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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

百舌鳥 と呼ばれた人々 ③



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古代の 大阪平野 河内平野の地形はこうなっていました


二つの川のデルタ地帯からできた 湿地帯でした 二つの川とは


琵琶湖を水源とする 〈淀川水系〉


奈良盆地の全域から幾つかの支流が集まり 香芝辺りで本流となり


生駒山地と金剛山脈の間を 潜り抜け


河内平野から河内湖へと注いでいた 〈大和川水系〉です


青いラインは現在の大和川 です 西に流れ 大阪湾に注いでいますが


古代は 北へ流れ 河内湖へと注いでいました



百舌鳥古墳群 と 古市古墳群 は 現在の大和川の南


河内台地と海沿いの台地付近に 造られているわけですが


築造に従事した 人々は 北へ流れる 大和川の川筋や


生駒山西麓 に集落をつくって いたと思われます




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手前 大和川 と 生駒山系南麓



八尾市に住む 次男が 柏原に用事があるというので


私も 連れていってもらいました


生駒の山麓を 左に見ながら 南に走ります


大和川が 山の間をぬって 河内に出たところが 柏原市です


奈良の 橿原市とよく間違えられるといいますが


私の関心は 柏原 の 地名の起源です


福岡背振山系の油山の山麓にある 柏原という地名がありますが


この二つの地名の共通性についてですが この件は次回にします





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さて 最初に行ったのが 「史跡高井田横穴公園」でした


公園内には 柏原市歴史資料館があります


山の斜面には 国内でも最大規模の 162基の横穴墓が点在します


6世紀中頃から 7世紀前半にかけて造られたものです


興味深いのが そのうちの 27基の横穴には


「人物」「鳥」「船」などの 「線刻壁画」が描かれています




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船 には二人の小さな人物が描かれていて


右側の人物は碇(いかり)を引き上げ


左側の人物はオールを漕いでいるみたいです


真ん中の人物は 正装みたいです 髪型は 耳の横で髪を束ねる


美豆良(みずら)( 日本の上古における貴族男性の髪型)でしょうか




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山の頂上には「高井田山古墳」が あるというので



遊歩道を 息子と孫姫 と どんぐりを拾いながら 登りました




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直径22Mの円墳です


造られたのが 5世紀末 横穴群よりも 前にできています


石積みの玄室の中から 鏡 ガラスの装飾などの 副葬品が出土しています


被葬者は 古墳築造の人々の 族長 だったのかもしれませんね




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大和川を遡り 信貴山に登る途中で 思わぬ神社に遭遇しました


青谷という集落でした


なんと 「金山彦神社」でした


生駒山の西麓や南麓 には 多くの たたら鉄製造の鍛治地があったようです


古墳築造に 欠かせないものが 鉄器でした


人々の食料を確保するための 農地開墾にも 稲作にも


鉄器による 鍬 や 鋤 は 欠かせない道具だったからです


古墳群を見下ろすように 鉱山の神 金山彦が 厳かに鎮座されていました


神紋は 五七桐 でした



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拝殿


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龍王社 と 稲荷社





金山彦神社より道なりに山上へいくと


雁多尾畑(かりんどばた)という集落があって


ここには 金山姫神社 があるということでしたが


見つけることができませんでした


もともとは 金山彦神社も 金山姫神社も 嶽山という頂上に


祀られていたものが 中世になって


今のところに移ったとされています


山道からは 大和盆地 が きれいに見えました




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奈良大和盆地






赤 : 高井田横穴群
黄色 : 金山彦神社
緑 : 金山姫神社




百舌鳥という人々を 追って 古墳群 鎮守の百舌鳥八幡宮


高井田横穴群 金山彦神社 と見てきましたが


縄文末期から 弥生時代の鉄器製造の主流は九州であったこと


鉄器や鍛治工房は 畿内には ほとんど無かった事を考えると


ある時期 九州王朝を支えてきた 金山彦を 祖神とする


鍛治工房集団が 大量に 河内に 移動してきたは間違いないようです


土師氏は 秦氏 は その後 桓武天皇の平安京遷都に


大きな役割を果たしますが 仏教が浸透するにつれ


古墳築造の時代は終わりを告げます


土師氏 秦氏 の名前は 消えて行きますが


土師氏 は 菅原氏 秋篠氏 大江氏 と名前を変えて


朝臣として 新たな時代を生きていくのでした





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by nonkei7332 | 2016-12-04 11:25 | 古代史 | Comments(0)