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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

未婚 の 女帝 ①



未婚 の 女帝   ①_b0325317_10374229.png
養老改元1300年祭 公式ホームページ より
《 元正天皇 》





日本には 女帝は 8人おられます

皇后や皇太子妃 だった 女人が 天皇になっておられるのですが

歴史上 稀に見る 独身(未婚)の女帝が ひとり おられます

44代 天皇 元正天皇 (680~748) がその人です

在位は 715年から 724年 までの 9年でした


今 とっても気になる 女帝 (女神) です

元正天皇の目から 歴史を追ってみます


母は 43代 〈元明天皇〉この方も女帝です

女帝から 女帝への 母から 娘への 譲位だったのですね

このお母さん 天智天皇の娘です

父は 〈草壁皇子〉天武天皇 と 持統天皇 に 生まれた

血統強き 皇太子 だったのですが 皇位を継ぐこともなく

28歳という歳で 夭折します


父と母には 三人の 子供がいました


弟 ・軽皇子(かるのみこ)(のちの文武天皇)

私 ・氷高皇女(ひたかのひめみこ)(のちの元正天皇)

妹 ・吉備内親王(きびのないしんのう)(のちの長屋王の妃)


祖母 持統 は 祖父天武亡き後 父 草壁皇子 を 皇位につけるために

ライバルであった 大津皇子 を 亡き者にします

ところが 皮肉にも 草壁皇子 の 突然の死です

持統は 孫の 軽皇子(文武天皇) をと画策しますが 弟はまだ7歳です

持統は 自ら 41代を即位し 夫 天武天皇の治世の後を継ぎます

弟 軽皇子が15歳になると 42代文武天皇として 即位しますが

持統は上皇として 文武を補佐したのでした

5年後 (703年) 祖母持統上皇は 波乱の人生を閉じます 58歳でした

弟 文武天皇は 藤原不比等の娘 宮子を妃とします

首皇子(おびとのおおじ) が 生まれていましたが

弟文武 も 父(草壁皇子)のDNA を引き継いだのか 25歳で崩御

首皇子 またしても 7歳でした 宮子が心的障害を持っていたため

母 元明天皇 が 弟文武の後を継ぎ 43代天皇に即位します 47歳でした

皇后でない女帝の誕生でした

首皇子(のちの聖武天皇) が14歳になりました

譲位をして 年少天皇という選択もあったのですが

皇太子としての基盤作りを 最優先とした 藤原不比等 と 母元明天皇の

強い要望もあって 私に白羽の矢が立ち

聖武天皇 即位までの 中継として 44代 女帝として 即位したのでした

続日本紀の中には もっとも美しい 未婚の女帝 だと書かれています

氷高皇女(ひたかのひめみこ) 35歳の時でした


なぜ 未婚だったのかって ?


それは 謎ということにしておきましょう






by nonkei7332 | 2017-02-26 11:00 | 古代史 | Trackback | Comments(2)
Commented by chie_1952 at 2017-02-26 18:30
今晩は (*^-^*)
元正天皇 の記事とても興味深く読みました。
ずっと昔,永井路子さんの 美貌の女帝 だったかな? を読み大変、気になっていた女帝でした。
非常に美しい女帝だったそうですね。   今回の記事を読み、もう一度、本棚から 本 を取り出し読み返したくなりました。
Commented by nonkei7332 at 2017-02-26 21:41
Chieさん こんばんは
歴史はロマンですね
1300年前にタイムスリップできるのなら
氷高皇女に会って 聞きたいことがあります
『好きな男はいなかったの』って
つづき を 書きます。

by イソラ