
三文安いと 笑われて怒った
怒るまいとしたら 涙がこぼれた
母だけが笑った 明日天気になあれ
こんな私でもいいですか
変らないけどいいですか
そうつぶやいたらあなたは
また遠くを見ながら笑った
雲にかくれても 月は月
飛べなくっても 鳥は鳥
どこへ流れても 水は水
変らなくっても 君は君
ほら 一番星