未婚 の 女帝 ①
日本には 女帝は 8人おられます
皇后や皇太子妃 だった 女人が 天皇になっておられるのですが
歴史上 稀に見る 独身(未婚)の女帝が ひとり おられます
44代 天皇 元正天皇 (680~748) がその人です
在位は 715年から 724年 までの 9年でした
今 とっても気になる 女帝 (女神) です
元正天皇の目から 歴史を追ってみます
母は 43代 〈元明天皇〉この方も女帝です
女帝から 女帝への 母から 娘への 譲位だったのですね
このお母さん 天智天皇の娘です
父は 〈草壁皇子〉天武天皇 と 持統天皇 に 生まれた
血統強き 皇太子 だったのですが 皇位を継ぐこともなく
28歳という歳で 夭折します
父と母には 三人の 子供がいました
弟 ・軽皇子(かるのみこ)(のちの文武天皇)
私 ・氷高皇女(ひたかのひめみこ)(のちの元正天皇)
妹 ・吉備内親王(きびのないしんのう)(のちの長屋王の妃)
祖母 持統 は 祖父天武亡き後 父 草壁皇子 を 皇位につけるために
ライバルであった 大津皇子 を 亡き者にします
ところが 皮肉にも 草壁皇子 の 突然の死です
持統は 孫の 軽皇子(文武天皇) をと画策しますが 弟はまだ7歳です
持統は 自ら 41代を即位し 夫 天武天皇の治世の後を継ぎます
弟 軽皇子が15歳になると 42代文武天皇として 即位しますが
持統は上皇として 文武を補佐したのでした
5年後 (703年) 祖母持統上皇は 波乱の人生を閉じます 58歳でした
弟 文武天皇は 藤原不比等の娘 宮子を妃とします
首皇子(おびとのおおじ) が 生まれていましたが
弟文武 も 父(草壁皇子)のDNA を引き継いだのか 25歳で崩御
首皇子 またしても 7歳でした 宮子が心的障害を持っていたため
母 元明天皇 が 弟文武の後を継ぎ 43代天皇に即位します 47歳でした
皇后でない女帝の誕生でした
首皇子(のちの聖武天皇) が14歳になりました
譲位をして 年少天皇という選択もあったのですが
皇太子としての基盤作りを 最優先とした 藤原不比等 と 母元明天皇の
強い要望もあって 私に白羽の矢が立ち
聖武天皇 即位までの 中継として 44代 女帝として 即位したのでした
続日本紀の中には もっとも美しい 未婚の女帝 だと書かれています
氷高皇女(ひたかのひめみこ) 35歳の時でした
なぜ 未婚だったのかって ?
それは 謎ということにしておきましょう
by nonkei7332
| 2017-02-26 11:00
| 古代史
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Comments(2)
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by
chie_1952 at 2017-02-26 18:30
今晩は (*^-^*)
元正天皇 の記事とても興味深く読みました。
ずっと昔,永井路子さんの 美貌の女帝 だったかな? を読み大変、気になっていた女帝でした。
非常に美しい女帝だったそうですね。 今回の記事を読み、もう一度、本棚から 本 を取り出し読み返したくなりました。
元正天皇 の記事とても興味深く読みました。
ずっと昔,永井路子さんの 美貌の女帝 だったかな? を読み大変、気になっていた女帝でした。
非常に美しい女帝だったそうですね。 今回の記事を読み、もう一度、本棚から 本 を取り出し読み返したくなりました。
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nonkei7332 at 2017-02-26 21:41